医学界新聞

対談・座談会

2007.04.16

 

【対談】

医療崩壊から医療再生へ

小松秀樹氏(虎の門病院泌尿器科部長)
井部俊子氏(聖路加看護大学学長)


 疲弊した医師が病院から離れる現状を,小松秀樹氏は著書『医療崩壊』の中で,「立ち去り型サボタージュ」と名づけ警告を発した。一方,看護においては新人看護師の早期退職が課題となっており,井部俊子氏はこれを“理不尽な過酷さのアラーム”と捉え,組織や保健医療システム全体の問題と考える。

 いま,病院では何が起きているのか,医療再生への活路はあるのか。小松・井部両氏による対談を企画した。


井部 『医療崩壊』が話題となり,「立ち去り型サボタージュ」という言葉も広く認知されましたね。

小松 これは東大の医療政策人材養成講座の時にはじめて使った言葉で,2004年12月だったと思います。勤務医の労働環境があまりにもひどいので,「勤務医の会」をつくろうとしている医師がその講座にいました。私はそれに対して,「勤務医は集まるということを絶対にしない。それよりもたぶん,政治的な表現としては“立ち去り型サボタージュ”になるのではないか」と言ったのです。

 ですから,その時は明確な定義を自分で考えていたわけではありません。医療費抑制による予算不足,それから患者との齟齬――たぶん後者のほうが強いと思うのですが,それらで“疲弊”して嫌になり辞める。その行動には多少の“抗議”の意味も認識としてあるので,労使紛争の用語である“サボタージュ=怠業”という言葉を使いました。

井部 立ち去ったあとは開業ですか,それともリスクの少ない診療科や楽な病院へ行くのも含まれるのですか。

小松 両方ですね。

井部 勤務医を辞めて立ち去るということが「立ち去り型サボタージュ」?

小松 そういう位置づけです。とにかく,念頭にあったのは勤務医です。

医師の立ち去り型サボタージュと看護師の早期離職

井部 看護職も離職率,特に新人看護師の離職がここ数年の課題(註1)となっていますが,何十年勤務した中堅医師の離職と新人看護師の離職は,質が違うように思います。

 新人看護師の場合,基礎教育と臨床とのギャップがあって,リアリティショックが大きいという問題があります。実習では1人の患者を受け持って4-5時間病棟にいるのに,卒業後4月からは時間に追われながら5-6人受け持って,しかも「早く,かつ正確に」とできないことを期待される。それに輪をかけて,指導がやさしくない。

小松 たしかに看護師さんは後輩にひどく厳しい。私も目撃したことがあります。

井部 どちらが悪いというわけではなく,忙しすぎる職場で指導にも余裕がないのです。新卒者では患者との齟齬はあまりなくて,むしろ患者に励まされることもあるくらいです。ですから,“疲弊”は医師と共通かもしれませんが,新人看護師の場合はリアリティショックのほうが大きな要因になっているのではないでしょうか。

小松 社会全体で就職した人が早く辞めていますが,それとは関係がないですか。

井部 それはあると思います。でも,新卒医師はあまり辞めないですよね。

小松 辞めないです。勉強会などでもボロボロに言われて,でもそんなに嫌がってない。

井部 どんなふうに言うんですか。

小松 「このデータからなぜこの結論が出てくるの?」とかですね。

井部 あまり感情的なものが入っていない,知的な指摘ですよね。新人看護師の場合は,その存在自体を否定されたりしますから,叱り方の違いがあるのかもしれません。

小松 だとしたら,叱り方のトレーニングをしなきゃいけない(笑)。

井部 そうですね。

――医療事故や訴訟をめぐる立場の違いはいかがですか。

小松 医師は訴訟で辞める人は実際にはそんなにいなくて,訴訟よりも患者との行き違いのほうが辞める動機としては大きいでしょう。訴訟に至らないトラブルがすごくありますから。

井部 新人看護師の場合は,ヒヤリハット(インシデント)報告を書いて,医療事故が恐くなって辞める場合があります。恐怖感が先に立つというのでしょうか。看護職は潔癖な人が多いので,「人の役に立とうと思っていたのに,自分の未熟な仕事で迷惑をかけるのではないか」という,不安を払拭できなくて辞めることがありますね。

