摘便とお花見
看護の語りの現象学

もっと見る

とるにたらない日常を、看護師はなぜ目に焼き付けようとするのか——看護という「人間の可能性の限界」を拡張する営みに吸い寄せられた気鋭の現象学者は、共感あふれるインタビューと冷徹な分析によって、不思議な時間構造に満ちたその姿をあぶり出した。巻末には圧倒的なインタビュー論「ノイズを読む、見えない流れに乗る」を付す。パトリシア・ベナーとはまた別の形で、看護行為の言語化に資する驚愕の1冊。

*「ケアをひらく」は株式会社医学書院の登録商標です。
シリーズ シリーズ ケアをひらく
村上 靖彦
発行 2013年08月判型:A5頁:416
ISBN 978-4-260-01861-6
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

お近くの取り扱い書店を探す

  • 更新情報はありません。
    お気に入り商品に追加すると、この商品の更新情報や関連情報などをマイページでお知らせいたします。

  • TOPICS
  • 序文
  • 目次
  • 書評

開く

●本書が第10回(平成25年度)日本学術振興会賞受賞!
《村上靖彦氏の研究は、医療実践や臨床現場を、現象学の立場から哲学的に分析することを通じ、従来の倫理や死生観や認識論を根本から見直そうとするものである。……フィールドワークに基づく研究ではあるが、それを、レヴィナス、フッサール、ハイデッガー、メルロ=ポンティといった現代哲学者についての地道で透徹した哲学的研究にリンクさせ、実践現場の具体的事象を、緻密で深い理論的洞察へ昇華させた、じつに意欲的で独創的な成果である。》――受賞理由(抜粋)

●『シリーズ ケアをひらく』が第73回毎日出版文化賞(企画部門)受賞!
第73回毎日出版文化賞(主催:毎日新聞社)が2019年11月3日に発表となり、『シリーズ ケアをひらく』が「企画部門」に選出されました。同賞は1947年に創設され、毎年優れた著作物や出版活動を顕彰するもので、「文学・芸術部門」「人文・社会部門」「自然科学部門」「企画部門」の4部門ごとに選出されます。同賞の詳細情報はこちら(毎日新聞社ウェブサイトへ)

開く

はじめに 語りの驚き

 看護師さんの語りはおもしろい。
 看護師は、私が身につけることのできない技能を持ち、私が決してすることのないであろう経験を重ねている。しかもこのような技能と経験は、同じ人間として地続きのものでもある。それゆえ看護師の語りを聴くとき、私は自分の経験が拡張されるように感じる。しかもそのような語りを文字に起こしてから分析すると、表面のストーリーの背後に、さらに複雑で多様な事象が隠れている。本書はそのような驚きを描いている。
 看護師は患者と医師のあいだに立つ。つまり病や障害を生きる患者と、科学と技術を代表する医師とのあいだに立つ。複雑な人間関係や医療制度の板挟みになりながら、生と死が露出する場面に、立ち会い続ける。緊迫した職場であり、人間の可能性の限界を指し示している。それゆえ人間の行為とはいかなるものかを考えるために、重要な示唆を与えてくれるのだ。
 本書は四人の看護師さんにインタビューをとり、その逐語録を、現象学という方法論を用いて分析した。内訳は、小児科から訪問看護に移った方、透析室から訪問看護に移った方、がん看護専門看護師、小児がん病棟の看護師である。そして付章で、現象学の方法論の説明を行った。
 これから一人ひとりの語りを分析することで、それぞれの看護行為とその背景がどのように組み立てられているのかを明らかにしていきたい。ここで取り上げた実践に、「自分と同じところがある」と共感する看護師さんもいるであろうし、「私とは違う」という人もいるであろう。ともあれこの「一人ひとりの語りの分析」という点が、本書のポイントとなる。裏返すと、類似点と交じり合う形で、その人にしかない特異な経験が生じている。経験と行為は、過去と集団に由来する習慣性のなかで準備されつつも、そのつど取り替えがきかない個別的なものとして生じる。本書ではこの個別的なものに〈意味〉を見出すために、個別の経験の〈構造〉を取り出すということをねらった。
 そして〈構造〉を取り出しながら、看護師の感情や心理状態ではないもの を、本書はつかまえようとしている。「心理ではない」ということはあらかじめ強調しておきたい。語りの内容は死にかかわる場合も多く、看護師さん自身が涙を浮かべていた場面もあるのだが、あくまで本書の分析は看護の行為を、醒めた目でしかし緊張感を持ってつかまえようと努力している。ときには語り手の意図を超える語りの自律した運動が、行為の構造を照らし出す。この仕組みについては、方法論について論じた付章で詳しく説明した。
 もちろんたった四人の経験を分析しただけであり、診療科、性別と年齢構成にも偏りがある。看護実践はほかにも無限に多様な広がりを持つ。本書が論じるのは、無限の可能性のなかのほんの四つの事例にすぎない。このことを踏まえたうえで、個別から出発した分析が、今後ゆるやかに接続しながら、補完し合って網の目を作っていくことを夢想したい。

