医学界新聞

連載

2011.08.01

在宅医療モノ語り

第17話
語り手:時には嘘も許してください 血圧計さん

鶴岡優子
(つるかめ診療所)


前回からつづく

 在宅医療の現場にはいろいろな物語りが交錯している。患者を主人公に,同居家族や親戚,医療・介護スタッフ,近隣住民などが脇役となり,ザイタクは劇場になる。筆者もザイタク劇場の脇役のひとりであるが,往診鞄に特別な関心を持ち全国の医療機関を訪ね歩いている。往診鞄の中を覗き道具を見つめていると,道具(モノ)も何かを語っているようだ。今回の主役は「血圧計」さん。さあ,何と語っているのだろうか?


腕とデジタルと私
ご家庭ではデジタル血圧計が大活躍。上腕測定型がよく薦められますが,手首型にもよさがあり,冬の厚着や拘縮で腕が伸ばせなくても対応できます。今回の腕モデルは,在宅では珍しい日焼けしたぽっちゃりタイプ。
 電池が店頭から消えた時がありました。3・11の直後です。私は手動式なので電池は要りませんが,同じ一族のモノたちは少し焦っていました。ある家庭では,「先生から血圧を測るよう言われているのに,どうしましょう。毎朝欠かさず帳面につけているのに」とご婦人が心配されていました。デジタル表示型の通称オムロンさんは,「大丈夫ですよ。この電池でしばらくがんばりますから」となだめていました。

 私はある診療所で使われているアネロイド血圧計です。皆は私を「デュラショックさん」と呼びます。商品名なのでしょうか? 自分でもよくわかりません。私がここに来た経緯は簡単で,主人が先輩医師から聞いてきたのです。「丈夫だし,軽いし,コレいいよ」。私は即購入され,開業の時からずっと一緒に働いてきました。どのお宅に訪問しても,どの患者さんにお会いしても,私はモクモクと仕事をします。

 主人が私を往診鞄から取り出し,患者さんの腕に巻き付かせます。その後,聴診器さんも登場し患者さんの腕と私の間に潜り込んできます。シュポシュポと私の体の一部が膨らみ,ちょっと窮屈な感じがありますが,その後スーっと空気が抜けていきます。おしゃべりが止まらない患者さんも,このときばかりは神妙な面持ちです。主人は堂々と血圧測定の結果を発表します。「128の68,ちょうどいいですね」。患者さんもにっこり。ひと安心して,またおしゃべりが始まります。

 別の患者さんとは,癌という病気でのお付き合いでした。とても几帳面な方で,朝の血圧だけでなく,体重や食事の内容まで,まめにノートにつけておられました。最初のころは,「携帯用酸素をゴロゴロひいて,妻とデートしてきたよ」なんて,明るくお話しされていました。うちの主人も「血圧122の64,酸素は95。絶好調ですね」と答えていました。でも,最近はちょっと調子がよくないみたいなんです。今月に入り食事が取れなくなり,ベッドで寝ておられる時間も長くなりました。気付けば私たちも頻繁に訪問するようになっていました。細くなった腕に私は巻き付いて,シュポシュポ,スーっといつもの仕事をします。聴診器さんの潜りはなく,主人が脈をとりながらの血圧測定でした。

 「先生,いくつ?」。患者さんは心配そうに聞いてこられました。「90ぐらいですね」。主人が答えると,患者さんは続けて,「90あるんじゃまだ大丈夫だ。今月いっぱいは持ちそうだよ」。そう言って奥さんのほうを見ましたが,「変なこと,言わないで」と奥さんは視線をそらしたので目は合いませんでした。

 最後に「あさってまた来ますね」と主人が言うと,「よろしく」と患者さんは手を振りました。玄関で奥さんが尋ねます。「先生,血圧ホントはいくつですか? あの人,朝から自分の血圧計で何度も測っていました。お義母さんの亡くなる前と同じだって言うんです。どんどん血圧が低くなるって……」。この患者さんは,2年ほど前,この家で自分の母を看取っていました。主人は答えます。「今日の血圧,本当は84。少しさばを読みました」。奥さんは黙ってうなずきました。あさって,私はどんな数字を出してしまうのか心配です。うちの主人はデジタルで表示されないことをいいことに,また嘘をつき罪を重ねてしまうのかもしれません。

つづく


鶴岡優子氏
1993年順大医学部卒。旭中央病院を経て,95年自治医大地域医療学に入局。96年藤沢町民病院,2001年米国ケース・ウエスタン・リザーブ大家庭医療学を経て,08年よりつるかめ診療所(栃木県下野市)で極めて小さな在宅医療を展開。エコとダイエットの両立をめざし訪問診療には自転車を愛用。自治医大非常勤講師。日本内科学会認定総合内科専門医。

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