WHOをゆく
感染症との闘いを超えて

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著者の尾身茂氏は、WHOアジア西太平洋地域における小児麻痺(ポリオ)根絶の立役者。また21世紀最初の公衆衛生の危機となったSARS対策でも陣頭指揮をとり、日本に戻ってからは新型インフルエンザ対策で活躍した。『公衆衛生』誌の連載をもとにした本書であるが、3.11後の医療・社会について加筆されている。本書は、まさに感染症と闘い続けた尾身氏の奮闘記。志とは? 覚悟とは? 己との格闘とは? 自ら道を拓こうと欲する、若者に贈る

尾身 茂
発行 2011年10月判型:A5頁:176
ISBN 978-4-260-01427-4
定価 3,080円 (本体2,800円+税)

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 2009年1月30日,約20年間の世界保健機関(WHO)での仕事を終え,帰国.引越しの荷物に手を着けるまもなく,2月2日より母校・自治医科大学での仕事が始まった.亜熱帯・マニラにおける長い生活で汗腺の緩んだ身には,母国の厳寒は堪えた.
 4月に入り,久しく味わう機会のなかった「日本の桜」に接すると,多くの出来事が凝縮していたWHOでの20年間も,遠い昔のことのように思えた.徐々に日本での生活,仕事に慣れてきた.
 そうした中,医学書院の担当編集者から,「WHOにおける感染症対策などの仕事を,単行本としてまとめてはどうですか」との提案があった.私は,気が進まなかった.
 同じ医学書院からの勧めで,私はWHO西太平洋地域事務局長としての仕事や考えを,2004年から2009年までの5年間,毎月,雑誌『公衆衛生』に連載していた.WHOでの仕事の主要な部分は,すでにこの連載に記録として残した,という気持ちだった.
 それにも増して,私の中には,「自分の過去」を一冊の本にまとめるという仕事は,“大家の仕事”という固定観念があった.
 そのうち,日本でも新型インフルエンザの流行が始まり,同年4月29日には,政府の新型インフルエンザ対策専門家諮問委員会委員長に任命され,その仕事と,大学での業務等で手一杯になり,いつしか編集者からの連絡も途絶え,「本」のことは全く頭から離れていった.
 しかし,“敵”もさる者,編集者は本気であった.インフルエンザの流行が下火になった頃を見計らって,再び連絡してきた.今回は,私の気持ちを先取りしてか,「国内外で様々なご経験をされてきたことを若者に伝えることは,先輩としての大事な仕事,義務ではないでしょうか?」と言ってきた.私にもご多聞にもれず“彷徨の青春時代”があった.「若者へのメッセージ」と言われれば,返す言葉がなかった.これで勝負はあった.私の完敗である.
 確かに,若い頃から還暦を迎えた現在まで,多くの方々のお世話になり,様々な経験をさせていただいた.本書が若い読者のこれからの人生に少しでもお役に立てれば,望外の喜びである.
 なお,本書は雑誌『公衆衛生』に連載した原稿を中心にまとめたが,本書執筆作業の途中2011年3月11日に東日本大震災が起こったため,震災対応については加筆した.またWHOからの帰国直後に起きた新型インフルエンザ対策の部分も同様である.
 最後に,5年間にわたる雑誌『公衆衛生』への毎月の執筆は,WHO西太平洋地域事務局に勤務していた3人の日本人医師の協力なしでは不可能であった.この場を借りて,井上 肇さん,佐藤陽次郎さん,杉江拓也さんに心より御礼を申し上げる.

