医学界新聞

 

【新春対談】

日米の現況から,進むべき医療の道を探る〈第2弾〉

2002年,
日本の医療をどう変える

黒川 清氏
東海大学医学部長
木村 健氏
アイオワ大学医学部教授

 2002年を迎えた。「より質が高く,効率的な医療の提供」を掲げ,本年度の実施をめざした医療制度改革は,結局は問題を先送りしたにすぎず,抜本的改革には至らぬまま政治的決着をみた。各界にはそれぞれ不満がくすぶっており,今後,改革論議が再燃するのは必至の状況だ。
 現在の医療制度のどこに問題があるのか? 今後,日本の医療制度はどのように変わっていくことが望まれるのか? 昨年10月(弊紙2456-2457号)の連続対談が好評を博した黒川清氏(東海大)と木村健氏(アイオワ大)に再登場いただいて,医療界のみならず,日本の社会構造にまで及んで,日本の医療制度をどう変えるのか,1つの方向性を示していただいた。


■現行制度のどこが問題か

日本の医療は「医・院同業」

木村 日本の医療制度では,病院と医師とが損益を分ち合う共同体として医療を行なっています。私はこれを「医・院同業」と呼んでいます。「医・院同業」にはよいところもある半面,悪いところがたくさんあります。
 例えば,とっくに退院できる患者さんの入院日数を,病院経営上の都合で,2-3日延ばすということも可能です。このベースにあるのは,病院の経営のために医師が医療の本筋を曲げたりはしないという,「性善説」に基づく暗黙の了解です。ところが,「性悪説」の支配するアメリカでは,病院と医師の経理を分けて,双方の損益が相反するように仕組んであります。これが「医・院分業」です。
 「医・院分業」のアメリカでは,入院料などの病院の収入と,患者さんが医師に対して支払う料金は別会計です。医師の腕がよくて早く退院できれば患者さんは喜んで,「入院費が安く済んだので,先生に余計にお支払いしよう。ありがたい」となるわけです。入院日数が減少すると,その分入院できる患者さんが増えますので,医師の収入も多くなります。同時に,病床の回転が速くなって病院の経営面でも効率的です。
 一方,「医・院同業」では,医師が効率的な医療を行なうと,病院の収益が減ってしまいますから,医師の給料を上げられないという不都合が生じます。実は,G7の国で「医・院同業」を続けているのは日本だけです。現在のように,それぞれの医療分野で高度なテクノロジーが求められる時代には「医・院分業」が不可欠ですが,日本ではいまだに「医・院同業」に固執しているのは,どういうわけでしょう。

現在の医療制度の歴史的背景

黒川 これにはやはり歴史的背景があります。日本は,明治維新で急速な近代化を迫られ,唐突にアメリカやドイツ,フランス,イギリスなどを真似て形だけ取り入れ,近代工業化をめざしました。
 医療の面でも同様で,もともと日本は東洋医学を本流とし,西洋医学はオランダ医学として一部に伝えられていたくらいでした。そこに,数百年の歴史のある近代医学のプリンシプルを突然導入したわけです。
 近代化のためには,多くの医師を養成して,多くの病院を建立しなければならない。しかし,それまで日本の医師は開業している人ばかりでしたから,「病院」という考え方がほとんどありません。そこに病院のシステムを入れるため,公的病院を設立する一方で,医師がオーナーである小売店のような開業医院にベッド数を増やし,看護婦さんを雇って,だんだんと病院にしていくやり方から始めました。また,医療従事者数が圧倒的に少なかったので,医師が経営から何からすべてやらなければならなかった。
 このように,社会的なバックグラウンドが異なるにもかかわらず,システムだけを導入する方法は,急速な近代化のためには仕方がないことではありますが,今になっても基本的にはそれが常識のままであることに問題があるのです。
木村 アメリカでは,病院の経営権を医師には持たせません。病院のマネジャーには医師以外の人間を置かねばならないことになっています。日本では,院長は医師(MD)でなければならないという法律があるようですね。医師が病院をコントロールしてきたという歴史がある。ですから,黒川先生がおっしゃるように,西欧社会とは病院というものの伝統の違い,根本的な常識の違いがありますね。
 西欧の医師は,病院という「箱物」に対して独立した「テナント」とみなされます。患者さんがテナントである医師のサービスを受けるために,貸席業としての病院が存在し,設備や機能を提供しているというのが,西欧の医療体制の基本です。

