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「人は死ぬ」それでも医師にできること
へき地医療,EBM,医学教育を通して考える

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病院中心の医療は患者に多くの福音をもたらしたが、一方、人々から「自然な死」を遠ざけた。本書は12年間、へき地医療を実践し、その間、本邦のEBMの第一人者となった異色の著者による珠玉のエッセイ集。研修医教育に転じた最初の1年を日記の形で振り返り、さらに、EBMや医師・患者関係に鋭い考察を加えた。医療者のみならず一般の方にもぜひ読んでほしい1冊。
名郷 直樹
発行 2008年05月判型:A5頁:260
ISBN 978-4-260-00577-7
定価 2,420円 (本体2,200円+税)

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推薦の序(五十嵐正紘)/はじめに(名郷直樹)

推薦の序
 本書には、卒後研修医、特にへき地医療をめざす医師の教育専任医師として初体験の1年余にわたる日記を中心に、この職に付くまでの著者の越し方、忘れられない患者たちからの学び、得意とするEBMとの著者のかかわりと、著者の地域医療へのかかわり方が書かれている。
 「日記」ということで読者が想定するものとは随分と違った著作だ。とにかく読んで面白い。ことに及んで、しかも多くが著者にとって初めてのことに処して、どうしようかと揺れる著者の思い、行動が赤裸々に描かれている。揺れながらも、どの文にも、著者の選択と思想が書かれている。なぜというよりも、どのような過程をたどりながらその考えや決断に至ったかが日記を通して理解できる。日記を書くことが、著者の創意、創作の泉になっている。
 その考えや決断がまた並のものではない。そこにはパラダイム・チェンジがある。読者の琴線に触れるものが詰まっている。医療人でない読者にも訴えるものがある。
 長年へき地で活動しその後一転して教職に就いた、という点では小生と似た経歴の著者の発信には、小生にとって共感できる思想や行動が多い。著者と小生が一時期同じ職場で活動したことが、双方に影響し合っている側面もあろう。
 特定の臓器や特定の技術の継続性に基盤がある医療ではなく、特定の人、特定の家庭、特定の地域との継続性に基盤があるへき地医療の専門性、また、医師の都合ではなく、患者の都合や患者との関係性に焦点を合わせる地域医療の特性がよく具現されている。
 著者はEBMの伝道者でありつつ、あいまい、不確定、確かな根拠が存在しない、あるいはどろどろとして複雑な現実の中での患者と医師が織りなす選択や決断、あるいは、たまたまそうすることになったことを、地域医療あるいはプライマリ・ケア現場の特徴、専門性として描いている。
 著書全体を通して、人の生涯や生死への著者の思いがにじみ出ている。小生が十年余を過ごした北海道東部の田舎町厚岸の診察室からは、朝に東にある厚岸湖と明けの空を真っ赤に焦がして大きな太陽が昇り、夕には西にある厚岸湾と暮れの空を真っ赤に焦がして大きくなった太陽が沈むのを毎日見ながら、生と死は同じもののミラーイメージ、成長と老い、生と死がともに身を焦がして輝いているのを実感した。多くの子どもの成長を楽しみ、ことほぐのと同じように、老いと死も楽しみ、ことほぐことと自然に思えた。
 研修医のみならず、広く医療人、あるいは巷の人が、読まれることをお勧めする。

