ナイチンゲール伝
図説看護覚え書とともに

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近代看護の創始者フローレンス・ナイチンゲール。クリミアの過酷な戦地で看護団を率い、帰国後は政府を動かし医療・福祉の広範な改革を主導した彼女は、みずから病み人として半世紀在宅に引きこもって暮らした孤高の人であった——。ベストセラー 『まんが 医学の歴史』 の著者が向き合った、ナイチンゲールその生涯の物語。月刊 『看護教育』 で好評を博した連載内容を改稿、さらに図説看護覚え書を描き下ろして収載した。
茨木 保
発行 2014年02月判型:A5頁:208
ISBN 978-4-260-01840-1
定価 1,980円 (本体1,800円+税)

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まえがき(茨木 保)/刊行によせて(薄井坦子/川嶋みどり)

まえがき

天使とは、美しい花をまき散らすのではなく、苦悩する者のために戦う者だ
An angel, not by spouting a beautiful flower, the suffering of those who fight for

 この言葉は“クリミアの天使”と讃えられたフローレンス・ナイチンゲールの名言として知られています。ナイチンゲールを描いたまんがは、これまで本邦で多く出版されてきました。しかし、その多くは子どもを読者層に想定したものであるせいか、彼女の「博愛と献身」という側面に焦点を絞ったものです。
 本書の第Ⅰ部は、欧米で書かれたナイチンゲールの伝記や、本邦での専門研究者の資料をもとに、彼女の人物像を人間くさい面も含めそのままにまんが化しました。そのため、ここに描かれたナイチンゲール像は、多くの日本人が彼女に抱く「白衣の天使」というイメージとはいささか異なったものかもしれません。
 「戦士」として生きたフローレンスの生きざまを通して、彼女がなぜ「天使」と呼ばれるにふさわしいのかを考えていただけたらと思います。

 第Ⅱ部に収録した図説『看護覚え書』は、ナイチンゲールの代名詞とも呼ばれる看護学書『看護覚え書』(Notes on Nursing)をまんがとイラストで図解したものです。原本は150年前に書かれたものですので、その内容は現代の医学常識には合わない部分もあるのですが、今回のまんが化にあたっては科学的にナンセンスな部分も修正せずに描きました。大切なことは時を経ても変わらないものです。
 19世紀に生きた近代看護学の創始者の言葉の中に、21世紀にも通じる看護の エッセンスを読み取っていただければ幸いです。

 茨木 保


刊行によせて
ナイチンゲールは‘見てしまった人’か

薄井坦子

 私は、かつて‘看護とは’をつかめないまま実践現場に入り、三交替勤務についた初日に、他者に責任を負う自己に気づいてふるえた。そして、自己の行為を看護にするための判断規準を自分でつくり、それなりの効果をあげるようになった頃、「よい看護」のつもりが患者を怒らせてしまった苦い経験がある。
 その疑問を解こうと答えを探した『看護覚え書』によって、‘看護とは’が一挙にわかった。ナイチンゲールが、私の原点になった瞬間である。

 看護は人間にとってかけがえのない‘いのち’と‘暮らし’を支える仕事であるからこそ、‘健康の法則=看護の法則’を判断規準にしながら、人々の個別な健康状態をみつめ、それぞれの人が日常生活を調整できるように支える仕事なのだと確信して、教員となった。
 専門学校・短大・大学のそれぞれで、さまざまなナースの育ちを見てきた。専門知識の学習や専門技術の習熟こそ、と熱意を燃やすナースたち、‘看護とは’を実感し活き活きと取り組みながらも苦しむナースたちをも見てきた。そして、揺るぎない看護の心に満ち満ちた地域の実現を夢みて、ナイチンゲールに原点をおいた大学づくりとナースの育ちに熱中してきた。

 ‘自由人ナース’となった現在、膨大な資料を前にナイチンゲールの折々の決断と行動の原動力となったものはなにかと考え続け、ナイチンゲールは‘見てしまった人’ではなかったかと思う。
 生涯を水俣病研究に打ち込み、胎児性患者の存在を明らかにした原田正純氏〔1934-2012〕は、なぜ水俣病に?と問われ、「見てしまったから」と答えていた。
 ナイチンゲールの頭脳は、あの時代の何を見てきたのであろうか。そして、どのように感じる心と考える力を育くんできたのであろうか。

 そのナイチンゲールが「まんが」作品になった。私は、わずかなまんがしか知らない世代なのでちょっと驚いた。そして、すぐ『ガラスの仮面』を思い浮かべた。これは、女優が、他者の役づくりに取り組んだプロセスを描いた「まんが」で、看護学生に不可欠な‘もう一人の自分’をつくり出す頭脳の訓練にとても役立つ教材となった。

 「まんが」のもつ力に期待しつつ、読者の皆さんが、ナイチンゲールの日々の体験や思いを感じとり、看護するエネルギーとよろこびをつかんでいただきたいと願っている。

薄井坦子 USUI Hiroko
1932年生まれ。高卒後へき地勤務教員経験を経て1958年お茶の水女子大学教育学部卒業。1961年東京大学医学部衛生看護学科卒業。日本医師会勤務で「看護とは何か」を問われ、病棟で実地調査を行った後に臨床現場に移る。その後、東京女子医科大学附属高等看護学校教務主任など教職を歴任、1975年千葉大学看護学部基礎看護学講座主任、1997年千葉大学名誉教授、宮崎県立看護大学初代学長。ナイチンゲール看護論に啓発された日本の代表的な看護学者。現在はフリーの立場で講演活動、後進の指導に当たる。看護科学研究学会会長。主著『科学的看護論』(日本看護協会出版会、1974年)。