 2011年8月11日
 尾身 茂

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第1章 WHOに至るまで:第1の青春物語
第2章 ポリオ根絶:第2の青春物語
  ポリオとの格闘の日々のはじまり
  専門家会議にて
  試練克服への道
  さらに乗り越えなければならない課題
  ポリオの根絶-“ゼロ”の証明
第3章 WHO西太平洋地域事務局長選挙:リーダー(RD)となる
第4章 結核対策:RDとしての最優先課題
  日本への期待
第5章 SARS制圧:リーダーとしての仕事
  SARS発生
  緊急対策本部発動
  SARS制圧対策の作成と「渡航延期勧告」
  中国とのやりとり
第6章 [インタビュー]リーダーシップ論:SARS対策を中心に
  効果的なリーダーシップを発揮する秘訣
  SARSとリーダーシップ
  SARSをめぐる日本の感染症危機管理
  日本の公衆衛生リーダーたちへ贈るメッセージ
第7章 WHOにおける鳥インフルエンザ対策
  「縦割り」の壁の融合
  カンボジアでの鶏をめぐる冒険
  2005年末,中国へ飛ぶ
  日本への働きかけ:国際会議の開催
  日本におけるパンデミックインフルエンザ対策
  日本の首長への働きかけ
第8章 日本におけるパンデミックインフルエンザ対策
  総括
  水際作戦の背景
  水際作戦に対する専門家委員会の提言
  なぜ水際作戦は5月22日まで引っ張られたのか
  学校閉鎖
  医療体制
  日本はワクチン後進国
  ワクチン接種回数の混乱
  リスクコミュニケーション
  提言
  まとめ
第9章 日本の医療と社会を考える
 I 深刻な健康問題-自殺
 II 公衆衛生と地域の活性化-日本再生を目指して
 III 「医療の質・安全」を考える
 IV “人”中心の保健医療
 V 21世紀の医学・医療とは
 VI 「家庭医」を考える
  新たな“家庭医”像の提案
 VII 医師の地域および診療科ごとの配分
 VIII 3.11以前と,これから
  今までの日本の医療
  3.11東日本大震災
  これからの社会のあり方
  どう外国と付き合うか
第10章 健康と文明
第11章 若者へのメッセージ
付録 WHOって何?
  WHOとは
  WHOで働きたいと思う人へ

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国際保健のレジェンドと私,そして生涯初のバズり体験
書評者: 井戸田 一朗 (しらかば診療所院長)
 私は,現在は一介の開業医ですが,2003~05年にWHO南太平洋事務所にて,結核対策専門官として南太平洋15カ国における結核感染症対策に携わる機会がありました。赴任前の2002年10月,当時WHO西太平洋地域事務局(WPRO)の事務局長だった尾身茂先生の面接を受けました。ちなみに私をWHOに誘ったのは,現WPROの葛西健先生です。葛西先生は私を事務局長室に連れて行き,尾身先生を紹介してくださいました。当時の私は30歳台前半で,WHO内の右も左もわからず,国際保健業界で既にレジェンドの尾身先生を前に,カチコチに緊張しました。尾身先生は,テレビの印象とは異なり,どちらかというと親分肌の方でした。緊張でろくに返事もできない私を,葛西先生が助けてくれたのを覚えています。

 COVID-19流行による混乱のさなかにある2020年5月11日,参議院予算委員会にて国会議員の質問に対する尾身茂先生の答弁があり,優しい口調で語り掛けるように丁寧にお答えになる姿を動画で見ました。国内外の会議において雄弁で大胆にご発言をされる尾身先生を私は知っているので,「ちょっと意外……」と思いつつ見ていたところ,答弁を妨げるようなやじや,期待した内容の答弁が得られなかったことに対するいら立ちの声が上がり驚きました。

 あの尾身先生がこんなに優しくお話をされているのに,その国会議員は尾身先生がどのような方かご存じないのかと思い,尾身先生に初めてお会いしたときのエピソードをツイートしたところ,2万以上の「いいね」と1万近いリツイートがなされ,生涯初めてバズってしまいました(https://twitter.com/itochama/status/1260012057451061249)。出版社によると,このツイートの翌日には本書の在庫が尽きてしまったそうです。

 WHOで活躍した尾身先生が日本に帰国され,新型インフルエンザ,COVID-19と,わが国の感染症危機に要所要所で携わっているのは極めて幸運なことです。前述の国会議員をはじめ多くの日本人にその事実を知っていただきたいという思いでした。ここまで拡散するとは予想しませんでしたが,私が国際保健を離れてしばらく経ち,ツイッターのおかげとはいえ,WHOや国際保健とのかかわりを思い起こす機会になったことに,不思議な縁を感じます。

 2011年に出版された本書は,尾身先生の半自伝的エッセイです。青春時代の彷徨に始まり,WPRO地域のポリオ根絶に向けたゼロからのスタートと達成,SARS対策のためWHOが中国と香港に渡航延期勧告を出す際のスリリングな展開,中国政府とのあつれきを覚悟しながらも筋を通された姿勢と,これだけのスケールの危機や困難をくぐり抜けて来た日本人がどれだけいるのでしょう。リーダーたるもの,人の立場に立って考える能力が必要であり(これは私もツイートした内容),また口のかたさも重要と,ニヤリとしてしまうエピソードも紹介されています。

