感染症新時代を追う | 特別報告 |
香港におけるSARS調査の経験(1)調査のはじまり,P病院院内感染事例 | |
砂川富正(国立感染症研究所感染症情報センター) |
(前回2525号)
プロローグ
今年は年明けからなぜか感染症危機管理に関する講演の依頼が多かった。「感染症の集団発生時には当面の対応に加え,感染源・感染経路を追及する実地疫学調査が重要であり,不明疾患のアウトブレイクに対しても時には有効である……」全国各地を回ってそのような話をしながら,心の片隅から決して離れない1つのニュースがあった。「中国南部・広東省で原因不明の非定型性肺炎が多発」このニュースが最初に流れてきたのは,昨年秋,すなわち2002年11月頃である。マイコプラズマ肺炎? クラミジア肺炎? 噂を含むさまざまな情報が流れてくる中で,もっとも懸念されたのが新型インフルエンザであったが,どうもインフルエンザではないという。そして,ハノイ(ベトナム),ほどなく香港で,非定型性肺炎が医療関係者の間でそれぞれ40名以上において院内感染として発生したとの情報が飛び込んできたのは3月の第2週の頃である。感染症情報センターにもにわかに緊張感がみなぎった。
3月16日,大阪府堺市で講演を終えた筆者のもとに,ある知らせが届いた。「WHO(WPRO:WHO西太平洋地域事務局)との協議により,国立感染症研究所感染症情報センターから1名の職員を派遣することとなった。成田空港を翌日17日の午前9時台(!)に出発せよ」堺の友人との会食が吹っ飛んだ。
不安の空気が漂いはじめた香港
3月17日,ややもうろうとしながら到着した香港では,当時よりすでに,空港や町中で出会う多くの人々がマスクを着けはじめていた。しかしまだ,それほど切迫した雰囲気は感じられなかったものだ。3月18日より,筆者の香港における活動が実質的にはじまった。この頃の香港における患者数は,3月19日の報道発表を参照すると約150名ほどである。WHO香港チームは筆者が合流時に計6名,米国CDCなどからの一流の疫学者ばかりで,エネルギッシュな会話に充ち満ちていた。
香港衛生署(厚生省と同義)の建物の1つに部屋をあてがわれていたが,ときどき連れ立って,階下のコーヒーショップへ行くことがあった。この頃はまだ,店員たちの,マスクなしのにこやかな素顔を見ることができた。しかし1週間ほど後には,街中の人々がマスクと消毒剤を買いに薬局に走りはじめ,その店でも,店員のマスク着用が義務づけられた。滞在中,再びにこやかな口元を見ることはなかったのである。不安はすぐそこに来ていた。
はじまりはどこから
ここで,初期の世界の動きについてまとめてみる。ハノイおよび香港におけるそれぞれの肺炎の集団発生の発端患者(index case)について,まず上海,香港,ハノイと旅行した男性がハノイで肺炎を発症し,男性は香港に搬送された後に死亡した。次に香港では,中国本土からの旅行者がきっかけとなり,P病院における医療関係者を中心に同様の肺炎患者が多発したのである。インフルエンザウイルスに関する検査結果は,いずれも病因としてそれでは説明のできないものであった。WHOは,これらのアウトブレイクを,複数の国・地域で発生している広域の発生であること,航空機を利用した旅行中の感染伝播が発生していること,病原体が不明であること,死亡を含む重症例が存在すること,臨床および公衆衛生におけるインパクトが大きいことなどを理由として,世界的な問題として認識した。その結果取られた行動が3月12日のGlobal Alert(世界的な警報)という形となり,3月14日にはシンガポールから,15日にはカナダおよびドイツから相次いで患者が発見されたのであった。3月15日,WHOは,この疾病を重症急性呼吸器症候群,すなわちSARS(Severe Acute Respiratory Syndrome)と名づけた。
どのような調査に関わったか
WHO香港チームの中で筆者が加わったSARSに関する調査は,初発の院内感染事例となったP病院からはじまった。その内容は,P病院におけるアウトブレイクの疫学的記述の実施(具体的には流行曲線の作成),初期段階での臨床像のまとめ,視察による院内感染防止策の提言,そして感染のリスク要因に関する疫学的調査案作りへの参加,などであった。それぞれの作業はすべてエキサイティングではあったが,情報交換の輪に国際チームがいかにして入っていくか,という点は容易ではないと感じられた。
さて,P病院における発端患者(Index case)であるC氏は,26歳の技術職男性であり,2003年2月24日,発熱・咳をもって発症した。3月4日にP病院に入院しているが,Atypical Pneumonia(AP),すなわち非典型肺炎の診断名がついている。香港では,現在に至ってもSARSをAPもしくは非典型肺炎(異型肺炎も同義)と呼ぶことが多い。
Super spreaderの存在
このC氏の場合,後にP病院の医療関係者を中心として100名以上の者に感染を波及させたことがわかっている。すっかり日本においても有名になってしまったが,このように周囲に多くの感染を引き起こす患者を,3月下旬頃より「Super spreader」もしくは「Hyper transmitter」と呼ぶようになっていた。患者自身の要因,感染が発生した物理的環境,ウイルスの量などが重なり合った結果かもしれない。具体的には,経験した事例のみからの印象であるが,病日が進んだ,ウイルスを多く含む咳(場合によっては下痢)が頻回に生じているSARS患者が,偶然に密室や,患者として多くの処置を受ける必要のある状態に置かれた場合に,そのような病態を発生させているのではないかと考えている。香港において,最も有名な最初の「Super spreader」に不幸にもなってしまったのは,中国本土(この場合広東省)から親戚の結婚式に出席するために香港を訪れたある大学教授であった。2月下旬,彼は肺炎の症状を呈しつつ,ホテルMの9階に滞在した。たまたまその頃同ホテルの9階に宿泊した複数の外国人が,カナダ,米国,シンガポール,ドイツなどへ感染を伝播させることになった。3月26日現在,249名の患者発生が,その大学教授より追跡することができたとされている。曝露があったと思われる者の中に,ホテルMに宿泊していた友人を訪ねてきたC氏の名前があった。