■医師の能力を評価する

プロフェッショナル・フィー

木村 「医・院分業」ですと,医師は,病院,支払い団体,それに患者サイドから,技量によってもろに評価を受けます。だから,患者さんは,腕の立つ立たぬで医師を選ぶことができます。また,同じ患者さんをいろいろな医師がケアしますから,看護婦やスタッフも見ています。お互いに監視し合っているところがありますね。1人だけでこっそり自分流の医療をすることはできません。この監視態勢のもとで働くことが非常によい点です。
黒川 医師が非常に評判のよい大学病院の使用許可を得るためには,病院のプロフェッショナル・コミッティと呼ばれる組織の判定をあおがなくてはなりません。医師は,よい病院を使うため,またいくつもの病院を使えるようにプリヴィレジ(特権)をもらいたいと思っていますから,常にスキルを磨き,医師仲間での評判を確立しておかねばなりません。おかしなことをすれば,病院の信用にかかわりますから,病院は経営者の立場で厳密に判断するわけです。そういう関係は,緊張感があって厳しいですが,満足感の高いものだと思います。
木村 私はときどきカリフォルニアやニューヨークの病院から招かれて手術をしに行きます。例えば,子どもに私の開発した食道の手術をしてほしいがアイオワまでは来たくないという患者さんが,「カリフォルニアへ来て手術をしてほしい」とリクエストしてきた場合,私はカリフォルニアの臨時のライセンスをもらって,保険会社にそこで手術をする理由を示します。そのためのペーパーワークは膨大ですが,それさえ処理してしまえば,どこにでも出向いて手術することができます。患者さんは非常にハッピーです。カリフォルニアの外科医も私の手術を見学でき,またそういう患者さんが口コミで次の患者さんを呼んできてくれたりしますので私もハッピーで,みんなハッピーで丸く収まります(笑)。
黒川 そこでプロフェッショナル・フィーをもらうわけですね。
木村 そうです。「医・院分業」でなければできないことです。
黒川 プロフェッショナル・フィーは,個別の契約による自由経済ですから,特に規則はありませんが,あまり高額だと保険会社が支払わない場合もありますね。
木村 残念ながらその通りです(笑)。プロフェッショナル・フィーに関係なく手術をすることもしばしばです。カリフォルニアの病院のスタッフが「ドクター・キムラの手術を見てみたい」と言ってきた場合,「ゴルフを1回させてくれるならOK」と言って話がまとまることもあります。そういう時は,手術を見学にきた医師の前で供覧手術をすることになります。医療の新技術は,こうして普遍化し,全体に貢献するのですから……。

