第8回英国緩和ケア関連学会報告(加藤恒夫)
寄稿
2010.05.17
【寄稿】
第8回英国緩和ケア関連学会報告
緩和ケアをすべての疾患に拡大する
医療における第3のパラダイムシフト
加藤恒夫(かとう内科並木通り診療所)
第8回英国緩和ケア関連学会(8th Palliative Care Congress)が,2010年3月10-12日の3日間,英国南部のボーンマウス国際会議場で開催された。同学会はAssociation for Palliative Medicine of Great Britain and Ireland(以下APM),The Palliative Care Research Society (PCRS),Royal College of Nursing Palliative Nursingの共催で行われた。同学会は隔年でEuropean Association for Palliative Care(以下EAPC)と交互に開催されている。
今回の参加者は約500人で,日本からの出席は筆者1人であった(2008年,グラスゴーで開催された第7回大会には,日本からは10人近くが参加していた)。また,参加者はウガンダからのゲストスピーカーによる招聘講演「International Initiative:Learning from Developing Country」をはじめとして,発展途上国を含めた世界的な広がりを見せていた。
日本の緩和医療に関連するいくつかの学会(研究会)では,参加者が3000人を越えることが多いが,英国では参加者が少ない。その理由を,APM創設者の一人Richard Hillier氏に聞いたところ,その答えは以下の通りであった。「英国では緩和医療が専門領域として認められ教育の体系が整ったので,無理に学会そのものに参加しなくても十分な情報とキャリアアップが可能となっているからでしょう」。
非悪性疾患にも緩和ケアを――重要疾患は認知症
「認知症の緩和ケア」で登場した道化師たち |
この動きは,1997年以来,英国緩和ケア協議会National Council for Palliative Careが推進してきた「緩和ケアを非悪性疾患に拡大する」方針のもと,2005年英国国会で可決された「自己決定能力を失った人の意思を尊重する法」ともいうべきMental Capacity Actや,英国のDepartment of Healthが発行した『End of Life Care Strategy』(2008年)の影響を受けたものである。
学会内容で注目すべきは,会全体を通して,自分で意思決定できなくなる前に作成する自分のケア計画であるAdvance Care Planning(米国で言うところのAdvanced directive )に関する講演や発表が多かったことである。この課題は,「認知症の人たちへの告知」という難問と深くかかわりがあるゆえに,現場の医師たち,とりわけ認知症の患者を長期にわたり診療する一般医(General Practitioner)と,当局の政策立案者の間に意図の乖離があることが話題に上り,現実的運用の困難さが浮き彫りになっていた。その状況は,1960年代後半に近代ホスピス運動が開始され,「がんの告知」がさまざまな議論を呼んだ時期と酷似しているように感じられた。
また,認知症患者の緩和ケアの実践法としては,神経内科や老年科との連携のもと,これまでの「がんの緩和ケア」の知識・態度・技能が十分活用可能であることが報告された。これは,認知症患者のニーズは(その評価が難しいのだが),先行きに対する不安,孤独などを取り除くコミュニケーションや,痛み,皮膚や外陰部の不快さなどを和らげる疼痛管理などであり,「がんの緩和ケア」と共通点が多いためであるという。
一方,がんの緩和ケアの領域では,Break Through Painにフェンタニルの経鼻投与が,そしてオピオイドの便秘対策としてナロキソンの内服薬が紹介されたこと以外,新規なものはなかった。しかし,研究方法論のセッションの多さも目立った(今回は「サービス利用者の研究への参加」が主題)。
Good Deathを包括した公衆衛生的アプローチ
そのほか,パーキンソン病,腎臓病,脳卒中の緩和ケアの特別講演が企画され,これらの疾患の患者が持つ緩和ケアニーズの解析と対策立案が「公衆衛生的アプローチ」として議論された。とりわけ印象的だったのは次の2点が参加した専門職の共通の意見だったことである。1つ目は,これらの慢性疾患が,時には医療的介入により一時的に改善する可能性があるために,積極的医療などの適応を含めたケアのあり方の判断根拠(Evidence)を明確にすることが急務であること。もう1つは,家族・医療者双方の「想い」の調整が,がんの緩和ケアに比して格段に難しいことがである。
