(春日武彦)
連載
2007.01.15
(前回2710号)
Q 患者の病状説明のために家族を診察室へ呼び出したところ,小学生のお子さんがついてきました。この子が,実に行儀が悪い。発達障害というわけではなさそうで,単に躾がなっていない。子も子なら親も親で,それをまったく平然と放置していました。というより,親も負けず劣らず行儀が悪く,とにかく常識を欠いておりました。きちんと指摘するか,あるいは皮肉でも言ってやろうかと思ったのですが,結局は淡々と説明を終えました。春日先生ならああいった人たちに向かって何か痛烈なことでも言うのではと思い,筆をとった次第です。(32歳・内科医・病院勤務)
小言の権利
A 私は医者になって最初の6年間,産婦人科医をしていました。見切りをつけて精神科へ転向したのにはいくつかの理由がありますが,最大の理由は,自分に寛容さが足りないことに気づいたからです。あなたが出会ったような人々が,これから新たな生命をこの世に送り出すという立場で私の前に登場する。ああ,この人が赤ん坊を育て躾をしていくのだなと思うと,よほど幸運に恵まれない限り,まっとうな人間――少なくとも礼節を弁え,誠実さを備え,せめて他人に迷惑を掛けずに生きていく人間に育っていく確率は低いだろうなと妄想し,つい溜め息をつきたくなってしまう。
なるほどそれは私の勝手な思い込みかもしれないし,余計なお世話かもしれないし,じゃあお前は何様だといった話になるでしょう。それはその通りです。しかしそれでもなお,わたしは相手の妊娠を手放しで祝えない。いや,あなたが出会ったような人々が増えていきかねない可能性を考えただけで,ある種の恐怖感を覚えるのです。
だからといって相手に説教をしてどうにかなるものでもない。嫌味を言っても向こうは気づかないか,さもなければ逆恨みをされてこちらが痛い目を見る。まあ子どもの将来は未知数といえばまさにその通りなので,余計な想像など巡らせずに医療行為に誠意を尽くすのがベストであります。そんなことは承知している。それなのに,やはり私は肯定的な気持ちになれなかったのですね。だから自分は産婦人科医には向いていない。楽天的で性善説を信奉する性格からは程遠いし,寛容性に欠けるのでは,この仕事を生涯にわたってこなしていくのは辛いと判断したのです。
といった次第で,私はあなたのような場面に遭遇しても一応は淡々とした態度を保つでしょうが,内心では舌打ちをしています。仕事以外で関わりあうことがないように祈ります。こんな人々が大手を振っている世の中にうんざりします。自分が死んだら,決して人間には生まれ変わりたくないとも思っています。つまり人間嫌いなわけで,しかし好奇心はあるので精神科医を続けています。人間バンザイ! みたいな人が必ずしも治療者としてよい働きができるとは限らないとも考えていますし。
という次第で,今のところ私は非常識な人や行儀の悪い人に向かってあえて何も言わないわけですが,これは自分の年齢とも関係があります。早い話,日野原先生が「あんた,もうちょっと行儀よくしなさいよ」と穏やかに諭したら,たぶん逆ギレする人はいないでしょう。それどころか,ちゃんと耳を傾けてくれる可能性も高そうです。そういった点で,当方はまだ枯れていない。だから余計なことを言うとトラブルになりかねない。あっという間に月日は過ぎ去っていきます。小言は一世紀近く生きてから口にしたほうが賢明だと思います。
(次回につづく)
春日武彦
1951年京都生まれ。日医大卒。産婦人科勤務の後,精神科医となり,精神保健福祉センター,都立松沢病院などを経て現職。『援助者必携 はじめての精神科』『病んだ家族,散乱した室内』(ともに医学書院)など著書多数。
この記事の連載
カスガ先生の答えのない悩み相談室(終了)
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