東京女子医大・蘭学事始ツアー
2010.11.01
江戸蘭学ゆかりの地を巡る
女子医大・蘭学事始ツアー
東京女子医科大学では,毎年2月に推薦入試合格者のための入学前セミナーとして,江戸時代に蘭学医として活躍した杉田玄白(1733-1818)が著した『蘭学事始』(1815年刊行)の読み合わせを行っている。さらに9月には,江戸蘭学にまつわる東京都内の史跡を巡る,少人数制の「蘭学事始ツアー」を実施している。
本紙では,これらのセミナーの講師であり,精神医学史学会の理事も務める岩田誠氏(女子医大名誉教授)の案内のもと,9月5日に開催されたツアーに同行。「歴史には興味があったけれど,自分ではわからないことばかり。貴重な機会だと思い参加した」と語る6人の医学生とともに,東京都内の史跡を訪ねた。
蘭学事始ツアー・当日の行程 ・慶安寺(前野良沢墓所):杉並区梅里1-4-24,丸ノ内線「新高円寺」駅より徒歩5分 |
解体新書(左)/蘭学事始(右) (国立国会図書館HP「江戸の日蘭交流」より転載) |
我々は之を読む毎に,先人の苦心を察し,其剛勇に驚き,其誠意誠心に感じ,感極りて泣かざるはなし――。
これは,玄白が晩年に著した『蘭学事始』を,福沢諭吉が1869年に再版した際の序文の一部である。玄白は,オランダ語で書かれた解剖図譜『ターヘル・アナトミア(Ontleedkundige Tafelen)』を前野良沢や中川淳庵らとともに漢文に全訳し,『解体新書』として刊行したことで知られる。
『蘭学事始』には,翻訳作業の苦労話や蘭学が隆盛に至るまでの軌跡などが描かれている。「誠に艪舵なき船の大海に乗り出だせしが如く,茫洋として寄るべきかたなく,ただあきれにあきれて居たるまでなり」と玄白が記したように,辞書もないなかで進められた『ターヘル・アナトミア』の翻訳作業には,3年の月日を要した。諭吉は,玄白らの志に触れ感激し,『蘭学事始』を自費で再版するに至ったという。
蘭学興隆の立役者たち
写真1 前野良沢(1723-1803)墓所。良沢は『解体新書』の刊行後も蘭学の研究を続け,『和蘭訳筌』などの訳述に従事した。その真摯な姿勢は,藩主・昌鹿に「蘭学の化け物」と言わしめ,これを誉れとした良沢は「蘭化」と称するようになったという。 |
次に訪ねたのは,杉田玄白の墓所だ(写真2)。若狭・小浜藩(福井県)の藩医であった玄白は,晩年困窮した良沢とは違い,全国に名を知られた蘭方医として多くの門人に囲まれ生涯を終えた。
玄白らが『ターヘル・アナトミア』を翻訳したのは,1771年に小塚原刑場において,刑死者の腑分けを見学したのがきっかけである。当時の日本は,8代将軍徳川吉宗が禁書令を緩和して宗教に関係のない書物の輸入を認めるなど,海外知識の導入に努めた時期であった。玄白らは偶然入手した『ターヘル・アナトミア』と実物とを見比べながら腑分けを実見したことで西洋医学の進歩に感銘を受け,同書の訳読を開始したとされる。
写真2 杉田玄白墓所。玄白は翻訳の完成度より,先進的な西洋医学の現状を知らしめることを最優先した。 |
現代医学の礎を知る
続いて,玄白らが翻訳作業を行った中津藩奥平家下屋敷跡地のある中央区明石町に向かう(写真3)。良沢が藩医でありながらも蘭学の研究を続けられたのは,当時の藩主・奥平昌鹿の理解や藩の支援があったためと言われている。同藩は,多くの蘭学者を輩出したことでも知られ,福沢諭吉もその1人。彼が藩の命により中津藩中屋敷に開いたのが,慶應義塾の前身である「蘭塾」だ。現在「蘭学事始の地」碑の横には「慶應義塾開塾の地」碑が並ぶ(写真3(2))。
また同町にあるあかつき公園には,江戸の蘭学者に直接指導し多大な影響を与えたシーボルト(1796-1866)の像が建立されている(写真3(3))。
写真3 中央区明石町は,江戸蘭学発祥の地とされる((1)「蘭学事始の地」碑,(2)「慶應義塾開塾の地」碑,(3)シーボルトの胸像)。また,蘭学にまつわる史跡だけでなく,付近には芥川龍之介生誕の地(地図中(4))や「忠臣蔵」でおなじみの赤穂藩主浅野内匠頭の屋敷跡((5))などもある。 |
最後に訪ねたのは,玄白らが腑分けを見学した「小塚原刑場」跡(写真4)。処刑された犯罪者や牢死者の供養のために刑場に隣接して建てられた小塚原回向院には,玄白らの偉業をたたえる「観臓記念碑」が建立されている。なお,小塚原回向院は,安政の大獄により刑死した橋本左内,吉田松陰ら幕末の志士たちが葬られた地としても有名である。
写真4 小塚原刑場跡。1651年の創設以来,20万人以上の刑が執行され,時に刑死者の遺体を用いて刀の試し切りや腑分けが行われたという。 | ツアーのゴール,南千住にて。写真中央が岩田氏。 |
先人の苦労と努力に思いを馳せ,今日まで脈々と引き継がれる西洋医学の重みに気が引き締まる心地のした半日であった。
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