ことばもクスリ
患者と話せる医師になる

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あなたの何気ないその一言に、患者さんは喜んだり傷ついたりしています。医療職の言葉には強い力があり、とくに医師の言葉は絶対です。本書では病院に寄せられた苦情や多くの症例をもとに、医療現場で使われている言葉の問題点を示します。苦情を目の当たりにするのは勇気がいりますが、言葉をうまく使いこなせれば、特別な医療技術を使わなくても患者さんを元気にできるかもしれません。「言葉」は重要なのです。
編集 山内 常男
発行 2011年08月判型:A5頁:232
ISBN 978-4-260-01383-3
定価 2,750円 (本体2,500円+税)

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まえがき 薬になる言葉

 医師は自分の放った言葉が患者にどれほど大きな影響力を持っているのかを認識して言葉を使っているであろうか?同じ言葉でも医師から言われるのとほかの職種から言われるのでは、患者に与える影響は大きく異なる。医師の言葉はプラス面でもマイナス面でも患者の精神・身体的状況に大きな影響を与える。よって、医師はまずは言葉を凶器にしてはならないのが大前提であり、それから進んで、言葉を薬にできるかが課題となる。
 同じ言葉でも状況によって薬になったり、凶器になったりする。たとえば、医療の現場でよく使われる「がんばる」という言葉は、「よくがんばりましたね」と患者の努力を評価する際には薬になり得る。しかし、うつ病の患者やがん末期の患者に「がんばれ」という言葉を使うとそれは凶器にもなる。うつ病では一般に励ましは禁忌である。言葉は患者の置かれた状況や患者―医師関係によって受け取られ方が180度変わる。それが言葉の使い方の難しいところでもあり、奥深いところでもある。
 薬になるのは、相手の訴えに耳を傾け、相手の心情や置かれた状況を理解し、生きる勇気を与えるような言葉である。患者とともに歩もうとする姿勢が現れている言葉も薬になる。言葉が薬になるためには、患者の医師に対する信頼が不可欠である。
 逆に、差別的表現や医師の自分本位な言葉は患者を傷つける。相手の心情を考えない言葉、不用意な言葉なども凶器となるが、言った本人は問題点に気付かないことも少なくない。
 日常診療で、左に記したような凶器になる言葉を控え、薬になる言葉をうまく使えているであろうか?

凶器になる言葉
  「年齢だから致し方ない」
  「僕(私)にどうしろっていうんですか?」
  「忙しいからもうこれでいいですか」
  「医者に教える気か!」
  「専門外なので」
  「気に入らなければほかの病院に行ってもいいんですよ」
  「入院は重症だけです(から帰ってください)」
  「ちょっと待っててって言ってるでしょ!」
  「精神科で診てもらったらどうですか」

薬となる言葉
  「大丈夫ですよ」
  「大変でしたね」
  「よくがんばりましたね。お疲れ様でした」
  「つらいですね」「しんどいですね」
  「素晴らしいですね!」
  「がんばっていますね!」(「がんばりましょう」は凶器となることもあり)
  「何かほかに心配なことはありますか?」
  「また困ったら相談に来てください」

 本書では、医療技術の習得には熱心であるが言葉の問題は不得手な初期研修医から、一人前になるまでの医師(10年くらいまで)を主な対象に考えて、医療現場で起きている言葉の問題を提示した。
 患者と会話ができない医師、言いたいことのみ言って患者の声を聞かない医師も少なくない。医療の技術的なことしか話せない医師も、言葉を薬にすることは難しい。
 言葉の使い方は、医療技術と比較するとほかの医師から学ぶ機会は少ない。ほかの医師の言葉が反面教師になることはあるが、患者が何に傷ついているのか、医師は知らないことも少なくない。患者を自分の言葉で傷つけていることを知って、言葉を薬に変えていこうと考えられる医師はまだよい。しかしながら、患者を傷つけなくても学ぶ方法はないものであろうか?

