医学界新聞

 

Vol.17 No.6 for Students & Residents

医学生・研修医版 2002. Jun

座談会

医者になること/医者であること

-『医者が心をひらくとき A Piece of My Mind』を読む

八藤英典さん
名古屋市立大学医学部卒/
日鋼記念病院 
北海道家庭医療学センター・
ジュニアレジデント
李 啓充氏
医師/作家・
ボストン在住
山本万希子さん
市立舞鶴市民病院・
研修医2年
山本舜悟さん
京都大学医学部卒/
麻生飯塚病院・
研修医1年


 20年以上にわたり世界中の医療者に愛されているJAMA(米国医師会誌)の名物コラム「A Piece of My Mind」の傑作選が出版された。同コラムに掲載されるエッセイは,医師(時に,医師の家族や患者など)たちの心の告白であり,どれも印象深い臨床的体験が綴られている。多数の投稿原稿から厳選されているコラムだけに,その傑作選ともなれば,まさに「珠玉の名エッセイ集」である。読む者は,医師たちの心の震えに共鳴し,「医とは何か?」「医者であるとはどういうことか?」を考えざるを得ない。
 本紙では,この感動のエッセイ集を手がかりに本座談会を企画,特に臨床実習や臨床研修の中で,患者さんと直接接しながら,日々悩み,学んでいる医学生・研修医の方にお集まりいただいた。司会は,『アメリカ医療の光と影』(医学書院)などの著作で知られ,本書の邦訳〔邦題『医者が心をひらくとき』(上・下巻,医学書院より本年8月発行予定)〕に取り組む李啓充氏にお願いした。なお,本座談会は昨年10月,ボストン在住の李氏の来日時に収録したもので,当時,出席者の山本万希子さんは研修医1年,八藤英典さんと山本舜悟さんはともに医学部6年生であった。(関連記事を13面に掲載)
 *JAMA(The Journal of American Medical Association)は,米国医師会の発行する総合医学雑誌。1883年に創刊され,120年の歴史と伝統を誇る,世界で最も権威ある医学雑誌の1つ。全世界で35万人の読者を得ている。


■感動のエッセイ集が登場

李<司会> 本日は,「A Piece of My Mind」という1冊の本を手がかりに,「医療というもの」,「医者であるということ」など,根本的な問題をみなさんとお話したいと思います。まず,本書の題名から説明させていただきますと,英語のイディオムで「give a person a piece of one's mind」という言い方があります。「心のうちを開く」「本当に思っていたことを打ち明ける」という意味ですが,「A Piece of My Mind」という原題はそのイディオムからとったものです。8月上旬に刊行予定の日本語版では,『医者が心をひらくとき』というタイトルを予定しています。
 「A Piece of My Mind」は,もともと「JAMA」という雑誌の連載コラムで,医師,時に医師の家族,患者,看護師などが,本音を綴るというエッセイシリーズです。その傑作100選が2000年末に出版されましたが,読んでみて,非常に感動しました。感動の余韻がいつまでも頭の中で鳴り響きまして,とうとうこんなにすばらしい本を日本に紹介しない手はないと思うようになってしまったわけです。本当は翻訳は嫌いなのですが,怠け者の体に鞭打ちまして,1年がかりで翻訳に取り組んでいます。今回皆さんにお読みいただいたのは,その前半部分です。これを手がかりに,いろいろなことを話し合ってみたいと思います。
 まず,みなさんの印象に残ったエッセイをご紹介いただけますか。

