精神科診察診断学
エビデンスからナラティブへ

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若手臨床家のための最良のスタンダードテキストブックを目指した,精神科診察診断の画期的な手引書。精神症候の同定と診断のために必要な面接技法や臨床判断のポイントを中心に,臨床測定学の概念や各種評価尺度から,Diagnostic Formulationやナラティブ医療まで,精神科領域における診断と評価に関するすべてを網羅。
編集 古川 壽亮 / 神庭 重信
発行 2003年05月判型:B5頁:332
ISBN 978-4-260-11882-8
定価 7,480円 (本体6,800円+税)
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第I編 精神科面接法-よりよい医師-患者関係の確立に必要なコツ
 1章 精神科面接の技法
 2章 精神科面接の態度
 3章 精神科診断面接
 4章 特別な配慮が必要な患者への接し方
第II編 精神科診断学
 5章 診断学総論-なぜ分類するのか
 6章 Evidence-Based Diagnosisの基本
 7章 誤診の心理
 8章 器質的原因を見逃さないために
第III編 精神症候の同定と診断
 9章 意識
 10章 認知
 11章 気分
 12章 幻覚・妄想
 13章 不安
 14章 身体症状
 15章 食行動
 16章 性
 17章 睡眠
 18章 衝動行為
 19章 児童・青年期の精神症状
 20章 アルコールほかの物質使用
第IV編 診断の定式化-患者のストーリーを読む
 21章 Diagnostic formulationについて
 22章 診察の進め方と記録のしかた-予診,初診,入院報告,退院報告
第V編 治療の進展に伴うアウトカムの評価
 23章 重症度および重症度の変化の評価
 24章 経過の診断
付録1 臨床測定学-信頼性,妥当性,反応性
付録2 DSMとICDの歴史
付録3 評価尺度
索引

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10年に1度出るか出ないかの名著
書評者: 中井 久夫 (神戸大学名誉教授)
◆教科書では及び腰になりがちな主題を正面から取り上げる

 「診察診断学」とは診察の基本的態度からはじまり,診断に至る道筋を記すものである。ありそうでめったに出ない。EBMの診断理論を具体的に盛り込んだ教科書は世界で初めてだと編者はいう。全国を網羅せず,2つの大学精神科だけで討論を重ねて編んだというのもよい。開拓者精神を以って書くにはそうでなくてはならない。その証拠に,本書は従来型の教科書と違って歯切れがよい。建前の訓示や耳ざわりのよい言葉で誤魔化している箇所がない。逆に,患者に好意を持てない時にどうするか,興奮患者への対応,性の問題など,教科書では及び腰になりがちな主題を正面から取り上げている。誤診の心理がEBMへの重要な導入部をなしているのもよい。

 本書は,日常臨床の基礎的作法からはじまる。そして,それは本書全体に染み通っている。決してマニュアル作りを意図せず,先行世代の伝統を引き継ぎ,整理したもので,それに著者たちの創見を加え,臨床経験を経たものである。時に「初学者のためのお節介と思われる具体的指摘」を記したというが,これは編者たちが初心を忘れていないことを示している。そして,たしかワイツゼッカーが医学の伝統にはもっぱら口伝のみで伝えられてきた重要な事項があるという指摘をしていたが,それをできるだけ言葉にしようという努力がみられ,その結果,わが国の治療の現場にマッチし,かつ一般に良識が持つ「高度の平凡性」に達している。

 読みながら,あれもこれも,私が自分でも心がけ,また臨床教育の場でより若い世代に向かって語っていたことがあると思ったが,ああ,こんな大事なことを抜かしていたんだな,と自分で驚くことも少なくなかった。第Ⅰ編は初学者からベテランまでが読んでそれぞれ得るところがある。

 「高度の平凡性」とは安易なものではない。本書が繰り返して述べていることの1つに,患者を呼ぶ際には,待合室に迎えに行くことの重要性がある。これを提唱したのは神田橋條治であり,私も及ばずながら心掛けてきたが,しかし,今も訪問先の診察の場でめったに見られず,スピーカーが響き渡っている。