 医療における言葉の問題にいかにアプローチするのか?これが本書を書こうと考えた際にまず立ち現れた壁であった。医師と患者・家族の間で交わされている言葉で記録に残されているものはあまりにも少なかった。医師のカルテは客観的な記載が主体で、生々しい会話はほとんどなかった。看護記録にはまだ患者の生の声が記載されていたが、患者と医師のやりとりを再現しているものは少なかった。看護記録以外に患者の生の声をどうやって振り返るのか?そこで思いついたのが、病院に寄せられた患者からの苦情であった。筆者らの勤務していた健和会にもさまざまな苦情が寄せられており、そのなかから言葉に関するものを集めた。さまざまな患者や家族からの想いが述べられており、これを示すだけでも医療関係者には参考になるのではないかと考えた。そこで、内容を損なわないように個人情報に配慮し、若干の訂正をして言葉に関する問題を例示した。なお、健和会への苦情だけではなく、書籍や新聞記事、そして筆者自身に対する患者の意見も参考にした。
 患者からの苦情には、無神経な医師の言葉への怒りが見てとれた。しかし、この患者の怒りは必ずしも多くの医師には伝わっていないのではなかろうか。とくに技術習得に真剣になっている若手医師にはぜひ一度自分の使っている言葉を振り返る機会を持ってほしい。苦情は自分の行いを振り返るよい機会であり、患者は必ずしも医師に高尚なことを求めているわけではないことがわかる。むしろ、人間として、患者にきちんと対応してほしいという趣旨の指摘が少なくない。しかし、人間として基本的な対応を阻む要因が医師の日常診療に潜んでいるのも事実である。
 本書では、日常診療における言葉の問題の概説から、問診・検査・治療などにおける言葉の問題を実例をあげながら指摘した。また、日常診療で言葉の果たす役割が大きい臨終や終末期の言葉の問題についても触れた。病理医が考える患者とのコミュニケーションや、医療ソーシャルーワーカーから見た医師の説明の問題点なども指摘した。日本語独自の問題が日常診療の言葉に影響を与えていることも試論として示した。
 精神科医の故・浜田晋先生とのインタビューでは、精神科医と言葉の問題を含め長い臨床経験に裏打ちされた問題点が指摘されており、精神科以外の医師にとっても多くの示唆が得られると思う。医療において言葉の果たしている役割を示すには本書のみでは不十分ではあるが、コミュニケーションの重要性に気付いたうえで医学を学ぶ者が注意すべき点については数多く示し得たと考えている。
 本書で取り上げるように、言葉は患者にとって薬となったり、凶器となったりするが、同様に家族・医師・ほかの医療職にとっても薬、そして凶器となり得る。医師も患者の言葉で救われたり、傷ついたりしているのが現実である、この本を読んで少しでも医療における言葉について考えるきっかけとなればうれしい限りである。

 二〇一一年七月
 山内常男

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 まえがき 「薬になる言葉」

第1章 医療にとって言葉とは 医師が患者に話す時 (川上 武)
 患者にわかりにくい言葉/診療の流れと言葉/看護師の役割/臨終で交わす言葉/
 医師の人間性と言葉
 「運命と思ってください」「ありがとう、ごくろうさん、ごめんね」
 「医者に教える気か!」「やせられましたね」

第2章 問診に関する言葉 (山内常男)
 診察の流れと言葉/呼び出し/聞くことの重要性/病歴聴取と理学的所見
 「ゆっくりわかるように呼んでほしい」「専門外なので」
 「おなかも触ってくれなかった」

第3章 検査に関する言葉 (山内常男)
 問診と検査の関係/検査の承諾と説明/検査とその結果の説明
 「あの先生にはかかりたくない」「私にどうしろというんですか?」
 「結果が心配で眠れなかった」「ご覧のとおり…」
 「ほかの病院に行ってもいいんですよ」

第4章 治療に関する言葉 (山内常男)
 疾病構造と言葉/「薬」と言葉/治療の説明/インフォームド・コンセント/
 薬物療法に関する説明
 「がんばっていますね!」「なんでこんなになるまでほっておいたのか」

