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「治らない」時代の医療者心得帳
カスガ先生の答えのない悩み相談室

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棚上げする度胸、矛盾に耐える知的肺活量、保留を重ねるツラの皮--慢性疾患時代の医療者には「中腰力」が必要だ。医療崩壊と嘆く前に、目の前の患者を見殺しにしないノウハウを身に付けよ。<時間>という観点から旧来の援助論をひっくり返す内田樹氏との対談や、困った患者を一喝する「切り返しフレーズ集」も一挙掲載!
春日 武彦
発行 2007年08月判型:四六頁:196
ISBN 978-4-260-00519-7
定価 1,540円 (本体1,400円+税)
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  • 目次
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あとがきより抜粋

 わたしはメインの読者を研修医と想定して本書を綴った。では研修医とはどのような人たちのことなのか。厚生労働省が定めるところの身分としての研修医について云々しているのではない。もっと直感的なものとして研修医とはどういった人々なのか。
 統合失調症の患者が幻聴対策として耳に綿を詰めることがあると知識のうえでは心得ており、しかし実際にそのような患者に接したときに綿が真っ黒であったことを目の当たりにして衝撃を受ける――すなわち臨床のリアリティに接して気持を動揺させている真っ最中の人たちこそが研修医であるとわたしは理解している。
 だから研修医の感性にはみずみずしさと素人っぽさとがあって、そこが魅力でありまた困ったところでもある。早晩、耳に詰まっていた綿が真っ白であろうと真っ黒であろうと何も感じなくなる。うろたえなくなる。ただしそれが医師としての成熟であるとは思わない。むしろ感情が鈍麻したというべきだろう。ただし鈍感さと図々しさと若干の恥知らずさがなければ、日々の臨床はこなしていけない。
 まあそんな次第で研修医とは医師における思春期である。思春期をソツなく過ごす奴はろくな人間にならない。研修医諸氏には、自己嫌悪と正義の怒りと的外れな義侠心とでたっぷりと苦しんでいただきたいのである。ただしあまりに煮詰まってしまったり袋小路に迷い込んでしまうのも、いささか悲しいものがある。そこでわたしなりに何かヒントを提供できればうれしいし、いい歳をしたオヤジがいきなりギターを抱えてディープパープルの曲を弾きだすように過去と向き合ってみるのも一興かと考えてみたのが、本書を作成する動機だったわけなのである。

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◎ちょっと長いまえがき

せめてロシアンルーレットにしておけ-「運のいい医者」になるには
まっとうな懐疑-思い入れの強すぎる医療者は危険
マンネリ医者の安定感-「毎度おなじみ……」で負けるが勝ち
臨床の不思議-気合いで治す、こともある
「泣く医者」ふたたび-アンタッチャブルな鬱陶しさ
フレンチレストランの夢-「治らない」患者を前にして
青磁に鯛焼き-もうひとつの意味が降りてくるとき
精神科医の自尊心-結果オーライをガイドする
こわいことは告げないでほしい-小心患者vs.厚顔医師

カスガ先生というひと by 吉野朔実

マゾヒスティックなダンディズム-あえて「仕事師」になってみる
百年たったら言ってやる-困った患者、不寛容なわたし
「患者の運」に差し戻す-不確定要素の扱い方
急患男の「禊ぎ」-苦しみを期待してしまう人たち
患者はなぜ嘘をつく-「七割関係」の健全さ
医者冥利はどこにある-イケメンなヒーローか、カルトな脇役か
趣味の効用-ミもフタもないことを言わないために
たまにはジョーカーを引いてみろ-断り上手はからだに悪い
救われるべきはあなた-ユニットとしてとらえることの意義
距離とフレーム-単調さを愛でる力をつけたい
やるときはやる!-トンデモ医療者に同情はいらない
優しいワタシの落とし穴-コントロール願望をどう制御するか
回り道はマイナスではない-世間知らずにならないために

対談「中腰で待つ援助論」 vs. 内田樹

◎エピソードにことよせたあとがき

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研修医のハートを鷲づかみ肉声に満ちた「裏バイブル」
書評者: 丸山 順子 (都立駒込病院・アレルギー膠原病科)
 現代は「治らない」時代である。たしかに,医療は目まぐるしく進歩したが,かえって複雑となり,「治らない」ことが浮き彫りとなってきた。そんな時代を医師として「まっとうな精神を維持しながら」生き抜くのは至難の業ともいえる。

 本書は,兄貴的精神科医から,医師における思春期を過ごすわれわれ研修医たちへの裏バイブルである。
 
●キーワードは『中腰力』

 著者は,卒後6年間を産婦人科医として過ごし,その後精神科に移籍した経緯をもつ。その後,都立病院精神科部長などを歴任。語り口は極めてシニカルであるが,長年医療の現場で臨床に汗を流してきたからこそ発することのできる肉声がわれわれのハートをつかむ。

 そんな著者がわれわれに提言する,「治らない」時代を生き抜く要が,『中腰力』だ。うまくいっているかどうかすぐに結果が出ない状態で,じっと辛抱して待つ能力である。つまり中腰で「中途半端さに耐える能力」が必要だというのだ。

 その『中腰力』によって,白黒つかない宙ぶらりんの状態が経過することを耐え,「時間が問題を解決させる」力を大いに活用する。それが援助者の実力のひとつだと著者はいう。もちろん一分一秒を争う判断が必要なこともあるが,それはむしろ「治りうる」場面での問題であり,日々の「治らない」臨床の現場では,この『中腰力』がものを言うというのである。
 
●「ケータイ番号教えて」と言われたら?

