医学界新聞

連載

2008.04.14


アメリカの医療やアカデミズムの現場を15年ぶりに再訪した筆者が,心のアンテナにひっかかる“ねじれ”や“重なり”から考察をめぐらせていきます。

ロスする

〔第6話〕
ホスピタリティと感情労働


宮地尚子=文・写真
一橋大学大学院教授・精神科医
ケンブリッジ・ヘルス・アライアンス客員研究員


前回

にこやかな客室乗務員

 入った時から,何かが違う感じがした。どことなく,あったかい。南国の島に上陸した時の感じ。最近乗った国際線の機内でのことである。

 アメリカの航空会社のサービスの低下はここ数年著しい。チェックイン時の対応しかり,スナックや食事の内容しかり,そして客室乗務員の態度しかりである。出発時刻がしょっちゅう遅れるのは,サービス低下というより,テロ対策としてのセキュリティ強化の余波なのだろう。けれど,そうやって延々と待たされ,苛立たされたあげく,飛び立った機内で投げるようにピーナッツの袋が渡されると,心底わびしくなってくる。

 ところがその日の機内では,アジア系アメリカ人の気のよさそうなおじさんたちが何人か客室乗務員として勤務していて,にこやかに乗客を席に案内していたのだった。赤ん坊を連れた女性をさりげなくサポートし,赤ん坊にもおかしな顔を作ってあやすなど,きっと家ではいいお父さんや叔父さんなんだろうなと自然に思わせてくれる感じだった。私がうつらうつらしながら読書灯を消そうとして,間違えて乗務員呼び出しのボタンを押してしまった時には,ぬくっと姿を現した後,間違いに気づいた私に嫌な顔ひとつせず,おどけたジェスチャーをして笑顔で戻っていった。また,乗務員同士でも笑顔を交わし,和気あいあいと協力し合い,仕事を楽しんでこなしている感じもよかった。

 いつもならその路線では,体型の崩れた白人の中年女性の客室乗務員が,機嫌悪そうに機内食を配るのが常だ。最小限の声かけと単語だけで「プリーズ」も何もない。サービスしたくてしてるんじゃないわよ,という態度がありありだ。言っておくが,私もれっきとした「中年女性」であり,若いきれいなスッチーに世話をしてもらいたいわけではまったくない。かっこいい男性からの給仕を求めているわけでもない(それも悪くないかもしれないけど)。白人かどうかはどうでもいいし,太っていても服のサイズがきちんと合っていて機敏に動けるのなら,何も言うことはない。

 ちなみに一昔前は,客室乗務員といえばスチュワーデス,スチュワーデスといえば,「若くてきれいな女性」であることが暗黙の了解だった。飛行機という乗り物がまだ特別で,非日常の空間で,お金持ちやエリートだけのものだったせいもあるかもしれない。やがて空の旅がツアー客など一般大衆のものになるにつれて,客室乗務員に期待される役割やステータスも変わっていった。

 そして女性の働き続ける権利の主張と法的保護によって,徐々に乗務員の年齢が上がっていった。美しいかどうかによって雇用を決めることも(少なくとも米国では)差別にあたるとして,法に反することになっていった。体型についても,仕事に支障のない限り,著しく太っていても解雇は違法だとした米国の判決を読んだ記憶がある。

 男性の客室乗務員が増えている理由ははっきり知らないが,たぶん,航空会社が軒並み経営難に陥り,人員整理が進む中で,働き続けようとする男女の間での仕事争いが熾烈になったせいではないかと思う。男性の職場に女性が進出したぶん,これまで女性の職種とされてきた領域(その中には仕事の内容の割に賃金が低く抑えられているものも多い)にも男性が入り込んできたのだ。