刊行によせて
‘彼女’を超えることが現代の困難を乗り越える鍵

川嶋みどり

 私が大好きなナイチンゲールは、誰もが当たり前と思っていることを疑い、批判的な精神に溢れていて権力を恐れない女性としてのナイチンゲール。そして、人間的な喜怒哀楽を率直に表現するナイチンゲールです。

 60年を超える私の看護師生活の中で、「ナイチンゲールだったらどのような判断と行動をしたかしら」と思ったことが2回ありました。1度目は、50年以上前のこと。“自己犠牲”が看護師にとって最大の美徳とされていて、このままでは本当に自立した専門職とはなり得ないと、全国の多くの看護師たちが人間らしい労働条件を求めて立ち上がったときでした。でも、その道理を誰もが支持したわけではなく、闘いの途上で幾度も挫折しそうになり、彼女の声を聞きたかったのです。

 2度目は、未だ記憶に新しい東日本大震災と大津波、そして引き続く原発事故の直後でした。現地に足を下ろして、被災の現状を目の当たりにしたとき、彼女だったらどのように情報を集めて動くだろうと思いました。
 しかし、今の私が生きているのは21世紀。19世紀の彼女に学びながら、彼女を超えることこそ困難を乗り越える鍵であると思って、被災地支援活動を続けています。
 そして、「看護師は看護に専念すべき」との彼女の言葉を、機械依存によって歪みがちな看護のありようを正すツールにし、「看護と看護でないものを明らかにする目」を曇らせず、「自然の回復過程を整える」実践を通して、人間らしくその人らしく生きていくことを可能にする看護の足場を固めて欲しいと願う日々です。
 彼女の語る看護が150年の時を隔ててもなお、新鮮に響くのは、自らの直観や経験知をないがしろにせず、できごとを真摯に見る目と豊富なボキャブラリーゆえと思います。

 また、彼女ほど多くの伝記を書かれた人もいないでしょう。まんがという日本特有の文化を通して彼女を最初に知った若いみなさんも、伝記作家の評価をうのみにせず、彼女自身の著作を熟読して、彼女の思想や看護に関する考え方を掬いとって欲しい、そして本作で描かれる彼女の姿や言葉——後世に残ったナイチンゲール自身の手紙に基づいて構成——もまた、みなさん自身の目でみて、その頭で考え咀嚼して欲しい多面的な作品です。
 著者は現役婦人科医(奥様は看護師、助産師)とのこと。本作が、皆さんがナイチンゲールの生き方と、そして看護学の原点である『看護覚え書』に親しみをもつきっかけになればと願います。

川嶋みどり KAWASHIMA Midori
1931年生まれ。1951年日本赤十字女子専門学校卒業。日赤中央病院で病棟・教務あわせ20年勤務後、退職。 1971年より在野にて各種看護教育の講師を務め、後進を育てる。1965年東京看護学セミナー設立。1974年中野総合病院看護婦教育顧問。1982年健和会臨床看護学研究所所長。2003年日本赤十字看護大学教授。2011年日本赤十字看護大学名誉教授。2007年第41回フローレンス・ナイチンゲール記章受章。東日本大震災の被災者支援を継続し、「東日本これからのケアプロジェクト」代表を経て、2013年日本て・あーて(TE・ARTE)推進協会代表。日本看護歴史学会理事長。近著『看護の力』(岩波新書、2012年)。

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第Ⅰ部 ナイチンゲール伝
 第 1 話 食卓恐怖症
 第 2 話 神の声
 第 3 話 舞踏会と農民小屋
 第 4 話 天職は看護師
 第 5 話 結婚か仕事か
 第 6 話 レゾンデートル
 第 7 話 ナイチンゲール式病院第1号
 第 8 話 地獄の戦場
 第 9 話 軍の掟
 第10話 金槌を持った婦人
 第11話 ランプを持った淑女
 第12話 クリミアの悪夢
 第13話 リビドーとデストルドー
 第14話 小陸軍省
 第15話 病み人フローレンス
 第16話 喪失
 第17話 博愛
 第18話 和解

 幕間に 「自分嫌い」のナイチンゲール

第Ⅱ部 図説「看護覚え書」
 第Ⅰ章 換気と保温
 第Ⅱ章 住居の衛生
 第Ⅲ章 小管理
 第Ⅳ章 音
 第Ⅴ章 変化
 第Ⅵ章 食事
 第Ⅶ章 食べ物について
 第Ⅷ章 ベッドと寝具類
 第Ⅸ章 光
 第Ⅹ章 部屋と壁の清潔
 第Ⅺ章 体の清潔
 第Ⅻ章 余計なおしゃべり-気休めや忠告
 第XIII章 病人の観察
 結び
 補章

 あとがき
 ナイチンゲールの夢-1893年

 主要参考資料
 フローレンス・ナイチンゲール 年譜と主著
 索引

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やはりナイチンゲールはすごかった (雑誌『看護管理』より)
書評者: 小山 珠美 (医療法人社団三思会法人本部 摂食嚥下サポート担当/看護師,NPO法人 口から食べる幸せを守る会 理事長)
 ナイチンゲールの葛藤,闘い,行動,使命感,変革するたくましさが一体となって伝わってくる1冊である。文字だけでは伝わりにくいことを漫画を通じて可視化することで,相乗効果を得ようとするナイスアイデアだ。

 登場人物の表情,しぐさ,発する言葉の集合体には,思いのほか深いメッセージが込められている。しかも,150年も前とは思えないほど時空を超えたリアリティーを感じさせる過去と現在とが融合した世界観が押し寄せてくる。

 いつの時代も,壁や圧力にぶち当たりながらも,アグレッシブに乗り越えていくたくましさが必要だ。その意味で,やはり,ナイチンゲールはすごかった!