 2008年4月
 五十嵐こどもクリニック
 五十嵐正紘


はじめに
 とりあえず本書を手にとっていただいてありがとうございます。

 本書は私が医師をめざすようになったところから、20年を経て今に至るまでの、自分自身の振り返りの記録です。ある部分は私自身、つまり名郷直樹として、そしてある部分は、架空の人物、丹谷郷丹谷起として。
 日付のついていない部分は、名郷直樹本人の振り返りです。しかしそれがノンフィクションかというと、ちょっと怪しいところがあります。記憶が鮮明でないことが多かったり、記録が残っているものでさえ、その記録が正確かどうかは確かめようがないからです。この部分こそ、今の自分に都合のいいように作り変えられたフィクションかもしれません。逆に日付のついている部分は、へき地診療所勤務のあと、研修指定病院に教育専任医師として赴任した丹谷郷丹谷起を主人公としたフィクションです。『週刊医学界新聞』「研修センター長日記」に連載したもののうち、最初の1年間の出来事をまとめたものです。こちらは作り話を書いているつもりですが、それがまた何だか怪しい。自分にとっては、作り話のほうがリアルなような気もするのです。
 どうしてそんな気がするのか。実際に起こったことよりも、起こったことにつなげて考えたことのほうが重要ではないか、そんなふうに思うからです。考えたことに重きを置けば、フィクションだろうが、ノンフィクションだろうが同じことではないか。どちらも私が考えたことには違いないからです。
 ただ、その「私が考えたこと」というのも、元をたどると、何かの本に書かれていたり、誰かがどこかで言ったことであったりします。そうだとすると、実は私が考えたことが書かれているというのも怪しい。そうすると本書にはいったい何が書かれているのか。

 そんな自分の考えを書いたかどうかさえわからないようなものが、読者の皆さんにとってなんの役に立つのか、怪しいところもあります。しかし、自分の考え方かどうか怪しいからこそ、誰かのお役に立つのかもしれない。この本には、自分の考えだけでなく、多くの患者さん、同僚、先輩、後輩、これまでかかわったすべての人の考えが、書かれているようにも思えるからです。

 いきなりわけのわからないことになってしまいました。しかし、このわけのわからなさに少しは興味を持ってもらえたら、この先の本文も多少は楽しんでもらえるんじゃないかと思います。ぜひこの続きを読んでみてください。

 2008年4月
 名郷直樹

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推薦の序
はじめに

なぜ医師になるのか、なったのか―はじめに問いたい
医学部入学以前、入学試験での大事件―山上さんのこと
医学生としての日々―病棟嫌いの学生時代
初期研修医としての日々―切れ切れの記憶

忘れられない患者たち1―ひとりぼっちで死にたいね

0 新しい年と新しい仕事―教育専任の医師になる
1 さらばU村、よろしくZ市―へき地診療所から都市の病院へ
2 センター長の仕事って?―めざすは教育を専門にする臨床医
3 机と椅子で十分だ!その1―何にもないには、すべてがある。すべてがあるには、何もない
4 机と椅子で十分だ!その2―「患者に合わせる」、そう簡単に口にする言葉じゃない

私のEBMはここから始まった1―SackettのClinical Epidemiology

5 気楽なようでシビアな生活―ホームレスに習う?
6 ひとつのお願い―患者に研修医として何ができるか
7 眼にて云う―救っているのが患者で、救われているのが医師だったりする
8 盤面が大海原に見える―診察室が大宇宙に見える

私のEBMはここから始まった2―SHEP研究との出合い

9 知らざるを知らずとす―わからなくなるまで勉強する
10 何もしない―あえて「しない」をする
11 寝坊する研修医―「患者の立場」とは何か?
12 いい医療といい研修―自分勝手度と自分勝手自覚度を認識する

私のEBMはここから始まった3―高血圧との長い戦い1:古い降圧薬と新しい降圧薬

13 雑用か役割か?―雑用と役割は似ている
14 うれしいような、悲しいような―何かを持続するための唯一の道
15 スレスレ―自分の夢と他人の夢の境目
16 振り返り―明日のためにこそ

私のEBMはここから始まった4―高血圧との長い戦い2:日本発の大規模臨床試験

17 いい加減な気持ち―どうでもいいと思えたからこそ、選択の余地があった
18 興味のないことに興味を持つ―自分の興味と患者の興味
19 センター長の仕事って?再び―他人は思うようにはならない
20 マイナスの人間成長―21世紀にふさわしい言葉

私のEBMはここから始まった5―コレステロールとの長い戦い1
忘れられない患者たち2―「まんだ生きとるか。しぶといやつだな」

21 私はうそつきですといううそつきはうそつきか?―自分について語ることは難しい
22 何もなかった頃から考える―医療の進歩は人類滅亡の第一歩?
23 ただ研修する―理想の研修とは
24 自然なこと―自然は隠されたとたんに不自然となる

