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≪シリーズ ケアをひらく≫
気持ちのいい看護

宮子 あずさ


●ちょっと長いまえがき

 この本の全体のテーマは、「気持ちのいい看護」です。この言葉をキーワードに、看護をとりまく状況や、私たち看護婦の思考回路や意識など、さまざまな話を展開しようというのが、今回の試みです。

 それでは「気持ちのいい看護」ってなんでしょう? 気持ちよくなるのは患者さん? それとも看護婦自身? はたまたその両方か。

 実はこの問いには、深い問題が潜んでいます。もちろん、 「患者さんのために働くのが看護婦の喜びでしょう? 患者さんにとって気持ちがいい看護こそ、看護婦にとっても気持ちがいい看護なのよ」 という立場もあるでしょう。

 この本を開いて、そのような思いをもたれたとしたら、あなたは少なくともいまの時点では、おそらくこの本を必要としない方です。本書の随所にみられるネガティブな表現にふれて気分が悪くならないうちに、すぐにこの本を閉じることをおすすめします。

 これは嫌味でもなんでもありません。おそらくあなたはいま、うんと前向きな看護書に当たるほうが、多くを学べる時期にあると思われます。この先ちょっと看護に疲れたとき、こんな本があったなあということを思い出していただければ幸いです。そのときまたお目にかかりましょう。

 結論からいえば、「気持ちのいい看護」とは患者さんと看護婦がともにそこそこ気持ちよくなれる看護であってほしい。でもこれは、言葉のやわらかさに反して、とてもむずかしいことです。なぜなら、やってもらいたいことが増えれば、やるほうの人はたいへんになるのですから。サービスの受け手と与え手のニーズはたいていの場合相反するのは社会の常識。にもかかわらず私たちは、 「患者さんが喜んでくれる看護をすることが、自分たちにとってもいい看護」 と誰から強制されるまでもなく、進んで言いつづけてきたのです。これはいったい、どうしてなのでしょうか。

 まず最初にあがる理由は、「よい看護をすれば必ず報われる」と信じたい、看護婦の職人気質です。これをプロ意識、専門職としての意識の高さと言い換えても可。「いい技を提供すれば、なんの小細工をしなくても、それがそのまま評価されるんだ」と信じたいのは、分野は違っても自分の腕ひとつで生きる人間に共通のまっすぐさだと思います。

 これ自体はとてもすばらしいもので、私自身、大事にしていたい感覚でもあります。問題なのはそうしたまっすぐさそのものではなく、複雑な状況に立ち向かって結果が出なかったときに、まっすぐさゆえに、「報われないのはいい看護をしていないからだ」と過剰なまでに自責的になってしまうことなのです。

 実際、直球勝負だけでは切り抜けられないほど、看護婦をとりまく状況は複雑です。それが、看護婦サイドのがんばりでなんとかなると思わされているところに、根深い問題があるのです。

 看護する側とされる側の関係は、これまで非常に図式的に語られてきました。「看護する側=強者、看護される側=弱者」という単純すぎる切り分け、「看護する側のよろこびは、看護される側の満足と一致する」というきれいごと。

 この図式的な関係のなかでは、看護される側とする側の利害は無理やり一致させられます。図式的な糾弾に対して手落ちのないよう振る舞い、看護される側の満足だけを考えようとがんばるのは、自分が壊れるくらいしんどいことです。この点ひとつとっても、私たちは実によくやってきたと自分をほめていいくらいだと言ったら、言い過ぎでしょうか。

 しかし、図式的な関係のなかでは、やはり本当に人は出会えないのです。看護する側とされる側は、ともに人情もあればねたみ、そねみもあり、残酷だったりやさしかったりする一人の人間どうし。一人の人間どうしとしての関係を問いなおすことなしに、本当の出会いはないのではないでしょうか。もちろん、看護婦としてかかわる患者さん一人ひとりとそこまで出会う必要があるかは、その看護婦の心ひとつではありますが。型どおりの関係に縛られることは、自我をもった人間にとって苦痛であることは確かです。

 「気持ちのいい看護」を探るためには、表面的な和合をあえて乱してでも、看護する側とされる側がそれぞれの立場から、本当のことを言ったほうがいい。そんな気持ちで、誤解を恐れず、私は看護する側の立場から、自分の思いを伝えたいと思うのです。

 この本は、(私を含め)看護することに疲れ、ちょっと世の中をすねはじめた同業者に送るつぶやきのようなものです。それでもなぜかこの仕事にはひかれつづけているから、自分のためにも「看護すること」の意味を探りたくなる。この作業なしに私自身、この仕事を続けることはできないでしょう。この過程のなかでは、看護することのネガティブな問題から目をそむけることはできません。看護する側とされる側のどうしようもない溝や、看護することの報われなさなど――。

 これまで私たちがあえて避けてきた部分にまで踏み込んだうえで、看護について言語化したい。そのためにはまず、私自身の看護についてお話しすることから始めるつもりです。

(p7-10「ちょっと長いまえがき」より抜粋)