 私自身は看護師ではない。このことが本書では大きな意味を持っている。「医療現場のことを何も知らないのにお前は何をやっているのか」という批判があるかもしれないし、批判は甘受しないといけない。しかしまさに何も知らない私のような素人に向けて看護師が語るという枠組みが、本書に特徴を与えている。四人の看護師さんはご自身にとっては当たり前の基本的なところから、ていねいに説明してくださった。さらには普段の前提を捨てて、あらためてゼロから自分の実践に向き合っていると思われる場面もある。それゆえにここでの語りは、一般の人に開かれたものになっているであろう。
 そして分析においても看護研究としてではなく、行為の哲学として読み解いている。それぞれの看護師さんがどのようにしてどのような行為を作り上げていくのかに私の興味はある。つまり、看護師自身が現場の改善のために行う狭義の看護研究とは、本書の性格は少し異なるであろう。
 本書は哲学の書物でもあるが、ただし現象学であって医療倫理は関心の外である。看護師さんたちがどのように実践を行っているのか記述し、錯綜した背景を解きほぐすことで、さまざまな行為の構造を発見したかっただけである。本書は何かあらかじめ目的を持った研究ではなく、私の知らない出来事と出会ったことそれ自体を記述しようとしている。
 未知の事象に開かれること、これが目的とは言いにくい本書の目的である。

開く

 はじめに-語りの驚き

Fさんの語り
 第1章 得体のしれないものとしての看護師 母親みたいな看護師みたいな
 第2章 摘便とお花見 訪問看護とケアの彼方

Dさんの語り
 第3章 透析室で「見える」もの 規範の空間論
 第4章 干渉から交渉へ シンプルな訪問看護

Cさんの語り
 第5章 抗がん剤の存在論 がん看護における告知と治療
 第6章 シグナル 死について語りたい

Gさんの語り
 第7章 時間というものはもともと決まっていて 小児がん看護における無力さの力
 第8章 ドライさん 子どもの死に立ち会う技法

結論
 追体験と立ち会い 四つの語りのまとめ

付章
 インタビューを使った現象学の方法 ノイズを読む、見えない流れに乗る

 注
 文献
 あとがき

開く

●新聞で紹介されました。
《看護師の語り口が興味深い。……その曖昧な部分が、人が人を看護する世界であって、私たちが考えている以上に複雑きわまる。》――出久根達郎(作家)
(『朝日新聞』2013年10月20日 書評欄・BOOK.asahi.comより)

《看護実践に潜む偶然性や一回性、唯一性を描き出すことは、看護の本質を明らかにする、実証研究とは異なるもう一つの有効な手段といえそうだ。》――浮ヶ谷幸代(相模女子大学教授文化人類学)
(『北海道新聞』2013年10月20日 書評欄・本の森より)

《「全体」と「部分」という現象学の大問題が驚きべき具体性を帯びて語られている。……現象学の問題意識が著者の中で鮮明に生きていると思い、思わず手をたたいた。》――小川侃(甲子園大学学長、京都大学名誉教授・哲学)
(『週刊読書人』第3010号 2013年10月11日より)

