糖尿病看護の実践知
事例からの学びを共有するために

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病いをもちながら生きていかざるを得ない慢性疾患療養者には、どのような看護が有効なのだろうか。臨床体験の中に潜む普遍的な要素を見出し、実践知(経験知)として共有していくことができれば、人と時を超えた看護の継承・発展が可能になるのではないか。実践の科学である看護の「臨床の知」に徹底してこだわり、ナラティブに基づく実践・研究を重ねてきた成果がここに。
監修 正木 治恵
編集 黒田 久美子 / 瀬戸 奈津子 / 清水 安子
発行 2007年09月判型:A5頁:260
ISBN 978-4-260-00566-1
定価 3,080円 (本体2,800円+税)
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推薦のことば(野口 美和子)/まえがき(正木 治恵)

推薦のことば
 1980年から千葉大学看護学部老人看護学教育研究分野(成人看護学第一講座,成人・老人看護学第一講座)において,糖尿病看護を研究テーマに修士論文,博士論文に取り組み,多くの論文を集積してきた。初期には慢性病看護としての糖尿病看護の独自性を模索することを通して,患者の自己管理に関する研究を発展させ,糖尿病患者の人間としての理解を深めつつ,そして患者支援システムに関する研究に発展していった。

 プログラムとは決めたとおりのことをやればよいのに対し,看護は決めたとおりのことをやればすむというものではない。また,手順にしたがってやれば誰にでもできるものではないのである。どういう環境で,どういう医師がいて,どういう看護師がいて,どういう家族がいるというだけで,看護師と患者さんの関係が決まる。ということは看護が患者へどのような影響を及ぼしうるかが決まる。一方で看護の効果を奪い取るのも環境である。看護がある成果を上げるためには,看護師としての私の意図とは別に,患者さんの偶発的な考え方と,その日の天候や看護師の化粧の仕方やら,患者さんの家族がその日どうしたとか,そのようないろいろな環境が決定してしまうのである。そしてそれは忘れたり思い出されたりしながら患者さんの意識の中に積もって患者さんの行動に影響を与えていく。それほど我々が行っている看護実践は複雑なものである。このことは,糖尿病患者さんと真剣に向き合ったことのある看護職であれば皆十分気づいている。

 専門職業人は専門知識を持ち,互いに協働しつつ,手をつかう実践家である。人生の豊かさと自由を支えるのに必要なのは,複雑な現実に対応できる知識と責任に結びつく知性なのである。したがって,看護学の研究と教育においては,実践知の重みを背負ってすすめていく必要がある。本書の執筆者たちは,このような複雑な実践を通し,糖尿病看護の研究論文を書き上げた。本書では,それぞれの研究者自身が,これらの成果を紹介しつつ,読者と事例を共有することで,実践知を伝承しようと試みている。糖尿病看護にかかわる看護職には,これらの研究から得られた実践知を参考としていただき,今後もさらに糖尿病看護のあり方や方法を探求していただきたい。

 糖尿病看護の実践知を系統的に伝えようとする本書が,現場で活躍されている多くの看護職の方々に活用していただければ幸いである。
 平成19年7月1日
 沖縄県立看護大学学長
 野口 美和子

まえがき
 糖尿病看護は「指導・教育」の役割が強調される領域であるが,「指導・教育」されているのは果たしてどっち?と思うことがたびたびあった。それだけ多くのことを糖尿病患者さんから学ばせて頂いたように思う。その意味でも,糖尿病看護は最も実践知からの学びの大きい領域だと思われる。実践知は,いわゆる,看護を実践する者が,その経験から学んだ知恵であり,さまざまに遭遇する体験を通して個人の中に蓄積し,融合して,卓越した実践を生み出す。本書で取り上げる実践知は,看護学の修士論文,博士論文としての研究を通して明らかになったものである。それぞれの研究者(実践者)が自己の経験により引き起こされた気にかかる問題(関心事)に対して,内的な吟味を深め,探究し,結果として新たな概念的見方をもたらしている。個々の実践を通して生じた疑問が,糖尿病看護の実践を切り開く新たな視点として明示され,ナラティブな記述と詳細な分析を通して,結果を導いている。糖尿病患者さんに看護師として対峙した,一人ひとりの知恵の結集である。