自分の考えを患者に押しつけてはいけない

八藤 すばらしい作品はたくさんありましたが,僕は「道」というエッセイが特に印象的でした。臨床実習が始まった当初,僕は患者さんが煙草を吸っていることがすごく腹立たしかったのです。自分自身,煙草が嫌いですし,体に悪いというのは十分にわかっているので,どうしても止めてほしいという思いを持っていました。しかし,ある時,「煙草を吸うことで喜びを感じている」と患者さんがとても幸せそうな笑顔でお話ししてくださったことがあったのです。それを転機に,医療者側の考えを当てはめるのではなくて,患者さんの思いを聞いてそれが実現できるように手助けをすることが自分のやりたい医療なのではないかなと思い始めたのです。「道」という作品は,そんな自分の経験と響き合うところがあり,印象に残りました。
 この作品のあらすじを説明しますと,ずっと寝たきりだった患者さんに,デイリー・アクティビティを上げていただくような苦労をして,ようやくその患者さんが外に出ることができるまでにもっていったインターンの話です。ところが,患者さんは外に出たとたんに何をしたかというと,「煙草を吸った」ということで,そのインターンがショックを受けます。けれども医者の仕事というのは,自分の価値観を患者に押しつけることではなくて,患者さんがいろいろな道を選ぶことができるようにすることだと,インターンは考えます。寝たきりの状態では,何の選択もできないわけで,その人が外に出ていけるように,そして自分の好きなことができるようにすることが医者の仕事ではないかと考えた話です。
 医者の仕事は決して自分の価値観を患者に押しつける仕事ではありません。ところが昔の医療というのはパターナリズムで,医者の価値観に患者を従わせる考え方が主流だったわけです。それに対する反省が米国では強く,例えば患者さんに「禁煙しなければダメじゃないか」という言い方はしません。「煙草をやめることに興味を持たれたことはありますか」というように,善悪の価値観を患者さんに押しつけないような言い方をします。これはインフォームドコンセントの原則でもあります。この作品では,インターン時代に受けたショックと,そのあとの反省とがよく書かれています。

生きているその人のことを考える

山本(舜) 僕が選んだ1作は「引き裂かれた花柄のブラウス」です。内科のインターンローテーション中にコードブルー(心肺停止の患者が搬入されたことを告げる連絡)が入り,駆けつける。結局その患者さんは助からなかったのですが,心臓マッサージの際に着ていた花柄の模様のブラウスを切られてしまう。それだけがその人が生きて,元気だった証のようだった……。
 そうですね。救急で運ばれて初めて見る患者さんで,言わば死んだ状態で運ばれてきて,蘇生処置が行なわれる。チームとしてテキパキと蘇生処置を進めていくのですが,蘇生処置の前段階として,着ていた服をはさみで切ってしまう。その切れ端を見て「あ,この人は生きていた人だったのだ。いろいろな人生があったのだ。家族もいるのだ」ということを,ハッと思うわけですね。蘇生処置というのは楽しい仕事ではありませんけれども,救急の現場では,時として患者さんが物のように扱われることがあるのです。見知らぬ人の蘇生処置ということで,なかなかその人に感情移入とかするようなことはないのですが,切り裂かれたブラウスを見て,患者さん,人間としての患者さんに思いをいたしたという話ですね。

■医者という仕事の意味

山本(舜) 僕が最初に患者さんが亡くなる瞬間に遭遇したのは,カナダのトロントに心臓外科を見学に行った時でした。同じようにコードブルーがあり,周りの人々は駆け出したので,訳もわからず僕もついて行きました。結局,その人も助からなかったのですが,その場面に立ち会い,ある種のショックを受けました。それまで,人が亡くなる瞬間に立ち会ったことがなかったので,医者という仕事の重さを感じたのです。
 ところが,先月市中病院で1か月実習をさせていただいた時のことです。救急センターの実習では,心肺停止の人が来たら,蘇生チームに加わり,心臓マッサージをさせていただいていました。繰り返しているうちに,初めて患者さんが亡くなった瞬間に覚えた感覚はだんだん麻痺していき,運ばれてくる患者さんはただ心臓マッサージをする対象になっていました。しかしある時,ほとんど手遅れの状態で運ばれてきた方がいました。しばらくして家族の方がいらして,泣き叫びながら「起きて,起きてよ」と,何度も何度も呼びかけ,患者さんによりすがっていらっしゃいました。その姿を見ていると,まるでその人が元気だった時の姿が自分の中に流れこんできたような感じがしました。「あ,この人はほんの数時間前までは元気で,すごく家族にもやさしくて,そういう人だったのだな」と思ったのです。そんな経験もあり,僕にはこの作品が印象深く感じました。
山本(万) 私も,どの作品も感銘深かったのですが,「思いやり」という作品が特に印象に残りました。
 ケリーという医学生が出てくる話ですね。患者さんにとても思いやりのある医学生で,例えば,呼吸不全の患者さんが挿管される時にずっと手を握ってあげて,これから何の処置が行なわれるかを説明しながら励ましていく。ある時,ケリーが受け持ったこともあるシーラという女性のご主人で同じ病院のICUの看護師を務めるマイケルが,ケリーが患者と接する姿に感動して,「いちばん大切なことを自分は忘れていた。ケリーの姿は自分たちがやっている仕事の意味を思い出させてくれた」と,涙ながらに語るという話です。