 パンデミック対策の主要ポイントとして,まず封じ込めを試み,発生初期のピークの到来を避けることで,社会機能を維持し死亡者を最小限に食い止めることが挙げられます。現在COVID-19対策において日本が取っている戦略は,新型インフルエンザ流行前の2008年には既に立てられており,このセオリーに基づく日本のCOVID-19対策が今のところうまく行っていることは周知の通りです。本書には,パンデミック対策の教訓が明快にまとめられていますが,「喉元過ぎれば熱さ忘れる」です。尾身先生による提言が,果たしてどの程度,その後の感染症対策の準備に活用されたのか,私たちは振り返る必要があると思います。文明と感染症の関係についての記述では,「文明が続く限り,新たな感染症を含む健康被害が発生することは不可避である」とはっきりと述べられており,私たちの生き方や哲学にまで問い掛けられています。

 2005年3月,私がWHOを退職することになり,マニラでディブリーフィングを行うことになりました。その最中に結核地域アドバイザーだったDong Il Ahn先生という韓国人の方が,「Ichiro(私の名前)はよくやってくれたから,WHOを去る前に事務局長に会ってもらう資格がある」と,多忙な尾身先生の時間をより出す交渉をしてくださり,尾身先生にお目にかかりました。対面では2度目です。

 WHOで南太平洋諸国を2年間わたり歩いたことを報告すると,尾身先生は「そうか,それはお疲れさま」と,初めてお会いしたときよりはくだけた調子で声を掛けてくださいました。前回に比べると私なりに自信が付いた状態でしたがそれでも緊張していて,手にしたデジカメで尾身先生との記念のツーショットをAhn先生に撮ってもらうのをすっかり忘れてしまいました。いつかまた尾身先生にお会いできる機会があれば,本書にサインをいただきたいと思っています。
本書を手にして,国際社会に羽ばたいて
書評者: 押谷 仁 (東北大大学院教授・微生物学)
 著者の尾身茂先生は2009年に帰国されるまで,20年間近くにわたり世界保健機関(WHO)の西太平洋事務局(WPRO)で活躍されてきた。前半は感染症の対策官としてポリオ根絶などの課題に取り組み,後半の10年間はWPROの地域事務局長として西太平洋地域の保健・衛生全体の責任者としてSARS(重症急性呼吸器症候群)への対応などでリーダーシップを発揮された。そのWHO勤務の間に経験した,ポリオ・結核・SARS・鳥インフルエンザなどの対策に当たった経験をまとめたものが「WHOをゆく――感染症との闘いを超えて」である。

 2003年のSARSの流行でも明らかになったように,21世紀の感染症対策にはグローバルな視点からの対応が必要である。しかし国際的な感染症対策の現場には多くの困難がある。本書ではそのような困難な現場で,尾身先生がいかにして一つ一つ問題を解決し道を切り拓いてきたかが,いくつかのエピソードを交えながらダイナミックに描かれている。またWHOでの感染症対策だけでなく,尾身先生が日本に帰国してすぐに発生した2009年の新型インフルエンザに,国の諮問委員会の委員長として対応に当たった際の出来事や,東日本大震災への支援についても述べられている。さらには,日本の社会の根底にある問題を見据えて,日本の医療や地域の公衆衛生のあるべき姿についても多くの示唆に富む提言がなされている。

 尾身先生は国際社会でリーダーとして活躍してきた数少ない日本人の一人である。最近の日本人は内向き志向と言われる。しかし,日本の経済的な存在感が薄れていく中で,保健・医療の分野でもっと多くの日本人が国際社会に出て行って積極的な貢献をしていくことが,日本という国の存在感を維持するためにも必要である。多くの医療関係者,特にこれからの保健・医療を担う学生たちが本書を手にして,国際社会に羽ばたいていくきっかけになればと思う。
夢あふれる物語,そして提言
書評者: 堀田 力 (弁護士/さわやか福祉財団理事長)
 読みはじめたら止まらなくなった。そこらの小説より,ずっと面白い。

