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≪シリーズ ケアをひらく≫
感情と看護
人とのかかわりを職業とすることの意味

武井 麻子


 そもそも看護という仕事は、家庭のなかでは(主に女性の手で)家事の一部として通常おこなわれている仕事であり、その意味では誰にでもできる仕事です。そのため、医療のなかでも安上がりに済ませようと思えば済ませられる、単純な労働とみなされてきたのです。日本では制度上は中学を出れば、准看護師になれますし、それで十分だと考える医師が大半でした。今でも准看護師養成制度の廃止に日本の医師会は強固に反対しています。

 これまでは、看護師になろうという人びとにとっても、看護という職業はひとつの職業という以上に、社会的な地位や経済的成功を意味するものではありませんでした。ましてや、知的探究心を満足させるためにこの職業を選ぶ人はほとんどいなかったといってよいでしょう。ところが、ここ数年、事態は大きく変わってきました。今や看護部長が病院の副院長となる時代です。労働条件も徐々に改善され、師長ともなれば、女性の職業としてはかなり良い報酬を得るようになってきています。

 また、全国にたくさんの看護大学や大学院が設置され、受験生も増えています。けれども一般には、いまだに看護大学の存在すら知らない人も多く、「看護大学って何年いくの?」と聞く人もいます。そんな人に看護大学が、ほかの四年制大学となんら変わらないことを納得させるのにはたいへん苦労します。

 一方、マスメディアの世界で紹介される看護師像は、あいも変わらず、人間の生と死のドラマの真っ只中で、苛酷な労働条件に耐え、献身的に働くしっかりものの看護師か、失敗ばかりしながらも、いつも明るくめげない看護師、ちょっとおっちょこちょいだけれどどこか憎めない看護師たちばかりです。いずれも、「人々に愛される看護師たち」というわけです。そこには「白衣の天使」という常套句がいまだに健在です。また、あるときは、男性が看護師の扮装をしてお笑いの対象にされたり、あるときはコミックやアダルトビデオのなかで人々の性的ファンタジーの対象となっています。

 看護師という職業を知らない人はいません。ですが、その職業が現実にどのようなものなのかについてはほとんど正確には語られておらず、実際のところは知られていないのです。しかも、困ったことに看護師自身、自分がどういう存在であるのかをはっきりとはつかめていないことが多いように思います。そのため、多くの看護師が、自分は看護師には向いていないと思ったり、自分がやっているのは本当の看護ではないと悩んで、辞めていったりすることが起こっています。よく「燃え尽き」という言葉を聞きますが、現実にはとことん看護をやって燃え尽きたというより、本来の看護といえる仕事ができず、それ以外の瑣末なあれやこれやに疲れ、やりきれない思いで辞めていくというのが実情ではないでしょうか。

(p.9-11「序章 見えない看護師」より抜粋)