“回復の物語”を紡ぐ(藤沼康樹,柳浩太郎)
対談・座談会
2012.03.05
【対談】
"回復の物語"を紡ぐ
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俳優の柳浩太郎さんは2003年,人気漫画「テニスの王子様」(許斐剛作,集英社)のミュージカル版(通称「テニミュ」)で,主役として華やかなデビューを飾った。舞台は大成功し,これから活躍の場が広がると期待されていた同年12月,自宅近くで交通事故に遭ってしまう。右側頭葉脳挫傷,脳幹・小脳の損傷,さらに外傷性くも膜下出血を併発する重傷で,一時は意識が戻らないことも危ぶまれたものの,驚異的な回復力で俳優に復帰。後遺症の右半身の麻痺や高次脳機能障害による記憶力の低下,滑舌や動作の困難を抱えつつも,映画や舞台を中心に積極的な活動を続けている。
柳さんの"回復"を支えたのは何か。回復の過程で,新たな自分の価値をどう見いだしたのか。「病いや障害と折り合いつつ自分らしく生きる柳さんの物語から,若い医療者が学ぶことは多い」と語る,藤沼康樹氏が探った。
藤沼 僕が柳くんを知ったのは,ミュージカル「テニスの王子様」の大ファンの,うちの高校生の娘に「すごい人がいるんだよ」と教えてもらったことがきっかけです。「何がすごいんだろう」と思って,娘に貸してもらって自伝を読んでみたんですが,前を向いて生きている様子にとても感動しまして。早速映画と舞台のDVDをいくつか入手して,演技を見せてもらったんですが,オーラっていうか存在感がすごいですよね。言葉にぐっと聴き入っちゃう。
柳 麻痺があって,ろれつがうまく回らないので,初めは「何て言ってるんだろう」ってところから皆,入ってくるんですよ。
藤沼 確かにそのことは,場面によっては欠点にもなり得るけど,逆に観客側の言葉への集中力を増すことにつながっているので,ぐっとくるんですよ。
初舞台で居場所を見つけて
藤沼 舞台にも多く出演されていますが,映画と違って舞台は一発勝負ですよね。緊張しませんか?
柳 します。でも,お客さんの反応がその場でわかるから,舞台はすごく好きなんです。「こういう芝居をしたらこういうリアクションが来るのか。じゃあ次はこうやってみよう」って,考えながらやるのが楽しい。リアクションのキャッチボールで,客席と一体になれる感じがします。
藤沼 稽古期間も含めると長丁場ですが,どうやってテンションを保ってるんですか。
柳 自分の居場所を見つけるってことが第一でしょうか。稽古場の隅っこでもいいから,落ち着いて考えられる場所があれば,稽古に集中できるようになります。
藤沼 芸能界デビューもミュージカルからですけど,最初から舞台志望だったわけじゃないんですよね。
柳 はい。もともとはダンサーになりたかったので,所属事務所に「テニミュ」のオーディションをしぶしぶ受けさせられた感じでした。当時は演技に興味もなく,「ミュージカルなんてかっこ悪い」という気持ちもあって,オーディションでもそれを隠すこともしませんでした。でも,そういうナマイキな態度が逆に役のイメージに合ってたようで,合格しちゃったんです。
藤沼 じゃあ稽古のときも,初めは斜に構える感じだったんですか(笑)。
柳 というか,初めての大きな仕事で,何もわからなくて。もともと人見知りするほうだし,小6まで海外で生活していたので敬語もうまく話せず,年上の人ばかりの稽古場で孤立ぎみでした。でもKimeru(「テニミュ」初演キャストの一人)が声をかけてくれたことがきっかけでだんだん皆に心を開けるようになって,「一緒に舞台を創っていこう」っていうふうに,考え方が変わっていきました。
藤沼 そこに居場所ができたことで,仲間としての意識が生まれてきたわけですね。
柳 「テニミュ」とメンバーが"ホーム"って感じです。初演の千秋楽では,もう終わってしまうと思うとほんとに寂しくて,大号泣して開演を遅らせちゃったんです(笑)。
これが2回目の人生,みたいな気持ちで
藤沼 そうして創り上げた初演から,そう時間がたたないうちに事故に遭ってしまったんですよね。
柳 3回目の公演の稽古中でした。
藤沼 僕は一時期神経内科の勉強もしていたので,怪我の詳細を本で知って,そうとう深刻だなと思いました。
柳 脳死でもおかしくないような状況だったみたいです。
はじめはICUにいて,1か月ほどでリハビリ専門の病院に転院したんですが,記憶があるのは事故の2か月後くらいからなんです。意識が戻り始めてからも,しばらくは両親のことも思い出せなかったし,記憶が幼少時の海外生活まで遡ったのか,英語でしかしゃべらなかったと聞きました。
ようやく自分の状態を把握できるようになっても,頭で考えたことに身体が全然ついていかない。絶望的な気分になって,正直一度は「僕の人生終わったな」って思ったこともあります。
藤沼 そういう絶望感を,どうやって乗り越えていったんですか。
柳 それは,やっぱり「テニミュ」があったことが大きいですね。入院しているうちから,プロデューサーに「復活公演やるから」って言われて。事故の後,開幕まで2週間足らずで僕の代役を務めないといけなかったKimeruや,ほかのキャストにもいろいろ迷惑をかけたのに,皆から「戻ってこいよ」ってメッセージをもらえたんです。もちろんファンの人たちの「待ってます」っていう声も後押ししてくれました。
藤沼 それらを受け取って,戻らないといけない,という気力がでてきた?
