医学界新聞

寄稿

2008.12.01

【特集】

すべての医療者は自殺防止のゲートキーパーである
医学生のための自殺予防教育

須田顕氏
横浜市立大学医学部
精神医学教室
河西千秋氏
横浜市立大学医学部准教授
精神医学教室


 “多くの自殺者が医師の前を通り過ぎている”――ショッキングな言葉で始まった横市大医学部の「自殺予防学」講義。年間3万人の自殺者が発生しているわが国において,自殺者の4割が自殺前の3か月のあいだに,何らかの理由で精神科以外の診療科を受診しているとされ,医師に対する自殺予防教育が急務だ。このようななか,同大では「すべての医療者は自殺防止のゲートキーパーである」という意識を早期から涵養することを目的に,3年生を対象に医療面接のロールプレイを含む「自殺予防学」講義を2006年度から開始している。本紙では,この講義の企画者で,わが国の自殺研究の推進役でもある河西千秋氏と,ロールプレイの構成を行った須田顕氏にお話を伺うとともに,実際の講義を取材した。


――わが国において自殺問題が深刻化しています。2006年から医学生に対する自殺予防教育を開始された背景をご紹介ください。

河西 日本人の自殺の動機は健康問題が常に第1位を占めています。一方,自殺企図者のほとんどが直前にうつ病など何らかの精神疾患を抱えていると言われていますが,その多くがまず身体症状を訴えてプライマリ・ケア医をはじめとする精神科以外の診療科にかかっているという実情があります。

 このように,医療者と自殺問題は密接なかかわりがあり,精神科専門医であろうとなかろうと,すべての医師が,ある程度,うつ病や自殺の危険性の徴候をキャッチして対応できれば相当数の自殺を減らせる可能性があります。

 ただ,私自身も医学生のときにまったくそのような教育を受ける機会はありませんでしたし,現在も教育は同じ状況にあります。そこで本学でこのような取り組みを始めることにしました。

――現在,3年生を対象に「医療コミュニケーション論」の体系のなかで2コマ(90分×2)行われている「自殺予防学」講義全体の構成について,ねらいも含めてお話しください。

河西 初年度は講義だけでスタートしましたが,座学だけだと講義を受動的に聞いておしまい,ということになりかねないので,2年目の昨年から医療面接のロールプレイも組み込みました。

 「死にたい」という気持ちに対応することはとても難しいものですから,事前知識を身につけるための導入として,ロールプレイの前に自殺全般に関する社会的,医療的な見地からの概論的な講義を行うとともに,ロールプレイの際の医師役にとってヒントになるような情報(自殺の危険因子や自殺企図者の心理)を提示しています。

 その後,患者・家族と医師という役割を配したシナリオに基づき,グループごとにロールプレイを行います。ロールプレイ中は,精神科医・臨床心理士などのスタッフがファシリテーターとしてアドバイスをするほか,終了後にはグループごとに振り返りを行います。

 また,実際に本学では,さまざまな領域で自殺予防活動に従事しているので,その現場の様子を知ってもらおうと,横市大附属市民総合医療センター・高度救命救急センターに常勤する精神科医の山田朋樹先生(寄稿)が,救急現場における実際の自殺未遂者への介入について講義を行います。

――続いて,ロールプレイについてシナリオ作成上の工夫なども含めて,お教えください。

河西 ロールプレイは前半と後半の2部構成になっています(参照)。須田先生が実際の経験をベースに作成しました。役割は,7年目の消化器内科医という設定の医師役,健康不安から自殺未遂をした患者役(母親),家族役(長男)です。「ロールプレイ自体が初めて」という学生がほとんどなので,前半のシナリオはあまり作りこみすぎず,感じをつかんでもらって,後半のシナリオをいわば本番として,患者心理を考えながらロールプレイが展開できるように配慮して構成しています。

