医学界新聞

 

看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第10回〉
ぬくもり

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

救命救急センターの朝

 机の上に,切り取っておいた新聞記事がある。2005年7月8日朝日新聞「声」欄に載ったものである。筆者は無職,匿名,東京都,27歳と記されている。以下全文である。


 「僕らが生かすんじゃない,患者さんが生きようとするんです。その頑張る顔を見るたびに,幸せで満たされるんです」。救命救急センターで,24歳の看護師からこぼれ出た言葉だ。

 自殺未遂して運ばれた私には,暗闇を溶かす「光」だった。事故や自殺の対応に慣れた人間味の薄い人たちだと思っていたのが,恥ずかしくてならない。

 「自殺に失敗したわけですね。どんな気分ですか」。看護師はさらりと言ってのけた。まるで朝が来たから「おはよう」というように,あっけらかんとしたものだったが,ぬくもりがあった。

 私は押し黙った,不愉快だったからではない。そもそも,私はなぜ自殺しようとしたのだろうか…。

 彼は私の答えを待たず,首に巻かれた包帯を取り換え,検温を終えるとカーテンを閉めて出ていった。

 私は,彼の問いかけからまだ逃げ続けているが,生きることには価値があると気づいた。生きていて幸せだ。自分でつくった首の傷は残るだろうが,人生を飾るさし絵と考えたい。

 彼は自らの職業について「この仕事しかない」と語っていた。私もそう思えるような目標を探している。


 夜が明けて朝日がさし込み始めた病院の救命救急センターの状況が想像される。24歳の若い男性看護師が,27歳の患者の首の包帯交換をし検温をする。その時に交わされた会話が秀逸である。看護師は“まるで朝が来たから「おはよう」というように,あっけらかんと”問いかける。「自殺に失敗したわけですね。どんな気分ですか」と。しかも,患者に“ぬくもり”を感じさせているのである。これで看護師の問いかけが,決して口先だけで片手間に行っているのではないことが伝わる。

 看護師は包帯交換をしたり検温したりしているが,心はきちんと患者と向き合っている。そうした誠実さが患者への関心の強さとなって両者の間に“暗闇を溶かす「光」”が伝幡される。さらに「光」は「ぬくもり」と変わる。こうして患者は“生きることには価値がある”と気づくのである。

人生の価値を伝える若いナース

 看護師は,「自殺に失敗したわけですね。どんな気分ですか」という語りかけを,人間のぬくもりとともに相手に伝えることができるようになるために修養するのである。包帯交換をすること,検温することといった看護技術についても理論と技能を熟練させていかねばならない。救命救急センターの夜は忙しく,肉体的な疲労を自らコントロールしたうえで,さわやかに「おはよう」と言う。そうやって,人生の価値を問う行為を日常的に行う。

 他方,患者の生きようとして頑張る顔を見るという機会を与えられて,看護師は“幸せで満たされる”という体験をし,こうしたくり返しによって,自らの職業にコミットしていくのである。看護師は,“事故や自殺の対応に慣れた人間味の薄い人たち”ではないことを,匿名さんはわかったといっている。

 このような偉大な仕事を気負うことなく行っている臨床ナースたちに,エールを送りたい。

次回につづく