●著者インタビューが掲載されました。
《「やっぱり」、「なんか」、「でも」……。語りの「ノイズ」は語る》
(『図書新聞』第3127号 2013年9月21日より)

●書評関連ページ
看護師のためのwebマガジン「かんかん!」より
看護師のち研究者になったナースが『摘便とお花見』を読む、その第1回。
一日一摘 第1回 目に焼き付けようと思ったんです。


自分の経験が拡張される「驚き」の読書体験
書評者:西村 ユミ(首都大学東京大学院教授・成人看護学)

 “4人の看護師の語り”が現象学を用いて分析された本書を読み進めると,かつて私自身が行った,糖尿病を患う患者の食事指導,在宅療養へ移行する患者のケア等々が鮮明によみがえってきた。

 「自分の経験が拡張される」ように感じ,それに驚く。これは,本書の著者である村上靖彦さんの言葉でもある。その驚きに触発されて,著者は,「ケアの彼方のケア」としての看護行為論を編んだ。そのように生まれた本だからこそ,私の看護経験も触発されるのだ。そのからくりを少しだけ見てみよう。

「摘便」の意味が反転する
 本書では,「一人ひとりの語り」の錯綜〈さくそう〉する背景を解きほぐすことで,行為の構造を発見することがめざされている。例えば,なぜ看護師になろうとしたのか,という問いに,妹の病気とそれにまつわる子どものころの経験から語り始めるFさん。

 この語りの分析で,読者である私がまず出会ったのは,省略されずに引用されたFさんの長い語りである。ここでは,語りの流れ自体が分析され,困難な現実としての妹の病気,Fさんの生活,そして母親の存在,これらが組み合わされ,折り重ねられて,語りの構造が浮かび上がる。

 一方が〈地〉となることで他方が〈図〉として,新たな意味を帯びて浮かび上がる。例えば,子どものころのFさんに,言語化されることもほかの人と共有されることもない不快感として経験された母親による妹の「摘便」は,訪問看護師としての経験を語る中で回帰し,「療養者である当事者と話し合いながら」計画して行う看護ケアとしての「摘便」となった。こうした意味の反転を発見していく鮮やかな分析に,幾度もハッとさせられた。

事例ごとに違う分析の視点
 本書において,分析の視点は一様ではない。透析室から訪問看護へと職場を変えたDさんの経験は,1回目と2回目の語りの大きなコントラストが分析の手がかりとされた。語りの流れよりもむしろ,テーマが分析されることもある。あるいは,看護師と著者のやり取りの食い違いから看護の視点が浮かび上がってきたり,「なんか」「やっぱり」「だんだん」などの「シグナル」(語りのディティール)が分析を導いたりもする。哲学の課題や文学に誘い込まれる章もあり,著者が哲学者(現象学者)であったことを思い出す。

 なるほど,本書において村上さんは,徹底的に語りに忠実であろうとしたのだ。冒頭に述べたように,私が本書を読んで,自分の実践を想起しつつそれをとらえ直す作業を始めてしまったのは,著者の分析が常に語り手である看護師のパースペクティブからなされており,知らぬ間に,語り手と対話を始めていたためだ。章によって分析の視点やその方法が違っているのは,本書において「それぞれの人の経験がそれぞれ固有の構造をもつこと」,そしてその構造が,それぞれの語り方に強いられる方法によって分析され見出されたためである。

本書に巻き込まれ,驚いてみては?
 「事象そのものの方から」というスタンスに徹すること。これこそが現象学だ。著者も自らの作業を振り返って,最終章で「現象学の方法」を論じている。これを最初に読むか最後に読むかは,読み手に任せることにしよう。

 まずは本書を手に取って,看護師たちの豊かな経験,そして,その分析を通して浮かび上がる行為の構造に巻き込まれてみること,その驚きを経験してみることをお勧めしたい。そこに,読み手一人一人の固有の経験が,ある意味を持って浮かび上がってくるであろうから。

  • 更新情報はありません。
    お気に入り商品に追加すると、この商品の更新情報や関連情報などをマイページでお知らせいたします。