大学で学ぶ医学だけでは,実際の医療をすることはできない

山本(万) それが非常に印象に残った理由といいますのは,研修医1年目が始まると主治医というかたちで患者さんを持つのですけれども,医学知識的にはほとんど学生時代と変わらず,自分が何かを決めることなどできないわけです。それでも主治医として毎日患者さんのところに行くわけです。患者さんの「これが痛い」,「これが苦しい」という訴えがあって,それに対して自分は何も対処のプランを立ててあげることができないということに,最初,すごく不安があったのです。
 とにかく,患者さんの言うことは1つも聞き漏らさないようにしようと思って,足しげく通って,たくさん話を聞くだけだったんです。人によっては1時間ぐらいも……(笑)。「これで私は医療をやっているのだろうか」と思ったりもしたのですが,実はそれが非常に喜ばれていたということが,後からわかったのです。上の先生にも言われたのですが,「医者には1年目,3年目,5年目といろいろな医者がいて,それぞれの立場で患者さんのそばへの立ち方がある」と。患者さんのそばで話を聞くだけというのも十分な立ち方であって,それで実際,患者さんがすごく喜んでくれていた。医学という大学で勉強してきたことと,実際の医療というのとは違うというか,医学だけではないのだなということをすごく感じました。

たとえ治せなくても,医療にはできることがある

 医学とは時として無力です。例えば,治しようのない病気の患者さんもいます。その方のケアにもあたらなければならない。私がいちばん最初に,最期まで看取った患者さんは悪性腫瘍の患者さんでした。オーベン(指導医)がいわゆるムンテラ(家族への説明)をするのを横で聞きました。当時は告知ということをしていない時代でしたので,患者さんの奥さまに説明するのです。「あと1月の命です」と告げると,奥さまがワッと泣き出して,私も一緒に泣いてしまったのですが,ムンテラのあと,そのオーベンから予後というのは重めに言っておくものだと教わりました。もしも軽めに言って,それより早く死んでしまったら家族に恨まれるかもしれないからというのです。
 いまから思うと,正しくない姿勢だということがよくわかります。医者はパワーゲームをしてはいけません。患者さんや家族に極度の恐怖感を与えて,自分の思うようにケアを進めようとするようなパワーゲームをしてはいけないのです。正確なところはわからないわけですから,「わからない」と言わなければいけません。わからないのに「あと1月の命です」と重めに断言するという姿勢は,本当は正しくないのです。
 その患者さんは,入院直前に家の改築を始めていました。ずっと入院していらして,一度も家に戻らないまま,改築が終わって,「家に帰ってみたいのだけれども,大丈夫だろうか」と不安げにおっしゃったのです。オーベンが「大丈夫だよ。僕たちが一緒に行くから」と車を運転しまして,私もついていったのです。改築後の家に着くと,親戚のみなさんが待っている。酒盛りが始まるわけです。もともと肝臓への転移による黄疸で入ってこられた人なので本当はお酒など勧められる状態ではありませんでした。その患者さんが「先生,飲んでもいいかな」と訊くので,「病院ではないからいいよ」と(笑)。嬉しそうにビールを口にした姿が今でも忘れられませんが,その患者さんはその日の晩に病院に戻ってきて亡くなられました。
山本(万) 家に帰ることができてよかったですね。
 改築した家に帰ってビールを口にして。
山本(万) 私も最初に受け持った患者さんが,もう,オペをすることができないほどの悪性腫瘍の方で,「緩和ケアをするんだよ」と言われたのですが,医学部での勉強は,「診断」と「治療」ばかりですから,緩和ケアとはどうするものなのかわかりませんでした。
 結局,医学部ではケアということを教えていない。
山本(万) そうです。患者とどう接したらよいかがわからないのです。
 どう接したらよいかを学ぶには,「コースをとれ」とか,「教科書を読め」というようなことは,現実的ではないと思うのです。最もよい学び方は,よいお手本を見ることです。よい先輩医師がやっていることを見ながら学ぶ。「あの先生はいいな」というよい医者のロールモデルと,学生や研修医時代に出会うことは,とても大切なことだと思います。
 話を戻しますが,その私の最初の患者さんなのですが,治すことはできなくても,亡くなられる前に家に帰っていただいて,お酒も飲んでいただいた,これも実は医療ではないでしょうか。治すことができなくても,それ以外にできることがたくさんあると思うのです。

