社会活動と脳
行動の原点を探る

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ヒトが日常生活において行っている何気ない行動。その一つひとつが、実は遺伝子や脳の構造に依存している。複雑化する社会の中でヒトが生きていく営みを実現している脳の働きを解き明かす。
シリーズ 脳とソシアル
編集 岩田 誠 / 河村 満
発行 2008年09月判型:A5頁:220
ISBN 978-4-260-00693-4
定価 3,740円 (本体3,400円+税)
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発刊に寄せて─本書のオリジン

 河村 『神経文字学-読み書きの神経科学』に引き続いて,シンポジウムがこの本『社会活動と脳-行動の原点を探る』の企画のもとになりました.昨年の秋,日本神経精神医学会の「社会活動と脳」というテーマのシンポジウムで,私が司会をさせていただいて,今回の著者の多くの方がお話されました.大変勉強になった企画でしたが,その背景を教えていただければと思います.
 岩田 これは,『神経文字学』と同じように,オリジンはかなり古いのです.起源も非常によく似ているのですが,豊倉康夫先生がおっしゃったことがきっかけです.
 脳の研究は,1970~80年代はあまり興味を持たれていなかったんだけれども,90年代に入ってから現在に至るまで,猛烈な勢いで進んできました.豊倉先生は,これからはいろいろなものが人間の脳を基にして考えられるようになるだろう,と二十数年前におっしゃったんです.脳の研究には,2つの立場があって,1つは,脳そのものを研究していく立場です.それにはいろいろな研究がありますが,神経細胞であれ,トランスミッターであれ,生理学的な現象であれ,脳そのものの研究が主流です.それからもう1つ,豊倉先生が言っておられたのは,脳が作り出したものの研究も大事だということで,そういったものを中心にして,いろいろな科学が脳を語るようになるでしょう,ということだったんです.
 河村 豊倉先生は,先を見た天才的な発想をなさる方だったのですね.
 岩田 そうですね.脳の作り出したものに対する興味は,私自身に前からあったわけで,それがだんだん大きく見えてきたのは,いまから10年ぐらい前のことです.たまたまアメリカ神経学会がボストンで行われたときに,平野朝雄先生にお会いして,当時ハーバードの政治学の大学院生だった先生の一番下の息子さんと3人で食事に行ったんです.その息子さんに,政治学でも何をしておられるのかと聞いたら,神経心理学者と一緒に仕事をしていると言われたので,ビックリしましてね.
 河村 すでにその頃に?
 岩田 ええ.彼の話には非常に説得力がありまして,結局,政治・経済学というのは人が損得をどうやって判断するのか,そしてどういう行動をとるのかという,神経心理学と同じなのですと言うんです.確かにそう言われればそうで,こういう社会科学というのが人の行動をみているということだとすれば,それは神経心理学の研究そのものですからね.それは,脳を研究するということではなく,脳がつくり出す行動を研究するという意味で,非常に大きな意味がある.そこで驚いて,一挙にこういうことに対する興味が出てきたわけです.
 それから注意深く見ていたら,Neuroeconomicsという言葉があることもわかったし,Neuroethicsという倫理学の分野でも神経心理学的な手法を使って研究がなされていると知って,これは面白い分野だなと思ったのです.
 ですから,遠因をたどれば二十数年前の豊倉先生の言葉ですし,それからだんだんに興味を持ってきて,たまたま日本神経精神医学会を主催させていただくことになったので,これは神経内科の医者にも,精神科の医者にも共通の話題として非常に面白い分野だろうと思って,河村先生が前からこういうことに興味を持っていらしたことは,私はよく知っていましたから,先生に司会をお願いした次第です.それが,今回の本を作るまでの1つの流れになったわけです.