医師は経営者-大学に家賃を払う

黒川 アメリカの大学は,医学部に限らず,日本で言うデパートみたいなものです。大学の先生はデパートの従業員ではなく,デパートがその先生に場所を貸しているだけです。三越にフェラガモとかルイヴィトンが看板を構えているように,自分の名前を表に出して診療をしています。その医師が,多くの患者さんを診て大学の収入が増えれば,それだけその医師の収入も,使えるスペースもだんだん増えていきます。医師は収入が減ればスペースも減るし,独自の従業員も雇えなくなります。テニュア(教授などに与えられる終身在職権)になるとある程度の給料は保障されても,直に次のブランドのオーナーがやってくる(笑)。
 大学は,あくまでも場所と肩書きを貸しているだけで,それによってお互いプラスになる仕組みになっています。病院が雇っているのは研修医だけですね。
木村 はい。研修医以外のアシスタントスタッフは,各科のデパートメント(医局)が雇っています。各科は,経理上,独立していまして,病院とは別会計です。
 アメリカの大学でそれぞれの科を「デパートメント」と呼ぶのにはわけがあります。デパートメントは,「独立会計で運営される科」という意味です。厳密に言うと,日本の大学にはデパートメントは存在しないということになりますね。
 アイオワ大学の外科では,コンピュータ係,スライドを作る専門家,統計の専門家,動物の管理をする人など,医師でないアシスタントスタッフを120人ほど雇っていますが,その人たちの給料は,医師の稼いだ手術料で賄っています。
 私は毎月,私のオフィスのスペースに応じた家賃と光熱費を大学に払っています。外来診療では,1回にいくつの診察室を何時間使用したかを計算して外来の使用料を払います。オフィスも外来も賃貸ですから,実にがめつい病院です。
 治験などの依頼研究については,まず大学にその予算の45%を納めます。この45%は場所代として,もう1つは「これはアイオワ大学でなされた研究である」と言ういわば名前代として大学が取りあげてしまいます。それに加えて,研究室の面積に応じた家賃を研究費から払います。研究1つするにも,しかるべき経費を払って場所を確保することから始まるわけです。
黒川 医師はいわば経営者です。診療で稼ぐ人も研究で稼ぐ人も,自分で稼げない限りだんだん居にくくなってしまうのです。

「教育」で競う

黒川 それから,教育に主要な時間を費やして稼ぐ人もいます。アメリカでは,多面的なチェックが効いていて,教育の評価も非常に大切な要素です。前回もお話しましたように,ティーチングの評価が学生や研修医から毎回ありますし,そのプロダクト(卒業生)を外に出して全国的に混ぜて比較することが基本的なシステムですから,大学や指導教員のピア・レビューが日常的に行なわれています。
 教育に対する給料は,毎年,自分は何%を教育にかけ,何%は研究にかけ,何%は診療にかけるかを申請して,大学側と交渉します。例えば,教育が7割というのであれば,それを稼げるだけの教育機会がなければ駄目です。評価の低い人には教育機会をなかなか与えてくれません。
 日本では,教育で競うということはないですよね。他科の回診を覗きにいくということもなかなか難しいですし,同じ大学でも他の教室の教授の話は学会くらいでしか聞けません。ピア・レビューが本来から存在していないのです。
木村 小児外科は,小児科から患者さんの紹介がなければ成り立ちません。手術成績のよくない小児外科医は,小児科に敬遠されますから,常に腕を磨いておくと同時に,小児科医との人間関係を大切にします。ここにも一種のピア・レビューが働いているのです。