第5章 臨終・終末期の言葉 (山内常男)
 病状と臨終の言葉/終末期の言葉/患者と医療者の間の言葉/
 家族と医療者の間の言葉/患者と家族の間の言葉/
 家族の意思を尊重した看取りと言葉
 「力至らず、すみませんでした」「いま何がいちばんつらいですか」
 「婦長さん、ありがとう」「生きててもあまりよいことありませんし…」
 「長生きしてほしいので…」「少しもよくならないじゃないか」
 「貴重な症例なので解剖を…」「穏やかな表情でしたね」「いますぐ家に帰りたい」

第6章 病理医は語る 死者の言葉を代弁する (高屋敷典生)
 病理医への道/病理解剖と臨床医/死者の言葉を代弁する/ 患者と病理医の会話
 「どうして僕は死なねばならないのだろう」「本当は心臓だけでよいのですが」
 「背中が痛い、痛みがとれない」「苦しいよ、死んじゃう」

第7章 医療ソーシャルワーカーの仕事と言葉 (鍋谷哲彦)
 患者・家族の言葉/患者・家族の言葉と医療/患者・家族の言葉と社会資源
 「こんなこと、先生に言えないでしょう」「病院にいさせてください」
 「早く退院してもらおう」「あの先生はおかしい」「あの患者はおかしい」
 「もうお金がありません」「精一杯やろうと思っていますが、私1人では…」
 「ソーシャルワーカー?」

第8章 医療における日本語、言葉自体の問題 (山内常男)
 専門用語・略語/俗語と外来語/カタカナ語/差別用語/方言/翻訳文化
 「端座位」「臥位」「イタミのセイジョウ?」「キロクブ?」「DM」「生食」
 「橋(キョウ)」「冷汗(ひやあせ/レイカン)」「ステる」「メタメタ」
 「アポる」「エコー」「タッピング」

第9章 診療現場の言葉に影響する諸条件 (山内常男)
 問診やコミュニケーションの前提条件/ハード面やシステムの問題/
 非言語的態度と言葉遣い/言葉の重要性
 「プライバシーを重視してもらえませんか?」「先生、どうしたの?」
 「パソコンをパチパチするだけで、ちゃんと診てもらえなかった」
 「ちょっと待っててって言ってるでしょ!」
 「あの先生は処置が荒くて痛いのでイヤなんだ」

精神科医・浜田晋氏インタビュー 心に響く言葉で医療を
 精神科特有の言葉の問題/生きた言葉に気付く/言葉は人と同じ/聞く姿勢/
 聞くことによる癒し/観察でとどまるか、心理的なやり取りまで踏み込むか/
 聞く職業としての医師/医師らしい振る舞い/言葉の持つ二面性/患者への禁句/
 男性と女性の違い/患者に嘘をつく/3分診療でも十分/相手の心に響くもの/
 疲労と言葉/カルテの重要性

 コラム
  見た目と言葉とのギャップ (鍋谷哲彦)
  職業歴を聞く意味 (高屋敷典生)
  “心臓が強い?” 心不全の患者 (山内常男)
  せん妄と猫 (山内常男)
  見事な旅立ちの挨拶 (山内常男)
  使い分けたい言葉 (鍋谷哲彦)
  猫に看取られて (山内常男)

 あとがき
 索引

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ことば:いま医師に求められているもの (『柳原・みさと健和病院通信』より)
書評者: 望月 三菜子 (柳原病院内科)
 医療が専門分化され久しい昨今。初対面の方に必ずされる質問が「先生のご専門はなんですか?」である。専門医という道を選ばなかった私は、いつもこう答える。「トークです。」

 これまで少しずつではあるが、急性期、回復期、慢性期、そして終末期と異なるステージの診療を経験することができた。それぞれ固有の診療過程があるものの、共通して言えるのは、患者あるいは家族自身の、病に対峙する意識を要するということだ。そして、それを導き出すには、我々医師の問いかける言葉が非常に大きく影響してくる。だから私は常に言葉を慎重に選んできた。今この人には、どんな言葉が響くのか。この人が前に進むためには、どんな言葉が必要か。相手の表情やしぐさ、話し方、使う言葉から、相手が欲している言葉を探った。そして、その言葉を使って自分が伝えるべきことを語りかけた。そうすることで相手の共感を得て、今後の方針をともに導きだしていくことができるのだ。その道標となることが私の役割であると信じ、また、その役割を果たすことができていると自負していたので、専門は「トーク」と答えていたのである。