◆1コマ1コマに没頭し,自分を投影する

 本書を手にして,「面白そう,漫画本になっているからすぐ読めちゃう!」とまず思った。ところが,実際に1コマ1コマ読み進めていくと,思いのほか時間を要した。それはまるで,引っ越しの荷物整理のときのようだった。荷物を整理・整頓するはずが,懐かしいアルバムや思い出メッセージが出てきて,長時間座りこんで読みふけってしまう。それと似た状況に陥った。

 ナイチンゲールと作者の価値観や世界観に触れ,それが確実に自分自身に投影されていく。「もしも私だったらどうしていただろう……?」とさまざまな場面にワープしてしまう。

 なるほどと思うことばかりではない。「そうだそうだ!」とイケイケモードの気持ちが湧き上がってきたかと思うと,その一方で重々しい気持ちに陥ったりする。今の私はこれでいいのか? 私が成すべきことは何か? 自身の共感・葛藤・気概・希望の精神が次々と押し寄せてくる。なんと読み進まないこと!

◆ナイチンゲールは「闘う女」だった!

 第1部ではナイチンゲールの苦悩と戦いを目の当たりして,自分のこれまでの生き方,時として情緒的な感情の露呈,人との関係性までもが,走馬灯のように浮かんでは時間が交錯するという感情を覚えた。

 あの時はつらかったし,悔しかったし,今もストレスだけど,ナイチンゲールの試練や苦悩と闘いに比べたら私の悩みなんてどうってことない。特に,35頁では彼女は看護師になってすぐに,経営難に陥っている病院の立て直しの監督者となる。その時,「病人を回復させるものは,何よりも清潔な環境!」という信念を貫き通す。委員会のメンバーには,彼女の性急な改革に異を唱える者もいたが,彼女は妥協しなかった。「私の方針に従えないのであれば辞めてもらいます」。そして,無能な職員は解雇させられるか自分から退職した。

 こうして病院はハード面,ソフト面共に一新され,近代的なナイチンゲール式病院が誕生した―。

 著者も書いているが,まさにナイチンゲールは優しさと冷徹さ,謙虚と傲慢,慈愛と残酷さとを併せ持っており,生きるということはまさしく苦しくあさましいこと,それでも“闘う”価値があるということを教えてくれる。

 ナイチンゲールがいかに悩み苦しんだ上でメッセージを残してくれたかが,漫画の中の表情や仕草からあふれるほど伝わってきた。個人的に壁にぶつかっていた時期であったことも重なり「そうだ! 私も闘う女になるぞ!」と決意を新たにした。

◆160年前と今日がつながる

 唯一,兵士とナイチンゲールらの笑顔が如実に出ている54頁にはほっとした。スクタリでの最初の仕事は患者に「食事を与えること」であった。「まわりの人間が気を使って患者に与えるべきものとして,食事は呼吸する空気に次いで重要なものである」と書いてある。葡萄酒入りのスープの匂いをかぎ,あたたかくおいしいスープが口の中に広がり,のどを通った時の兵士の嬉しそうな表情が描写されていて,思わず「頑張る力が出てきてよかった」とほっとした。

 おいしいものを食べると,人間は幸せな笑顔になる。そればかりか,頑張る力が湧き上がる。このページでの描写は単に食事を与えればいいのではなく,その人が「おいしく笑顔で食べられる食事は病気の回復力を加速する」ということがよく伝わってくる。しかしながら,ナイチンゲールが与えたスープをおいしく喜んで飲む兵士を見て,心よく思わない調達官が軍部の上司に「我々の邪魔をする」と告げ口するシーンがある。それをこっそりと見ていた彼女は「とんだ言いがかり」と鋭く2人をにらみ付ける。“ああ,私もこんな場面を幾度も体験したなあ”と思い返し,その時の私の表情はきっと彼女と同じ「この憎々しい奴!」だったのだろうと笑えた。食事の援助をしているときは緊張もするがとても優しい気持ちになれる。心のこもった食事を提供できる幸せを感じる。

 「食べる」って,病気と闘い,頑張る勇気を与えることになるんだと再確認し,あらためて160年前と今日がつながった。過去,現在,未来をつなぐメッセージに嬉しさが湧き上がった1コマである。ナイチンゲールが生きていたらきっとこう言うだろう。「食べさせない看護なんてありえない!」と。

◆質の高い看護って素晴らしい!