 本書の著者らは,千葉大学大学院看護学研究科において産出した研究結果やその過程で蓄積された知を,その後も自らの経験を重ねた上で,さらに実践的な吟味を加え,研究成果のエッセンスをまとめた。編集にあたった黒田氏,瀬戸氏,清水氏は,糖尿病看護外来をともに実践し,糖尿病看護のあり方を糖尿病患者さんとともに創りあげようと意気に燃えた同志であり,いずれも糖尿病看護に関する研究で博士の学位を取得し,現在後輩育成に力を発揮している。看護に対する真摯な眼差しを持ち続けている同志である。本書が,糖尿病看護の醍醐味を伝え,かつ自らの実践を通して知恵を蓄積しそれを他者に伝える形にしていくことへの興味を高め,糖尿病看護の発展の道筋を示すものとなれば幸いである。

 本書出版にあたり,糖尿病看護研究の礎を築かれ,我々後輩たちを“看護となる実践”に導き,そして今でも暖かいエールを送って下さっている元千葉大学教授,現沖縄県立看護大学学長野口美和子先生に,心より感謝申し上げます。

 最後になりましたが,看護援助の対象者として看護の実践知をともに創り,私たちに貴重な学びを提供して下さった糖尿病の皆様方にあらためて御礼申し上げます。
 平成19年9月
 正木 治恵

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推薦のことば
まえがき

第I章 糖尿病看護の実践知
 1 実践知とは
 2 糖尿病外来看護の実践知
第II章 事例にみる対象をつかむプロセス
 1 糖尿病患者のセルフケア獲得のプロセス
 2 糖尿病患者のセルフモニタリング
 3 実践知から研究を通して浮かび上がる糖尿病患者像と看護援助の方向性
第III章 事例にみる看護援助の展開
 1 インスリン注射が導入される高齢患者への注射手技指導
 2 セルフケアのプロセスを患者が習得するための学習支援
 3 セルフケアにつながる身体ケアを通した援助
 4 手だての見えない自律神経障害患者への援助
 5 患者会活動への相互協力的アプローチによる援助
 6 チームの中での調整機能
第IV章 看護援助の評価をどう捉えるか
 1 看護師が捉える援助効果
 2 糖尿病看護の実践能力の評価

さくいん

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糖尿病看護スペシャリストの実践から学ぶもの (雑誌『看護学雑誌』より)
書評者: 池川 清子 (神戸市看護大学学長・教授)
 本書は,千葉大学看護学部老人看護学分野の研究者たちの20年余におよぶ糖尿病看護研究の集大成である.1つの専門分野に特化した研究の世代を超えた蓄積は,糖尿病看護の実践家はもとより多くの看護の研究者たちに感慨を持って読まれるのではないだろうか.

■模範事例ではなく「実践知」を形作る事例を詳細に

 監修者の言葉を借りると,ここで取り上げられている多くの事例は,糖尿病看護の模範事例としてではなく,臨床経験を通して蓄積されることにより,看護師の「実践知」を形作っていくものとして示されている.「第I章 糖尿病看護の実践知」では,従来からの自然科学モデルに基礎をおいた量的,実験的な測定方法に頼ることなく,事象が起こっている場所や現実にかかわり,世界や他者がわれわれに示す隠された意味を,相互作用のうちに読み取り,理解していくという「実践知」の探求が,研究の方法論として提示されている.

 方法論に続く「第II章 事例にみる対象をつかむプロセス」「第III章 事例にみる看護援助の展開」「第IV章 看護援助の評価をどう捉えるか」では,まず対象者の理解に始まり,看護援助の実際そして看護援助の評価へと,看護実践の具体的方法が展開されている.言い換えると,糖尿病とともに生きる患者を看護師とのかかわりのなかでどのように理解していくのか,そして糖尿病患者がもつ中心的課題の明確化と同時に,看護援助の6つのアプローチが紹介され,臨床への適応が述べられている.

 そして最後に,糖尿病看護の5つの評価視点が事例を通して明らかにされており,これら一連の過程が糖尿病看護特有の視点から詳細に述べられている.

■実践知の探求が浮かび上がらせる“解釈学的循環”

 一読して感じることは,本書の内容が一事例ごとの看護過程の展開ではなく,看護実践の過程を多くの事例の蓄積によって,丹念に,ナラティブを導入しながらまとめ上げた新しい方法への挑戦と地道な努力への敬意の念である.