 河村 この本の出版は2008年の秋ですが,それより2年前には,われわれ神経心理学の専門家の中でも,神経経済学,神経倫理学といった概念は,ほとんど語られなかったように思います.ですから,10年も前にアメリカの政治学や経済学の研究者が興味を持っていたというのはちょっと意外な感じがします.
 岩田 ええ.ただ,そこにいく流れは,やはりあったと思います.例えばMichael S. Gazzaniga が“Social Brain”を書いたのは,20年ぐらい前のことです.それから,Antonio R. Damasioが書いた“Descartes' Error”も,人間の判断がどういうところで行われるのかが起点になって書かれています.判断というのは,適切か,適切でないかということであって,答えが正しいか,間違っているかということとはちょっと違うんですよね.正しいけれど適切でない行動をとってしまう人がいる,そういったことがsocial brainという考え方になっていくわけで,いろいろな分野でそういうことが芽生えかけていたわけですよね.
 それをたぶん,economicsやethicsをやる人たちが,パッとつかまえて,「これは自分たちが拠りどころにしなければいけないものだ」というふうに思ったというところじゃないでしょうか.
 河村 確かにそうですね.ただ,経済学者や哲学者が脳を扱うことは,以前はできなかったですね.ですが,最近はfMRIなどのactivation studyが研究に活用できるようになったので,それが可能になったのでしょうね.
 岩田 fMRIは,どちらかというと患者さんよりも健常者の研究に使うほうが倫理的には通りやすいですからね.経済学では理論は作るけれども,それは別に実験的に出てきたことではないわけでしょう.そこで,理論のある程度の裏付けをとるために,健常者にいろいろな課題を提示して実験をする.そのときに,脳の活動を指標に用いるとやりやすいし,時間もかからないということに,社会科学の人たちが気付いたんじゃないでしょうか.それが,彼らがそういう方向に動いた一番大きな理由だと思います.
 それからもう1つ,社会的な活動と脳の研究は,アメリカが非常に盛んなんですが,その1つの要因として,いわゆる自閉症があると思います.自閉症の研究というのは,アメリカ,ヨーロッパで非常に盛んで,日本はどちらかというと遅れ気味で,しかもアプローチの仕方が違うと思います.
 私は,日本では自閉症の患者さんに対する初期の研究者は,大人の失語症とか,失行症というのを診て,それをあてはめようとしたんだと思います.それは結果的に失敗だったと思うんですが,アメリカでは発達心理学に携わるような人たち,つまり医師でない人たちがアプローチしたでしょう.
 医師と,医師でない人の違いを,私は強く思うんですけど,医師はモノにこだわるところがあるんですね.私自身もそうだったんだけど,もとに脳があるじゃないかというと,脳の実質のところにこだわっちゃいますね.だけど,医師でない人たちは,必ずしもモノにこだわらないので,現象そのものを非常に細かく見て,考えていく.もちろん,その1つの弊害としては,脳から遠ざかりすぎてしまうこともあり得るんだけれども,脳から離れてものを考える人たちが中心にいたので,違うかたちで考えていった.つまり,人と人とがコミュニケーションして,お互いに理解し合うとはどういうことなのか,もっと言い換えるなら,他人が何を考えているかということに対する研究,それが日本より非常に進んでいたと思うんです.
 日本の認知心理学者では,こういう研究は非常に少なかったように思います.それがやはり,当時のアメリカ,ヨーロッパ,特に英語圏では非常によく研究されていて,それがこのsocial brainの研究の根底にあると思うんですよ.他人の脳が何を考えているか.これに目をつけたということが大事だと思います.
 経済,倫理,それから河村先生がされている情動のこととか,視線のことなどは,やはりみんな,他人を意識しているんですね.脳がどうやって考え,判断し,evaluationをしているか.それが,この本の中心だと思いますが,そこに行くためには,他人が自分に対して何を考えるかということに対する研究が基礎にあった.それが,私は大きな推進力になっているんじゃないかと思うんですね. (2008年5月吉日 医学書院本社にて)