 第II部「図説『看護覚え書』」には,看護師としてやってはいけないこと,気を付けなければいけないことがより詳細に描写されている。彼女の細やかな感性はすごい! しかしながら,この指摘と示唆を見事に描写している著者の感性の鋭さにも感銘を受ける。161頁「患者の観察」の描写には“そうだそうだ”とつい呟いてしまった。以下に引用する。

「よい看護とはどの病人にも共通するものと,個々の患者によって異なる特徴をよく観察することにつきます。“特殊な力”がある看護師は患者に影響を与えるものをよく観察しているのです。食事をうけつけず衰弱しつつある患者がいましたが,ある看護師に任せると,すぐに食べられるようになりました。彼女はただ,患者がスムーズに飲み込めるように食事を与え,枕をうまく頭に当てがっていたのです。患者によっては窓を開けたり,顔や手を洗ったり,首の後ろをぬれタオルで拭くだけで食べられることもあります。気がふさいでいる患者は元気づけると食べる気がでてきます。看護師にとって大切なのはこうした細かいことをよく観察することです」

 “看護は観察で始まり観察で終わる”という言葉がすぐに浮かんできた。

 よく観察すると,何が問題で,何をしてあげれば,どんな結果を招くかが見えてくる。現場でよく「この人はむせる,食べてくれない,喉の通りが悪い」などといって食事を下げたり,危険だから止めてしまう医療関係者に遭遇するが,何を看て,どんな努力をしたのかを問いたい。うまくいかないのは患者さんの問題ではなく,自分の観察力とスキルが不足しているから! と思うことが多々ある。そう思って看護をしないとあっという間に患者は食事に対する興味をなくし,さらなる生命力の消耗を来すことになると肝に銘じるべきである。

 ここでは,食べることにこだわったが,そこに限らず質の高い看護を目指そうとする看護学生や仕事に迷いをもっている人たちには是非読んでもらいたい。自分が仕事として何をなすべきかを必ずや導いてくれる1冊である。

◆使命感を形に

 第I部でナイチンゲールの生きていた時代背景や生きざまを知った上で,第II部を読み進めると『看護覚え書』の理解がいっそう深まる。彼女の本質を見抜く観察眼の鋭さ,思考力の深さ,ビジョンを実現する行動力の粘り強さを感じることができる。葛藤,自己との闘いがあっても失敗を恐れない彼女の行動力にはあらためて敬服する。そして,今に満足するなかれ! 悪は正す,正義を貫くという魂の強さがいたる場面で伝わってくる。ビジョンは行動に,失敗は次なる行動へとつながる。結果は成果をもたらし,未来への道しるべとなる。

 112頁に,彼女の言葉として「神は世のためになる仕事をせよと命じた」とある。ここでも“使命感”って何だろうと考えた。辞書をひもとくと「mission:自分に与えられた任務を果たそうとする気概」とあった。私ももう一度自分のこだわりを貫き通そうと思えた。そして,文字にしてみようという決意を起こさせてくれた。

 とはいえ,この1冊を仕上げるまでにどれくらいの時間と労力と根気を要したのだろう。途方もない作業をやり遂げていただいた著者の使命感あふれる粘り強さと行動力に感謝したい。

(『看護管理』2014年7月号掲載)
深い迷宮の入り口に導かれたような“等身大の彼女”との出逢い (雑誌『精神看護』より)
書評者: 新納 美美 (育ちの支援オフィス かんごの木代表・保健師)
◆「知っている」とスルーしてはもったいない!

 本書は、月刊「看護教育」に連載された漫画によるナイチンゲールの伝記に、その代表作『看護覚え書』の図説等が加筆され書籍化されたものです。

 単に偉人を知るにとどまらない様々な読み方ができ、連載時からのファンも当時をはるかに超えた重厚感を覚えることでしょう。学術資料を参照した確かな内容でありながら肩凝り無用の柔らかな間(ま)が表現されているのも漫画のなせる技。そこには、彼女の人としての生活が感じられるのです。

 著者は“神格化された彼女”ではなく“等身大の彼女”を描出することに力を注がれています。等身大の彼女との出逢いによって、教科書的に整然とした看護との対面時には感じることのない感覚を覚えます。それは、現在に至るまでに看護がつくり上げてきた広くて深い迷宮と対面する感覚とも言えるでしょうか。

 本書は、“知っているはず”の看護学にもう一度新たな関心を寄せるきっかけにもなる、まさに、長く連れ添った伴侶に惚れ直すような一冊と言えるでしょう。

◆フローレンスの心の闇

 本書には、フローレンスの心の内側をうかがい知ることのできる記述が多数みられます。

 幼少期からみられる独特の気質、家族関係の問題、トランス状態、鬱……。クリミア後の彼女は、病んで引きこもったまま大きな仕事をこなしていきます。あらためて、1人の人間の才能は他人によって引き出され、生かされ、形になっていくのだということを感じます。己の魂を護るがごとく症状を呈し“死にたい”と言いながらテキストの世界で暮らす彼女の姿からは、心理社会的健康とは何かを考えさせられます。

 そして、彼女が、自らの唱える看護を生かし続けるためのセルフケアにおいてもある意味で卓越していたということが理解できます。

 「彼女がなぜ「天使」と呼ばれるにふさわしいのか考えていただけたらと思います」と著者はまえがきに記しています。精神看護を愛する者にとって含意の深い言葉です。

 著者は、フローレンスの陰の部分を淡々とした語り口調と、シンプルながら少々ユーモラスな絵で表現しています。正統派の写真のように光と陰のバランスがよい表現には、心に闇を抱える人への愛すら感じられます。その治療的とも言える著者のまなざしの理由(わけ)が、あとがきを読むことで腑に落ち、読み手に新たな感動を与えてくれるのも本書の魅力です。