評価なきゆえの医療技術の違い

黒川 アメリカでは医師間でのピア・レビューが日常的に行なわれています。さらに,腕が悪ければ,たとえ紹介する先生がいいと言っても,患者さんの家族がOKしません。そういう意味でも,非常に厳しいチェックが効いている。
木村 ピア・レビューや患者さんからの評価によって,医療内容は日々進歩しています。例えば,アメリカでは日本と比べ極端に短い入院日数が求められます。この状況で患者さんを手術後まもなく家に帰すには,痛みを止めるための高度な麻酔技術が求められてきました。外科医は,麻酔医に,「痛みさえとってくれたら,明日にでも患者さんを帰せる」とプレッシャーをかける。そういうプレッシャーを受けて,痛みを止めるための新しいテクノロジーが開発されるという具合に進歩しているのです。
黒川 必要があって,進歩があるのですね。
木村 つい最近,日本から来た研究員の子どもさんのヘルニア手術をしたのですが,手術終了後2-3時間で家に帰しました。子どもはもちろん「痛くない」と言って帰りましたし,家では走り回って,夕食もいつものように家族と一緒にとりました。たまたまその子の母親は,日本で小児科医をしていたのですが,「日本とアメリカではどうしてこんなに結果が違うのでしょうか」と驚いていました。「腕が違います」と胸を張っておきました。
 保険支払い制度も医療技術の変遷に拍車をかけています。例えば,日米で傷の処置がまったく違うことには驚きました。日本ではいまだに回診の時,傷のガーゼを剥がして消毒剤を塗り,またガーゼをあてて絆創膏を貼るという方法でやっています。アメリカでは,「傷はガーゼをあてなくても,外から感染することはない」というエビデンスに基づいて,ガーゼ交換を数10年前に廃止しました。しかし,日本の保険点数には,傷の処置で何点という項目がありますから,患者さんに1週間毎日仕事を休んでガーゼ交換に来てもらっている。非常に無駄なことをしていると思います。
黒川 アメリカは厳しい競争社会ですが,一方で医療というものは非常に文化的な部分があります。受ける側の価値観の問題があり,医師の側が一方的に「これがいいんだ」と言っても,患者側が「いやだ」と言えばそれまでです。
 ですから,アメリカは,イギリスもそうですが,医師がいかに一般の人たちから評価されるか信頼されるかということを,医師会をはじめ専門職集団として重視してきたのです。医学部を出たところ,レジデントを修了したところで,「混ぜ」ながらいかに医師としての質を保証するか。移民による多民族の国だからこそ,そういう部分に一生懸命取り組み,誰でも一定のレベルに達するシステムになっています。日本はそのようなシステムがないために,日本独特のカルチャーの中で「お医者さん」というイメージを作られてきた。しかし今,「国際化」でその価値観が壊れ始めているわけです。

あらためて医学教育について

黒川 価値観が変わってきているのは,パブリックだけではありません。2004年には2年間の卒後臨床研修が必修化されることが決まっていますが,これには出口でどのくらいのレベルが必要なのかという視点に欠けていると思います。大学の医学部教育を根本的に変えるのはなかなか難しいですから,一歩前進には違いありませんが,根本的改革にはやはり「混ぜること」が必要だと思います。具体的には,母校の附属病院には母校出身者は3分の1以下しか研修できない仕組みにするなどです。
 今,国立大学も,それを実行したいと言い出しています。厚生労働省もです。実は,厚労省ははじめ「大学の先生たちが反対するのではないか」と心配していたようですが,国立大学のほうから「そうしたい。『混ぜる』べきだ」と言ってきた。さらに一歩前進です。それぞれのところで,大きなマインドの変化が起こりはじめていることを感じます。
木村 私は,卒後2年間の研修を必須にしたからといって,国民の健康を任せられる医師を育てられるとは思いません。期間は各科によって異なりますが,例えば外科,内科では,一人前の医師を育てるのに最低5年間の研修が必要ということは,先進各国で認められているエビデンスです。
 日本は世界第2位の経済大国,工業技術ではアメリカと並んで世界をリードしています。その日本がなぜ医療だけは50年前のレベルと変わらないのか不思議です。少しずつ変化していると言われますが,そのスピードは江戸時代と変わらないのではないかと思います。