 編者 岩田誠・河村満

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序論
 A 本書誕生の予告
 B 正・誤から適・不適へ
 C 適・不適とは何か
 D 損・得の判断
 E 善・悪の判断
 F 集団帰属意識と集団行動

I 表情認知の脳内機構
1 社会活動と扁桃体機能
 A 霊長類における扁桃体の進化
 B 情動発現と社会的認知機能
 C 扁桃体における生物学的価値評価システム
 D 生後における社会的認知機能の発達
 E 社会的認知機能発達の神経機構
 F 社会的認知機能における扁桃体の役割
2 成熟する脳─表情認知の年齢差
 A 表情認知の年齢差
 B 表情認知を支える脳の年齢差
3 顔認知と表情認知の神経心理学
 A 顔認知の障害─相貌失認
 B 表情認知の障害
4 表情を理解できない脳─精神疾患と表情認知
 A 統合失調症と陰性感情の認知障害
 B うつ病とプロソディー判断
 C 自閉症スペクトラムと情動認知
 D 認知症の表情認知と行動障害

II 意思決定のメカニズム
1 欲望の脳科学─サルの意思決定
 A ニューロンレベルにおける欲望の脳内表現
 B 欲望と消極的あるいは潜在的意思決定
 C 意思決定とマッチング法則
 D 欲望に支配される意思決定
 E 競争事態での欲望と意思決定
 F リスクへの欲望と後帯状皮質ニューロン
 G 非ホメオスタシス性の欲望と意思決定
2 ヒトの意思決定のメカニズム
 A 意思決定機能が壊れたとき
 B 意思決定に関わる要因
 C 報酬─意思決定と強化学習
 D 臨床研究による検討
 E 神経機能画像法による検討
 F ドパミン神経細胞と意思決定
 G 意思決定のあいまいさと複雑さ
3 ギャンブルする脳─パーキンソン病における意思決定過程
 A 意思決定
 B 意思決定と感情機能
 C 意思決定の脳機能

III 理性と感情の神経学
1 衝動と脳─近似報酬と未来報酬
 A 衝動的選択と脳のメカニズム
 B 強化学習理論
 C 割引係数とセロトニン
2 損得勘定する脳
 A お金の心理学「行動経済学の誕生」
 B お金の価値の脳内表現をイメージングする
3 親切な脳といじわるな脳─親切行動といじわる行動の心理的過程と神経的基盤
 A いじわる行動と親切行動─公共財供給実験(行動実験)から
 B 経済的意思決定と脳活動
 C 親切・いじわるされた脳領域
4 倫理的に振る舞う脳─moral judgementのしくみ
 A 倫理行動の起源
 B ヒトにおける倫理判断の神経基盤

あとがきにかえて
索引

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社会的行動の原点としての神経基盤を探る学際的アプローチ
書評者: 地引 逸亀 (金沢医大教授・精神神経科学)
 東京女子医科大学の前任の神経内科教授岩田誠先生と昭和大学医学部神経内科教授の河村満先生の編集から成る本書は,2007年11月30日に岩田先生が東京女子医科大学弥生記念講堂で会長として主催された第12回日本神経精神医学会のシンポジウム「脳からみた社会活動」を基としている。

 ただし,実態はそのシンポジウムの域をはるかに超えて,シンポジストのみならず神経心理学や精神医学,脳科学,社会心理学,経済学,倫理学などに携わる臨床医や基礎系の医学者,心理学者,文学,経済学さらには工学系の学者までもが執筆者として名を連ねた甚だ学際的な書物である。

 編者らは先に『神経文字学-読み書きの神経科学』という編著を出版している。この従来の神経心理学の対象である失語や失行,失認,中でも読み書きという高次の機能の神経基盤からさらに進んで,本書のテーマは人間の行動,特に社会的行動の原点としての神経基盤についてである。本書は社会的行動の原点としての表情認知の脳内機構の章にはじまり,意思決定のメカニズム,理性と感情の神経学の3章から成っている。

 特に3章は衝動と脳,損得勘定する脳,親切な脳といじわるな脳,倫理的に振る舞う脳の4項に分けられ,それぞれの行動や判断の神経基盤について記述されている。これらに代表される各項の軽妙なタイトルには大いに惹きつけられる。

 これらの社会的行動の脳内機構に関する所見の多くが最近の機能的脳画像診断,特に functional MRI からの知見に拠っている。表情認知や社会的認知には扁桃体や前頭葉内側部が重要な役割を担い,意思決定には前頭葉・大脳基底核,直感的な言い換えれば多分に近視眼的な損得勘定には前頭葉帯状皮質,先を読んだ高度の損得勘定には前頭連合野を中心とする皮質・皮質下の脳領域が賦活され,倫理的判断や行動には比較的全体の脳領域が関与するという。

 項の終わりごとに「こぼれ話」として岩田先生が書いておられる小話がユーモラスでしかも機知に富んでいて楽しい。また本書の「はじめに」と「おわりに」の河村先生が聞き手となった岩田先生との対談も,本書が岩田先生の恩師である故豊倉康夫先生の最終講義をきっかけとしていることや神経経済学,神経倫理学という新しいジャンルがあること,自閉症研究との関係,正直脳と嘘つき脳という言葉や脳の三極化のお話などから伺える岩田先生特有の明快な切り口,さらにはコンクリートジャングルに住むダニの話などは岩田先生が日常,周囲の何にどんな関心や考えを持って生活しておられるか伺い知ることができ大変興味深い。各項を担当した著者らの高い研究レベルや熟練された論述もさることながら,岩田先生の幅広くしかも高い学識や見識,広い交友関係,軽妙洒脱で物事にとらわれない御人柄がうかがえる1冊である。

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