医学界新聞

 

看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第8回〉
管理責任をとるということ

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 「9時55分に訪室した看護師が心肺停止状態の患者を発見し,すぐ心肺蘇生が行われたが同日10時50分に死亡した」

 すべてがここから始まった。

 患者に接続されているはずの人工呼吸器がテスト肺に接続されていたため警告音がならず,1時間以上経過していたのであった。家族の反対を説得して警察に届けた病院にはすぐさま7名の刑事が入り,資料の押収と職員の事情聴取が始まった。

 「それは本当に非人道的な捜査でした」と,講師であるI副院長(看護師)は声を強めた。「医療事故の概要とその取り組み」と題した1時間の講演に聴衆は引き込まれ,すすり泣く人もあった。

職員の送検に「救済できるまで戦う」決意

 その日から10か月後,吸引のためテスト肺に回路を接続したままにしていたのは付き添い者であったことが捜査で確認された。結局,看護師3名,病棟師長,主任看護師,主治医,付き添い者の7名が送検された。

 I副院長は,再発予防のための緊急指令を出すとともに,関係者の事情聴取に対応した。さらに,個人救済のため看護部で弁護士を依頼するためのカンパ運動を開始した。

 I副院長は,過酷な事情聴取が3時間以上に及ぶことを避けるため,警察に行く際は必ず関係者から報告を受け,3時間を経過したら彼女が警察に電話をして,もう帰してほしいと伝えることを怠らなかった。取調べの内容はもちろんのこと,取調べ官の表情,言葉,語尾にいたるまでどのような状況であったかを問うた。この事態は,一貫して,管理責任だと主張し続けた。

 弁護士の選定,とりわけ弁護士費用の調達には困難をきわめたが,同僚を「救済できるまで戦う」ことにした。弁護のために必要な資料を作成しなければならないことを,弁護士から指導された。証拠として押収されたカルテがないため,これもまた困難をきわめた。

遺族に泣いて土下座した院長の誠意

 遺族からの嘆願書も必要であった。弁護士の依頼の際も同行し,カンパにもポケットマネーを出して協力してくれたK院長は,遺族の家にも同行してくれた。遺族全員が集まった席上では,病院に対して厳しい発言もあり,交渉は6時間に及んだ。

 I副院長が,これでは嘆願書をもらうのは無理だと判断した時,傍らにいた院長が土下座して泣きながら頭を下げた。そして,この事故は明らかに管理責任であること,業務上過失致死や保助看法違反などで前途ある若い看護師たちをだめにすることは断じてできないことを訴えた。すると,それまで嘆願書の記述をためらっていた遺族全員が変わり,嘆願書を準備することができた。

 I副院長にとってもっとも長く疲れた一日が終わり,病院に戻って自室の椅子に腰掛けると涙があふれたという。

 この医療事故は,1年半後,「嫌疑はあるが起訴の必要はない」と判断され,送検された7名全員が不起訴処分となった。遺族が7名の処分を望んでいないこと,遺族と病院との間で示談が成立していること,病院が再発防止策を徹底していることがその理由であった。


 I副院長の話には,K院長が頻回に登場し,院長が終始一貫してサポートしてくれたことが伝わってきた。

 私は今から約5年前の年末にお会いしたK先生を思い起こしていた。当時,病院長を引き受けるかどうか逡巡していた彼は,その時の心境を私に語り帰って行った。面談のお礼のメールには「私のここ数年の悩みと病院の将来を思う気持ちを愚痴ってしまいましたが,先生との会話で心を取り囲んでいた霧がさっと晴れたようで爽快な気持ちになりました。(中略)私も長として与えられる職務を受理し,明確な戦略を構築できれば,その熱き血が下部組織まで流れるという精神的なエネルギーをいただきました」としたためてあった。

 発生した医療事故に対して管理責任をとるとはどのようなことかをK院長とI副院長は身をもって示してくれた。そこには人間の潔さと誇りが感じられた。彼の決断をあと押ししたことが間違いではなかったと確信できたことも,密やかな私の誇りとなった。

 今や,彼の病院は看護師にとってマグネット病院になりつつあると聞いている。

次回につづく