医学界新聞

連載

2011.09.05

在宅医療モノ語り

第18話
語り手:ご先祖さまと一緒にのぞいています キュウリとナスさん

鶴岡優子
(つるかめ診療所)


前回からつづく

 在宅医療の現場にはいろいろな物語りが交錯している。患者を主人公に,同居家族や親戚,医療・介護スタッフ,近隣住民などが脇役となり,ザイタクは劇場になる。筆者もザイタク劇場の脇役のひとりであるが,往診鞄に特別な関心を持ち全国の医療機関を訪ね歩いている。往診鞄の中を覗き道具を見つめていると,道具(モノ)も何かを語っているようだ。今回の主役は「キュウリとナス」さん。さあ,何と語っているのだろうか?


送迎は私たちが担当します
お迎えするときには馬の歩みでさっそうと,お見送りするときには牛の歩みでゆっくりと。ご先祖さまに少しでも家でゆっくりしていただきたいという気持ちの表現だとか。今年は初盆の方にもゆっくりしていただきたいです。
 盆暮れ正月,休まず仕事をされている方って結構いらっしゃいますよね。医療機関やサービス業,帰省ラッシュを支える交通機関も,皆さんがお休みのときに忙しい業界です。私たちも夏が旬の野菜ですし,お盆は休まず働いています。いつもは静かな田舎も8月中旬は帰省客でにぎわいます。久しぶりに親戚が集まり,大人も子どもも大はしゃぎ。「お盆はね,ご先祖さまもこの家に帰ってこられるんだよ」。子どもは大人から教わりました。私たちの腹には割り箸が突き刺され,キュウリは馬に,ナスは牛に変身します。盆棚に飾られた私たちを見て,子どもは口を尖がらせて言いました。「食べ物で遊んじゃダメなのに,いいの?」。大人たちは笑いました。

 こちらのお屋敷にも今日は都会から大勢の家族が帰省しています。「ビール,まだあるー?」「冷蔵庫になければ,玄関のほうを見て」「おい,刺身足りなかったんじゃないか?」「まだお風呂入ってない人,誰?」「子どもたちはもう寝なさい」「ねえ,シーツってどこ?」。総勢20人はいらっしゃるでしょうか? このにぎやかな夜に,一言も口をきかない方がいらっしゃいました。ベッドで寝たきりの90歳になる「ひいばあちゃん」です。この家に住む長男のお嫁さんが毎日面倒をみています。お嫁さんと言っても70歳近いおばあさんです。ひいばあちゃんは栄養を胃ろうから取っています。今晩の栄養はすべて注入できたようですが,空のボトルはぶら下がったままになっていました。

 翌日は訪問診療の日でした。お盆関係なしにいつもどおり医者がやってきました。この家の長男は畑へみんなで食べるスイカを収穫しに行っていたので留守にしていましたが,帰省してきた弟と妹が部屋に入ってきて挨拶します。「いつも母がお世話になっています。今の医学はすごいですね。この管からの栄養だけでもう3年ですから。私は東京にいるので,なかなか来られなくて……」。長い話の後,名刺を医者に手渡しました。医者は受け取っただけで,自分の名刺は出しませんでした。いつも介護をしているお嫁さんは,部屋の隅のほうにいました。「この3年は栄養だけでなく,オムツやシーツの交換,毎日のお薬など,お家の方にいっぱい手をかけてもらって,今こんなに調子いいんだと思います」。さらっと話して医者は帰っていきました。車に乗り込もうとする医者をお嫁さんが呼び止めました。「先生,実は昨日バタバタしていて夜の薬,忘れちゃったんです」「今朝の分は?」「入れました」「なら,大丈夫ですよ」。朝と夕方の胃ろうからの栄養摂取後に,薬を溶かして入れる約束でした。

 見送りの後,お嫁さんが縁側から部屋に戻ろうとすると,妹さんの話す声が聞こえました。「お母さん,こんなふうに生きていて幸せなのかしら?」。妹さんと言っても,こちらもおばあさん。さっき名刺を出した弟さん(こちらも当然おじいさん)も答えます。「そうだよなあ。俺だったらごめんだよ」。胃ろう造設は,3年前に子どもたちみんなで話し合って決めたことです。お嫁さんは悲しそうな顔をしています。「勝手なことばかり言わないでよ」。そんな心の叫びが聞こえるようでした。この夏も酷暑の中,私たちのような野菜を作りながら,家でも汗だくでオムツを交換するお嫁さんの姿を私たちは見てきました。私たちはあくまでご先祖さまを送迎するために精霊を宿していただきましたが,いっそのこと,この悪気のないキョウダイたちを背中に乗せて,都会に連れ帰ってしまいたい。そう思ってしまいました。

つづく

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