英国緩和ケア協議会の挑戦(前編)(加藤恒夫)
2020年目標で動き出した社会保障改革策としての緩和ケア
寄稿
2007.02.19
【寄稿】
英国緩和ケア協議会の挑戦(前編)2020年目標で動き出した
社会保障改革策としての緩和ケア
加藤恒夫(かとう内科並木通り診療所)
筆者は1998年以来,英国の緩和ケアの発展を現地訪問して継続的に観察している。2006年9月に10回目の訪英をし,激変とも言える英国緩和ケアの変化をインタビューと文献的考察によって調査した。
今回の訪英目的は,(1)英国緩和ケア協議会(National Council for Palliative Care: NCPC)の方針転換の調査,(2)同協議会主催の神経関連疾患の緩和ケアの方向性を検討する初カンファレンスへの出席,(3)Bristol大学の新しい緩和医療教育システムの視察,(4)ボランタリセクターMarie Curie Cancer Careの活動の変化の視察であった。そのうち,本稿(前編)では(1)に,後編(2724号)では(2)に焦点を当て報告する。
緩和ケアの衡平性の追求
──サッチャー政権の光と影
英国緩和ケア協議会(以下,協議会)の歴史については,本紙2452号(2001年9月10日)1)に記したのでここでは触れない(医学書院サイトあるいは筆者診療所サイトを参照2))。協議会は1991年の設立後より,この領域の専門家の援助を得てDiscussion PaperあるいはOccasional Paperと総称する,英国の緩和医療に関わる問題を先取りした種々の報告書を発行し,広く議論を喚起してきた。専門家の意見は幅広い領域に及び,それらの提案は英国医療政策に大きな影響を与えてきた。主な報告書を表1に年代順に掲げたが,そのうち2000年頃までに発行された報告書を読んで見えてくるのは,底流に流れる人種や疾患の壁を超えた衡平性3)の追求である。
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「緩和ケアはコストの抑制のために政府が意図的に進めているもの」との意見が聞かれる。今回の協議会訪問時,私も意図的にその種の意地悪な質問を正面から投げかけてみた。指導的役割を果たすLucy Sutton氏(後述)は,しばらく考えたうえで,「その目的は,コストではありません。Equity(衡平性)です。確かに今後,コストの問題は避けて通れないことではありますが」と応じた。
近年,急速に多民族化の道を歩みつつある英国では,言語と文化と宗教の相違ゆえのマイノリティの社会的立場の脆弱性がさまざまな面で問題となっているが,彼らはこれまで医療面でも適切な緩和ケアを享受できずにいた。協議会は1995年にその問題を報告書で指摘している4)。
また,死亡数の4分の1にしか過ぎない「がん」について,公的であれ私的(チャリティ)であれ,あまりにも多くの資源が偏って使われていることを大規模調査(Health Care Needs Assessment)により明らかにし,他の命を脅かす疾患に対して適切な緩和ケアを提供できる道を開くことができるよう,政策を変更すべきだと1998年に指摘している5)。
これらのさまざまな問題提起を含む報告書の刊行過程を通して生み出された議論は,その後の協議会と政府双方の活動と施策の方向性に大きな影響を与えることになった6)。
特記すべきは,上記の一連の報告書における「品質管理(Quality Assurance)」「自己監査(Audit)」や「実態調査(Needs Assessment)」などの手法が,1990年代初頭のサッチャー政権下での医療改革,すなわち,競争原理の導入と科学的根拠に基づく(Evidence-based)方針決定などの影響を強く受けていたことである。また,この時期,その後の英国におけるがん政策の基本的理念となるCalman-Hineレポート7)が提出されたのも,その背景にはホスピスが乱立ともとれるほどに増加し続けている状況がある(そのほとんどが非営利団体により地域における慈善事業として作られてきた)。その質の保証と緩和ケアの方針統一の必要性を示唆する協議会の意見に対する,政府側からの反応と考えられる8)が,行き過ぎた競争原理は,その後のブレア政権下で「パートナーシップ(福祉と医療の,そして非営利団体と政府との)」として方針変換された9)ものの,そのほかの実態調査や品質管理の手法は,政策決定の重要な手法として引き継がれている。
2020年までの目標
──緩和ケアの担い手をプライマリケアチームに
さらに,協議会の2001年以降に発行された報告書を読んでいくと,2000年まで10年をかけた長い議論の末に紡ぎ出されてきた「緩和ケアの本質」に立ち返る過程をめざしていることがわかる(「緩和ケアは命を脅かされる病気のすべての患者と家族のQOLを高めるための対処法である」WHO, 2002)。
また協議会は,これからの英国の緩和ケアを,単に医療のみでなく社会保障政策全体の変革として位置づけ,21世紀前半を射程に入れた20年という長期的視野に立った方向を鮮明に打ち出した。それは,高齢者人口の増加,団塊世代の退職と彼らの特徴であるライフスタイルの多様化などによる利用者本位の医療サービスの提供の必要性,あるいは労働力の減少から必然的に生じる移民の増加による多民族国家としての対応など,考察は人口動態から説き起こしており,幅は広く内容は行き届いている10)。
そして2004年6月,協議会は新しい対応策を政策規模として樹立可能とするために,いくつかの改革を行った。そのうち主要な3点を以下に紹介する。
1)名称の変更;「ホスピス」と「専門的」の削除
協議会の改革の第一過程は名称変更だった。旧協議会の名称「英国ホスピス・専門的緩和ケア協議会」の中の「専門的specialist」と「ホスピス」を取り除き,新名称を「英国緩和ケア協議会」としたことである。
名称変更予定の話は,筆者が2004年4月に協議会を訪問した際にすでにうかがっていたが,今回,先のLucy Sutton氏に名称変更の理由について改めて質問した。Sutton氏の見解は次の通りである。「ホスピスとは,緩和ケアの専門的な機関です。私たちが今行おうとしていることは,専門的な機関はそれとして残し,それ以外の,地域社会の中で医療と健康に携わる専門家(Health Professional)の中に,緩和ケアの技術を広めることです。今必要なのは,幅広い緩和ケアの手法を身につけた人たちの育成なのです。死のプロセスにある方のお世話をすることは,その人たちの日常的業務(everyday practice)なのですから」