■なぜ医者は患者ともっとよく話さないのか

山本(万) その意味では,1人ひとりの患者さんにとって,よい医療というのは本当にさまざまですね。まだ1年目だから何も上から決めるということはできないということも効を奏して,いつも謙虚に患者さんの言うことを聞くように心がけています。そうすると,「自分はこうしたいのだ」という患者さんの意思がはっきり表に出てきたりして……。1人ひとりで違っているので,それをめざせるようにしてあげるのがよい医療なのかなと思います。
 「インフォームドコンセント」が,日本では誤解されているように思います。インフォームドコンセントとは,書式だとか形式では決してなく,患者さんと治療のゴールを共有して,治療のプランを患者さんと一緒に作っていくプロセスのことです。だから,インフォームドコンセントとは,結局,患者さんとよく話しなさいということなのです。
 名著『患者の権利』(日本評論社)の著者として知られるジョージ・アナス氏(法学者,倫理学者)は大学院の講義で難しい医療過誤訴訟の症例を扱うわけですが,決まって講義の最後に「なぜ医者はもっと患者とよく話し合わなかったのか。もっと話しておけば,訴訟になるようなことはなかったのではないか」ということをおっしゃると聞きました。また,「患者が医者を訴えるのはその医者が嫌いだからだ」というのも彼の口癖です。私が『アメリカ医療の光と影』という本の最後に引用した言葉は,インフォームドコンセントについての論文にある法学者の言葉ですが,そこでも「何よりも重要なことは,患者と話すこと,一度だけでなく何遍も話すことなのです」と医者へのアドバイスが記されています。
 また,「患者の権利オンブスマン」という組織が日本にあります。患者さんがドクターや病院に不満を抱いている時に,一緒に相談に乗ってくれる組織ですが,そこへ持ち込まれてくる苦情や不満の原因の中でいちばん多いものがやはり,コミュニケーション不足だということです。ですから,もっとよく話すことが一番大切なのです。

決して破ってはならない研修医の掟

 「忙しくて,インフォームドコンセントなどやっていられない」とおっしゃる方が少なくないですが,いちばん忙しいレジデントでさえ,患者さんと話すことに努めたら,ちゃんと時間は取れるのです。私は天理よろづ相談所病院でレジデントを始めましたが,総合診療部長(当時)の今中孝信先生に絶対に破ってはいけないルールというものを言われました。
 「1日に最低2回病室に行きなさい。そのうち1回は必ず椅子に座って患者と話しなさい。椅子がなかったら持って行きなさい」と(笑)。医者が患者とよく話すせいでしょうか,新米の医者たちが切り盛りしている総合診療部ですが,いまだに医療過誤訴訟は起こったことがないそうです。
八藤 ある時,友人とお互いの受け持ち患者さんの回診をしたことがあったのですが,その友人は立って診察していたんですね。すると,患者さんはすぐにおなかを出して,診察を受ける準備をするのです。それを見ていて僕は,「あ,これは患者さんの話を聴く姿勢ではないな」と感じました。ちょっと椅子に座るだけで,患者さんも話をしようという気になってくださるのですよね。臨床実習の時には,椅子を持っていってチョンと座ることでいろいろな話が聞けたという印象があります。

医者は涙を流したり,感情的になってはいけないか?