 そんな私の心を『ことばもクスリ』というタイトルはわしづかみにした。私が常日頃、感じていることだし、私がやってきたことが間違っていないと、この本が証明してくれると思ったからだ。

 しかし、読み進めるにつれて不思議と上手くいかなかったケースばかりが思い出されてきた。「あの時、この言葉を使えば良かったかも。」「この苦情、あの時の私にもあてはまる?」 そして愕然とした。私、まだまだ、だ…。

 この本を読んで、ただただ反省したのである。専門は「トーク」などと言っていた自分が恥ずかしくなった。

 当然だ。コミュニケーションにゴールはない。新たな人間に出会う限り、また同じ人間でも新たな時を迎える限り、その人、その時に響く言葉は違うのだから。

 この本を読むことで、あらためて言葉の多様性、重要性に気づかされた。もっともっと多くの人と出会おう。そして、もっともっと多くの言葉と触れあおう。

 診療に行き詰まった時、誰でも医学書は手に取るであろう。しかし、その時、ぜひこの本にも手を伸ばしてほしい。そしてこれまで自分が口にした言葉を思い返してみてほしいのだ。毒となってしまった言葉はないだろうか。クスリとなる言葉は見つからないだろうか。その過程に、よりよい診療を導くカギが隠されているかもしれない。

(『柳原・みさと健和病院通信』No.390(2011.12.15)より転載)
言葉が生み出す葛藤や可能性のヒントが詰まった一冊
書評者: 川島 みどり (日赤看護大名誉教授/臨床看護学研究所長)
 全身の痛みを長く訴える患者に「データ上からも痛むはずはない。あとは,あなたの心の持ち方次第。あまり神経質にならないように」と,訴えそのものを否定した医師。通常よくみられる場面ではある。2週間後,別の医師の「よく我慢したねえ。長いことつらかっただろう」との言葉で執拗な痛みが薄れ,その晩は鎮痛薬を飲まないで済んだ例を目の当たりにしたことがあった。

 著者らは,医師の言葉が患者に与える影響を意識した医師らである。おそらく同じ病院の医師同士でも,隣の診察室での会話を聞く機会はほとんどないだろう。それだけに,受付の対応から始まる外来診療の流れに沿った場面での,言葉が生み出すさまざまな葛藤や可能性から得られるヒントは多いと思う。

 書名は『ことばもクスリ』だが,効果のある例は,相手がそれを認め表出しない限り,通常は何も起こらず過ぎていくのが常であるので,どちらかといえばリスク面に比重が置かれている。いずれにしても,言葉は単なるツールや形ではなく,その人の人格や見識,文化の影響を強く受けていること,言葉によるコミュニケーションは人間関係の入り口でもあることを改めて考えさせられる書である。どんなに親しい間柄でも,決して言ってはならない言葉もあるし,本人が気づかぬままに発した言葉が,相手の人生を変えさせるような契機になった例は,日常的にもみられることである。

 とりわけ,医師が発する言葉が,他の人のそれに比べてより重いのは,心身不調によって受容のキャパシティが狭められている相手である上に,専門的知識の差による優位性は,いつでも医師側にあるためだと思う。だが,「日常の言葉を使って書いたり話したりすることの出来なくなった人は,はっきり考える力そのものを失う」(鶴見俊輔)とすれば,専門の名によって保たれる権威は早晩崩れるだろう。その意味からも,副題に「患者と話せる医師になる」とあるのは,独自の専門用語の世界で過ごすうちに,普通の人に普通の言葉で語れなくなったことへの,編者らの真摯な思いと受け止めたい。

 本書には,9章にわたって医療における言葉の問題が多角的に取り上げられている。職場や職種間での討論により,いっそう深められるとよいと思う。最後に掲載されている故浜田晋医師のインタビューは,精神科医の日常に根ざした言葉の本質がきめ細やかに述べられていて味わい深い。「ちゃんと患者と向き合って,ぬくもりのある人間どうしの付き合いができているからこそ,そこに生き生きとした言葉が生まれてくる」との,かつての看護記録への評価は,コンピュータのディスプレイと向き合って,まともに患者と視線を交わさない傾向への警告でもある。