◆科学領域の起源を見つめることの意味

 本書のもう1つの魅力は、看護学の起源を見つめられる点でしょう。ゼロが無限大と親和性を持つように、無から有が産み出された現象をみつめることには無限の可能性が秘められているからです。本書は、『看護覚え書』という“看護学の起源”とその内容を産みだしたフローレンスの思考の基盤を垣間見ることのできる伝記が一体になっています。これらを一望することによって、フローレンスの思想が生まれた背景や、彼女の因果的な物事の捉え方の特徴など、看護学が大切にしてきた考え方の素顔が見えてくるようです。

 科学としての看護学が課題とするものを抽出し、そこに真摯に向き合うのも今後の看護学の発展に求められるもの─。本書が一見、普通の漫画のような顔をしながらも、そのヒントが見え隠れするのが、学術書に劣らない重厚感の隠し味になっているのだと思います。

(『精神看護』2014年7月号掲載)
ナイチンゲールだけに許された自分にも人にも厳しい人生 (雑誌『看護研究』より)
書評者: 宮子 あずさ (看護師,著述業)
 子どもの頃から私は,「白衣の天使と言われているけど,実際のナイチンゲールは権力べったりの嫌な女だった」と信じてきました。

 はてさて,いったい誰がそんな話を吹き込んだものか。母が市民運動をしていた関係で,私は,反権力な大人に取り囲まれて育ってきました。この話も,多分その中の誰かが吹き込んだのだと思われます。

 そんな先入観を持ちながら読んだ『ナイチンゲール伝』は,そんな私の確信を一面では深めると同時に,権力志向だけではない魅力も感じさせてくれました。

 著者の茨木保氏は,医師にして漫画家。この評伝も,漫画で書かれています。茨木氏はナイチンゲールを,看護を確立し,病院を変えた変革者として描きます。

 膨大な仕事を成し遂げた彼女は,多くの人を犠牲にし,自らを病に閉じ込めてエネルギーを爆発させる,心の闇の深い女性でもありました。目標のために,権力者とも進んで手を組んだ。「ナイチンゲールは権力べったりの嫌な女だった」という見方が生まれるのも,あり得ることと思います。

 ただ,この本に出てくるナイチンゲールは,信念,情熱,強迫性など,内的な衝動に突き動かされて,仕事を成し遂げた人に見えます。その意味では,権力者と組むというのは,彼女にとっては手段に過ぎず,権力志向が強かったとばかりは言えません。また,彼女の犠牲になって,過労から命を落とした人までいたようですが,その人たちは恐らく,進んで我が身を捧げたのでしょう。

 才能に恵まれ,人を動かす才覚を持つ,ボーダーラインチックな女性。彼女は,晩年は寝たきりになりながら,人を操作し,最後まで強迫的に仕事を続けたのでした。

 「彼女は天使……彼女は悪魔……彼女は天才……彼女は嘘つき……」と,著者はナイチンゲールの多面性を描いています。私がそれに続けて言うなら,「彼女は強迫症……彼女は境界型人格障害……」。そんな風にも読めます。どこまで彼女が自分の精神病理に気づいていたかはわかりません。けれども結果として,彼女はそれを手なずけ,膨大な仕事の成果を生み出しました。

 著者の愛情も感じられ,私はこの本に描かれたナイチンゲールには,とても魅力を感じます。彼女はとても生きづらく,なすべき仕事に没頭することのみが,生きるすべだったように見えます。

 彼女は「ナイチンゲールだから許されること」をたくさんやって,その生を終えます。常に孤独であったでしょうが,一面では,実にうらやましい人生と言えるでしょう。

 正直言って,上司としては勘弁です,彼女。もう,殺されてしまう。でも,実害がなければ,とてつもなく魅力的な女性なのは間違いなし。遠い昔のレジェンドとして感謝しつつ振り返るには,これほどすばらしい人はいません。

 ナイチンゲールと『看護覚え書』は,看護師なら学んでおきたい歴史の重要事項であり続けるでしょう。この本はそのための出発点として,まさにふさわしい本。是非多くの方に読んでいただきたいと思います。

(『看護研究』2014年6月号掲載)
人格のリアリティから生きた時代までの理解が深まる (雑誌『看護教育』より) )
書評者: 川原 由佳里 (日本赤十字看護大学准教授)
 看護を代表する人物といえばナイチンゲール。彼女ほど数多く取り上げられ,議論されている人はいない。そのなかで,今回の『ナイチンゲール伝』の魅力をあげるとするならば,1つは,著者が医師・歴史研究者(科学者)として,あくまでも事実の正確さを追求している点であり,もう1つは,漫画家(芸術家)としてナイチンゲールの体験の生々しい強度や色彩を伝えつつも,テンポの良い文章と構成の妙により,最後まで飽きずに読ませる技巧が施されている点だと思う。読み始めたとき,漫画にしては多すぎると思った量の文字も,この作品のもつ2つの重力(執念?)に引き寄せられ,一気に最後まで読みきってしまった。

 いたずらにナイチンゲールを神聖視しない,公平なまなざしもこの作品の魅力である。看護の関係者だとそうはいかない場合もある。看護にきわめて近く,しかし看護を専門としない医師という立場が奏功したと思う。そのためかナイチンゲールの人物の多面性があますことなく描かれており,読み手は「どう受けとめればよいか」という困惑を経て,しまいには「いやもう,これはありのままに受けとめるしかない」と諦念にたどりつく。ナイチンゲールは,可憐,繊細,きわめて賢く,高潔である一方で,極端,強情,とんでもない暴君でもある。そんな多面的なナイチンゲールから,肌で感じるような人格のリアリティが伝わってくる。意外にも読後感は穏やかである。