八藤 ところで,先ほど患者さんとの接し方の話題が出ましたが,大学病院で実習している時に,「感動して涙を流したり,感情的になるな」と言われたことがあります。「感情的になると客観的な判断ができないから,絶対に心を動かされるな」ということを言われたのですが,この『医者が心をひらくとき』を読んで,患者さんが悲しめば一緒に悲しんで,喜べば一緒に喜ぶということで,患者さんと共感して同じ立場に立てると思いましたし,客観的になるというのは,また別の方法で鍛えればよいのではないかなと思いました。この本のおかげで,自分が感じる素直な心を消すことはないなと確信できたので,自信を持って臨床の現場へ出ていけるような気持ちになりました。
山本(万) この本の中のどれかのエッセイに,「医者というのは患者さんに思いやりを持つことのできる特権的立場にいる」というような文章があったと思います。他人である私たちが,患者さんの心に触れることができたり,あるいは最期の場面に立ち合うことができるというのは大きな喜びです。時にものすごい感動をもらうこともあります。それがあるから,いろいろな患者さんとさまざまに触れ合うこの職業を好きになれるのだと思います。
 それとは別に医学的に冷静でなければならない部分もあるけれども,それは全体の中の一部であって,むしろ医療をアートとして捉えるのであれば,感動する部分,それを喜びだとする部分が絶対にあっていいはずです。それがあるから,私たち医者もやっていけるというか。いろいろな患者さんとさまざまに触れ合うこの職業を好きになれるのだと思います。
 (感激して)私はもう言うことがなくなってしまいました……。

医療者にも癒しが必要

山本(舜) この本を読んで思ったのは,医者も患者さんから癒されるということです。ただ単に教科書的に正しい医療,医学をやっているだけでは必ずしも患者さんが満足するというわけではなく,実際に患者さんが覚えているのは,医者なり医療者が示した思いやりの部分なのかもしれません。そういう思いやりを注ぐことによって,患者さんが喜んでくれたら,それも自分の喜びになるでしょう。一方通行ではない,そのような双方向のやり取りというのが医療なのかなと思いました。
 私は『市場原理に揺れるアメリカの医療』(医学書院)という本の中に,「あるがん患者の手記」という一章があります。42歳の肺がん患者が書かれた手記ですが,私が翻訳した時に,ちょうど私と同じぐらいの年の人でした。
 マサチューセッツ総合病院(MGH)で肺がんの治療を受けるのですが,進行期の肺がんで,とても勝ち目のない闘いをしていたのです。その患者さんは,「自分が闘病していく過程で,医者や看護師や放射線技師たちが心情をあらわにして接してくれた時がいちばん救いになった。医者が個人的になったり,感情的になって患者と関わることが,ルールとしては禁止されているのは承知している。でも,そのルビコン川を渡って,患者の側に来てくれた時に患者はいちばん救われるのだ」と書いたのです。MGHという最先端の病院でハイテクの治療を受けていたけれども,そういったハイテクの治療よりも,人間的な心の触れ合いというものが,闘病生活の中でいちばんの救いになったという主旨の文章だったのです。
 *古代ローマ本国と西の植民地との境を流れる川。植民地側から東へわたる時には武装することを禁じられていたが,勇将カエサルは,「さいは投げられた」と言って禁を犯し,武装のままルビコン川を渡り,ローマへ進軍した。