小松 日本看護協会の調査(2004年)でも,新卒看護職員の辞めたいと思う理由として,「医療事故を起こさないか不安」や「インシデント報告を書いた」が上位にあがっていましたね。

――そうした際に「病院上層部や管理者の理解がなくて辞める」というケースが共通してありますか。

小松 かなりあると思います。医師の場合は,病院長が赤字削減にあまりに一生懸命になりすぎてしまうと,現場との齟齬が大きくなる。「院長との確執で辞める」ということはよくあります。今いちばん危ないのが,地方公共団体の病院でしょう。議員が地域住民の代表みたいなもので,自分の支持者である患者側からの苦情が来ると,そのまま病院に伝える。院長はほとんど抵抗せずに,そのままを現場に伝える。それで現場の士気が落ちて,大量離職につながる。

井部 看護の場合,ただでさえ不安な心境の新人が何か失敗したうえ,指導者から容赦ない注意をされると,“再起不能”になってしまうことがあります。臨地実習で,教員や指導者の言葉がトラウマとなる学生もいます。

急性期病院で働き続けるのは変な人?

井部 私は以前,「新人看護師の早期退職は,理不尽な苛酷さのアラームかもしれない」と書いたことがあります(註2)。勤務医の「立ち去り型サボタージュ」と最初は似ていると思ったのですが,こうして分析するとけっこう違う気がしますね。

小松 看護師は医師と文化が違っていて,おそろしく真面目な人が多いですよね。相手ではなく,自分ばかりを責めるタイプの人がいて,それもちょっと問題ではないでしょうか。

井部 開業する勤務医はそうではないのですか。

小松 違うと思います。自分を責めるがゆえに辞めるのではなくて,怒り心頭に発して,あるいは絶望して辞めてしまうほうが多い。

――医師は開業しますが,看護師は辞めてどこへ行くのでしょうか。

井部 しばらく看護の仕事に就かない人も多いです。海外旅行に行ったり,さすらったり(笑)。

小松 辞めて語学留学する看護師はかなりいますね。帰国したら現場に復帰する人も多いみたいですけど。

井部 高齢者施設に移ったり,地域のクリニックに勤めたりして戻ってくる人もいます。ただ,それは消えかかった炎がもう一度ワッと燃えるのではなくて,細々と燃える感じです。それはそれでいいのかもしれませんけど。

小松 そもそも,急性期病院で働き続ける人はけっこう変な人ですね(笑)。私も,自分ではそんなに元気なほうだとも勤勉なほうだとも思っていなかったのですが,毎日12時間以上働いて,休日も病院に出ている。これはやはり普通じゃない(笑)。

井部 たしかにそうですね。私たち看護師も,そういう医師が普通だとつい思ってしまうのですが。

小松 だから「それを人に求めるな」と,うちのワイフにしょっちゅう言われます(笑)。

井部 先ほどの「新人看護師の早期退職は,理不尽な苛酷さのアラーム」の前文でも書いたのですが,「看護師たちの生来の使命感である“患者のためという呪縛”によって看護サービスは成り立っている」と感じます。

小松 本当にそうだと思います。だけどそういう“呪縛”は,患者から無理なことを言われると簡単につぶれます。もうちょっと別な支え方,モチベーションと論理を立てておかないと。

■医療再生への活路を探る

責任を負うならば権限もある

井部 看護教育の中では,患者に尽くすことが絶対的価値のように教える傾向があるのですね。ちょっと自戒を込めて言っているのですけど。

小松 医師の場合は解剖学も生化学も,情緒がまったく入ってこないですからね。看護師が患者に尽くすこと自体悪いことではありませんが,しかし自分のことも考えないといけない。患者との距離感が必要です。

井部 私が看護大学に入った頃,講義の時に患者のことを語りながら涙する教授がいたんですね。“私は学問をしに来たのになぜ涙をこぼさなければいけないのか”と驚きました。非常に情緒的な世界なのだとわかりました。医師と看護師では習ってきた学問が違うのに協働しているから,誤解が生じるんでしょうね。