 中腰で乗り越えていかなければならない日々の臨床。この経験が単に同じ行為の退屈な繰り返しとなるか,そこに新たな発見を見出し,喜びに満ちた探求のプロセスとなるかは,中腰で対峙するときの対象との距離のとり方いかんである。「繰り返しであっても,それを同じフレームで眺めていれば確かに退屈かもしれないが,もっと違う分節の仕方をすれば,かえって単調なものほど意外なものが顕現しやすい」と著者はいう。

 では,いかにして『中腰力』を身につけるのか? 本書のなかには,そのヒントとなる《カスガ式。切り返しフレーズ》がちりばめられている。

 「(嫌味たっぷりに)医者なんて,人の不幸で儲けているんですよねえ」という患者さんに対して,「わたしが失業してしまう世の中になることを,待ち望んでいるんですけどね」と相手の言い分に同調するふりをして,そこから何か間抜けな結論を引き出してみせるとか。「先生のケータイ番号,教えてください」と言われたときの切り返しなど,おおいに納得した。
 
●おおらかに,ためらおう

 われわれが日々遭遇する挑戦的な場面や,逆に淡々とした医療という日常。それを単なる治療行為の反復としてではなく,医療者としての成長過程としてとらえることが重要である。またそれは同時に,その対象である患者さんが,自分の病気を受け入れ,病気とともに歩む方法を学ぶという双方の成熟過程であることを教えられた。

 私自身,医師になってまだ6年。著者が産婦人科医から精神科医に転向する前の段階であるが,「医師の品格」として著者が指摘する,ある種の「おおらかさ」と「ためらう」ことをためらわない謙虚さを常に失わず,「治らない」時代を生き抜く『中腰力』を鍛えていきたい。
「究極の生物兵器」に悩む人々へ
書評者: 池田 正行 (国立秩父学園・内科医)
 「人間は究極の生物兵器である」と私が言っても,仕事場で,家庭で,そういった事例を嫌というほど経験しているあなたは決して驚かないだろう。その究極の生物兵器自身が,病気や怪我になったら,医師がその手当てを担当する。つまり,医師とは,手負いとなって攻撃力が高まった究極の生物兵器と常に対峙せねばならない商売である。

 通常,血を吐いただの,骨が折れただのといった体の傷への対応については,われわれはしかるべき訓練を受けている。対応マニュアルも,医学書院をはじめとする出版社から数多く出ている。ところが,究極の生物兵器たる所以の「感情,言語,行動」に対しては,われわれはきわめて貧弱な装備しか持ち合わせていない。
 
●ボディブローのように効いてくる

 究極の生物兵器が仕掛ける攻撃がやっかいな理由は山ほどある。まず,弾が飛んでくる方向が一定ではない。病者本人やその家族はもとより,同僚,上司,部下,ひいては自治体議員や地元マスコミからの攻撃に晒されることもある。それでも,直接に自分目がけて来るだけならまだいい。とんでもない方向から流れ弾が飛んでくることもしょっちゅうだ。

 ところが,究極の生物兵器から受けた心的外傷の自覚症状は,意外にもしばしば軽い。なんのこれしきでその場を凌ぎ,身体疾患の治療に注意力を集中してしまう。ブラックジャックに憧れ,あるいは救急救命室のエースよろしく,5ラウンドあたりまで頑張ったとしても,ボディブローのように反復される心的外傷の結果,不幸にも戦線離脱と相成るケースが後を絶たない。
 
●「逃げる」でもなく,「迎え撃つ」でもない方法

 かくして,この種の心的外傷が,医療現場における離脱兵の増加,ひいては戦線崩壊の最大の原因になっている。私も,現場に出た途端,究極の生物兵器の怖さを思い知った。しかし,私のとった行動といえば,砲声に耳を塞ぎ,ひたすら逃げ回ることだけだった。

 本書は,究極の生物兵器対策を説いている。とはいっても,派手な迎撃ミサイルの類はいっさい登場しない。著者が示すのは,やり過ごし,肩すかし,放置,武装解除といった,一見敗北主義に見える戦略である。

 一方,本書に採用された質問者の年齢は多くが二十代で,一部三十代前半が混じっている。本書を通読しても,同様の比較的若い年齢層を読者として意識していることが伺われる。しかし,この年齢層のうちいったい何割が,上記のような戦略を自分だけで理解し,実践できるのか,疑問が残る。
 
●ベテランこそがみずからの傷を語れ!

 究極の生物兵器対策としての本書を有効活用するためには,本書を研修医だけに独占させるべきではない。

 医療現場由来の心的外傷の深さは,経験年数と正の相関関係がある。究極の生物兵器の怖さを嫌というほど知っている指導医,あるいはそれよりも年上の医師が本書を手に取れば,自分の傷の受傷機序や,対処法,その後の経過が自験例として想起される。それが本書への共感を生み,みずからの傷を教育の糧として研修医と共有したいと思うだろう。手柄話なら聞かされるほうはたまったものではないが,現場で受けた傷の話,それも自験例となれば,話すほうも聞くほうもおのずから真剣勝負となる。

 かくして本書は,年齢,性別に関係なく,医療現場で究極の生物兵器対策に悩む人々に共通した学習資源となる。

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