医学界新聞


医学の歴史を見つめなおす

インタビュー

2008.03.17



医学の歴史を見つめなおす
まんがで紐解く医学史入門

茨木 保氏(いばらきレディースクリニック院長)に聞く


 「医学」は先人たちが発見した事実・経験を1つひとつ積み重ねた集大成であり,その発見がなければまったく異なった医学の現状があったかもしれない。しかし,そうした医学史をきちんと振り返った経験はあまりないのではないだろうか。

 このほど,『看護学雑誌』の連載に描き下ろしを大幅に加え『まんが 医学の歴史』を上梓した茨木保氏に,医学史の面白み,偉人たちの知られざる性格や逸話などを語っていただいた。


――「医学史」というと,堅いイメージがありますが,今回,まんがで医学の歴史を綴ろうと思ったきっかけは?

茨木 医学史に興味を持ったきっかけは,臨床実習時にお世話になった先生の影響です。その先生は消毒法の発見や麻酔の発見など,医学史の知識が豊かな方で,臨床の講義そっちのけで,医学史の講義をしてくれました(笑)。

 私は,その頃からずっとまんがを描いていたのですが,世の中に歴史もののまんがというのはけっこうあるのですが,医学史については皆無でした。おそらく普通のまんが家さんが入り込めない世界,手を出しにくい世界だからだと思います。でも,調べていくと医学史はドラマの宝庫でまんがのネタ的に面白い。それで,いつかこれを描きたいという思いがありました。ただ,歴史について語るには「ある程度貫禄が出てくる年齢になってから」という思いがありましたので(笑),若い頃は手を出さず,今回のタイミングで描かせていただきました。

歴史を振り返ることは自分を見つめ直す1つの材料

――歴史を描く中で,改めて考えさせられたことはありましたか。

茨木 描きながら考えたのは,「個体発生は系統発生を繰り返す」,ドイツの学者ヘッケルの言葉です。ヒトの胎児はおなかの中で,魚類から両生類,それから哺乳類とあたかも進化の過程を辿っていくように成長していきます。医学史,科学史というのも,広い意味でいえば,進化だとか,発生だとかいうものに例えられると思います。

 医学の歴史を見ていくと,自分の中のものの考え方,見方の変化は,医学という学問自体の変遷と相同性があると感じました。人の歴史を勉強していきながら,自分が生まれていままで,そしてこれからのことについて考える1つの材料になるのではないかと思いました。

 他に描きながら思ったことは,歴史書はみな多かれ少なかれ,嘘と真実がごちゃ混ぜになっているものだということです。そういう意味では,自分が歴史を描く際に,どれだけ嘘を描いてるかを理解して,そのうしろめたさを感じながら真実に迫るために,悩み考えながら作業をすることが大切だということをすごく感じました。

知られざる偉人たちの一面 歴史の視点は千差万別

茨木 パスツールの“Chance favors the prepared mind”「チャンスは準備ができた精神を持つ者だけに微笑む」は好きな言葉ですね。この本の中にもある偉大な発見に対して,「偶然の発見だ!」といわれているものがあります。ですが,偶然の中から,真実を見つけ出すことができるのは,その人が真摯に研究に取り組んだ姿勢の賜物だと思います。そしてそれは科学の発見にとどまらず,人生すべての局面についていえることだと思っています。

――登場人物が多いですが,描かれた中で,印象的な人物は誰ですか。

茨木 医療者に求める倫理性としていまでも引き継がれている『ヒポクラテスの誓い』を定めたヒポクラテス(古代ギリシャ:B.C.460-370頃)は本当にすごいと思います。どうやらこの誓いはヒポクラテス自身の筆によるものではないらしいのですが,それでも,彼の示した精神性の輝きは変わりようがありません。

 まったく反対の理由で,印象的な人物はウィリアム・モートン(米国:1822-1868)です。彼のエーテルによる全身麻酔法を広めた功績は非常に大きいのですが,商売に走ってしまった。医学や科学の歴史にもそういう人間臭いといいますか,俗っぽい部分がある典型かもしれませんね。

 同じ意味合いでガレノス(古代ギリシャ:125-200頃)も印象的でした。ガレノスは,「脳が脊髄を通じて末梢神経を支配している」「肺の膨張は,横隔膜の下降による胸腔内の陰圧によるもの」など,“実験医学の開祖”とまで言われるほどの人物です。しかし,その研究成果「精気論」がキリスト教会の世界観とマッチしていたことから,神聖不可侵な医学とされ,1500年もの間,医学の進歩を停滞させてしまい,今では多くの人から嫌われています(笑)。声の大きな人の影響力が事実を歪めてしまうということは,現代においてもしばしばあることですよね。