◆EBMからNBMに至る道筋を示す

 ここに共に「診察診断学」を謳う2冊の本がある。第一は高久史麿監修,橋本信也・福井次矢編集『診察診断学』(医学書院刊,1998年)であり,第2が本書である。

 前書はphysical diagnosisの精神科を除く各科(よい言葉ではないが精神科では「一般科」という)にわたる良書である。これも名著であるが,手にとって眺めれば,両者の「風景」の違いは一目瞭然である。一般科の『診察診断学』にはスキルを要する手技の図がふんだんにある。『精神科診断学』にはほとんどない。精神科では熟練を要する複雑精妙な手技は目に見えない。目に見えないからには一層重視せねばならぬ。
 本書は,EBMがスキルを軽視しているのではないかという誤解を解くのに十分である。スキルの基本は編者自身が執筆している。これは,編者が何よりもまず臨床家であることを示している。

 一般科との違いは,以上に尽きない。なるほど,一般科用の『診察診断学』にも後半に図式や鑑別診断表のたぐいは登場するが,EBMにまで至っていない。

 本書では第II編から始まって随所に分類表,診断基準,フローチャートがちりばめられている。そして,これらを駆使しつつ,診察し診断し,EBMからNBMに至る道筋がしっかり書かれている。一般科の同僚に精神医学の理論性を示すに十分である。科学的かどうかは科学技術を駆使するかどうかではない。思考法,分析法,総合法がどうかである。これは医学が科学であるかどうかとは別個の問題である(医学はエランベルジェに言わせれば「科学プラス倫理」である。私見もあるが,ここは述べる場ではない)。

◆「古くから医師が無意識的に行なってきた営為を明示的に行なう」

 評者は1980年以前に自己の臨床を作ってしまった者であり,2000年には臨床実践の第一線から遠ざかっていた者である。そういう者の書評としてご理解いただきたい。40歳を過ぎて新しいパラダイムに乗り換えた者はいないというのが,科学史では法則のようなものだそうである。精神科医になった時,すでにDSMがあった世代とは同じ感覚を持てるといえばウソになる。

 さらに言えば,私より一世代上の人たちは,当時ハンセン病や結核を選んだ医師たちと同じく,「不治の病者の傍にいること」を選んだ人たちが多かった。これに対して,私前後の世代は何とか前に進もうとした。特に膨大な入院統合失調症患者をどう治療し,社会復帰させるのかが時代の課題であった。中には,精神科患者解放に身を投じた者もあり,精神疾患を否定する者もあり,さまざまな精神病理学的モデルによる理解,さまざまな方法による治療的接近を試みた者もあった(これらの土台に抗精神病薬の登場があったことは忘れてはなるまい)。

 私たちの世代からみれば,私たちが地上を徒歩で歩んでいたのに対して,EBMは人工衛星から見た写真のように見えがちである。しかし,果たしてそうか。こういう場合は教条主義的なEBM信奉者を想定して語りがちである。自戒しなければならない。

 EBMは私の世代とは出発点が違う。電算機が手元になかった時代の文献検索の困難さは,新幹線のなかった時代の旅行と同じく今では想像しにくいはずだ。EBMの基盤は「パソコンがあって当たり前な時代」の到来である。逆にそれがEBMを生む趨勢は避けがたい。私は手書きのグラフを使って経過を分析したが,今はアートとしか見られないであろう。

 EBMは実際には科学の常識に精神医学が近づいたということだろう。緒言に言う「古くから医師が無意識的に行なってきた営為を明示的に行なう」こと,スキルの科学化である。複雑な事象には操作的申し合わせと統計的分析の採用が避けられまい。それが診察の場でできるようになったということである。研究か臨床かは単純な二項対立ではなくなってくるはずだ。

◆広義のNBMへ

 さらに,1990年以後,科学最大の課題は脳とされ,集中的研究が行なわれつつある。2010年に予定されているDSM―Vは,操作主義的なものから「病態生理学的pathophysiological」なものに進みたいと,APAが2002年に出した「行動計画書Agenda」にある。Underlying mechanismsを取り上げるわけだ。DSM―Vが予期通りこのパラダイム変換をなしとげるかどうか,そうなれば精神医学はどう変わるであろうか。現在,フロイトをはじめ,力動精神医学者の直感が得た結果に生理学的な裏づけがあるという仕事が行なわれているようだ。この動きはアメリカ精神医学の原点であるAdolf Meyerへの復帰にも見える。

 しかし,生理学的裏づけを得なくても,臨床における最終的なものは,個々の患者の持つ歴史性と独自性である。「病気を診ず,病人をみよ」とは一般科のほうの『診察診断学』にも書かれている。