須田 シナリオは昨年とほぼ同じ内容ですが,授業内容に対する学生からの感想,評価は非常によく,来年以降も継続したいと考えています。

3年次に講義を行う意義

――現在,3年生を対象としていますが,この時期に行う意義についてお聞かせください。

河西 実施時期の妥当性の判断は難しいですね。3年生では少し早いのかもしれません。まだ臨床実習に出ていないので,患者さんとのやりとりの経験がないのと,疾患に対する知識が不十分で,実感を持ってロールプレイに取り組めなかったり,戸惑いを感じたり,という部分があると思うのですね。

 ただ,学年が上がって専門の勉強が始まり,知識が臓器別に各論化,細分化してくると,気持ちの面ではだんだん“医者然”としてきます。ですから,専門に入る前の素朴なところで,自分にも関係のある問題として患者さんのことを考えられるフレッシュな段階での教育――3年次に教育する意義はそこにあると考えています。

――ロールプレイでは,「元気を出しましょう!」などと,希死念慮のある患者役を安易に励ましてしまう医師役もいるそうですね。

河西 医学生というのは優等生の多い集団ですから,「気持ちが弱いから自殺してしまうんだ」などといった捉え方をしている学生も少なくありません。ロールプレイでよくみられるパターンとしては安易な励ましのほか,「とにかく,すぐに精神科を受診してください!」という「精神科への丸投げ」がみられます。慌ててしまって,肝心の患者さんへの気遣いもなかなかできません。

須田 ただ,まだ3年生なので具体的な患者さんへの面接技術を教えることは目的としていません。自由にロールプレイを展開してもらって,「困ったな」とか,「どうしたらいいんだろう」という場面を体験してもらうことを大切にしています。失敗例とされるようなオーバーリアクションや,つい口から率直に出てしまったけれども実際の臨床現場では禁忌とされるような言葉などについて,ファシリテーターや他の学生と一緒に振り返ることが一つのよい学びになり,より深く印象づけられると考えています。

――ファシリテートで他に留意されている点はありますか?

須田 まずは自由に,でも困ってしまったときには,方向性は変えないようにアドバイスを行う,ということですね。例えば同じ学年の友達同士によるロールプレイということで,照れてしまう学生もいますので,そこで戸惑って,ロールプレイが進まなくなってしまった場合は,少し早めにヒントを出して,医師という役柄になりきって考えられるよう,多少の軌道修正を行います。

河西 なかには自分自身が抑うつ傾向にある学生や,親族や友人が自殺に関係したという学生がいるかもしれませんから,注意が必要です。ファシリテーターはそういったメンタルサポートも含めて目配りをしていますね。

須田 今後の課題ですが,現状では時間の都合上,ロールプレイを経験して講義を受けておしまいになってしまい,そこで得た学びを生かす2度目のロールプレイが用意できていませんので,「自殺企図者の対応って難しいね」という部分だけが印象に残り,かえって敬遠してしまう学生が出ることを危惧しています。

 学生からは授業時間をもう少し増やしてほしいというリクエストもあるので,可能であれば学年が上がってから,医療的な設定をより具体的にして,実際の危機介入に近いかたちでロールプレイができれば理想的だと思っています。

救急現場における自殺未遂者への対応の実情

――現在のわが国の救急現場における,自殺未遂者に対する対応,あるいは精神的なフォローアップ体制をどのようにご覧になられていますか。

河西 救命救急センターに搬送される患者の1-2割を自殺企図者が占め,かなりの割合なのですが,救急現場における自殺未遂者への知識,対応スキルはかなり不足していると思います。自殺未遂で搬送されたという事実がわかっていても,翌日意識が回復したら,「では,退院ですね」と言われて,そこで医療が途切れてしまうということが,今日でも日常的に起きています。これが結果的に自殺の再企図につながってしまうことも少なくないのです。自殺者の4割以上に未遂歴があることが報告されています。

 ただ,それは責められることではなく,冒頭にも申し上げましたが,これまで誰も自殺予防教育を受けていないことが大きな原因と考えています。また,医師が疲弊するほど働かないと現場が回らなくなっているという医療環境のなか,システムに起因する課題も大きいと考えています。

