医学界新聞

2010.02.01

MEDICAL LIBRARY 書評・新刊案内


脳科学のコスモロジー
幹細胞,ニューロン,グリア

藤田 晢也,浅野 孝雄 著

《評 者》生田 房弘(新潟大名誉教授・現・新潟脳外科病院)

卓越した脳発生学と「Neuro-Gliology」

 著者の一人である藤田氏と私は,全く同時代を共に脳に魅せられ今日に至った。藤田氏は,当初から脳の発生一筋に目を据えておられたように見えた。1960年代前半,「神経細胞もグリア細胞もマトリックス細胞に由来する」との一元論を既に立ち上げ,二元論一色の世界を相手に,着々とその証拠を自ら築き,堂々と主張を展開していかれた。

 引き換え私は,神経病理学に魅せられ,同じ1960年代前半,ニューヨークで来る日も来る日もヒト疾患脳の観察を4年余続けただけで帰国した。以来,師,中田瑞穂先生の部屋で語ったことのほとんどはグリア細胞とニューロンの関係についてであった。私の4年余の経験や,脳病変をわれわれに教えてくれるのはグリア細胞をおいてないことなど,思うまま述べた。師の質問も繰り返された。意識についても話題にされた。やがて1971年,先生は神経細胞やグリア細胞,それぞれの研究ではなく“両者の相関”を解明してほしい,脳の機能は両者の協働によりつくられているのだと思うからと,その切々とした疑問を「Neuro-Gliology」と題し,そっと書き残された(新潟医誌1971;85:667)。

 本書の序でもこの中田先生の「Neuro-Gliology」に触れられており,遠い昔,藤田氏が時折,脳腫瘍病理学の草分けで,私の師でもあった伊藤辰治先生を訪れられたことなど想い起こした。

 私自身も,ずっと後の1978年に,何としても脳の発生を観察する必要に迫られた。その折は既に確立された藤田氏の主張が私どもの教科書となり,そのすべての所見や見方は私どもの観察にも合致することを確信してきた。

 そのような末に,本書の書評を,との藤田氏のご依頼を心から光栄に思いながら,私はその第I章の発生学は既に卒業しているつもりで読み始めた。ところが,確かに藤田氏のマトリックス細胞(Bayer SA,Altman JらのNeuroepitheliumに相当するというと叱られるだろうか)にすべてのニューロンやグリア細胞はその起源を持つという一元論の大黒柱は微動だにせずそこにあった。

 さらに,脳室下における細胞分裂像は血管新生に付随したものであること,「ラジアルグリア」は,誤ったGFAP染色がもたらした誤名であることなども読めた。

 そしてそこには,病的状態におけるアストロサイトの増殖反応の記載を除けば,氏の深い観察と素直な解釈から生まれ,日本が世界に誇りうる数々の独創的真実が記載されていた。しかし今回は,脳発生過程のあらゆる局面に,接着因子など無数に近い分子機構が導入され,50年,30年前に私が理解した往年の面影はもはやなく,まさに現在の分子機構に裏打ちされた発生の科学に変身していた。読み進みながら「真実とはかくも美しく,爽やかなものか」と胸のすく想いで読了させてもらった。

 さらにミクログリアをめぐる今日の考え方も整然と述べられ,そこでは,O-2A細胞やNG2陽性細胞などの考え方も,見事なグリア細胞発生のプロセスの中でとらえられ,考察されていたと思う。脱帽のほかはない。

 余談になるが,文科省は2003年-08年3月の5年間,特定領域研究「グリア-ニューロン回路網による情報処理機構の解明」という,班員・協力者数百名の巨大な研究班(班長:工藤佳久氏)を発足させた。総括班に,濱清先生らと私も参加させていただき,発足の基調講演で,中田先生の「Neuro-Gliology」に触れた。分科会の目標はいずれもGlia-Neuronの相互認識,その機能分子,あるいは相互調節機構など,まさに全班員が5年間Neuro-Gliology相関をめざし続けた。その一部は『BRAIN and NERVE』誌にもみられる( 2007;59(7))。本書は奇しくも,その班の報告書が提出された直後の2009年4月1日に発行されている。

 本書の第II,III章は,第I章とは大きなコントラストを示している。それは,ここでの論拠となる礎石はすべて,ここ10年程の世界の最先端をいく,実に493編の論文や単行書の膨大な知見や考え方に置かれている点にあると思う。著者はそれらを完全に理解された上で,極めて広い視点から論旨を展開しておられる。また,この章の初めに,地球環境の永い歴史的変化の中で生命を理解しようとされている著者の姿勢に私は深い共感を覚えた。

 ともあれ,いわゆるトリパータイトシナプスという1999年に報告された名称(2007年にはトライパータイトと日本で紹介されたこともあった),すなわち“シナプスはアストロサイトに包まれており,ニューロンとグリアは相互に認識しあっている”という点を重要な礎石の一つとし,ニューラル・ネットワークとグリアル・ネットワークが相互にコントロールし合っているという論旨は,5年間上記研究班で叫ばれてきたことと深く重なり合うように思われた。しかし,著者はさらに広範多彩な論旨を展開され,“無意識にはアストロサイトが関与している可能性が十分に考えられる”などと,心の問題にまで「Neuro-Gliology」を深く踏み込んでおられる。

 ただ,ここに記されているまばゆいばかりの論旨の合間で,私にはよく理解しきれない部分もあった。例えば「膨化したアストロサイトが次々と破裂して死んでゆく」という記載が繰り返されているが,私自身はまだそのような超微形態に遭遇したことがなかったためであった。

 すなわち,第II,第III章の重要な礎は,シナプスはアストロサイトに包まれているという点にあるのだと思う。第I章に“シナプスはアストロサイトに包まれていて当然”との記載も見られる。しかし私自身は,アルゼンチンのDe Robertis EとGerschenfeld H Mが1961年に緻密な電顕観察の末,すべてのシナプスがアストロサイトに包まれていることを初めて指摘した1枚の図は,今日まで人目を引くことはなかったが,これこそが今日の神経学発展の原点であると永年信じ続けてきた。

 さらにまた,1979年,Norenberg M Dが初めて“アストロサイトがシナプス間隙からグルタメイトを取り込み,グルタミンを合成する”ことを述べたときも,世界の誰もその重要性に興奮しなかった。しかし,これはニューロンがグリア細胞と話していることを初めて指摘したもので,後に日本の学会でこのアストロサイトの重要性を受け容れ始めたのは1990年ごろからで,本質は何も変わらない「シナプス」なのに,トリパータイトシナプスなどという名がつくられたのはさらにその後の2000年に近くなってからである。

 私は,世が注目してこなかったこうした先人達の陰の努力にも,もし本書が触れていてくれたら,どんなに嬉しかったことかと思う。

 ともあれ,本書は2段組みにされていることなどで,大きく内容の理解を容易にしている。

 今日神経学に携わっておられるすべての方々にとって,本書は,その内容の重要さから必読,必携の書であると心から推挙致したい。

A5・頁384 定価5,460円(税5%込)医学書院
ISBN978-4-260-00578-4

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