医学界新聞

寄稿

2008.01.07

 

【特別寄稿】

『今日の治療指針』第50巻発刊によせて

阿部 正和(東京慈恵会医科大学名誉教授・元学長)


 2008年の初頭,『今日の治療指針(Today's Therapy)』の第50巻が記念号として刊行され,ここに一大金字塔が打ち立てられた。まことにおめでたい限りである。

 本書の創刊号は,1959年に刊行されている。その当時の聖路加国際病院内科医長であった日野原重明先生は,米国のW.B. Saunders社が1949年以来発行していた“Current Therapy”が米国に於いて洛陽の紙価を高めていたことに着目され,我が国に於いてもこれに似た本があったら大変役に立ち,有益であろうと考えられたのであった。そして医学書院に話を持ち掛けたところ,即座に「難事業ですが,すばらしい企画です。熟慮してみましょう」ということになり,社内での協議が始まった。

 賛否両論があったものの結局は社内の賛同が得られ,話は一気に弾み,日野原先生に企画編集のすべてをお任せすることになった。先生は早速,当時の関東逓信病院外科の石山俊次部長および厚生年金病院内科の渡辺良孝医長に話を持ち掛けられ,ここに日野原・石山・渡辺の編集トリオが出来上がった。こうして『今日の治療指針』創刊号の編集作業が始まったのである。

 全国規模で内科・小児科領域に於ける名の知れた専門家諸氏に執筆を依頼し,執筆者250人,496頁の本が完成した。当時としては,何しろ規模が壮大であり,章立て,目次立ての決定には考慮に考慮を重ね,苦心惨憺の結果,創刊号が発刊されたのであった。爾来,あっという間に50年が閲した。そして遂に,この度50年記念号が発刊されるに至った。実に見事な一貫した,継続的作業が遂行されたわけである。まことに素晴らしいことと言わねばならない。

 ここにまず創意された日野原重明先生の炯眼に感服し,先生を支えてこられた石山,渡辺の両先生に敬意を表したい。

本書存在の意義と特長

 創刊以来,“私はこう治療している”をスローガンに,毎年新しい執筆者の手で執筆される――と一口に言うが,これは実に大変なことである。版毎に編集者によって取り上げる項目が選定され,毎年新たに書き下ろすという仕組みになっている。正に文字どおりの,その時点における最新の治療法についての指針が示されているわけである。

 本書の規模はまことに雄大で,2008年に刊行された第50巻では,1099疾患,執筆者1075人,実に1896ページになっている。

 いかなる練達の医師といえども,ある特定の疾患について簡単な知識を直ぐにでも得たいと思うことは必ずやあるに違いない。このような時に本書は又とない解決の良書といえる。

 各項目毎に,簡潔に疾患の概念から治療のあらましまで,まことに要領よく,具体的に記されている。正に医療関係者の方々が常備すべき治療医学の百科事典といってよいだろう。このところ,医学・医療の変遷はまことに目まぐるしい。この動きについていくことは,まず至難な業である。どうしても手もとに最新の医学百科事典的な書物を一冊置いておきたい。こういう意味で,『今日の治療指針』の一冊を机上に置けば,診療現場における治療の質が向上することはまず間違いない。

 プライマリケアが再認識され,いわゆる総合医の出現が期待される現在,本書のニーズは彌が上にも高まるものと確信する。

本書の編集と私

 1972年の初め,私は突然日野原先生から『今日の治療指針』の編集を手伝うように言われた。大変重要な役割であるので一瞬躊躇もしたが,日頃ひそかに師と仰いでいる日野原先生の指導を直直に受けることができる又とないよい機会と思い,喜んでお受けした次第であった。

 1973年版から実に15年にわたって先生の指導下で編集の実務に携わった。それ以後は1999年までの10年間,監修者の一人として編集に間接的に関与した。数え上げれば実に25年間の長きにわたって,この治療年鑑の編集の仕事に関係したことになる。過去を振り返って驚きの念を禁じ得ないが,大変名誉なことであり,日野原先生および関係各位に感謝の意を表する次第である。

 この編集会議で何を得たかといえば,それは「誰が,何処で,何を」研究しているかがよく分かるようになったことではなかったかと思う。私にとっては,ひとつの大きな収穫であった。

 なお,長い期間にわたる編集会議で2つの驚いたことを経験した。そのひとつは会議の最中に,いつの間にか日野原先生がうたた寝をなさったのを垣間見た瞬間である。定めし日中のお仕事が多忙でお疲れになっていたに違いないと思っていた。そうこうしている内に,出席者の一人が先生に向けて質問の矢を放った。するとどうであろう。今まで居眠りをされているとばかり思っていた先生が,そんな素振りを全くみせず,さっと眼を見開き,当意即妙,きわめて的確な回答をなさったではないか,これには心底から仰天したのであった。

 もうひとつは,日野原先生が単に御専門の循環器疾患のことのみならず,内科全般にわたって実に該博な知識を持ち合わせておられるのを知ったことである。さらに内科のみでなく臨床医学各科にわたって幅広く承知しておられ,いつも本書に対してきわめて適した意見なり,回答なりを述べられるのであった。これらのことも亦驚きの一事であった。

 なお,編集会議が終わると帰りの車は,帰路が同じ方向であるため,いつも先生との同乗と相成った。そして帰宅するまでの30分間,車中で先生から医学・医療に関することは勿論のこと,豊かな常識の持ち主である先生から,幅広い,底の深い人生談義をうかがうことができた。まことに有益な貴重な,しかも楽しい車中の一時であった。まことに感謝に堪えない。

おわりに

 本書の50年の歴史は,医学・医療の進歩そのものを如実に示している。先人の言葉に「過去を忘れない人だけが未来の主人公となり得る」とある。未曾有の医学・医療の近年の進歩発展期にあって,これまで歩いてきた道を顧み,現在の医学・医療の置かれている位置を直視し,未来への着実な一歩を踏み出さねばならない。今は正にそういう時である。

 日野原重明先生をはじめ,これまで編集に熱意を傾けて携わってこられた編集者一同の先生方に謝意と敬意を表したい。さらに日野原先生の提言に賛同し,毎年定期的に刊行するという大事業を50年にわたって現在に至るまで着実に,しかも定期的に刊行してこられた医学書院にも満腔の感謝と敬意を表したい。

 『今日の治療指針(Today's Therapy)』の今後の限りない発展を祈るや切なるものがある。


阿部正和氏
1942年慈恵医大卒。卒後海軍軍医として奉職。終戦後,国立東京第二病院を経て,60年慈恵医大生理学教室教授。64年内科学教授,82-92年学長。内科臨床と糖尿病学研究に情熱を捧げ,また医学教育にも,理念と倫理観に支えられた温かい眼差しを注ぎ続ける。氏の医の心は『阿部正和 著作・講演集』(医学書院)にまとめられた。73年版から88年版までの『今日の治療指針』総編集者。

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