 本書は2部構成になっており,第I部「ナイチンゲール伝」の後に第II部「図説『看護覚え書』」が配置されている。II部では『看護覚え書』の要点が,絵や図とともにまとめられている。ナイチンゲールの文章はどちらかといえば散文的なので,このように要点をまとめてもらえると把握しやすく,わかりやすい。加えて,第I部でナイチンゲールの生きていた時代や彼女の生きざまを知ったうえで読むと,『看護覚え書』の理解もよりいっそう深まるし,彼女のものごとの本質を見抜く観察眼の鋭さ,思考力の強靭さ,そして思い描いたビジョンを実現する行動力の粘り強さを感じることができる。

 ナイチンゲールに関する言説は繰り返され,時代のニーズを反映して少しずつ変化してきた。すでに聖女のイメージは時代遅れとなり,今日の保健医療福祉分野の改革の必要性から,改革者としてのナイチンゲールの姿に光が当たっている。個人としての彼女が,どのようにして家族,性別,宗教,科学,医療,社会などの,暗黙かつ,ときに巨大な権力をもつシステムに立ち向かったのかを,多くの人々が彼女の伝記を通じて学ぶようになったとき,変化はさらに勢いを増すかもしれない。死んでなお,大きな影響力をもつナイチンゲールへの畏怖と,そんな期待をもたせてくれたお勧めの一冊である。

(『看護教育』2014年6月号掲載
マンガでナイチンゲールを学びなおす (雑誌『助産雑誌』より)
書評者: 福澤(岸) 利江子 (東京大学大学院医学系研究科家族看護学教室 助教)
 助産師(産婆)は英語でmidwifeです。日本の助産師は戦後に看護師免許をもつことが義務づけられたため,正確にはnurse-midwife(看護助産師)といいます。現在,世界の助産師をみわたすと,看護師免許を必要としないダイレクトエントリーの助産師が多いことに気づきます。むしろ,そちらのほうが主流だと感じるほどです。興味深いことに,看護の祖ともいえるフローレンス・ナイチンゲールを生み出したイギリスで,助産師は看護師免許を必要としません。しかし,実はナイチンゲールは当時,助産師学校創設にもかかわっていたのでした。

 本書を読むと,看護と助産に共通する考え方に何度も出会います。すなわち,自然が働きかけやすい最高の状態に患者を置くことの大切さ,患者に負担をかけない方法で十分に観察することからケアが始まること,など。さらには,自分がいない時にも同じケアが提供されるようなしくみをつくることが責任をもつということである,医師に対する従順さは知的であるべき,と看護師の態度について諭します。ナイチンゲールは,他人の健康の世話をするすべての人が看護師であるといいます。彼女が神の声にしたがい看護の仕事に邁進したことも,妊娠・出産の真理を追究する助産師がどこか神がかってくることに似ているのではないでしょうか。

 現代の私たちは,看護師・助産師はあたたかい人柄と社会性を備えていなければ,臨床経験は最低○年以上,もっと資格をとって,進学して……,など,さまざまな「できる看護師・助産師の条件」を信じ,プロとしての自分に自信をもちにくくなっている気がします。しかし本書を読むと,それらの条件からかけ離れていたナイチンゲールが,これほどの偉業を成しとげたことに驚きます。

 本書は,あるがままの看護・助産の姿を見直す機会を与えてくれます。自分をよい看護師・助産師にするのが外づけの条件ではないとしたら何なのだろう?と考えさせてくれます。

 看護師であれば誰もが知っているナイチンゲールですが,その著作は学生の頃に読んだだけで長く遠ざかっていたという方は私だけではないと思います。社会人になってから読み返すと,学生の頃には読み流していたことがたくさん心に響きました。助産師が看護師免許ももつことは強みだと嬉しく思いました。医療の進歩に伴い,助産だけでなく,看護も「看護〈みまも〉る」という本質的な役割がみえにくくなっている現代,ナイチンゲールの言葉に立ち返ることは,看護職としてぶれずに働き続けるためにも,看護職以外の人々へ看護について説明し理解を得るためにも,とても有意義だと思います。

 本書はマンガなので,仕事で疲れている時でも,わかりやすくユーモアのある絵のおかげで,すんなり頭に入ってくれます。今やマンガは日本が誇る文化ですので,本書が翻訳されることを願っています。仕事で海外を訪れる際に,前作の 『まんが 医学の歴史』 とあわせてお土産にできたら,海外の仲間に絶対に喜ばれると思います。

(『助産雑誌』2014年6月号掲載)
書評 (雑誌『訪問看護と介護』より)
書評者: 村松 静子 (看護研究センターLLP代表)
 本来の看護とは、診療の補助だけにとどまるものではない。「人間の生きようとする主体性」を重視するものである。看護の原点は「在宅」にある。また、看護学の原点は、現代看護学の基礎を築いた英国人女性のフローレンス・ナイチンゲールが39歳にして在宅で書きあげた『看護覚え書』にある。ナイチンゲールは、看護教育の手引き書としてではなく、「すべての女性は看護師になるべき」という信念のもと、看護の仕方を体得するための手がかりとして『看護覚え書』を記述したのである。

◆時を経ても変わらぬ「看護の原点」

 本書は、第I部「ナイチンゲール伝」、第II部「図説『看護覚え書』」から構成された漫画である。文章では伝わらないそのときどきの精神・心理状態を、動的な描写とセリフで声にしている。これにより、自分がなぜ生きているのか、いかに生きるかという葛藤を伝えている。また、添えられた「幕間に—『自分嫌い』のナイチンゲール」「補章」「ナイチンゲールの夢—1983年」は、豊かで濃い内容を生み出し、文脈を引き締めている。