――医師が看護師とのストレスで辞めるかどうかわかりませんが,看護師は医師とのストレスで……。

井部 辞めます。

小松 辞めていると思います。看護師の立場が弱いんですね。いまはだいぶ変わってきましたが,昔はもっとひどかった。特に医療事故が起きた場合,看護師が当事者になることが多いですね。医師が処方を書き間違えてもどこかでチェックされて引っかかりますが,看護師のミスは直接事故につながる。しかもたびたび刑事事件になっています。今の司法と自分を責める看護文化の相性がよすぎる。簡単に有罪になります。刑事責任まで問われるのですから,医師が変なことをやったら問いただす権利が,看護師には当然あるわけです。

井部 疑義照会の義務は,薬剤師にはありますが看護師にはありません。異議を申し立てるにしても,勇気があって能力のある人でないとできないのが現状です。

小松 そこは院内で明文化すればいいわけです。責任を負うならば権限もあるのです。

井部 私もそう思います。その病院ごとの“憲法”みたいなものを決めればいいわけですね。

小松 医師も昔は傲慢なところがあって,「口を出すな」と平気で言う人がいました。医師だけで全部の責任が取れるわけがないのに,と私はずっと思っていました。虎の門病院では,「医師のための入院診療基本指針」を定めていますが,その中ではコメディカルの疑問に誠実に答える義務も明記しています。

虎の門病院「医師のための入院診療基本指針」

(原則)
1 (医師の責任)医師の医療上の判断は命令や強制ではなく,自らの知識と良心に基づく。したがって,医師の医療における言葉と行動には常に個人的責任を伴う。
2 (医療の質の向上)虎の門病院は時代時代の最良の医療を提供することを自らに課している。とくに,入院診療は病院における医療活動の根幹であり,入院診療の質を高く維持するために不断の努力が求められる。
3 (患者の権利と健康の尊重)診療に際し,患者の権利を損なうことのないよう細心の注意を払わなければならない。患者の人格を尊重し,患者個人の秘密を守り,患者の健康と安全を全てに優先させなければならない。
4 (診療行為とその正当化の手続き)医療は個々の診療行為とそれを正当なものにする手続きからなる。診療行為正当化の手続きとは,診療行為実施の前に,適切な手順で適切な内容の説明を行ない合意を得ること,また,実施後,結果と診療行為を通して得られた情報を患者に伝達して理解を得ることからなる。
5 (医療の不確実性)医療はしばしば身体に対する侵襲を伴う。人間の生命の複雑性と有限性,及び,各個人の多様性ゆえに,医療は本質的に不確実である。医療が有害になりうること,医療にできることには限界があることを常に自覚して謙虚な態度で診療にあたる。
6 (医療事故への対応)医療の安全性を高めるために最大限の努力をしても,医療事故は常に発生する可能性がある。発生した場合には責任を回避せずに誠実に対応する。決して虚偽の説明や,診療録への虚偽の記載をしてはならない。
その他,「コメディカルとの協調」,「診療方針の決定と変更」,「説明と同意」など75項目からなる。全文は虎の門病院ホームページに掲載(PDF)。

医師のための入院診療基本指針

井部 その「医師のための入院診療基本指針」ですが,どういった経緯で作成されたのですか。

小松 実は前任地でひどいことがあって,「大学の論理が走りすぎている,改革をしないと駄目だ」と痛感したのですね。それで上司と大喧嘩をしたり,いろいろな科の人に文句を言ったりしました。当時の学長には,外部の監査を受けるようにすること,内側で相互批判をできるようにすること,それともうひとつ,医師の行動指針をつくるように提案したのです。

 しかし大学での改革は実現せず,何年かして虎の門で一部実現しました。ちょうど医療機能評価機構の審査を受けることになり,「ケアプロセス」という診療についてのルール作成の責任者に私がなったのです。このマニュアルをつくるのに「これはいい立場だ」と思って,「医師のための入院診療基本指針」をつくりました。「医師のための」とついているのは,看護に関するものは別にあって,それは私の権限外だったからです。