■なぜ心をひらくことが必要か

ボストン中の病院に広まる「シュワルツ・グラウンド」

 この患者さんは,手記を書かれたすぐあとに亡くなられてしまうのですが,亡くなられる数日前に遺言を残されました。いま米国では,医者と患者との関係がマネジドケアという医療保険制度によって,とてもすさんできている傾向がある。だから,医者と患者,あるいは,看護師と患者がもっとよい関係が結べるような活動をしてほしいという遺言を残されたのです。そこで,奥さまは遺言に従い,「ケネス・B・シュワルツ・センター」という研究所をMGHの中に作られました。
 *医療保険の1類型。医療コストを減らすために,医療へのアクセスおよび医療サービスの内容を制限する制度。保険料の安さゆえに米国医療保険の主流となっている。結果として,入院日数の短縮・診療時間の短縮が起り,医師や看護師は患者の回転が速いため忙殺される傾向が生まれている。
 シュワルツ・センターが真っ先にしたことの1つは,患者さんのケアにあたる医者や看護師も心の悩みを持っている,それにどう対処するかということに目を向けることでした。いま,「シュワルツ・グラウンド」というセミナーがMGHで毎月1回,開かれています。例えば,死んでいく患者さんにどう接していくか,死ぬことがわかっている子どもにどう接していくか,自分の同僚が癌になった時にどう接していくかなど,まず症例を提示して,それに対して参加した人が自分の考えを述べ,ディスカッションするというセミナーです。
 そのセミナーにはどのような効果があったかというと,同僚について「あ,この人はこういうことを考えていたのか」とわかるわけです。ふだんは,あまり心のうちをさらけ出さないことがルールですが,ここでは,心のうちをさらけ出して,それぞれの思いを相互認識するようになった。「悩んでいたのは自分だけではなかったのだ」ということがわかるようになった。それこそ,「A Piece of My Mind」という形で語り合うということができている。これはMGHで始まったセミナーなのですが,いま,ボストン中の病院で類似のセミナーを開いています。

医者は感情労働をしている

 いままで話してきたように,患者さんと気持ちを触れ合わすことが大切であって,機械のように振舞うだけでは,決して医者はできません。けれども,気持ちを触れ合わすことで,医者も傷つくし,看護師も傷つく。そのようなエッセイも中にあったと思うのです。では,それをどうするかということには,実は未だに誰も答えが出せないでいます。それでも,例えば,シュワルツ・センターの活動など,少しずつ解決への努力が始まっていると思います。
 もう1つついでに言わせていただきますと,武井麻子先生(日赤看護大教授)が『感情と看護――人とのかかわりを職業とすることの意味』(医学書院)という本を出されました。この中で,「労働には肉体労働と頭脳労働とがあるが,感情労働というものもあるのだ」と書いています。看護師がやっていることは患者さんの感情に気を配る,感情労働ですが,自分の感情もコントロールするという一面もあります。患者と自分の感情にどう向き合うかといった内容の本なのです。私はそれを読みまして,医者も肉体労働や頭脳労働だけでなく,感情労働をしていると思ったのです。これは,看護の本ということになっていますけれども,医学生や医者も読むべき本だと思います。

疲れきった時に最適のマインドケア

八藤 岐阜県のある村の診療所で実習をした時に,「シュワルツ・グラウンド」的なことがありました。そこは,老人保健施設も併設されているので,理学療法士の方とか,事務長さんとか,診療所の看護師さん,医者で,夜,飲み会をすることがあるのです。お酒が入っているせいもあるかもしれませんが,日頃それぞれが思っていることについて話し合いができて,そこでは僕も素直に思っていることが話せました。互いに思っていることが,働いている人全員の間で共有できたりして,こういう場が必要だなと痛感しました。
 僕がそこで看護師さんに指摘されたのは,「よく話は聞けているけれども,ちょっと声がこもっていて聞きにくいから,もうちょっとはっきりしゃべったほうがいいよ」ということだったのですが,よそから来た学生にもそういうことが言える雰囲気がすごくいいと思いました。
山本(万) よい医療はチームワークだと思うので,そういう場は必要だと思います。
八藤 違う職種の人は,思っていることがほんとうにまったく違うのです。
山本(万) 1人の患者さんにいろいろな人が関わっているわけですから互いを知ることは大切ですよね。
 日本では病院で開かれるセミナーやカンファランスでも,全職種が集まってやることはあまりないですね。
山本(万) ないですね。
 アメリカの病院ではいろいろな人が入ってくるでしょう。薬剤師さんも入ってくるし,栄養士さんも入ってくる。
山本(万) それぞれが自信を持って意見を交換できる雰囲気が米国の病院にはありますね。
 いまの話を聞いていると,他の医者が何を思っているのか,看護師さんが何を考えているのか,実はあまりわかっていないことが多い。しかし,この本を読んで,「いろいろな医師がこういうことを感じているのだな」とわかり,私には1つの救いになりました。みんな,いろいろなことを思っていて,いろいろな「piece of my mind」なんだなと。
 医者や研修医が,非常に疲れて理想も忘れてしまったような時に,これを読むと,とてもよいマインドケアになるのではないかと思いました。
八藤 そう。とっても元気がでてきます。

