医学界新聞

インタビュー

2011.05.30

インタビュー(『看護教育』第52巻5号より)

プライドをもって教育された人こそ職業人として真に自律できる

見藤隆子氏(元長野県看護大学学長)
前田樹海氏(東京有明医療大学教授)


 大学における初の看護婦養成課程が東大で開始されたのが1953年。いまや看護師養成を行う大学は200を数える。多様化する看護あるいは社会のなかで,看護学は今後どのような方向をめざすのだろうか。

 組織の発展を考えるとき,その礎となった歴史から学ぶ意義は大きい。このほど,東大衛生看護学科の第1期生として看護界を牽引してきた見藤隆子氏へのインタビューが実現した。聞き手は,見藤氏の後輩・教え子でもあり,先達の貴重な思いを継承したいという前田樹海氏。本紙では,その模様をダイジェストでお伝えする(全文は,『看護教育』第52巻5号に掲載)。


見藤 看護というものの価値は,日本では低く抑えられてきた歴史があります。そうした逆境のなかで,1953年に東京大学に衛生看護学科(以下,衛看)が設置されたことには若いときから感心していました。初代の衛生看護学科主任を務めた生理学講座の福田邦三教授は,英国に留学して医学を学んだ方です。英国の医療を代表するのはやはりナイチンゲールですが,彼女の精神にはキリスト教に根差した,人間に対する平等な愛があります。その精神が医療にとってどんなに重要かを,福田先生は学んでこられたのだと思います。

 しかし,当時の日本は医療界に限らずタテ社会で,病院では医師が偉くて,看護婦はその手足のように使われるだけ。何より患者が最下層に置かれていました。そのようななかで,大学教育において看護婦養成を開始した福田先生は,「民主主義」の意義を知っていらしたのだと私は思っています。

 ところが,私たちは学生時代,看護を学ぶ者としてプライドを持つことができませんでした。当時衛看の教授はすべて医師で,私たちは生理学や生化学を医学部水準で教わり,解剖実習も医学部流に行っていました。ですから,実習で看護の先生に「咳が出たときはこういう手当てをします」と言われても,「看護を習わなくても医学を学べばわかる」とさえ思っていたのです。

 しかし実際には,私が見ていたのは疾患であって,患者さんではなかったのですよね。看護師はまず患者さんが何に苦しんでいるのかを見て,それをいかに軽減していくかを第一に考えてかかわります。そこが患者さんの病態にまず注目する医学との大きな違いであり,価値であるはずなのに,医師から教育を受けたことによって,その看護の根本を私たちは教わることがなかったのですね。何より教官たちが看護教育に携わることを誇りに思っていないことを感じていましたから,自分たちは医学より一段低い学問を学んでいるという劣等感を感じずにはいられなかった。こうして私が受けてきた看護教育の歴史を振り返ると,プライドを持って教育された人が職業人として自律できるのだとつくづく思います。

前田 当時の衛看出身者で看護師になった人がそれほど多くないのは,そういった背景があるわけですね。

見藤 そういうことです。私が今看護のために頑張れるのは,その後カール・ロジャース(臨床心理学者)のカウンセリングを学び,看護に対して矜持に近いものを持てるようになったからです。彼に人間の平等ということを心底教えてもらった気がするのです。ただ私自身教員になって,学生に自らに誇りを持てるような教育をするのは本当に難しいと感じたのも確かです。

答えはナイチンゲールの言葉に

見藤 そういう苦しい学生時代のなかでも,その後の看護を考える上で大きなヒントになったのは,看護の先生の「患者さんのなかには,治りたくない人がいるのです」という言葉でした。当時は,どういうことなのか疑問を持ったのですが,カウンセリングを学び,「人間って,『患者』といっても千差万別だ」と気付いたのです。だからこそ,さまざまな患者さんを彼らが生きている同じ地点からみることができる看護師が求められるのですね。  実は,ナイチンゲールも『看護覚え書』のなかで,看護師にとって一番大事なのは"Throwing yourself into other's feeling"(他人の感情のただなかに自分を投入する)ことだと書いています。相手の感情のただなかに自分を投入しなければ,相手の苦悩を本当に理解することはできない。まさにカウンセリングですよね。

前田 あたかも自分が感じているかのように。

見藤 そうです。私は人間が生きる上での原点は「フィーリング」(感情・感覚)だと思っています。思考も喜怒哀楽もすべてフィーリングが基になっている。それが看護の基本だとナイチンゲールは述べたのです。実は私はナイチンゲールの業績や『看護覚え書』のことは学生時代に教わっていましたが,そのころは陳腐に思えてずっとオミットしていました。ですからこのナイチンゲールの言葉を知り,己の学びの遅さを悔やみました。でも今考えると,東大にいた助手時代からカウンセリングを学ぶなかで,自分をthrowingすることの重要性は事実として学んでいたのでしょうね。

社会的視野で看護を見て

前田 この機会に,看護界に向けてアドバイスをいただけますか。

見藤 やはり世の中を広く見て,看護を社会的視野から位置付けていくことが必要ではないかと思います。私も若いときはカウンセリングに没頭して視野狭窄でしたが,管理職あるいは学長を務めるようになってから,看護師は国民に奉仕すると同時に,それを応援してもらえる方法を考えなければいけないと思うようになりました。

前田 看護のプレゼンスを示すということですね。

見藤 リーダーによって組織は変わりますから,看護職が組織のトップに就くという決意も大事です。病院も同じで,今でこそ看護職副院長は増えてきましたが,まだ院長になることは認められていないですよね。

 米国では看護師が病院の院長・副院長になれる道が開けていて,ただ,副院長募集という広告でも「博士号」が要件である場合が多いようです。以前ペンシルベニア大学のクレア・フェイガン学部長(当時)から「米国で医師と看護師が対等になったのは,看護師が博士号を持ってからよ」と聞いたことがあります。当時ペンシルベニア大学では,基礎教育で医学生と看護学生が共に学ぶ授業があり,そのなかで看護学部の教員が医学生を教えていたのです。そのことを知り,日本でもこのような教育が必要だと痛感しました。

前田 千葉大学では現在,看護学,医学,薬学の職種間連携教育が実践されています。

見藤 そうですか。そういう芽が育っているのはうれしいです。

前田 米国で看護学部の教授が医学生に教えるのが当たり前になっているのは,それだけ看護学が米国で一般化しているということですよね。翻って日本では,これだけの数の大学教育機関ができたことは評価されるべきですが,一般化という観点からすると,多くの一般の人にはまずわからない学問です。ですから次の段階として,広く知られるような一般化に向かわなければいけないと思います。

見藤 看護教員が意識を持って取り組んでいく必要がありますね。以前,大森文子先生が"蒔かぬ種は生えぬ"とおっしゃっていたけれど,今日確かに種だけはこぼれているのを感じました。

前田 今日は本当にありがとうございました。

(抜粋部分おわり)


見藤隆子氏
1957年東大医学部衛生看護学科卒。順大助手,東京女子大教授を歴任し,79年千葉大教授,83年同大看護学部長,86年東大医学部保健学科看護学講座教授,92年同大健康科学・看護学科基礎看護学講座教授。93年日本看護協会会長,95年長野県看護大学長,2004年日本看護連盟会長などを歴任。

前田樹海氏
1989年東大医学部保健学科卒。97年同大大学院修士課程修了。2004年長野県看護大大学院博士後期課程修了。99年同大講師,2005年同大助教授(07年准教授)を経て,09年より現職。氏が管理する「看護系大学ホームページに聞け Ver.4.0」は多くの看護職に活用されている。

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