研修医1人に,毎年10万ドル

木村 アメリカ政府は,研修医1人に対して,必要経費を毎年10万ドルずつ支出しています。日本円に換算すると1200万円ぐらいです。次代の医師を育てることは,政府の責任だと考えているからです。アメリカ国民は,どこにいても高い水準の医療を受ける権利を持っています。その権利を満たすためには,十分な研修を積んだ医師を育てなければならない。それに要する費用を政府が支出するのは当然のことです。
 10万ドルのうち,およそ4万ドルが研修医の給料(年棒)になります。4万ドルと言えば,日本円では500万円ぐらいですが,子ども2人の家族が健康で文化的な生活ができる金額です。
 残りの6万ドルは病院の収入となり,教育担当の指導医の給料や,研修医の当直室のアメニティ維持などの費用になります。研修医とその家族の健康保険や生命保険の掛金などもこの費用から支払います。当直室は,常に掃除が行き届き,ベッドは毎日新しいシーツでメイクがしてあります。オンコール中の研修医は朝昼晩の食事をすべて病院が無料で提供します。研修は非常に忙しく厳しい毎日ですが,快適で人間的な暮らしのできる環境が調えられているのです。日本の医療をよくするためにまずするべきは,研修医がアルバイトなどせずに安心して人並みの生活ができる給料を出すことでしょう。
黒川 もう1つ,病院側はその6万ドルから,教育環境を調えて,優秀な研修医に来てもらうようアピールするわけです。
 また,外科なら外科で,研修を修了するのに必要な手術数が何件という条件がありますから,採用できるレジデントの数には限界があり,内容のない研修はできないようになっています。これは,出口ではこのレベルにすることを社会に保証する,という発想からです。だからこそ,国から研修のための費用が出るのです。

■いかに市場原理を適用するか

医療のマーケット・バリュー

木村 アメリカで卒後研修制度のすべてを統括しているのは,Accreditation Council for Graduate Medical Education(ACGME)という組織です。この組織は,医師会,病院協会,内科および外科学会などから代表が任意集合して構成されたものです。27科の専門科それぞれに分科会があって,各科に設置されたResidency Review Committee(RRC)が研修施設および研修内容の認定を行ないます。卒後研修のすべてはACGMEが最終決定機関であって,米国政府は一切タッチしていません。
黒川 ACGMEは,社会に責任を持ってやっていることを見えるようにしています。それを見て,それが信用できるかどうか判断するのはパブリックです。だから,出口でこれだけのことが保証されるということを国民が信頼しているのです。
木村 ACGMEは,例えば外科の研修では,1人の研修医が5年間で手術を500例手がけ,その中で必須手術を何例ずつ経験することなどの細目を定めています。
 この研修に耐えて外科医になった者には,それに見合った待遇が必要です。厳しい研修を受けた医師が,受けていない医師と一緒の医局で同じ待遇では不公正ですからね。そのためアメリカでは,それぞれの医師の評価に相応しい報酬と待遇が用意されています。日本から見ると,とても厳しい内容です。
 日本でも多くの学会が専門医制度を施行しています。しかし,専門医になった後,その資格を求めて患者さんはどんどん来るのでしょうか? 日本では専門医であることを外部に公表してはいけないことになっていると聞いていますが……。それに,資格を持っていても,資格のない医師より多く給料をもらえるわけではありません。さらに,国が学会の制度を認めているわけではありませんから,医療訴訟の場合には,専門医の資格を与えた学会が訴えられる危険性もあるでしょう。これでは,「なぜ専門医資格を取得したのか?」ということになってしまいますね。
黒川 日本では,がんばる人もがんばらない人も同じ給料です。全員が同じフルタイム制で,仕事量の多い人も少ない人も同じ給料。これまで,病院も患者さんも,そして社会全体が,一生懸命がんばる人の個人的努力に依存していたのではないでしょうか。
木村 アイオワ大学の医学生にこの日本のシステムを話しますと,そんな悪平等の下では医師になろうという意欲が湧かない,と言います(笑)。
黒川 医師や病院への個人的な贈答を合計すると,実は年間2千億円くらいではないかという話もありますが,自分が胃癌を患って手術をしてもらって助かった時のことを想像すれば,医師にお礼をしたい気持ちを持つことを否定するのは不自然です。むしろ,「この先生の手術料はいくら」とオープンにしてしまえば問題ないのではないでしょうか。
 皆さん「とんでもない」という顔をするかもしれませんが,これがほしい物を買う時のマーケット・バリューです。値段が高すぎれば,患者さんが来ませんから,値を下げるでしょう。選ぶのは患者さんです。
 日本は共産主義国家ではないのですから,消費者が納得できる商品にお金を払うというエレメントがまったくないという制度は不健康です。日本でも,クオリティ・コントロールが誰にでも見えるようにし,競争原理を取り入れて,技術を評価する。そうすることで,がんばった人にはがんばっただけの報酬が得られるようにすれば,自ら値段を決めてますますがんばるという選択肢もあり,それを選択する人が増えていくのではないでしょうか。