ところで,今回の学会の伏線として,死のとらえ方をめぐる,社会教育および医療の観点からの議論を喚起する必要性の認識が高まっていたことがある。彼らがめざしているのは,医療の中でこれまでタブー視されてきた「死」を「誰にも訪れる必定」ととらえ直すこと,そして,これまでのCureをめざす医療をGood Deathを包括する医療へと転換していくことである。
I. Higginsonは,医療の第1のパラダイムシフトは近代医学の発展による感染症の克服であり,第2は近代ホスピス運動の開始である(ひたすらCureを追求し,人間を生物学的モデルのみとして扱い,医療現場から人間性を剥奪してきた近代医学に対するアンチテーゼ)と語る。それならば,「終末期ケアの非悪性疾患への拡大」は,死を“Good Death”として医療対象化した第3のパラダイムシフトにほかならない。
新しい医療文化としての緩和ケアと世界的優位性の確保戦略
英国で緩和ケアが専門性領域として認知された直後の1991年,筆者は英国領事館(The British Council)主催の緩和ケア講習会(1週間にわたりSt Christopher’s Hospiceで開催)に参加したが,その場には東欧諸国をはじめ,南米,アフリカ,アジア各国から50人近くの参加者がみられ,英国が世界の緩和ケアの頂点に立ったかのような状況だった。なお,その年には『Textbook of Palliative Medicine』初版(Oxford University Press)が刊行され,また,英国緩和医療学会の全国統一公式カリキュラムが完成・発表され,講習会場で大々的に公表されている。
あれから19年,今回の学会の直前に,最も古い緩和医療誌であり,かつEAPCの機関誌である“Palliative Medicine”誌が,第24巻1号よりAPMの公式機関誌としても承認され,その最新号(第24巻2号)は本学会の抄録集も兼ねている。この動きは,英国が文字通りヨーロッパと世界の緩和ケアの牽引役となったことにほかならない。
この点を踏まえて考えると,発展途上国からのゲストの招聘などの今回のさまざまな企画は,英国医学界が,緩和ケアの新しい潮流を前面に押し出し,その困難さを乗り越える姿勢を示し,緩和ケアという新しい医療文化において世界的優位性を確保しようとする文化的戦略として受け止めることができるだろう。
日本の緩和ケア関連諸団体は協働して今後の方向性の議論を
日本は,近々,団塊の世代が大量に高齢化し,世界に前例のない社会的・医療的問題を抱えようとしている。その中で,いま,われわれ緩和ケア当事者に問われていることは,緩和ケアの対象をがんから解き放ち,すべての疾患に普遍化することができるよう,医療者と社会の教育戦略を練り直すことであろう。とりわけ,認知症はすべての人にとって発症しうる疾患であることを呼びかけ,認知症早期の段階から「公と個と地域社会による対策」を優先的に講じる必要があろう。
日本にはいくつかの緩和ケア関連団体があるが,残念ながら彼らは問題を共有し,共同して解決する場を持たない。したがって,それらの年次集会では,同様の事柄が,あちこちで,ばらばらに語られることが多い(筆者の個人的見解かもしれないが)。これは,「社会的・文化的表象形態としての医療」の変革者として存在しうる「緩和ケアの歴史的役割」に対する関連諸団体の認識と今後の戦略性の現状を物語る。
今後,日本の緩和ケア諸団体が一つのテーブルにつき,現状を語り,これからの方策を共に模索するよう期待したい。英国の緩和ケア史はその好例を提示している。
*紙幅の都合上詳細な文献的考察を表記することができなかった。興味のある方は,かとう内科並木通り診療所のWebサイト「資料集」をご参照ください。URL:http://www.kato-namiki.or.jp/
加藤恒夫氏
1973年岡山大医学部卒。2003年より岡山大医学部臨床教授。93-09年日本プライマリ・ケア学会評議員,07-09年日本緩和医療学会評議員などを務める。2000年緩和ケア岡山モデルを発表。在宅サポートチームを運用し,プライマリ・ケア担当者支援を実践している。
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