 そのガレノスの呪縛を断ち切ったのが,かの有名な解剖学者アンドレアス・ヴェサリウス(1514-1564)です。

――ヴェサリウスは登場人物の中で,特に印象的に描写されていますね。

茨木 ヴェサリウスは“怪しい人物”で描いていますからね。「彼をどういうふうに捉えるかは自由」ですが,私は,「こういう見方もできる」という側面から描きました。

 当時の解剖は教授が書物を読み上げ,死体解剖は理髪師が行っていました。しかしヴェサリウスは,自ら墓を掘り起こしたりして死体を調達し,自らの手で解剖を行い真実を探求しました。自分なら腰が引けてできないことを平然と行う彼みたいな人がもし同時代にいたら,どう思うだろうか? 自分の専門外であれば応援したかもしれませんが,自分も同じ領域にいたら,すごく反発を覚えただろうと思います。けれど,とにかくヴェサリウスはすごく魅力的な人物です。魅力的だけど,変態(苦笑)。ですが,そうした変態が世界を動かすきっかけをつくることは多いんですよねぇ(笑)。

誰もが心の中に持つ積極的な玄白と慎重な良沢

――杉田玄白と前野良沢について,ページを多めに割かれていますね。

茨木 玄白と良沢は仲良く解体新書を作ったという印象がありますが,実は初版本の発刊にあたって,二人が対立したのではないかという説があり,そのエピソードを紹介しました。

 仕事を世に出す時は,良沢のように「絶対に完璧なものになるまで世に出したくない」という思いと,玄白のように「間違いがあってもとにかく早く出したい」という思いとの葛藤があります。人は皆,心の中でこの二人がせめぎ合い,仕事をしていくものでしょう。自分の中でも,玄白が勝つ時もあれば,良沢が攻勢の時もある,手綱を抑える人と,どんどん走らせる人みたいなもののバランスは,すごく大切なのだと描いていて思いました。

 だから,この人の話を描きたいという時に,例えばある本を読んで,その後にそれに対立した本を読んだりして,対立した本を読むことでそれをそのまま描いたりはしませんが,こっちの鞭を緩めるのにこちらの本が役に立つということが,よくあります。そういう加減をいつも気にかけないといけないと,何事に対しても思います。

医学史入門のための入門書

茨木 このまんがは医学史の1つの側面をすごく平易な表現で描いています。医学史という,ちょっと近寄りがたい存在に興味を持ってもらう入口として,この本を読んで,そこから医学史に興味を持つ医学生や,さらに下の小中学生が医学全体に興味を持ってもらえればいいなと思っています。

――まんがだと,入門書のさらに手前の段階といった,読んでみようかと思わせる手軽さがありますね。

茨木 実は,私,文章だけの本は脳が受け付けないんです。読んでも頭の中を素通りしていきます(笑)。ですが,医学書はまさに文字だらけなので,学生時代はずっと,医学書にまんがを描いていました。病気の特徴を描いて,そのイメージ情報を基に疾患を覚えるためにです。私は現在,メディカルイラストレーターとして医学書のイラストなども手掛けていますが,その基本は学生時代に医学書に描いた落書きですね(笑)。

 絵が人に与えるインパクトはすごいと思います。反面,対象の特徴を際立たせるために,略したり誇張したり,ある意味「嘘」を描くことがあります。シャレを利かせてデフォルメして描くところもあり,それが面白いといわれることもありますが,シャレが通らない人から怒られることもあるので,一長一短ですね(笑)。これは,歴史を描く作業にも通じるものがあると思います。

(了)


茨木 保氏
1986年奈良県立医大卒,同大産婦人科入局。89年京大ウイルス研・研究生として発癌遺伝子の分子細胞生物学研究に携わる傍ら,漫画家としてプロデビューし,漫画家・メディカルイラストレーターとして活躍。99年大和成和病院婦人科部長。2006年より現職。『Dr.コトー診療所』の監修者としても知られている。現在,『がんばれ!猫山先生』(日本医事新報)を連載中。著書に『患者さんゴメンナサイ』(PHP研究所)。

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