「深い演技」と感情労働の搾取

 つまるところ,最近得難くなっていて,でも私が望んでいて,今回の搭乗でめずらしく得られたと感じたのは,ホスピタリティ=歓待の雰囲気だったと言えよう。

 では,ホスピタリティとはなんなのだろう。笑顔。相手をほっとさせたり,受け入れられている感じにさせること。ユーモア。心を通じ合わせること。落ち着きやおだやかさ,くつろぎを提供すること。楽しく豊かな気持ちになってもらうこと。

 ただ,そういうホスピタリティを望み,喜びながら,同時に,それを期待してもいいのだろうかという躊躇が,私にはある。

 「感情労働」という言葉がある。看護の仕事について感情労働という切り口で分析した本(武井麻子著『感情と看護』医学書院)もあるから,知っている人もいるかもしれない。感情労働とは,ひと相手の仕事において,働き手が自分の感情やその表現を適切に維持することであり,それによって相手の感情を調整することである。例としては,看護師がいつも患者さんに対し笑顔で優しくふるまうといったことが挙げられる。身体を使う「肉体労働」,頭を使う「頭脳労働」に対して,気を遣うのが「感情労働」だと言えば,いちばんわかりやすいかもしれない。

 そして感情労働は,さまざまな職種において要求されるにもかかわらず,必ずしも労働として認識されておらず,心身への負担に見合う賃金を与えられていない。特に女性は気遣いをするのが当たり前とみなされ,女性に向くとされる職業の中には当然のように感情労働が組み込まれていることが多い。私は「スマイル0円」という某ハンバーガー・チェーン店の宣伝コピーを見聞きするたびに,「感情労働」という言葉を思い出す。働く人の心が経営戦略のもとにおかれ商品化されることに,感情労働はつながる。

 その感情労働という概念を作った社会学者アーリー・ホックシールドが『管理される心』(世界思想社)という著書の中で特に注目して分析したのが,まさに航空会社の客室乗務員だった。原著が出たのが1983年だから,まだ飛行機旅行が特別な時代だったとも言える。彼女は感情労働を,表面的に役割を演じる「浅い演技」と,心からその役割になりきろうとする「深い演技」に分ける。そして深い演技を続けることで,自分の本来の感情がわからなくなっていくなどの弊害を指摘している。

 その時代から比べると,今は(特に米国では)客室乗務員が過剰な感情労働をしなくてもよくなった,感情労働を搾取されることがなくなった時代と言えるのかもしれない。そのうえ,どこの航空会社も経営立て直しで,乗務員の職務条件がどんどん悪くなっているらしいから,ニコニコする気になれないのも当然かもしれない。

 それでも,最低限のホスピタリティ精神は残しておいてほしい気がする。プロなんだから,仕事を愛してほしい。職場への不満や苛立ちはあっても,せめて表向きはおだやかでいてほしい。人に自分の感情をそのまま垂れ流さないことは,仕事というより,それ以前の大人としての礼儀だろうと思う。

医療現場の「スマイル0円」

 着陸態勢に向かう乗務員たちの顔は相変わらずにこやかだ。ふと「スマイル0円」というのを,医療現場でもやってみたらどうだろうと思いつく。医師の中にはこれまで,「診てやっている」という態度の人が少なくなかった。患者さんのほうが医師を怒らせないよう気遣わねばならず,つまりは感情労働を強いられていたわけである。

 病院(ホスピタル)やホスピスが,ホスピタリティと語源を同じくしていることはすでによく知られている。日本の病院でも,受付などスタッフの「接遇」が重視されてきている。医療面接技法という形で,医師も患者さんに対する適切な態度が求められるようになってきた。せめて「浅い演技」の感情労働は,医師にまだまだ要求されてよい。そして,難しい技法より「スマイル0円」のほうが,ホスピタリティを身につけるには効果が高そうだ。

 長旅を終え,飛行機から降りて,医師に負けず劣らずホスピタリティに欠けている集団を見つけた。米国の入国審査官である。9.11以降,年々尊大さと無礼さが増している彼らのブースにも,「スマイル0円」のステッカーを貼ってあげたい気がする。

次回へつづく

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