柳 まだ自分の居場所があるんだ,と思えました。
それからは,落ち込んでもいられなくて,復帰するにはどこをリハビリすればいいか考えて,とにかく必死でした。「今日は階段の往復を1秒短縮しよう」とか,ほんと,小さい目標なんですけど,達成できていくことがすごくうれしかったですね。
藤沼 事故から1年後の復帰は,驚異的なスピードですよね。
柳 そういわれます。ただやっぱり,最後まで乗り切れるか不安でいっぱいだったので,千秋楽にはすごい達成感で,泣き崩れてしまいました。でも初演のときの号泣とは全然違うもので,僕の復帰のためにキャストもスタッフも集まってくれて,その公演がうまくいった。仲間や家族がいてよかった,皆のおかげだという気持ちでした。
藤沼 本当に稀有な体験でしたね。
僕は以前,バイク事故で"びまん性軸索損傷"という重度の障害を負った17歳の男の子を診たことがあります。6か月近くまったく意識が戻らず,医療従事者も皆あきらめ気味のなか,お母さんだけが「絶対,この子はわかっている」といって,リハビリを続けた。そのうちに少しずつ目がはっきり動くようになってきて,数年かかって車の運転ができるまでに回復したんです。
"可塑性"といって,切れた神経線維がつながって,元のシステムにもう一度組み直されていくんですね。まさに"生まれ直し"というか,実際に機能回復の様子も,ハイハイするところから始まって,だんだん成長していく様子をみているようでした。
柳 僕も,これが2回目の人生みたいな気持ちですね。過去の自分と比べるんじゃなく,この身体で,一からのスタートなんだと思ってます。
健康の原因を探し出す
藤沼 僕はもともと,わりと大きな病院でがんや白血病などを診ていたんですが,地域の人たちが気軽に足を運べる"よろず相談医"になりたいと思って,家庭医に転身したんです。今は,子どもからお年寄りまで,いろいろな急性病,慢性病や障害を抱えた患者さんを診療しています。できることは限られているなか,どうしたら彼らが元気になれるのか。日々考えているうちに「できるだけその人のいいところ,生き生きしたところを見つけてあげたい」と思い至ったんです。
そもそも医療者って「病気や障害を取り除けないと,人間は健康にはなれない」と思い込んでいることが多い。でも必ずしもそうではなくて,病気と健康って両立できるというか,たとえハンデがあっても,何か人生の目標があって生き生きと過ごしていれば,それもひとつの"健康"な生き方なんですよ。
そして,病気に原因があるように,健康にも原因がある。柳くんの物語をたどっていても,障害や病気の陰にある生き生きした部分,自分を支えてくれる価値を探し出し,刺激して,伸ばしていくことがすごく大事だとわかります。そしてそれが"回復"への道を拓くんじゃないかと思うんですよね。
柳 稽古とかで「柳は立っているだけでいいよ,周りが動くから」って気を遣われるより,「このぐらいは動けるんじゃない?」って言ってもらったほうが,実際できることも増えていきますけど,そういうことですか?
藤沼 そうそう。
以前僕が往診していたおばあちゃんは,リウマチで手がすっかり曲がって動かせず,ずっとしょんぼりしていたんです。ある日看護師さんが,手編みのコースターがたんすの上で埃をかぶっているのを見つけて「○○さん,こんなの作れるんだ。今は作らないんですか?」と聞いても,「こんな手じゃもうできないでしょ」ってすっかりあきらめてて。でも何度か往診しているうちに,急に「押し入れの奥に,手芸セットがあるから出して」と言いだして,その2週間後に行ってみたら,歪んでたもののちゃんとコースターを作れてたんですよ。それを,診療所の患者さんの作品スペースに飾って,それを写真を撮って見せたら,うれし泣きしていました。その後彼女は,できることは自分でやるようになりました。
柳 気持ち,わかります。看護師さんが「今は作れないの?」って軽く声をかけたことが,きっかけになったんだと思います。
僕は右利きなんですけど,右側の神経が8割ぐらい損傷してしまったので,入院中は左手で箸を使ってたんです。でも母親が「もともと右利きなんだから,右でやってみたら」と。歯磨きも「右手で頑張ってみて,最後仕上げだけ左手でやればいいんじゃない?」ってアドバイスされて,やってみたら「あっ,できるじゃん」って。
藤沼 ちょっとした気付きがポイントなんだよね。
"障害者"も,自分を表す言葉の一つ
藤沼 今は,自分で伸ばしたい部分,鍛えたい部分を見つけて,トレーニングしていく感じでしょうか。
柳 はい,一人暮らしを始めたこともあって,自分の身体にも,自分で責任を持っていきたいと思ってるんです。
藤沼 イレギュラーな仕事も多いでしょうし,日常生活でセルフコントロールが大変なときもありませんか。
柳 難しいときもありますけど,どんな状況でも冷静でいようとは,心がけてますね。
藤沼 "心を整える"みたいな感じかな?