私のEBMはここから始まった6―コレステロールとの長い戦い2

25 流れに求める1―時を止めて見失うもの
26 流れに求める2―研修医には問題を解決する能力がある
27 流れに求める3 患者はどうして死んだのか?―「もの」としての死と「こと」としての死
28 流れを止めて―人より病気を診ることの重要性
 私のEBMはここから始まった7―コレステロールとの長い戦い3
29 医師の病気―自分の病気をまず治せ
30 優雅で感傷的な日本医療―知らないからこそわかること

忘れられない患者たち3―「おれはいいよ」:治療を拒否した肺がん患者

31 副腎に求めよ―次の時代の王道は今の時代の邪道から生まれる
32 越境する専門医―守備範囲を規定しない
33 教えないことで教える

私のEBMはここから始まった8―糖尿病との長い戦い1

34 餓死するロバ―なぜ利き手があるのか
35 患者様―「様」と呼ぶことの暴力
36 大衆文学と純文学―めざせ純文学医療!

私のEBMはここから始まった9―糖尿病との長い戦い2

37 東京都の電話帳に興味を持つ―一行の背後にある「こと」としての患者
38 コトバは時間を生み出す形式である―コトバは患者を記述できるか
39 自分の外に自分を探せ―自分は自分以外のものからできている

忘れられない患者たち4―50ccバイクの二人乗りは禁止です

万物は流転する―地域医療研修センターのめざす地域医療
地域医療指向型初期研修12の軸―新しい医学モデルに基づく教育
研修医を励ますのか励まさないのか、微妙な言葉集

終わりに

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「明日のために自らを振り返る」ことの意義
書評者: 飯島 克巳 (いいじまクリニック院長)
◆不思議な書名,その訳は?

 何だ。どういう意味だ。書名を見て,そう思った。本を読んでいくうちに,その疑問が解けた。著者が責任者を務める地域医療研修センターでは,地域医療の特徴の第一として,「万物は流転する」を挙げている。つまり,人は死すべき存在であるという事実をまず踏まえるのである。したがって,この事実を踏まえて医療を行うということは,患者を見捨てない態度を取り続けることになる。患者に対して,「医学的にこれ以上できることはありません」とは決して言わない。その代わりに,「何か言うべきこと,やるべきことがある」と考えるのである。

 地域医療の第二の特徴として,「あらゆる問題に対応する」ことが挙げられている。つまり,患者のあらゆる必要に応えるということである。決して,専門外であるという理由をもって患者を拒絶することはしない。そのために,「多様な視点を」を持ち,「患者のナラティブ――物語り」を聴き,「専門科や専門職の種類」を超えて対応するのである。このように地域医療とは,人々に寄り添う医療であるということがわかる。

◆へき地医療こそ著者の故郷

 著者は,臨床の基本的態度とされてきている「EBM――根拠に基づく医療」の教育において,日本での第一人者である。『EBM実践ワークブック(南江堂)』などの優れた著書もある。実は,彼のEBMとの出会いは,へき地医療に遡る。

 まず,住民検診での総コレステロール基準値(220mg/dl)について疑問を持ち,その根拠を調べた。しかし,ついに見つけることはできなかった。彼の素晴らしいところは,与えられた基準値を鵜呑みにしなかったことである。恐らく,次のような問いを持ち続けながら,診療所にやってくる一人ひとりの患者を診察していたからに違いない。「この検査,治療は,本当にこの患者の利益になっているのだろうか? その根拠はどこにあるのか?」。このような問いを持ち続けたことが,後に自治医科大学での研修中にEBMと出会うことを可能にしたのだった。