 「心に響く言葉」が飛び交う医療現場で,客観的なデータを参考にしながらも,その本人が語る言葉への感性を研ぎ澄ますことが,今,最も医療人に求められているのではないだろうか。医師をはじめ医療関係者の一読をお勧めする。
日本の現実に即した医療コミュニケーションの新しいテキスト
書評者: 箕輪 良行 (聖マリアンナ医大教授・救急医学)
 1990年代以降に医学教育を受けたOSCE世代と呼ばれる医師は「私は○○科のミノワです」と自己紹介でき,最後に「ほかに何か言い残したことはありませんか」とドアノブ質問ができる,という筆者らの観察は,評者もアンケート調査で実証してきた。また,評者らが開発したコミュニケーションスキル訓練コースを受講した,地域で高い評価を受けているベテラン医師が受講後にみせた行動変容は唯一,ドアノブ質問の使用増加であった。

 本書は,若い医師たちをこのように見ていながらも,日ごろ,目にして耳にする患者からのクレームをもとにどうしても伝えたい「言葉」の話を医療従事者に向けてまとめた書物である。クレーム実例から出発しているのでリアルであり,真摯〈しんし〉な語りかけである。この領域で二冊のテキスト(『医療現場のコミュニケーション』 『コミュニケーションスキル・トレーニング』,ともに医学書院刊)を執筆している評者にとっても,このような語りかけがどうしてもかくあるべしの理想論になりがちで非常に難しいのがわかるだけに,クレームからのアプローチは執筆の抑制を保つうえでうまい戦略だと感心させられた。

 なかでも本書のハイライトは第5章「臨終・終末期の言葉」で,筆者らと患者との会話の実際や,徳永進・柏木哲夫両医師の文献を駆使して直ちに現場で役立つ内容が整理されて記述されている。また,現状の医学知識と臨床レベルを担保した「言葉」の問題点と対策,心構えが個条書きで書かれていて,未解決の第一線の疑問も文中に10か所ほど明示されている。引用文献の充実は本書の大きな特徴であり,評者も全く知らなかった作品も多く,ジャンルを問わない社会的,文学的な視点から患者ニーズを把握しようとしていることがよくわかる。

 資格を有する「風の人」として地域に受け入れられる技術者をめざしてきた評者には,武谷三男・川上武両医師の人権と安全性の論理を第1,7章でしっかりと押さえた本書が,孤高であっても正統をいくすがすがしさに感服した。特に評者は「一の言葉」(徳永)から構成されるマニュアルを導入して,臨床では普段から「二の言葉」をつむいで人間的な力量をもって診療できる臨床医を生み出せるようになればと願っているので,本書のチャレンジに心からエールを送りたい。

 臨床の「言葉」の教育を卒前学部教育に落とし込めればという思いは誰もが抱く当然の帰結である。唯一,評者が筆者らにお願いしたいのは医学教育の現状と本書の視点からの検討である。病歴聴取と身体診察は最も大切なコミュニケーション訓練の場であり,ますます強化される卒前のBSL(bed side learning)では学習必須となる。本書に書かれている「二の言葉」を使える臨床医は一朝一夕に生まれるものではなく,教育的な配慮がなされた臨床教育の充実こそがその実現の王道である。患者解釈モデル,医療面接3軸モデル,NBM(narrative based medicine)を開発してきた英国,北米の現状をみても,それは医学部教育の責務でもある。国内においてもアカデミックな領域で業績が生まれているが,残念ながら本書の文献には言及されていない。

 診療現場の言葉にはお金や制度の限界が影を落とすことがあり,その辺も筆者らは適切に扱っている。医療コミュニケーション領域に日本の現実に即した新しいテキストが登場した。本書は従来にない,言葉の真の意味において原則的でありカゲキな作品である。知的な挑戦に自らを晒したいと考えている,本物の臨床力アップをめざす研修医たちにぜひとも勧めたい。

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