柳 そうですね,僕の場合,ちょっとぶつかられただけでも,身体のバランスがとれなくてすごく危ないし,後遺症で,感情をうまく制御できなくて怒りが爆発しそうになることがあるんです。でもそこで「ちょっと待て,相手は僕が障害を持ってるとはわかってない。軽く触れたくらいのつもりなんだ」と,気持ちを整理して落ち着かせます。
藤沼 そうして自分の感情を整理すると,他人の心の内にも気づきやすくなりますよね?
柳 相手が嘘ついてるとか気を遣っているとか,察しやすくなりますね。普通は受け流せばいいところを「本当はどう思ってるんだ?」って聞いてしまうこともあります。
藤沼 それは,ちょっと生きにくいかもしれませんね。
柳 障害者と健常者が一緒に暮らしていくにはやっぱり高いハードルがあって,お互い我慢しなければならないことも格段に多いです。全面的に受け入れてもらえることはなかなかないし,下手するとワガママだと思われる場合もある。そうすると,本当は障害のことを理解してほしくても「じゃあいいよ」と壁を作っちゃうことがあって,最近そのあたりに難しさを感じてます。
藤沼 障害あるなしっていうカテゴリー分けじゃなくて,個性や魅力で人をとらえたいですよね。その点でいうと,そういう既存のカテゴリーを柳くんが乗り越えて,ひとりの魅力ある役者として活躍してくれることは,すごく意義があると思いますよ。
柳 "障害者"っていう言葉自体に,差別とかマイナスのイメージを持つ人もいるかもしれないんですけど,僕は単に自分を表す言葉として受け入れていきたいと思っているんです。俳優としても,はじめは同情心とか「変わってるな」っていう目で見られるかもしれないけれど,それをきっかけに注目してもらえて「こいつ面白いな,人と違うオーラがあるな」って,思ってもらえたらうれしいですね。
(了)
対談を終えて(藤沼康樹)柳さんと初めてお会いして,その華奢な身体と大きな瞳が印象的で,デビュー作のミュージカル「テニスの王子様」の初代越前リョーマ役一発で若い女性のハートを射ぬいたという魅力的なルックスだなと思いました。実際対話をすすめると,頭部外傷の後遺症で軽度の構語障害がありますが,話を一生懸命聴き,自分の言葉でゆっくり語ろうとする姿勢がまた違った魅力を醸し出していました。 さて,医師は疾患の診断治療という側面,つまり疾患がいかに成立するのか,治療によりその疾患がどのような経過をたどるのかということに関心が向きがちです。しかし,人が病いから回復していく過程というのは,単に疾患が治癒に向かうことを意味するだけではありません。治癒し得ない疾患も含めて,病いと折り合いつつ,自分自身の健康な部分,新しい自分の価値などを発見していくプロセスでもあります。こうした健康の原因となるPersonal health resourceに医療者はもっと関心を持つべきだと僕は考えています。そして,「柳さんのPersonal health resourceは何なんだろう?」というのが今回の対談での僕の関心のありかでした。結論から言うと,柳さんの健康な部分を支えていたのは,人と人とのつながりから生まれるコミュニティ=仲間だと思いました。一般に人がコミュニティに帰属意識を持つためのキーワードは「居場所」と「出番」と言われていますが,この対談でも居場所という言葉が繰り返し出てきます。そして,出番そのものの隠喩ともいえる俳優という仕事もまたキーワードでした。健康因としてのコミュニティ。このフレーズの重要性に気付いた対談となりました。 |
藤沼康樹氏 |
柳浩太郎さん 1985年生まれ。ドイツやインドで幼少期を過ごす。2003年ミュージカル「テニスの王子様」の初代・越前リョーマ役(主役)でデビュー。自伝エッセイ『障害役者――走れなくても,セリフを忘れても』(ワニブックス,2010)は,大きな話題を呼んだ。出演作に映画「イケメンバンク」(09),「完全なる飼育――メイド,for you」(10),「聯合艦隊司令長官山本五十六」(11),テレビドラマ「スミレ刑事の花咲く事件簿 episode4」(11),D-BOYS STAGE「ヴェニスの商人」(11)など。自らの経験を伝える講演会活動にも,意欲的に取り組んでいる。 |
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