井部 看護手順とか看護基準ですね。

小松 そうです。「入院」となったのも,外来は権限に入らないところだったからです。これをつくるのにすごく時間をかけました。まずは数人の部長に読んでもらって批判を受ける,また書き直しては批判を受ける。そのあとすぐに会議に出すのではなく,個別に意見を聞いて,賛否を問うようにしたのです。それで少しずつ了解を得ていって,部長会議での承認となりました。

井部 つくり始めてから,どのくらいで承認されたのですか。

小松 7か月です。

井部 非常に精力的にやられたわけですね。

小松 これは前任地の大学での経緯があって,本当は大学に必要と思われるようなことをずいぶん入れました。徹底したのは「説明責任を常に自覚すること」「透明性を高めること」です。

井部 この指針を読んで,「医師の謙虚さ」と,「虚偽は通用しない」という,この2つは本当にそこが出発点だな,と管理者として思いました。

小松 「虚偽は通用しない」というのは,3分の1は患者のためですが,3分の2は医療従事者のためです。いつ事故が起きるかわからない,危ない状況でみな医療を行っています。世の中に通用する論理でやっていないと何かがあった時にはひどい目に遭いますが,ある程度の線に沿っていれば社会に受け容れられるし,スタッフを守れるということです。

井部 そうですね。一般企業でも,何かを隠したり嘘をついたりすると徹底的にバッシングされますから。ときどき医療者は傲慢になったり,適当なことを言ったりしがちなので,これは教訓となりました。

 ただ,「医師も謙虚でなければいけない」とか「虚偽は通用しない」という抽象的な話だけでは通用しなくて,マニュアル的なところまで決めないと駄目なのでしょうか。「週1回カンファレンスをしなくてはいけない」とか書いてありますよね。マニュアル社会を連想してしまうのですが。

小松 私は週2回やって,入院・外来患者の全フィルムをカンファレンスでみています。大変なんですよ,週2回カンファレンスをやるのは。

井部 やっぱり奥さまがおっしゃるとおり,普通じゃない(笑)。虎の門病院の勤務医は,この指針によって守られていると感じていますか。

小松 どうですかねぇ。「嫌だなぁ」と思っている人が半分,「なるほど,こうしないといけないんだな」と思ってくれる人が3分の1,あとは「知らない」と……。いや,「知らない」という人が半分かなぁ。

井部 では,指針に拘束されているという感じはないわけですね。

小松 ないと思います。だけど,拘束感はなくてもいいんです。何か議論となった時に「指針では,以前からこう決まっている」ということでいいと思うのです。

井部 「この指針は病院がオーソライズしたもので,あなたたちを守ることにもなる」というメッセージがきちんと伝わると,効果的だと思います。

小松 そうですね。ですから,新人医師には全員に毎年1回,私が1時間半かけて講義しています。「医療はとても危険なものだから,医療従事者は自分の身も守らなければいけない。そのためには,論理的に正当なことをやらなければいけない」と,ここ数年ずっと言い続けています。

隠される“死”と“障害”

――おふたりとも,医療者と患者がオープンに「死」を語り合える場が必要だと書かれていますね(註3)。

小松 みな嫌がるけど,話しても別にどうってことはないです。80代の患者さんで,PSAが6.5ng/mLとちょっと高い人がいました。初期の前立腺がんというのは剖検をすると半分くらいの人にあって,がんで死ぬよりもほかの病気で死ぬ可能性が高い。そういう話をして,「検査なんかいいですよ。どうせがんはありますから」「遠からずお迎えは来ますから,今日を楽しんだほうがいいですよ」と話すと「いやぁ,安心しました」って言うんですよ,本当に(笑)。病気と闘わなきゃいけない,治る努力をするのが正しい生き方だと思わされていて,けっこう窮屈になっているんです。

