医学界新聞

寄稿

2008.07.07



【寄稿】

ただいま北米ERにて修行中

渡瀬 剛人(Oregon Health and Science University救急科レジデント)


 私は多くの人との出会いと幸運とほんの少しの努力で,2007年6月からOregon Health and Science University(OHSU)で救急のレジデンシーを始めた。まだ1年しか経っておらず,有用なことを述べるには時期尚早だが,この記憶力が悪い頭に浮かんでは消えそうなことを,消える前に思うがまま書かせていただきたい。

歴史あるOHSUと救急医療

 OHSUはもともと120年以上も前に創設された歴史ある医学校である。今ではキャンパス内にMain Hospital,軍人病院,小児病院,眼科病院など多くの病院が建っている。

 Emergency Medicine(EM)のレジデンシーは30年以上前に設立され,アメリカで3番目に歴史のあるプログラムとされている。またスタッフには,アメリカの救急医療創設の歴史をこの人なしでは語れないというJerris HedgeやJohn Moorhead,あるいはAmerican Board of Emergency Medicine(ABEM)のHal Thomas,救急の代表的教科書Tintinalliの共同著者であるJohn Maなど,多くの「大リーガー医」がいる。一生の運を使い果たしてしまったのだろう,自分はそんなところでレジデンシーを始めたのだった。

端的で短いプレゼンと指導医のフィードバック

 内科など比較的時間を調節できる科と違い,救急は針が落ちる音が聞きとれるほどの静寂が空間を埋めているかと思いきや,次の瞬間には怒鳴り声もかき消されるほどの混沌が支配する科である。そんななかで,座ってホワイトボードを用いながらゆっくりと教えることは不可能に近い。

 研修を始めてまず気づいたのは,レジデントのプレゼンが端的で短いことである。プレゼンというと数十年前の風邪から足先の水虫まで,すべてを網羅するという印象があるが,それはむしろカンファでの場合であり,実際の臨床の現場のプレゼンは30秒から1分程度である。何を考え,何の検査をオーダーしたかを短い時間で述べる。その後,指導医は自分で患者の診察を行い,検査結果などが返ってきたころにテンポのよいディスカッションがさらに展開され,そこで患者の治療方針が決定される。

 ここで重要なのは,指導医はレジデントの優れている点,改善の余地がある点をきちんと本人に伝えることである。レジデントの臨床能力を把握し,教えるポイントを整理し,それを巧みにレジデントに伝える。これには指導医の技量がそうとう問われる。患者の診察・治療方針をレジデントと指導医がともに展開していくなかに,教育もきちんと織り合わされているのだ。

実り多いカンファレンス

 毎週水曜日の午前7時から午後1時までがカンファレンスに割り当てられている時間である。この時間は基本的(というのはもちろん例外のローテーションもある)に守られており,日常業務から解放される。担当はレジデント2年目以上とスタッフである。

 内容が充実している,時間通りに終わる,朝食と昼食が用意される(これがいちばんうれしかったり……)など,カンファに人が集まるように工夫されており,1年を通して主な課題がカバーされるように組まれている。

 内容としては外傷(救急科,外傷外科,放射線科,脳外科,整形外科が参加し非常に活気に満ちている),M&M,論文抄読などオーソドックスなものから,ネガティブな経験をした患者を招いてのディスカッション,模擬医療裁判,卒後進路のレクチャーなどユニークで興味深いものまで展開される。最近ではHands-on Trainingの重要性が認識され,Simulation Centerで月に一度のCode Simulation(ACLSなどで用いるハイテク人形を使った,心肺停止のみならず重症患者の模擬練習)も組み込まれている。限られた時間でなるべく実り多い内容とすべく,Education FellowshipのFellowが常日頃からカリキュラムの改善に取り組んでいる。

 また,OHSUに来て好感が持てたのは,レジデントが非常に大切にされていることである。Program DirectorのPat Brunettをはじめ,多くのスタッフが「レジデンシーはレジデントのものだから,自分たちの受けたい教育を自由に述べるべきだ」と念を押す。また月一度のレジデントだけの昼食会もあり,発言しやすいリベラルな雰囲気がレジデントによる改善を後押ししている。長い歴史にあぐらをかくことなく,常に最善のプログラムに進化し続けようとする姿勢には感心した。

あっぱれEmergency Physician

 Emergency Physician(EP)と日常的に働いていて驚嘆するのは,時として見せるその臨床能力の高さである。例えば,レジデントに不整脈の難しい説明をしているかと思えば,次の瞬間には聞いたことのない毒キノコの種類とその作用についてすらすらと話を始める。あるいは,咽頭痛でERを受診した一見健康な若者の,咽頭の白苔分布を不審に思い,そのまま検体を顕微鏡下で観察してThrushであることを突き止め,最終的にHIV陽性であることまで診断する。

 このようなEPと接していると,やはりEmergency Medicineが一つの専門であることを再認識できるのと同時に,EPと日常的に関わりディスカッションを重ねられることにこの上ない幸せを感じ,大きな刺激となる。

Emergency Medicineの確立へ 「帆船日本号」

 「アメリカではERが進んでいる」とよく耳にするが,科として確立したのは1960-70年代であり,他科と比べればまだ歴史が浅い。したがってEMを科として認めたがらない医師(特に年配者)がいるのも事実。しかし,一つの科して確立できたのは先人たちの血のにじむような努力なしには語れない。地道に,しかし着実にデータと研究を積み重ね,他科にも負けないエビデンスとそれに基づいた診療を貫いたがゆえに,EMが一つの科として自立できたのだと思う。この点はわが国にも非常に参考になると感じた。

 日本で医学生の頃から,「アメリカの医療は素晴らしい」などと手放しで褒めちぎる状況によく出くわした。しかし現在知られているように,アメリカの医療も多くの欠点を抱えている。現に自分が病気になり治療を受けるなら,つい日本を選んでしまうだろう。とはいうものの,アメリカの医学教育/研究は優れている点が多いのは事実である。

 今では日本でも北米型ERを取り入れて実践している施設が増えており,今後の動向が非常に楽しみである(悲観的な意見も見受けられるが……)。アメリカの優れている点を織り込んだ,日本独特の救急がまさに大海原に帆を上げようとしている。この帆船の追い風となれるよう今後も救急の修行に励もうと,オレゴンの片田舎で自分を奮い立たせている毎日である。


渡瀬 剛人
2003年名大医学部卒。愛知県厚生連海南病院にて初期研修。その後は名古屋掖済会病院のERにて2年間勤務し,「日本にもER型救急が可能」と勝手に思い込む。2007年6月よりOHSU救急科レジデント。充実したレジデンシーに満足した毎日を過ごしているが,アメリカで最もビール工房が多いポートランドでいかにアル中にならないかが悩みの種。

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