 あえて言うならば,本書が修士や博士の学位論文をベースにしていることからくる形式的,論理的思考の傾向は避けようがなく,分析方法にみられるKJ法的手法や擬似グラウンデッド・セオリー法による構造図等,実践知の探求としての方法論的一貫性に欠ける感は否めない.

 従来の科学的問題解決法としての看護過程と,実践知探求を旨とする解釈学的プロセスとの本質的な違いは,前者においては科学的な絶対的判断が求められるのに対して,後者では,ある臨床状況について,それを最も的確に説明できるようになり,その結果,不確実な環境下で最善の臨床判断を可能にすることが求められるということである.そこで明らかにされた実践知は必ずしも絶対的なものではなく,新しい状況下においては先行理解(すでに明らかにされた実践知)と新しく解釈されるものとの解釈学的循環と呼ばれるダイナミックな開放構造が浮かびあがってくるのである.

(『看護学雑誌』2008年5月号掲載)
糖尿病看護の実践知はいかにして生まれてきたか
書評者: 井上 智子 (東京医科歯科大学総合保健看護学専攻教授)
 古い話で恐縮であるが,新卒でICU・CCUに配属された私は,ICU環境に圧倒されつつも,見るものすべてが新しく,戸惑いながらも興味津々の毎日を送っていた。その中でICU看護師には,昼間にだぶつく日勤者調整と緊急透析が必要な事態に備える目的で,月に何度かの透析室勤務が組み込まれていた。機器操作もおぼつかない新人看護師が,透析歴10年以上という患者さん達の前で素人同然にみなされたのは無理もなかったと思う。しかし,透析中なら大丈夫と自己解釈して盛大に果物を摂取する患者さん,たった2日で除水体重から4キロも増加させてくる患者さんへの指導は容易なものではなく,新人看護師の言葉は透析ベッドに横たわる患者さんの上を素通りし,空しくどこかへ消えていったことを覚えている。息をするのもやっとの重症患者さんは受け入れてくれるのに,どうしてセルフケア可能な人達に言葉がとどかないのだろう,と当時の私は不思議で仕方なかった。
 しかし,今ならわかる。病とともに,病を自分の一部,個性として,あるいは人生の課題として受け止め,背負い,わがものとして生きていくこと,さらにそれを支えることがいかに困難なことであるか。そして,そのためにはどれほどの知識と技術,経験を必要とするのかが。

 本書は,糖尿病看護の臨床と研究に深い造詣をもつ著者らの,かれこれ30年近くにわたる蓄積の中から生まれたものである。その根底をなす考え方は,第I章「糖尿病看護の実践知」の中に,「エキスパート性が高まるとは,その分野における援助の構造が看護師の認識の中に描けること」,そして「それぞれの専門分野における看護の援助構造が,エキスパートの臨床能力を通して,その実践知を他人に伝達できる形で描けるなら,援助の道しるべを得ることが可能となる」と記されている。たゆまぬ臨床の蓄積と,情熱やエネルギー,そして時間や手間をかけて研究的取り組みを続ける源は,ここにあると言える。そしてこれは糖尿病看護に限ったことではなく,看護全般に通じるであろうことに,やがて気づかされる。

 ところで糖尿病看護における実践知を伝えるにあたり,本書では事例をナラティブで示すという方法を選択している。人々に伝えることを意図した本書の構成は,まずは第II章「事例に見る対象をつかむプロセス」で,予備軍も含めわが国の10人に1人は存在するという糖尿病を持つ人々を深く理解するための研究例を載せている。ついで第III章「事例に見る援助過程の展開」では,まさに豊富な事例を用いて,インスリン導入時の注射手技指導などの糖尿病看護の基本から,手だての見えない自律神経障害患者への援助などの複雑例,さらに患者会活動への相互協力的アプローチまでの幅広い具体的援助活動の実際が記載されている。そして第IV章では,いかなる領域でも常に困難性が伴う,看護援助の評価についての多角的な検討がなされている。

 糖尿病看護の実践知はこのようにして生まれてきた。糖尿病看護に携わる人々には大いなる納得を,そしてこれから糖尿病看護を始める人々にはまさに“道しるべ”をもたらしてくれる1冊である。

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