 本学の高度救命救急センターでは救命医,看護師に加え,複数の常勤精神科医やソーシャルワーカーも参加して,多職種連携の枠組みのなかで自殺未遂者に介入するシステムができています。

 ただ,システムづくりは容易ではありません。ですから,精神科医が必ずしも救急の現場に常勤しなければいけないというものでもないと思います。例えば精神科医が頻回に救命救急センターに行けるような状況をつくることや,この役割を担えるのは精神科医だけではないのですから,看護師やコメディカルなど他職種との協働も重要だと考えています。

 つまり,もっとも大事なことは教育で,知識を皆が共有し,ボトムアップを図ることと,自殺未遂者に対する精神科医療の継続,社会的支援につなげることが重要なのです。

――講義のなかで,救急搬送された自殺未遂者に対し,「初対面から核心に触れる技術」というお話がありましたが,この視点は非常に重要だと感じました。自殺を企てた直後の患者に対して,単刀直入に質問ができるものでしょうか。かなりの経験を要するのではありませんか。

河西 本学の高度救命救急センターでは,搬送当日でも,意識が回復したらすぐに精神科医による介入が始まります。

 常勤の精神科医は他の救急医と同様にローテーションに入っていますから,身体的な治療を担いながらコミュニケーションを始めます。そのなかで関係性ができて,「今回はこういうことになっちゃって,いったいどうしたの?」という流れで精神的な介入が始まります。こういったプロセスなしに,ぶしつけに歩み寄って,「あなた,死ぬつもりだったの?」これは絶対なしですよね。

 少なくとも自殺未遂をして救急搬送されているということは,精神も身体も非常に危機的な状況にあるわけです。それに関して受傷起点や事実関係を明らかにすることは,医療者として絶対に必要なことで,ここを確認しなければ次の段階には進めないはずなのです。

 患者側も,自分が“つらくてつらくて,やってしまった”ことは理解しているので,本心では「聞いてもらいたい」という気持ちがあるのです。

 最初ははぐらかしたり,押し黙ってしまったりします。ですから「死のうと思ったの?」「はい」というように,一足飛びに話が展開するわけではありません。お互いに関係性をつくりつつ,押したり引いたりしながら,事実が明らかになって,また次の展開に進んでいくというのが実際ですよね。

「心」と対峙する診療科――精神科に携わる醍醐味

――最後に医学生や研修医の方々に向けて,精神科診療の魅力についてメッセージをお願いします。

須田 精神科は,患者さんとの関係性を基盤に,問診から治療を進めていく診療科です。深い心のやり取りを通じて,患者さんの回復に携われることは非常に大きな喜びです。初期研修で精神科を経験していただくと,感動して,きっと精神科に来たくなると思います。お待ちしています。

河西 精神科は脳のなかで最も高次の機能である「心」と対峙する診療科ですから,そこが魅力であり,醍醐味でもあります。精神,心,スピリット,魂といったものと向き合う奥深い領域です。また,人間全体を心と身体でとらえたときに,心の占めるウェイトは相当大きいものです。プライマリ・ケアやがん診療,緩和ケアにおいても,人間を診る限りはメンタルヘルスの重要性は今後ますます注目されるものと思いますので,精神科に携わる医師はもっと増えてほしいと願っています。


河西千秋氏
1988年山形大医学部卒。横市大附属病院でスーパーローテート研修後,同大精神医学教室に所属。カリフォルニア大サンディエゴ校留学,藤沢病院,カロリンスカ研究所客員研究員,横市大医学部助教授などを経て現職。専門分野は精神薬理学,自殺予防学,行動科学。

須田顕氏
2002年山梨医大卒。国立国際医療センター研修医,横市大附属市民総合医療センター・精神医療センター,横市大附属病院を経て,現在同大大学院博士課程4年次に在籍し,精神薬理学,自殺予防学,行動科学の研究に従事。

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