医学界新聞

2009.09.14

日本の精神医学がめざす地平とは

第105回日本精神神経学会開催


 第105回日本精神神経学会が8月21-23日,前田潔会長(神戸大)のもと神戸国際会議場(神戸市)他にて開催された。「わが国精神医学のめざす地平,坂の上の雲」をテーマに29のシンポジウム,50の教育講演,約280の一般演題を集めた今回は,精神医学のはらむ可能性と課題について,外の暑さをも凌ぐ熱を帯びた議論が交わされた。


早期段階での多様な介入

シンポジウム「うつ病の再燃と個人の脆弱性――産業現場からの提言」のもよう
 シンポジウム「サイコーシス(psychosis)の早期段階における臨床をめぐって」(座長=東北大・松本和紀氏,富山大・鈴木道雄氏)では,精神疾患に対する予防・早期介入の方策について,7名のシンポジストによりさまざまな観点から提言がなされた。

 住吉太幹氏(富山大)は,統合失調症発症前後における神経生物学的変化を3つの視点から読み解いた。まず脳構造画像においては,上側頭回や前頭葉の一部で統合失調症発症後に体積減少が見られ,体積減少率が,妄想や思考の貧困といった症状の改善率と反比例していることも示されたという。さらに神経生理学的所見では,事象関連電位P300の測定により脳構造画像と一致する部位で電流密度の低下が明らかになった。症状との相関では,陽性症状と上側頭回の電流密度,陰性症状と前頭前野における電流密度が反比例した。また,神経心理学的研究からは,ARMS(At Risk Mental State)を含めた早期精神病で,認知機能領域の障害が神経心理学的マーカーとなりうる可能性が示唆された。氏は,症候学診断に基づいてバイオマーカーを抽出し,診断などにフィードバックさせていくとともに,薬物療法や地域ケアシステムなど心理・社会的治療にも役立てていきたいと語った。

 武田俊彦氏(慈圭病院)は薬物療法について報告。Ultra-high risk(UHR)群,初回エピソード統合失調症(FES)群,統合失調症再発(MES)群を対象に,第2世代抗精神病薬(SGA)への反応性の臨床研究を行った結果,UHR,FES,MES群の順に薬剤感受性が高かった。UHR群では重篤な副作用は見られず,薬剤選択と容量設定を適切に行えば,短期(12週)での抗精神病薬の有用性が高いことが示唆されたという。それに対し,FES群では3群中最も錐体外路性副作用(EPS)の発生率が高かったことから,薬剤使用に関し慎重な配慮が必要と考えられた。一方,UHRの海外でのプラセボ対照比較試験では,プラセボ群にも無視できない改善があったことにより偽陽性の存在が明らかになった。しかし治療開始時には陽性と偽陽性の鑑別ができないことから,氏はUHRへの投薬における安全面,倫理面の不安を挙げた。また,抗うつ薬でもUHRの症状が改善する場合があり,逆にSGAは抗うつ薬に比べアドヒアランスが悪く,服薬中断後の再発が多いことも指摘。今後の対応としては,UHRへの抗精神病薬は限定的使用にとどめ,服薬中断も見越した心理教育をすること,偽陽性群を減少させる診断学の進歩,処方技術の向上などが求められているとした。

就労が寛解への道を開く

 サイコーシス早期段階の就労支援について報告したのは武士清昭氏(東邦大)。氏は,日本における精神障害者の就労の現状は17%と極めて少ないが,非就労者の62%が就労を希望していることを明かし,就労で得られる自己効力感,精神機能の回復,社会的な居場所の獲得などの意義からその重要性を強調した。近年では,従来のTrain-then-placeモデルに代わり,本人の興味や好みに基づいた職を探し,その職に就くことを目標にトレーニングを行うというPlace-then-trainモデルであるIPS(Individual Placement and Support)が海外で実践され効果を上げている。さらに氏は,東邦大の精神科急性期デイケア「イルボスコ」における就労支援を例示した。上述の2モデルを併用し,1年間の登録期間終了者32名中15名が一般就労に成功しているとのこと。氏は,就労は,寛解をめざすリハビリにおいて自己評価の改善とレジリエンス強化につながるとあらためて主張した。

うつ病の再燃を防ぐために

 シンポジウム「うつ病の再燃と個人の脆弱性――産業現場からの提言」(座長=東邦大佐倉病院・黒木宣夫氏,山口大・渡辺義文氏)では,うつ病と環境・個体要因の関連性を検討するとともに,勤労者の精神疾患による休職の急増を受けて職場や産業医に求められる対応について,5名のシンポジストが発表した。

 荒井稔氏(順大)はうつ病再発における個体側脆弱性について発言。22年間で2度の再発を経験した長期観察症例を提示した。この症例からは,兄弟も精神疾患という遺伝的負因,執着気質という病前性格,仕事上の問題・関係者の経済的悪化などの生活上の出来事がうつ病の再発に関与していると推測できた。一般的に再発因子としては,女性優位,家族歴,神経症傾向などが考えられている。ただし神経症傾向については,大うつ病エピソード内に非内因性うつ病の病前性格が過包括されている可能性があると氏は指摘。そうした混在を考慮しつつ,患者の病前適応・自立性・遂行能力・対人関係構成能力などを検討し,再発予防の実効を上げることが必須と語った。

 清水栄司氏(千葉大)は,うつ病を生物学的視点から解析した。うつ病の発症には,先天的遺伝と後天的な環境因子の相互作用によるBDNF(脳由来神経栄養因子)の低下が関与しており,抗うつ薬でその量が正常に戻るとする神経栄養障害仮説を示した。さらに,児童期のトラウマ(脆弱性)を持つ慢性うつ病症例には抗うつ薬の効果が乏しく,認知行動療法が効果的であること,薬物療法に認知行動療法を加えるとうつ病の再発が50%以下に減少したという研究を紹介。認知行動療法はトップダウン式に,抗うつ薬はボトムアップ式に脳に作用するという自説を述べた。さらに英国でのStepped care modelにおいても,うつ病の再発には薬物療法と認知行動療法などの併用が推奨されているという。これらのことから氏は,2種類の治療法おのおのの長所と短所を見極め,うつ病の再発に対処すべきと話した。また,職場においてうつ病の再燃を防ぎ,仕事に復帰するために重要なのは,(1)段階的な作業の増加,(2)能力低下に対する上司の配慮,(3)休職長期化の焦燥感の上司による緩和,(4)配置転換・異動の希望への配慮であるとし,受け入れる側の体制も整える必要性を訴えた。

産業現場で医師に求められること

 田中克俊氏(北里大)は自らが産業医として勤務した経験などから,職域メンタルヘルスにおける訴訟について解説した。労災保険不支給取り消しを求める行政訴訟と,安全配慮義務の債務不履行責任,または不法行為責任を問う民事訴訟の2つが主な訴訟形態となる。個人の脆弱性に関する行政訴訟としては,労災の認定にあたり,平均的な健康状態にある同種労働者の集団の中で最も脆弱な者を基準とすべきと示された判例を例示。民事訴訟では,本人にある程度の脆弱性があったとしても,実際に会社の安全配慮義務が著しく欠如していれば,過失相殺の対象にはならないとした判例を紹介した。氏は,事業者が十分な安全配慮義務を果たすために産業医は主体的に発言していくべきであるとし,産業現場では企業のリスクマネジメントと患者への適切な配慮の両立が必要だと語った。

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