援助者必携
はじめての精神科

著:春日 武彦




はじめに

 本書は紋切り型のマニュアルではない。ただし、だから理屈ばかりで実用の役に立たないというわけではない(つもりである)。

 わたしは、しばしばケース検討会へ招かれることがあるが、発表者の話を聞いていると、対応方針が決定的に間違っているとか、対策がまるで見当外れであったといったことはまずない。多少の指摘はしても、基本的には「その方針でよろしいと思いますよ」と保証を与える役をつとめる場合が大部分である。すばらしい解決法を披露したり、鋭く盲点を衝いてみせたり、偉そうに批判をしてみせることはない。そんな必要もない。にもかかわらず、なぜわたしが招かれる必要があったのだろうか。

 つまり援助者たちが自分に自信がもてないからであろう。ひょっとしたら、もっとスマートなやり方があるのではないか、精神科医の立場から見るとまるで別な方策があるのではないか、よその機関では全然別な発想をしているのではないか等々。そのような不安や疑惑があるうちは、腹を据えてケースに立ち向かえまい。腹が座っていないと、ほんとうは正しいことでもいまひとつ気合いが入らず、うまくいかず、ますます自信を失いかねない。

 本書は、読者諸氏がおどおどせずに、おかっなびっくりにならずにケースを扱えるようになることを目的としている。そのためにはある程度の知識と、考え方とを身につける必要がある。それも現場に即したリアルなものでなくてはならない。あまりにも単純化したり、抽象化してしまっては、意味がなくなる。そういった点において、とにかく「読んで気が楽になる本」を目指し、方法論や技術論のみならず、我々自身の怒りや不安や不快感や、自分でも持て余すような違和感といったものにも焦点を当てるように心掛けた。

 読者諸氏にとって「かゆいところに手が届く」ような本であることを願っている。

(p.3「はじめに」より抜粋)



あとがき

 先日まで勤務していた病院の正門前に、蕎麦屋があった。蕎麦はおろかラーメンもカレーライスも丼物も、さらにはチャーハンもハムエッグも焼き魚定食も食べられるうえにコーヒーもあるという、まるで観光地の土産物屋の隣にありそうな店である。

 ある日、外来を終えて、遅い昼食を摂りにその蕎麦屋へ入った。店内にいた客はたった一人で、外国人であった。痩せた黒人の男性で、すでに注文を終え、派手なシャツを着たまま英語の雑誌を読んでいる。わたしは自分の注文(タヌキ蕎麦)を声に出しつつ、いったい彼は何を食べるつもりなのだろうかと考えた。さしたる理由もなく、カレーうどんを食べそうな気がしていた。

 しばらくすると、その黒人男性の前に食べ物が運ばれてきた。

 「力うどん、お待ちどおさま!」

 これにはかなり意表をつかれた。うどんと餅、どちらも英語圏の人々には馴染みのないもので、その両方をいっぺんに盛りつけたものを彼は食べようというのだから。心の中で珍しがっていると、給仕のお姉さん(この人はとても親切なのである)が、彼におずおずとした様子で尋ねるのだった。

 「あのぉ、フォークお使いになります?」

 彼はそっけない様子で、「イエ、イイデス」と日本語で答え、巧みに箸を使って力うどんを食べはじめた。もう長いこと日本に住んでいる人なのかもしれない。

 さて、わたしは給仕のお姉さんがフォークを使うかと尋ねたことを、とてもおもしろく感じたのである。彼女の論理としては、外国人は箸が苦手で、ナイフとフォークは使い慣れているといった発想がベースにあったのだろう。で、さすがに力うどんにナイフは不要だから、フォークはどうかとやさしさを発揮したのであろう。

 だがどうせだったら、大型のスプーンないしは「れんげ」もあったほうが便利なのではないか。あるいは小さな取り皿があったほうが、外国人には重宝するのではないか。けれども、そもそも箸の苦手な外国人が力うどんなんか注文するだろうか。

 いったい彼女は、フォークで熱い力うどんを食べるという光景を想像してみたのであろうか。わたしは給仕のお姉さんの素朴な親切さに感動するいっぽう、彼女を言葉巧みに騙して途方もないことを「これ、世間の常識だよ」と信じさせるのはきっと造作もないことだろうな、などと勝手に考えていたのであった。

 それにしても彼女のサービスはなかなか微妙なニュアンスを含んでいる。相手は、単純に彼女の気配りに喜んでくれるかもしれないし、逆に「俺がガイジンだからって馬鹿にしているのか?」と気分を害するかもしれない。そんなことに気を回すくらいなら、もっと美味いものを食わせろと思うかもしれない。半端な親切さの裏に何か含むものでもあるのかと訝【いぶか】るかもしれない。彼女の勧めに従って、無理にでもフォークでうどんを食べるべきだったろうかと悩むかもしれない。いずれにせよ、彼女が提供しようとしたサービスがいくぶんピントのぼやけたものであったことが、事態をいわく言いがたいものとしている。

 おそらくわたしが患者へ提供しようとする援助にも、当人にとってはそれがピンボケであるがために、困惑や疑惑しかもたらさないことも珍しくないだろう。いやそれどころか、こちらの思い込みゆえに、無理やりに熱い力うどんをフォークで食べさせるようなことをしているかもしれない。

 いきなり「外国人が蕎麦屋に入ってきたら、フォークが必要かと尋ねることは妥当か否か?」といった問題の立て方をしたら、その論議は不毛どころか滑稽なものになってしまうだろう。ではどんなぐあいに問題設定をすべきなのか。

 援助に関する論議はまずそうした疑問からスタートすべきであるのに、援助という行為はきわめて具体的であるがゆえに、論議までもがあまりにも即物的になってしまいかねないところにマニュアル指向の弊害があるのだろう。そんなことを思いつつ、わたしは本書を著した。内容は「老舗の蕎麦屋の味」よりも、「観光地の土産物屋の隣にありそうな店の味」に近いものかもしれない。読者諸氏にとって、少しでも参考になれば幸いである。

 本書の完成までには、じつに多くの方々のお世話になっている。ことに事例検討会や講演会で現場の皆さんから寄せられた声や質問は、かなりダイレクトに内容に反映している。また先人の著書も参考にさせていただいているし、なによりも患者さんやその家族から教えられたり触発されたものは多い。深謝すると同時に、わがままなわたしを根気よく支え適切な助言を与えつづけてくれた医学書院看護出版部の白石正明さんにはあらためて礼を述べておきたい。

 なお余談であるが、わたしは生まれて以来まだ一度も力うどんなるものを食べたことがない。ここの店は絶対に美味い! という情報があったらご教示ください。

 2004年3月

春日武彦