筆者はこのホテルにおける感染伝播に関する調査には携わってない。彼らのどこで接点があったのかは不明である。後に大学教授は香港で死亡し,C氏は回復傾向となっている。
流行曲線の示唆するもの,症状,致死率
筆者らは,P病院におけるアウトブレイク解析のために以下のような症例定義を設定した。すなわち,「38.0℃以上の発熱」「非典型肺炎(AP)として合致する胸部レントゲン(CXR)上の所見」「他の可能性のある病因を否定できる(インフルエンザなど),もしくは不明」などである。P病院におけるアウトブレイク解析において,これらの定義にしたがって描かれた流行曲線(Epi-curve)がシャープな一峰性の山を描いたことから,ポイント・ソース(単一曝露)として合致するものと考えられた。すなわち,C氏が入院した3月4日に曝露を受けた実習中の医学生を含む医療関係者が,3月9-10日を中心に,一斉に発症したものと考えられたのである。潜伏期間の推定はこの事例では2-7日であった。臨床症状や治療,予後などの現状における詳細については,いくつかの医療機関などによりすでに論文などで報告されている内容を参考にしていただきたい。筆者らの経験によっても発熱,悪寒,全身倦怠感については高率に認められたものの,咳は半数を上回る程度にとどまった。下痢について,次回に述べるアモイガーデンの事例では半数以上に認められたが,P病院や多くの事例については10%台程度であったことは特徴的である。WHOは,5月7日に致死率に関する最新の推定値を報告したが,それによると全体で14-15%,24歳以下では1%未満,25歳-44歳では6%,45歳-64歳では15%,65歳以上では50%以上という結果となっている。年代によって大きく異なる。P病院に加え,アモイガーデンの事例でも,小児患者(発症者)自体の数が少ないことはSARSの大きな特徴である。香港でも当初,小学校等における患者の集団発生が強く懸念されたが,それが起こらなかったことは不幸中の幸いであった。
P病院での院内感染対策の視察
3月26日,筆者は米国CDCより派遣された専門家とともに院内感染対策の状況を視察する機会を得た。SARS患者の重症患者が収容されているICU,軽症からやや軽症の患者が入院している2つの病棟に実際に出向き,患者とも声を交わした。筆者の装備は,N95マスク,手袋,ガウン,シューカバー,ヘッドカバー(ゴーグルは無し。これは反省すべき点であった)である。その結果,いくつかのことがわかり,P病院の院内感染対策に関する予備的な提言を以下のように行なった。
(1)病原体伝播防止についてのトレーニングを強化する。
(2)病棟へのスタッフの割り当てを必要最小限にする。
(3)病棟内にて勤務中の(ガウン等を着用した)スタッフと勤務外のスタッフとの偶然の接触を最小限にする。
(4)訪問者を最小限にする。
(5)器具等の散乱を避け,環境における汚染をできるだけ減らす方策を取る。
(6)Air handlingに対しての推奨は特に行なわない。
(1)については,視察当時,院内感染対策に関するトレーニングが行なわれているはずだった。しかし,患者自身には触れないが,患者のベッド周りの世話をするスタッフの中で,素手の者が認められた。標準予防策に加え,飛沫感染予防策,接触感染予防策の習熟および徹底が強く望まれた(表)。
(3)については,病棟内に小ロッカーのような構造があり,ガウンを着ている者と,これからガウンを着る者とが混在する可能性が観察された。もともとの病棟の構造,および習慣に由来する問題であろうと思われる。ここでも予防策の徹底,動線の意識,入室時のチェックが強く望まれる。
空調に関しては,この病院には陰圧室はなかった。すでに病棟では空調を止めて,窓を開け放っている状況があり,そよ風のような空気の流れが感じられた。ハノイ(ベトナム)のSARS患者収容病院においては,当初より窓を開放する体制にしていたと聞いた。常時窓を開放にして換気を行なうことが病院周辺の感染拡大のリスクにはつながらないであろう,と視察グループの中で話し合った。
また,C氏が入院した病棟において,C氏のベッド位置を確認したが,40数床ほどの病棟の中で,C氏のベッドは部屋の隅の近いところに位置していた。ベッド間の間隔は約1メートルであった。病棟はいわば1つの大部屋のようなもので,C氏が当初治療を受けたベッドに近い位置より病棟全体を見渡したところで,これが麻疹(のような空気感染)であれば,もっと感染は拡大して起こっているのではないか,との印象を持った。入院患者などにおけるSARS感染者はC氏のベッド側に偏って発生していることが予想されたからだ。その仮説に関しては,今現在も解析が進行中である。
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表 | 病院における隔離予防策のCDCガイドライン一覧表
(出典:「病院における隔離予防策のためのCDC最新ガイドライン」メディカ出版) |
(次回に続く)