 この書を手にして、まず目に止まるのが、愛くるしいナイチンゲールと全国の看護学校で収集した肖像画像である。ランプの灯火を手にしたナイチンゲールの姿が蘇る。

 看護は時代の流れとともに変化する。環境が様変わりし、人間の生活も変わり、高齢化が進み、医療が高度化し、看護の専門性がより問われる時代になっている。しかし、時を経ても変わらないのは「看護の原点」である。

◆ナイチンゲールの生き方を自分と対比させて

 ナイチンゲールは34歳のとき、クリミア戦争の戦地で奮闘していた。私は34歳のとき日本で11番目のICUの開設に携わった。ナイチンゲールと自分の生き方を対比させながら読み進めることで、憧れが親しみに変わり、21世紀に生きる自分が19世紀に生きたナイチンゲールと語り合う楽しみを味わった。童話や伝記とは焦点が異なる、ナイチンゲールのその人となりに出会えた。

 政治・医学・統計学に造詣が深く、戦場で死んだ兵の多くが、敵の弾ではなく、英国陸軍の劣悪な医療・衛生環境のために死んだことを示した「ナイチンゲールのバッツ・ウィング」の説得力には圧倒された。思わず高笑いした場面もある。「昨夜は眠れましたか」「見りゃわかるだろ……」。今でもありそうな看護師と患者のやりとりが見てとれる。登場人物のセリフを囲った吹き出しからは、笑いだけではなく、そのものズバリの教えがある。看護のエキスとともに本来の看護のプロセスを辿ることができる。

 著者は、ナイチンゲールの生きざまに自分の母を見ていたという。膨大な量の参考文献を読んで生み出された本書には、ナイチンゲールの心髄が幾重にも重なって沁み込んでいる。看護職・看護学生はもちろん、ナイチンゲールの名を知る多くの方々に読んでいただきたい1冊である。

(『訪問看護と介護』2014年5月号掲載)
ナイチンゲール,彼女の苛烈な人生 (雑誌『保健師ジャーナル』より)
書評者: 金井 一薫 (東京有明医療大学特任教授 ナイチンゲール看護研究所主席研究員)
 本書は,ナイチンゲールの生涯と彼女の代表作である『看護覚え書』とを,漫画で描いた本邦初の著作である。ナイチンゲールの伝記を漫画で描くという試みはすでに行われているが,難しいと言われている『看護覚え書』の内容を,図解で示すという手法は新しい発想である。さらに本書には「ナイチンゲールの夢—1893年」と題して,晩年のナイチンゲールの理想が紹介されている。

 ナイチンゲールは,1876年に「究極の目的は,すべての病人を家庭で看護することである」と言って,地域看護をシステム化する必要性を強く訴えたが,1893年の論文は,この同じテーマを看護の本質にもとづいて説きながら,世界の人々に向けて発信したものであった。どれも読みごたえのある内容で,漫画本と思って気軽に手にしたら後戻りできない重みがある。

 一般的に,ナイチンゲール伝と言えば少年少女向きのやさしい内容だろうと考えられがちだが,あながちそうではない。世界に共通するナイチンゲール伝の代表作は1913年発行のエドワード・クックによるものと,1950年発行のセシル・ウーダム=スミスによるものとがある。これらはいずれも原著で500ページを超える大作で,内容的にも史実に近いとされている。わが国におけるナイチンゲール伝の大半は,これらいずれかの伝記を下敷きにして書かれている点が共通しており,その点で各伝記のストーリーに大きな違いはない。

 しかし,ナイチンゲールという人物は,第三者が理解するには難しい内面(キリスト教の神と対峙する自己)をもっており,加えて生涯にわたり病気や症状を抱えて生きたという事実が,ナイチンゲール像を描く作家による評価の違いを生み出してきた。伝記作家たちが,同じ内容のナイチンゲール伝を編まないために,各自のナイチンゲール評価に独自の視点を取り込んできたのは当然であろう。今,私の手元にある23点のナイチンゲール伝がこのことを物語っている。

 ナイチンゲールの生涯は3期に分けてとらえると理解しやすくなる。第1期は31歳までの,人間としても女性としても自立が阻まれて苦しんだ時代である。第2期は51歳までで,自分らしい仕事を社会に向けて成し遂げた時代である。この時期に代表作となる主要な著作を書き残している。そして第3期は,長年患っていた病気から解放されて比較的穏やかに(晩年の10年は視力を失い,認知機能も衰えてはいたが)生きたおよそ40年間である。地域看護の実現に向けた夢は,この第3期に書かれている。

 現代の看護師がナイチンゲールを理解するにあたっては,各期の彼女の著作の内容と照らし合わせて,その生き方を理解し,その心境を推し量る思いやりの心と眼とが必要だと思う。

 これが本書の読み方への1つの示唆である。

(『保健師ジャーナル』2014年5月号掲載)
苦しみを抱えながら不朽の仕事を成し遂げた
書評者: 鈴木 晃仁 (慶大教授・医学史)
 フロレンス・ナイチンゲール(1820-1910)は,クリミア戦争(1853-56)におけるスクタリの陸軍病院の傷病兵の看護で国民的な英雄となり,帰国後に,イギリス陸軍の衛生・看護の改革,イギリス帝国に編入されたインドの衛生の改革,急激に拡大していた病院における看護の改革などに活躍した女性である。1859年に出版された『看護覚え書』は改訂されながら版を重ね,現在では世界中で200以上の言語に翻訳されている。今も医療の現場でも存在感がある歴史上の人物である。