人間はみな未熟,謙虚さが大切

 私は学生時代,小児科のポリクリで先天性代謝異常で何年も入退院を繰り返している女の子を受け持ったことがあります。いわば,その家族は闘病の「ベテラン」だったわけですが,月曜から金曜までのベッドサイド実習をさせていただいて,金曜日,終わる時に「私のような未熟な学生が,いろいろ失礼なことをしたかもしれませんけれども,大変よい勉強をさせていただきました」と,お詫びとお礼をお母さまに言ったのです。次の日,まとめのセミナーがありまして,お母さまが感激していらしたと教官から聞かされました。「今まで何年も京大病院に入院していたけれど,お礼を言ってくれた学生はいなかった」ということでした。
山本(舜) 僕も同じ気持ちになることがあります。医者は,患者さんたち,他職種,コメディカルの人たちにいろいろなことを学びながら成長していくのだろうと思います。けれども,大学病院の先生の中には,こちらが医療を提供しているのだから,患者さんに「ありがとう」と言うのはおかしいという先生もいたりして……。
 学ばせていただいているということを忘れてはいけないと思うのです。
山本(舜) ええ,そして僕らはまだ,人間としても未熟ですし……。
 いえいえ。(人間は)みんな未熟なんですよ(笑)。
山本(舜) 知り合いの看護師さんが「医者は偉そうになってはいけない」とおっしゃっていました。僕は,わりと自分の感情を出すのは苦手なほうなのですが,「ありがとう」というのをできるだけ言っていきたいなと思っています。出会った人たちすべてに感謝ということを心がけてやっていこうと思います。
 さて,座談会の「まとめ」ですが,それは山本万希子先生が先ほどお話になってしまいましたね(笑)。医者としての楽しみ,苦しみというのは結局,気持ちの触れ合いなのです。気持ちが触れ合って喜んでもらった時がいちばん嬉しいし,悲しい結果になったらいちばん苦しい。それに尽きるのです。最後に,私からみなさんに「締め」の言葉を贈りたいと思います。『医者が心をひらくとき』の冒頭に登場する「1日目」(本紙13面に全文を掲載)という作品の最後に記されている患者さんの言葉です。「君(たち)は,きっと,よい医者になるよ。俺にはわかる」。
山本(万)・八藤・山本(舜) 今日は「とてもよい1日」になりました(笑)。



李 啓充氏
1980年京都大学医学部卒業。天理よろづ相談所病院内科系ジュニアレジデント,京都大学大学院を経て,90年よりマサチューセッツ総合病院(ハーバード大学医学部)で骨代謝研究に従事。2002年4月,ハーバード大学医学部助教授の職を辞し,文筆業に専念。著書に『市場原理に揺れるアメリカの医療』『アメリカ医療の光と影』(医学書院)。本紙で「続・アメリカ医療の光と影」,週刊文春で「大リーグファン養成コラム」を連載中

八藤英典さん
2002年名古屋市立大学医学部卒。現在北海道家庭医療学センターのレジデント1年目。学生時代に「家庭医」に出会い,そのフィロソフィーに強く共感した。夢は家庭医を広めること。「どんな大きな夢があっても,自分が一生の間にできることには限界がある。その夢を受け継いでくれるのは,後世の人々だ」と考えていて,教育にこだわる医師を目指している

山本万希子さん
2001年名古屋大医学部卒。現在舞鶴市民病院内科研修医2年目。学生時代にアメリカ留学し,総合内科の深さと広さに感動した。学生時代はアジアにでかけて「農村部での感染症」や「マラリアの疫学」をまとめるなど,これら地域での医療事情にも関心が深い

山本舜悟さん
2002年京都大学医学部卒。現在麻生飯塚病院研修1年目。昨年,医学生が病院実習の情報交換をするためのホームページの管理人を務めていた(現在新管理人の下,HPアドレスはhttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/
4292/index.htm
)。将来の夢は,内科のブラック・ジャック