井部 若い医師だと無理ですが,小松さんの年齢になると自然体で語れるんでしょうね。

 私は非常に印象的なことがあって,ある老人病院を見学した時のことですが,たまたま個室がなくて大部屋で亡くなった方がいたのです。そしたら,その側に顔なじみのお年寄りが来て,「○○さん,ご苦労さま」とお別れを告げていました。その病院の管理者は,大部屋で亡くなったことに罪悪感を持っていたのですが,私はその光景を見て,「死はタブーじゃない」と改めて認識しました。大部屋で昨日までいっしょに枕を並べていた人をあわてて個室に移して死亡宣告したり,死後の処置をしたりする必要はないと思いました。急性期医療の場では隠しますけど,高齢者施設などでは死は隠さなくてもいいのではないでしょうか。

小松 昔,死は日常茶飯事でした。障害者もそうです。私は田舎で育ったから,精神障害や認知症の人がそのへんを歩いていて,子どもとよく遊んでいました。

井部 高齢者も障害者も隠されて,巷にいなくなってしまったのですね。

小松 そうすると,死や障害をあってはいけないものと思い始めて,自分が直面した時に対応できないわけです。

医療崩壊という“Devil's Advocate”

井部 “Devil's Advocate”(註4)という言葉を使うならば,いま悪魔が「医療崩壊」と言っているのですが,実はこれは「医療再生」のチャンスとも考えられるのではないでしょうか。新しい医療体制に向かっていく転換期ですね。

小松 私もそう思います。逆に危機にあるだけに大改革ができる。私は,歴史に参加しているんだと,わくわくしながらさまざまな発言をしています。

井部 例えば,開業医が増えるならばそのクリニックをネットワーク化して,機能分化,地域連携を進める契機となりますね。

小松 大病院が外来をやめてしまってもいいのではないでしょうか。

井部 同感です。あまり悲観することはない。民は賢いですから。

(了)

註1:日本看護協会による「2006年病院における看護職員需給状況調査」では,2005年度の常勤看護職員離職率は12.3%,新卒看護職員が1年以内に辞める割合が9.3%。
註2:「看護のアジェンダ」第2回「辞める新人看護師たち」(週刊医学界新聞2005年2月28日号)より。
註3:「私は日本人の死生観がおかしくなっていると思っている。誰にも避けられない死を,意識のかなたに追いやらずに,正面から認識する必要がある」(『医療崩壊』262頁)「日常生活の延長としての看取りを行う特別養護老人ホームなどでは,死をタブーとして扱うのではなく大らかに語るのがよい」(「看護のアジェンダ」2006年12月11日号
註4:Devil's Advocate(悪魔の唱道者)。神学において,悪魔の立場から神の存在を否定することを言い続けるが,最終的には神の正しさを示す役割を果たす存在。転じて,議論を深めることをねらい故意に反対意見を言う人のこと。岩井克人氏(東大教授・経済学)が,井部氏との対談の中で用いた(対談「病院はこれからどうなるのか――信任復権のためのDevil's Advocate」週刊医学界新聞2005年9月19日号)。


小松秀樹氏(虎の門病院泌尿器科部長)
1974年東大医学部卒。同附属病院,東京都立駒込病院などを経て,83年より山梨医大助教授。99年より現職。2004年出版の『慈恵医大青戸病院事件――医療の構造と実践的論理』(日本経済評論社)では,臨床医の立場から日本の医療の問題点を提起。その続編とも言える『医療崩壊――「立ち去り型サボタージュ」とは何か』(朝日新聞社)は,福島県立大野病院産婦人科医逮捕と機を同じくして出版され大きな反響を呼んだ。

井部俊子氏(聖路加看護大学学長)
1969年聖路加看護大卒。聖路加国際病院勤務,日赤看護大講師などを経て,93年に聖路加国際病院看護部長・副院長。2003年より聖路加看護大教授(看護管理学),04年より学長に就任。現在,日本看護協会副会長,日本医療機能評価機構理事なども務める。著書に『マネジメントの魅力』(日本看護協会出版会),訳書に『患者の安全を守る――医療・看護の労働環境の変革』(日本評論社),『ベナー看護論 新訳版』(医学書院)など。

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