“脱”公務員

黒川 日本の国公立病院の医師の場合,フルタイムで公務員として,すべての収入をそこからもらっていることが問題だと思います。アメリカの教育職で国家公務員という方は少ないですし,地方公務員でもフルタイムという選択をする方はわずかです。毎年交渉して,パートタイムで8分の6とか8分の5とか,その分だけ国や州から給料をもらったら,残りの時間は自由です。その時間に大学で講義をして給料をもらうこともできます。
 今,大学改革も始まりつつあるのですが,教育の場である大学に勤める教育職は,夏休みは教育する相手がいないわけですから,給料を支払う必要はないのです。
木村 1年をフルに働く私たち医師は別として,他の学部の教授は9か月の勤務ですから,大学からは年に9か月分の給料しかもらっていません。その代わり,残りの3か月間,講演や依頼研究で個人所得の倍増に励んだとしても,税金さえ払えば問題はありません。
黒川 日本の大学では,制度上それができませんが,国立大学をすべて法人化する時に,教員を非公務員型にしようというのは,そこからの発想です。明治以来,日本が人材育成を懸命にやってきた歴史から見て,国家公務員として給料を保証し高額な退職金を用意して,長く同じ場所に留まってもらうことは必要なことでしたが,いまや不要ですし,不自然なことです。
木村 そうです。それに,個人の能力がオープンに評価されないと,裏でお金が動くことになりかねません。国立大学の教授が企業に研究資金の援助をしてもらうと,収賄と賄賂で公務員法違反を重ねて,なおかつ脱税になります。二重に罪を重ねることになってしまう。これを自由にして,年末には申告してしっかり税金を支払えば認めるという方式にすればよいのです。
 アメリカ的発想によると,例えば私の手術技能は,私自身が努力し培って取得したものですから,国や州がそれを召しあげて価格をつけるのは間違っています。それはあくまで私個人の「知価」を持つ財産ですから,国公立の病院で働くとしても,個人として売る権利があるということになります。この大らかさ,単純明快な論理を求めてアメリカに渡る若者が増えています。ちょうど野茂やイチローがメジャーで活躍しているように。

■医療制度をこう変える

「医・院分業」=民営化ではない

黒川 一方で今,「病院の民営化,株式会社化」という案が打ち出されています。民営化では,常に効率と利益が重視されますから,医師会は強く反対しています。現在,経済財政諮問会議や総合規制改革会議で行なわれている医療構造改革は,ビジネス中心で考えられていますが,彼らの主張と,「医・院分業」とではちょっと違うと思います。
 小児科や小児救急は,収益はよくないかもしれませんが,絶対に必要な部門ですし,病院にはセイフティ・ネットとしての役割もあります。病院は,“for profit”ではありえません。病院は,“not for profit”でなければいけないのです。もちろん,赤字を垂れ流しているはよくないですし,患者さんがたくさん来て利益があがるのもよいのですが,そのprofitを何に使っているかを見えるようにしておかなければいけない。それが見えないことに問題があるのです。だから,企業経営とは根本的に違う。
木村 病院経営には特殊な経営方法が求められます。アメリカの大学には,病院経営学という特別な修士および博士過程があり,その課程を修了した人が病院のディレクターになるのです。日本にはプロの病院経営者を育てる教育の場がない。いわゆるビジネスマンが経営するのとは違うのです。病院経営の中には,経費如何によっても絶対に外してはいけない出費があります。それを無視して経営をしたら,病院本来の使命を失ってしまうことになる。企業が営利一本の経営に乗り出した場合,それを皆さんは心配なさっているのだと思います。一方で,日本の病院経営には無駄が多いのも事実ですから,病院の使命を失わない範囲で,ビジネス感覚を取り入れた経営を行なうことが必要でしょう。