また,コストについても尋ねてみた。「しかし,緩和ケアはとてもコストのかかるケアですね。それを広げていくことは,財政的に大きな負担を引き受けていくことになりませんか?」。これにも直ちに明確な答が返ってきた。「ホスピスとは専門的緩和ケアを指します。専門的緩和ケアにはとてもコストがかかります。しかし,プライマリケアのコストは安いのです」
この見解の中に,緩和ケアの今後の方向性が明確に語られている。緩和ケアの対象を拡張することが新協議会の任務であること,その担い手はプライマリケアチームであること,そして,そのための教育が今後の重要課題であること,である。
これらの新しい課題に取り組むために,組織の改革は必須のことだった。
2)組織改革の要点;Policy Steering Groupの創設
2004年6月,旧協議会は,過去の調査や議論から新たに見出された課題(前述)に対応すべく,組織改革を提案するドキュメントを刊行し広く議論を募った11)。その中心的課題がPolicy Steering Groupの創設である(ここで言うPolicyとは,「協議会の方針」として理解したほうが,次項の「政治への関与」と混同せず,わかりやすい)。ドキュメントから引用した同組織の要点は表2の通りである。
表2の中のPolicy Unitが,今回の組織改革の中心となる,いわゆる目玉の部門であり,その全体がPolicy Steering Groupである。この部門は理事長(CEO)直轄であり,協議会の中での自由度が高く,英国保健省をはじめとする協議会内外と広く連絡を取り合いながら重要事項の調整・検討を担当するのが特徴である。
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なお,筆者が今回いろいろとお世話になった先述のLucy Sutton氏は,このPolicy Unitの代表者である。
3)政策への影響力強化;下院委員会による挙党的な緩和ケア宣言案の採択
協議会の政治への関与として,2004年に画期的な出来事があった。「緩和ケアの宣言書」案(Palliative Care Manifesto)が議会に提出される見通しがついたことである。これは2004年5月に起草され,同年7月,The House of Commons(英国下院)のAll-Party House of Commons Health Committee Reportとしてまず採択された13)。
これによって,緩和ケアは英国のこれからの社会保障政策の柱の一つとして位置づけられる見通しがついたといえよう。表3に記したように,3箇条の基本理念と4項目の公約から構成されている緩和ケア宣言案は,協議会の2020年に向けた転換の動きに一段と弾みをつけるにちがいない。
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今回の協議会の改革を実際に目の当たりに検証し,英国の集団的問題解決の方法が,わが国のそれとは根本的に異なることを再認識した。戦略的・総合的・学際的・合理的かつ事実に基づいて物事を改革していく彼らの態度や手法から,われわれ日本の緩和ケア担当者が学ぶべきことは多いように思える。
(参考文献)
1)加藤恒夫「英国における緩和医療の軌跡と現状」週刊医学界新聞2452号(2001年9月10日)
2)医学書院サイト。かとう内科並木通り診療所サイトの「資料集」の項
3)蓼沼宏一「公共政策の評価の基準──効率性の改善と衡平性の改善」フィナンシャルレビュー,2000年4月(大蔵省・財政金融研究所)
4)Opening Doors: Improving Access to Hospice and Specialist Palliative Care Services by Members of the Black & Ethnic Minority Communities, Occasional Paper 7. Hill D/Penso D, National Council for Hospice and Specialist Palliative Care, Jan. 1995
5)Reaching Out: Specialist Palliative Care for Adult with Non-Malignant Diseases, Occasional Paper 14. Addington-Hall J, June 1998
6)The development of palliative care in national policy in England, 1986-2000; Allison, M. et al, Palliative Medicine, 17; 270-282, 2003
7)A policy framework for commissioning cancer services, Expert Advisory Group on Cancer, Department of Health, 1995
8)Reflections on Palliative Care; Clark. D, Open Univ. Press, 1999
9)イギリス医療関連データ集 2004年版 イギリス医療保障制度に関する研究会編 医療経済研究機構 2005
10)20:20 Vision-The Shape of the Future of Palliative Care, National Council for Palliative Care, Jan. 2005
11)Proposals on the Future Direction and Role of the National Council, National Council for Hospice and Specialist Palliative Care, June 2004
12)Improving Supportive and Palliative Care for Adults with Cancer, National Institute for Clinical Excellence, 2004
13)Palliative Care Manifesto; information exchange, National Council for Palliative Care, Feb. 2005
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