 また,著者はへき地医療のなかで,住民の立場から見た医療(老い,死,診断,治療)について学んだ。肺の検診でひっかかった75歳くらいの老人は,精密検査を勧められたが「おれはいいよ」と微笑んで,これを受けなかった。また,著者の住宅近くに住んでいた一人暮らしの老婦人は,部屋をきちんと整理整頓し農薬を飲み,その中央に敷かれた布団のなかで息をひきとっていた。さらにまた,パーキンソン病で終末期にある寝たきり患者を訪ねてきた初老の男性が,彼に「まんだ生きとるか。しぶといやつだな」と声をかけた。最初は驚いたが,地域の友人同士のこのような看取りもあることを知った。

 著者は,へき地で「最初に人々の生活ありき」ということを学び,健康至上主義,延命至上主義の医療を反省したのである。

 へき地医療は,著者の故郷である。彼は述べている。「へき地医療の中で出会った多くの患者から学んだ」「最高のへき地専門の医師を,日本全国のへき地に派遣したい」「(へき地医療のための教育システムが機能するようになったら)自分自身ももう一度へき地医療の現場で働きたい」

◆臨床医一般にとっても,よい振り返りの本

 臨床医,特に病院勤務医は忙しい。忙しいとは,心を亡くすと書く。忙し過ぎると診療がマンネリ化する。時に医療ミスが発生する。過労死することさえある。時々,次のような「振り返り」が必要である。「医師になったもともとの理由は何だったのか?」「患者の利益になる医療を行っているのだろうか?」「行っている診断や治療には正当な根拠があるのだろうか?」「若い医師を教育するとはどういうことだろうか?」著者は,自らの体験をもとにこれらの問いに対して,根源から答えようとしている。本書を読み著者と対話をしながら,「明日のために自らを振り返る」ことは大いに意義あることだろう。
医師頭にしみいる
書評者: 奥野 正孝 (鳥羽市立神島診療所所長)
 台風を避けて朝早く島を出て,母校へき地医科大学での「離島医療」の講義に向かう新幹線の車内でノートパソコンを開いた。いつもこの時間は授業内容を推敲するためのとても大切な時間であるが,その前にこの本を一気に読み切ってしまったのがいけなかった。本のことが頭から離れない,というより何かが脳の中にしみ渡ってしまって,いつものように働いてくれない。なぜだ? 15号車11番E席の窓から,かつて著者がいた作手村の山々が見えている。できすぎている。 

 たかだか500人しかいない島の診療所での勤務が通算17年を越えた。これだけいれば,何だって知っているし,何にでも対処できて,迷うことなんかないようになるだろうと思っていた。でも結果は逆で,知れば知るほど知らないことは増えていくし,対処できることが増えていくのと同じようにできないことが増えていく。迷いなんて日常茶飯事,いったい自分の頭はどうなってるんだ,どこがいけないんだと自問自答の毎日が過ぎていた。そうこうしているうちに年に一度の大学での講義の機会がやってきたのだが,ここにきて悩んでしまった。迷い悩んでいる私が講義をしたら学生を混乱に陥れるのではなかろうか? 何を話して何を話さないでおくべきなのか? 真実を伝えることは重要だけれどそのまま伝えて良いのか? などと根幹の部分での悩みが頭の中を駆け巡っていた。しかし,この本を一気に読んだ後,私の角張った医師頭は紙ヤスリでゆっくりこすったように丸くなり,垂直に深く切り立った脳溝には何か暖かいものが流れ,頭の中が一種の爽快感に満たされた。一つひとつの著者の言葉が大きくまとまってひとつの流れになって医師頭にしみ渡り,軽い高揚感とともに「推敲することも悩むことも十分したのだから,もうやめていいんじゃないか」と自然に気楽に考えるようになってしまっていた。

 医学界新聞の著者のコラムを読んでいた時,禅問答のようになって解釈するのが困難であったり,思考過程をそのまま書いているものだから理解するのに苦労したり,観念奔逸のようにほとばしる言葉の洪水に溺れてしまってその本質に迫れず,逆にきっと著者は研修医の教育で疲れ果てている上に締め切りに追われて書き殴っているのでこんな文になっているのだろうなというくらいにしか思い至らなかったが,なぜか読み続けずにはいられない不思議な魅力があった。しかし,この不思議な魅力も医学界新聞が送られてくる一か月ごとでしか感じることができなかったため,その大きな力を知る由もなかったのだが,この本の登場で,あの不思議な魅力がいっそうパワーアップし怒濤が押し寄せるように一気に感じることができるようになったのである。