「ノブレス・オブリジ」の問題

黒川 国公立病院を“not for profit”として民営化すべきだという意見には,必ずしも反対ではありませんが,それを主張しているビジネス界の社会に対するコミットメントに,私は非常に疑問を持っています。アメリカのビジネスマンには,「ビジネスは社会に対するコミットメントである」という意識があり,例えば,ビル・ゲイツは,エイズなどの団体に多額の寄付をしています。そういうコミットメントや社会への責任感が,今の日本のビジネス界のリーダーには足りない気がするのです。社会との対話を,もっと開かれた場所で行なってほしいと思います。企業でも調子が悪くなると何かと言えば,「国から出してもらおう」とすぐ陳情するのでは駄目なのです。貧しい発想です。
木村 私は,日本の国公立病院の首脳部はビジネス界よりはるかに閉鎖的で社会性を欠いているように思います。その主因は,おっしゃるように財政面で「親方日の丸,他力本願」の依存性にあります。経営者は,病院の赤字に対して責任をとることなど考えたこともないでしょう。
 過去半世紀の間に日本の経済も科学技術も非常に成長しました。その間,政界も官界も,そして学界も,「ノブレス・オブリジ(高い身分に伴う道義上の義務)」をなおざりにして,ただガツガツと進んできたように思えます。その結果,今や理念に支えられた真のリーダーが存在しない状態にあります。
黒川 おそらく,リーダーになる人の多くが「ノブレス・オブリジ」という言葉さえ知らないでしょう。ピラミッドの中でいかに這い上がるかということだけで,全体が成長してきたのです。上ばかり見ている「ヒラメ人間」が大部分ですから。もっと社会に対する使命は何かということを頭に置いて,議論を進め,行動しなければならないと思います。

「マンパワー」の問題

木村 国公立病院職員の定員が固定されたままで何十年になりますが,これが医療衰退の根源と考えます。大学病院の職員数に上限などの制限のないアメリカの大学と,日本の国立大学のデータを比較したところ,彼我の違いに愕然としました。2年前のデータですが,アイオワ大学病院は830床で,給料をもらっている職員は7200人です。一方,日本の某国立大学は980床で1400人です。1床あたりの職員数は,ざっと9対2の差があります。そして,1年間の退院患者数が,アイオワ大学が4万2000人,某国立大学は7800人。これは5対1です。手術件数は,アイオワ大学は大小混ぜて6万件を超えますが,某国立大学は4000件です。
 プロダクティビティ(生産性)を考えますと,アイオワ大学の場合,1人の医師が年間68人の退院患者をケアしているのに対し,日本の国立大学病院ではわずか7人です。10倍の違いがあります。生産性が,アメリカの10分の1なのに,なおかつ職員を減らそうとしている。医療費削減のためには即人件費の削減をという単細胞的思考では,ますます能率が悪くなるばかりです。
 国民に良質の医療を提供するという本質に立ちかえれば,職員の定員は二次的なものです。人を増やし,より多くの患者さんに高度な医療サービスを提供するのが大学病院の使命です。国公立病院をよくするためには,定員制限を解除することが最重要の先決問題です。
黒川 アメリカは,全労働人口の11%が医療と健康関連産業で働いています。バイオベンチャーや医学研究も含めてのことです。一方,最も高齢化の進行している日本は5-6%程度です。製造業はそれぞれ16%と20%です。アメリカは製造業をだんだんアウトソーシングにして,知的付加価値をつけたサービス業に重点が移ってきている。
 日本で最も多い「産業」は土木建築業で,これが労働人口の10.5%です。G7の他の国では5.6%ですよ。日本のGDPの14%,70兆円が土木建築業のために費やされています。だからそこにたくさんの労働人口がいるわけですが,これは戦後の復興の時期とまったく変わっていません。

