医学界新聞


言葉の向こうにあるもの

連載

2007.08.27

 

ストレスマネジメント
その理論と実践

[ 第17回 コミュニケーションスキル(1) 言葉の向こうにあるもの ]

久保田聰美(近森病院総看護師長/高知女子大学大学院)


前回よりつづく

 ストレスマネジメントのあらゆる実践場面において基盤になるとも言えるのが,コミュニケーションスキルです。その場面で意外と忘れられているのが,非言語的コミュニケーションや言葉の向こうにある話し手の思いです。このサインを見逃してしまうと,コミュニケーションエラーにもなりかねません。

誤解を招いたナースの何気ない一言

 「それは私たちの仕事ですから」。

 慌しい朝の検温の時間帯,本日退院予定の患者さんの病室を訪れたナースが思わず発した一言です。その患者さんは,退院の準備を整えた後,ベッドのシーツまで外そうとしていたのでした。その場面に遭遇したナースが慌てて言ってしまったその一言は,その患者さんの激しい怒りを引き起こしたのです。当事者のナースは,自分の一言がこれほどまでに患者さんを怒らせるものだとは思えず,ただおろおろとするばかりでした。

 特に不適切な内容とは思えないこの言葉の向こうに,患者さんは何を感じたのでしょうか? 患者さんの思いとナースの思いとの間にズレはなかったでしょうか。

 その患者さんの言い分はこうです。私はお世話になった看護師さんが少しでも楽になると思って,よかれと思ってしたことなのに。それを「私たちの仕事です」などと言われるとは夢にも思わなかった。感謝されるならまだしも……と怒りに声を震わせながら話されました。つまり,この患者さんは「それは私たちの仕事ですから」というナースの言葉の向こうに,自分の行動を否定されたイメージを持ったようです。

そんなつもりではない?

 調整にあたった師長が当事者のナースに話を聞くと,「私はそんなつもりで言ったのではないのに」と,自分の何気ない一言が誤解を招き,患者さんの怒りまで引き起こしてしまったことに逆にショックを受けている様子でした。

 “そんなつもりではない”は,お互いの言葉がかみ合わない時に,私たちはよく用います。しかし,一度言葉として当事者から発せられると,その前後の行動や相手との関係,その場の状況次第で,いろいろな意味を持ちます。この場合,言葉を発したナースの“そんなつもり”とはどんなつもりなのでしょうか? もちろん,患者さんの行動を否定したり,責めたりするつもりはなかったでしょう。しかし,患者さんがこの行動を取った背景にある思いが,ナースからの感謝の言葉を期待したものであったとしたらどうでしょうか? ナースの言葉の向こうに「そんなことしなくていいのに」とか,「この忙しい時に逆に仕事を増やさないで……」といった思いを敏感に感じ取ったのかもしれません。

行動の背景にある思い

 皆さんも経験はないでしょうか? 母親を助けようという一心で,洗濯物を取りいれようとして逆に汚してしまったり,食器洗いを手伝おうとして台所を水浸しにしてしまったことが。そんな時「どうして勝手にこんなことするの? お母さんがするから置いておいて」などと言われると切ないですね。きっと二度とするまいと思うでしょう。しかし「ありがとう,お手伝いしてくれようとしたのね。でももう少し大きくなってからお願いするね」と返されるとどうでしょうか。自分自身の子育て場面では,こうはうまくいきませんが,患者さんとのコミュニケーション場面には生かしたいところです。

 では,この事例に戻ってみましょう。同じ場面で「ありがとうございます。でもそれは私たちの仕事ですから……」とまずは受容して,その後に説明やお願いの言葉を返すことができれば,これほどまでの怒りを買うことはなかったのではないでしょうか。

 ただここで注意したいことは,いつも(マクドナルド式に)こうした枕詞を使用すれば解決する問題ではないということです。最近の接遇研修等でもこうした肯定的表現が強調されています。しかし一部では「ありがとうございます」という言葉をステレオタイプに連呼さえすればいいと誤解している人もいるようです。

 いちばん大切なのは,患者さんの行動の背景にあるこうした思いを察する感受性であり,それが受容の本質とも言えます。この事例でも,患者さんの思いに気づいていないからこそつい出てしまった一言です。いくら接遇マニュアルを整備しても,その適応基準を判断すること,つまり患者さんの行動の背景にある思いへの気づきがなければ意味はありません。

 では,そうした感受性を高めるためにはどうしたらよいのでしょうか? 今回の事例で対応した師長自身も,当該ナースは普段から患者さんへの対応も丁寧なナースであり,不用意に出た言葉だったのだろうと感じました。しかし,そんなナースに対してだからこそ,ちょっとした一言で患者さんに不愉快な思いをさせてしまったことをいかに伝えるかが難しいと感じ,師長は悩みました。「ナースの言葉自体が間違っているわけではない。この患者さんの怒りはある意味,理不尽にも感じる側面もある。まして朝の忙しい時期にそんな行動を取られたら,私だってつい言ってしまうかもしれない」と。

 管理職としては悩ましいところです。それでもこのような事例での患者さんの思いを知り,今後への対応の教訓にするためにもチーム全体で情報共有することが大切だと判断しました。そこで病棟会では,その時の師長の思いのままを伝え,スタッフの理解を得ることができたのです。

受容の姿勢を支える環境

 この事例とは逆に,当該ナースがいつも患者さんとのトラブルを起こすナースだったらどうでしょうか? 師長は同じ対応ができたでしょうか。「またあの人だ」とラベリングしてしまわないでしょうか。チームも同じように理解できたでしょうか。コミュニケーションエラーは常に起きます。肝心なのは,その後の対応です。どんなナースでも“そんなつもりではない”一言は出てしまいます。

 そんな時に,ちょっと立ち止まって相手(患者さんやご家族)の立場にたって考えること,受容できる姿勢を育成するためには,自分自身が受容される環境にいなければ難しいと言えます。自分自身が受容されていないのに,他人を受容することは至難の業でしょう。患者さんやスタッフ間のコミュニケーションエラーやトラブルを起こす人ほど,受容されていないという認識が強く悪循環に陥りがちです。

 いろいろな価値観を持った患者さんが増えてきている医療の現場だからこそ,一人ひとりのスタッフが受容されていると実感できる環境作りをする能力が管理職には求められていると痛感した事例でした。

次回につづく

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