 こんなダイナミックな魅力の一方で,この本の中にはなるほどとうなずかずにはいられない名言・名文がちりばめられていて,ついついメモなどして途中下車してしまいがちになるといった繊細な魅力もあるのだが,日ごろの疲れた頭をスッキリさせる爽快感がほしければ,やっぱり「一気に読む」ことをぜひお勧めする。

追記
 お陰様で今回の母校へき地医科大学での「離島医療」の講義はこれまでの中で最も高い評価を得られたことを報告する。ありがとう名郷先生。
寺山修司・井上陽水になりたかった医師が周辺に越境する物語
書評者: 山本 和利 (札幌医大教授・地域医療総合医学)
 本書は,へき地診療所を離れた医師が,人を死なせないことを使命とする都市部の病院の臨床研修センター長になって,日々研修医たちとの間で繰り広げた「こと」を週刊医学界新聞に綴った1年間の実践記録・日記である。

 実在する名郷直樹氏と架空の存在丹谷郷丹谷起(ニャゴウ・ニャオキ)とが主に現在の医療問題について3つの視点から切り込んでゆく。1番目は研修医教育であり,2番目が著者お得意のEBMについてであり,3番目が死ぬこと・生きること等の哲学についてである。

 研修医教育の章では,研修医との応対に苦悩しながら独自の哲学で対応している著者の姿が浮かび上がってくる。「何もしない」で何かが湧き出てくるのを待つ。雑用の多さに苦情を言う研修医に「役割」理論で対抗する。寝坊して遅刻した研修医に「よく寝坊するまで頑張った」と応じ,将来の進路に悩む研修医には「いい加減こそ主体的である」「自分の外に自分を探せ」と言い切る。

 EBMの章は,「○○との戦い」と題して3疾患が取り上げられている。高血圧の章ではSHEP研究,ALLHAT研究を,コレステロールの章ではMEGA研究を,糖尿病の章ではUGDP研究,UKPDSを俎上に臓器専門医の対応の仕方を一刀両断に批判している。最新の降圧薬は不要である,心筋梗塞低リスクの中年女性はコレステロールをあえて下げる必要はないという主張は具体的かつ明快である。そのとおりとうなずきながら,ページをめくってしまう。「EBMの落とし穴にはまるEBMの専門家」「病態生理は仮説に過ぎない」の詳細についても,科学的な診療を心がけていると自称する医師には是非一読してほしい。

 本書には至るところに含蓄のある言葉が散りばめられている。著者が師匠と崇める元自治医科大学教授五十嵐正紘氏の哲学に触れることができるのも本書の魅力である。30年前,誰もが臓器専門医になる時代に地域医療を続け,いつか総合医の時代が来ると信じて活動して来た私にとって,五十嵐氏の「丹谷郷君,次の時代の王道はねえ,今の時代の邪道から生まれるんだよ」という言葉は励ましでもある。

 いつの時代も患者さんは,本来医療で対応するような事柄ではないさまざまな問題を診察室に持ち込んでくる。医師は医学の進歩についていくこともさることながら,医療化されたさまざまな「こと」にも対応していかなければならない。本書は,患者さんのどんな訴えも受け入れようと立ち上がった戦いの記録でもある。詩や文学を愛し哲学しながら青春時代をおくり,寺山修司か井上陽水になりたかったという著者は,守備範囲を規定せずあらゆる分野に越境し続ける者こそが総合医であると定義して,臓器専門医のみならず総合医にもさらなる飛躍を求めている。

 本書を次のような読者にお勧めする。まずは研修医の指導をどうしてよいかわからず悩んでいる医師,次の進路に迷っている研修医,EBMとは何かを模索している医師,生きるとは何か・医師とはどうあるべきかと真剣に悩んでいる医師。そしてこの本を読んだあなたはきっと自分自身の1年間を本にしてみようという気になる。

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