「お金」の問題

黒川 日本は毎年赤字です。今度も国債を30兆円出すと言っています。そして現在まで累積した借金額が660兆円。さらに,どんどん増えていきます。GDPが500兆円なのに,国の借金が660兆円です。さらに特殊法人の赤字が220兆円です。これは異常です。
 ところで,この土木建築のカテゴリーに,日本を除くG7の他国がどれくらい使っているかと言いますと,残りの6か国の官需をすべて足して約28兆円程度です。日本の土木建設費の70兆円の内訳は,民需が40兆円,官需が30兆円ですから,国の土木建設費が,日本だけで30兆円。さらに,G6と日本の面積を鑑みると,日本は1平方キロあたりG6の80倍,人々が生活している面積あたりではG6の200倍の官需の土木建設費がかかっている。
 このような状況下で,さらに土木建設費をどう使うつもりでしょうか。例えば,アメリカでは,もうダムは不要だとして,壊す方向に向かっています。しかし,日本はまだ合計約100か所のダムが建設されているのです。高速道路も,その国土面積の違いにも関わらず,単位面積あたり日本はアメリカの6倍を持っています。船で30分もかからないところに,橋をかける。離着陸料の世界一高い国際飛行場をまたもう1つ造る。そして,毎年借金が増えていく。
 私は,そのお金の一部を医療関連に移行すべきと考えています。すべてとは言いません。毎年10兆円でいい。その10兆円で土建屋さんを,病院や介護の仕事にシフトさせることによって,雇用問題も手当てできる。公共事業から医療へと,産業全体をニーズに合わせてシフトさせることで,失業者も医療を受ける国民もハッピーになるわけです。
 国民の意識調査をすると,第1位は「健康で安全な暮らし」で,国民の70%がそれを求めています。ところが,日本では,医療費を減らそうとしている。減らそうとするから,ますます貧しくなるのです。今,医療費を30兆円以上に増やしたら破綻すると言っていますが,これを40兆円にして,5年先,10年先の日本のヴィジョンを見ていかなければなりません。医療費削減ではなく,「もっと増やせ」と声に出すべきです。
木村 政府はもっと公的資源を投入して,次世代の医師を育てる義務があります。経済大国の割には,医療に支出する税金の割合が少なすぎます。日本の医療の将来という視野で眺めると,「卒後研修制度を国際水準並みに」というのが私の提言です。
黒川 多くの予算を財務省から厚労省が獲得できるよう,政治家も国民も納得するような,医療,医学教育・研修の政策を出すこと。これは私たち医師の責任も大きいのです。そして,情報公開をしっかりした上で,競争原理を導入する。そうすれば必ず,質のよい医療が適正価格で提供できるようになると思います。
――本日はありがとうございました。
(終了)

黒川 清氏
1936年生まれ。62年東大医学部卒,67年同大学院修了。69年渡米。その後,南カリフォルニア大医学部内科準教授,UCLA医学部内科教授などを経て,83年東大第4内科助教授,89年同大第1内科教授。96年より東海大医学部長。2000年より日本学術会議副会長。2002年には国際内科学会長を務める。著書に『医を語る』(共著,西村書店)など多数。東海大学で大胆に医学教育を変革する一方,医療制度改革のみならず,日本の構造改革にも積極的に提言を行なう

木村 健氏
1937年生まれ。63年神戸大医学部卒。70年兵庫県立こども病院勤務。72-73年ボストンフローティング病院小児外科チーフレジデント,74年兵庫県立こども病院小児外科部長。86年渡米。87年アイオワ大外科へ移籍。90年同教授。92年同主任教授を経て現在,同名誉教授。主な著書に『アメリカで医者をするにはわけがある』(草思社)など多数。なお,氏への連絡は,下記米国ハワイ・ホノルルまで。
TEL(808)395-1581/FAX(808)395-1572