 「医学」という言葉の人間味に魅かれて医学を志した筆者は,「地域医療」という言葉にひかれて自治医科大学に進み,離島勤務を経て,WHO(世界保健機関)に飛び込む。

 最初の担当が,西太平洋地域におけるポリオの根絶。この途方もない難題に真正面から取り組んだ筆者は,アジア諸国を駆け回り,専門家を集めて大がかりな戦略を立て,ワクチン購入の資金を集め,諸国の政治家を説得し,ついに中国全土の第2子以降を含む子ども8000人にポリオワクチンを投与するに至る。着任後4年目。そして目標どおり,10年にしてポリオを根絶する。

 その功あってWHO西太平洋地域事務局長に選ばれた筆者を迎えるのは,結核,そして2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)。その制圧の物語は,壮大な政治・外交の物語であり,志を抱く医師の国際協力の物語であり,そして世界中の人々が,新しく出現した強力な感染症のおそれから救い出される感動の物語である。フィクションをまったく交えない挑戦の過程が,淡々と描き出される。

 局長としての10年を含む20年間,WHOで力量を存分に発揮した筆者を,社会が手離すはずはない。帰国した筆者を待つのは,鳥インフルエンザ。

 筆者の識見も生かされ,これも治まるが,筆者は考える。「毎年出現する新しいウイルス。これは,文明病だ」と。

 そういう発想から,筆者は,日本の医療問題に突き当たる。「医療が,医療だけの世界に閉じこもっていたのでは,新しく発生している諸問題を解決できない」。心を含めた患者の全体像をとらえ,福祉などと連携し,まず地域において患者を受け止める。その精神で,東日本大震災の被災地の医療にも取り組む,行動力あふれる筆者。その体験からあふれ出る「総合医」など「21世紀の医学・医療」に関する提言は,医療関係者だけでなく,すべての人が受け止めて,みんなのために,みんなで実現していきたい,「地域医療」への道を示してくれている。
本書が,多くの医学生,若い医師の人生の指針となることを期待する
書評者: 高久 史麿 (日本医学会長)
 医学書院から,尾身茂教授が刊行された『WHOをゆく――感染症との闘いを超えて』の書評を依頼された。

 尾身教授は私が勤務している自治医科大学の1期生である。新設の医科大学の1期生には開拓精神の旺盛な元気な学生が多かったが,自治医科大学の1期生も例外ではなかった。自治医科大学の場合,卒業生は各県に戻り,離島・へき地の医療に従事するという,世界に例を見ない新しい試みであったから,特に威勢の良い1期生が多かったと思う。

 私は開学時から10年間教授として学生を教えたので,多くの1期生の事を憶えているが,尾身教授についてはご本人には失礼であるが,あまり記憶に残っていない。恐らく尾身教授が学外活動にもっぱらエネルギーを注いで,私の授業やゼミにあまり顔を出されなかったからであろう。

 しかしWHOに行き,マニラに勤務されるようになってからの尾身教授の活躍には,目を見張るものがあった。本書『WHOをゆく』に詳しく書かれているように,アジア西太平洋地区のポリオの根絶は,尾身教授の努力なくしては成り立たなかったと言っても決して過言ではない。その活躍のせいもあって,尾身教授はWHOの西太平洋地区の事務局長になられた。私は自治医科大学の学長になってから毎年6年生に最終講義を行い,卒業生の国内外の活動について紹介しているが,その際必ず尾身教授がWHOの西太平洋地区の事務局長として活躍しておられることを話している。医学生の中には国際医療協力に興味を持つ者が多いが,自治医科大学の学生の中にも義務年限終了後,国際医療に貢献する事を希望している者が少なくない。私が知っている限りでも,現在UNICEFのソマリア支援センターで働いている11期生の国井修医師などがその良い例である。尾身教授は国際医療で活躍する医師のロールモデルであった。本書では,尾身教授が事務局長になられた後に起こったSARS制圧対策,鳥インフルエンザ対策についても詳しく述べられている。

 また,本書で尾身教授はWHOにおけるご自身の活動報告の他に,「リーダーシップ論」,「日本の医療と社会を考える」「健康と文明」についてのご自身の見解を述べられ,最後に「若者へのメッセージ」でもって締めくくられている。私は本書が,多くの医学生,若い医師によって読まれ,彼・彼女らの人生の指針となることを強く期待している。

 

 

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