 偉大な人物の常として,どの時代もそれぞれのナイチンゲールの像を描いてきたし,同じ時代においても,信条や視線の違いによって,異なったナイチンゲールの姿が映し出されてきた。当初は傷病兵を見守る「灯を持った婦人」として女性らしい献身とキリスト教精神の発露の象徴とされ,行政学者も,統計学者も,フェミニストも,それぞれの立場からのナイチンゲールを描いてきた。

 本書が描くナイチンゲール像は,このような解釈を受け継ぎながらも,白衣の天使というありきたりのイメージから大きく離れたものである。特に後半において,悩み苦しみ傷つくと同時に周囲の人々を傷つけながら超人的な仕事をした姿が,等身大の視線で描かれている。

 クリミアから帰国した彼女を駆動したのは,スクタリで目にした悲惨な光景であり,「生きた骸骨」のような兵士たち,全身にうじ虫が湧くなかで,毛布で頭を隠して,一言も言わずに死んでいった男たちの姿の記憶であった。本書では描かれていない,彼女自身が責任をもって管理した病院の死亡率が最も高かったという事実が,彼女自身を苦しめていた。その記憶が悪霊のように彼女に取りつき,自責の念と,常軌を逸した活動力と,それと裏腹の感情の激しい起伏を作り出していた。英雄化と聖人化の賞賛が呪わしいものにしか思えない中で,寝たきりの状態で崩壊寸前の人格を抱えて狂ったように仕事をしていた。人々を巧みに用いて新しい組織に統率しながら,家族や公私にわたって頼った友人たちもが絶望と侮蔑の言葉を投げかける対象となった。このような人格の変化は,医史学の通説では,1995年のBMJ掲載論文に従って,クリミア戦争中に罹患したブルセラ症の慢性的な経過とするが,本書は,これをPTSDや深層心理の問題として描いている。その解釈がある側面を捉えている可能性は否定しない。いずれにせよ,この疾病のために,性格も以前とはすっかり変わったものになり,彼女の体型は崩れて肥満した(作者はそのような似姿を描いていない)。白衣の天使であり陸軍とインドの衛生と看護の改革者であり統計学や女性の職業の導入者であった彼女は,それと同時に,慢性疾患の患者であり心身の障害者であった。

 本書は,そのような苦しみを抱えながら不朽の仕事を成し遂げた新しいナイチンゲールの像を描く優れた作品であり,医療を学ぶ学生に強いインパクトを持つ絶好の書物である。全体の3分の2が伝記,残りの3分の1は「図説 看護覚え書」で占められている。誰もが親しむことができる漫画で描かれたこの書物を学生,特に新入生たちの推薦図書としてぜひ薦められたい。
“伝説の超人”の実像に迫る発見と感動の書
書評者: 小林 光恵 (看護師/著述業)
 〈ナイチンゲールなら,どうする〉——そう考えたことのある看護職は少なくはないでしょう。職場で難局にぶつかったとき,あるいは社会の一大事に接したときなど,さまざまな場面で私も考えたことがあります。しかし,イメージの中で彼女に〈どう考える? どうする?〉と問うてみても,いつもナイチンゲールロボといった印象の全身白の石膏像が,ただそこにあるだけです。その後,未読だったナイチンゲール関連書をいくつか読んでもイメージは同じでした。

 それが,漫画による本書の第I部の「ナイチンゲール伝」を読み進めると,伝説の超人・ナイチンゲールのイメージががらりと変化しました。そこには生身の人間・ナイチンゲールがいました。彼女が歩く靴音やドレスのすそさばきや,腕組みをしたときの肩の感じや,口をきゅっと結ぶところや眉間の皺や柔らかい髪や羽のペンで文字を書く音などが,リアルに想像できるのでした。前よりも彼女が好きになりました。

 作者は美化をせず,かといって批判に燃えるわけでもなく,一定した温かい眼差しで,多くの人が知るエピソードや皆があまり触れなかった事実を描いています。また,画や書き文字などでナイチンゲールの心情や人柄,隣人との関係性のニュアンスが,現代の日本人にぴたりと伝わるように表現されています。例えば,軍改革審議会の主要メンバーとして,「この二人は鉄板ね!」と言って,協力者のシドニー・ハーバードやジョン・サザランド博士をナイチンゲールが即決する場面(76頁)は,いかにも彼女らしいと感じました。協力者たちを拘束して巧みに操縦したことを,歌舞伎の蜘蛛の糸のようにナイチンゲールが手から糸を張り巡らしている画(79頁)は,実に的確な表現だと思いました。いかにも,なるほど,そうだったのか,とうなる箇所が満載です。

 第II部の「図説『看護覚え書』」では,第I部と同様の漫画ならではの解説やたとえによって,ナイチンゲールがいわんとしたことをあらためて納得できました。優秀かつ大人気の予備校の先生が解説してくれているような感覚になり,ひとコマひとコマをそのままスライドにして,講義をしてほしいとも思いました。

 そして作者の「あとがき」に接し,ナイチンゲールへの尊敬と静かな愛情のゆえんを知ることとなり,胸を打たれました。

 ナイチンゲールに詳しい人もそうでない人も,必ず発見と感動のある一冊です。

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