 編者たちは,最終的にはすべては「患者のストーリーを読む」ことに収斂してゆくべきものであるという信条を持っていると記している。それは,今NBMという名を得ているが,しかし,広義のNBMでなければなるまい。もしそうなれば,ヒポクラテス以来の医学の伝統を引き継ぐものとなると思う。

◆臨床の王道を踏み外さないで前進する新しいパラダイム

 現在の科学的医学のパラダイムには,マネジドケアのような,足を靴に合わせるやり方に利用される弱みがある。擾乱(じょうらん)と自然治癒力と治療的接近と環境要因とが絡み合う経過は,そのような一律なものであるはずがない。市場の論理の餌食になってはならないのである。これを補うものは個々の症例に注がれる眼差であって,本書の「診察に学ぶ」などの囲み欄の延長上にある。この囲み欄は決して息抜きなどではないと私は思う。数量化しにくいものは存在しないわけでは決してない。新しいパラダイムが臨床の大道を踏み外さないで前進するという希望を本書から得たい。

 「エビデンスだけでは鈍い包丁である。EBMとはエビデンスと,医者の経験と,患者の価値観の3つを統合するための方法論であり,そしてその統合の究極目標は患者の価値観を実現すること,つまり患者のナラティブの中に一緒に入ってゆくことである」と古川教授は語る(私信)。

 本書はユニークであり,また10年に1度出るか出ないかの名著であると思う。

すべての精神科医が専門性を振り返るために読むべき一冊
書評者: 岡崎 祐士 (三重大教授・精神神経科学)
◆エビデンスからナラティブへ

 タイムリーな出版である。しかも有用である。誰に対してか。編者の緒言によれば「初学者」向けである。しかし,実は,本書はevidence―basedに理論的に構成しながら,narrative―basedに収斂していく「一人の患者について必要なことを知り尽くそうとする終わりのない努力……」(山下 格)としての新しい診察診断を構成しようとする,意欲的な試みである。現代に生きる精神科医すべてが今一度自らの専門性を振り返るために一読すべき書物であるように思われる。

 全体は5編(I.精神科面接法―よりよい医師―患者関係の確立に必要なコツ,II.精神科診断学,III.精神症候の同定と診断,IV.診断の定式化―患者のストーリーを読む,V.治療の進展に伴うアウトカムの評価)からなり,付録(臨床測定学,DSMとICDの歴史,評価尺度)が付けられている。

◆実例を豊富に掲載して理解しやすく

 記述は具体的な指摘と実例が豊富で,読者の理解を助けている。例えば,診察診断の態度と技法を扱ったI編の「I―1精神科面接の技法」には,服装・髪型,椅子,言葉づかい,患者との距離,相手を確認し自己紹介しよう,位置付けをせよ,専門用語を使うな,できるだけ大和言葉を使おう,感情に焦点を当てるために,面接を支配せよ,記録の取り方,などである。「I―3 精神科診断面接」には,精神科面接の3つの目的,最初の接触に成功すること,面接を成功に導く3つの要素,患者が話したいこと,医師が聞きたいこと,不確かさの中にいつづける,言葉は近似表現である,患者に好意をもてないとき,患者が医師と親密なとき,医師に影響力をもつとき,面接の終わりは,などである。精神科医の診断と治療の多くがなされる,医師と患者・家族が相対する面接という場面に,どのような態度で臨み,この出会いをより治療的なものとするためにどのような技法を磨くのがよいかが明確にされる。すべての精神科医に期待される態度と技法として編者らは「良識精神療法(common sense psychotherapy)」を提唱する(「良識」という道徳観を連想する訳語は今ひとつ工夫が必要かと思われた)。I章には,他に特別な配慮が必要な患者への接し方(児童・青年期の患者,興奮している患者,末期患者・臨死患者)が含まれている。

 II編は,診察診断の知識的側面を扱っている。診断学総論―なぜ分類するのか,evidence―based diagnosisの基本,誤診の心理,器質的原因を見逃さないために,から構成されている。不確実な臨床的場面における推論としての性格を持つ診断と治療の選択をより確かなものにするための理論が,具体例をあげて丁寧に解説されている。これらの項目はまさに今後,臨床的営為を合理的なものとするために,すべての精神科医が理解しておくべき素養の範囲と考えられる。

 III編,精神症候の同定と診断,においては症候のヒエラルキーが重視されている。原因的・病態特異的なものとの関連の強さに従った,意識の障害―気分の障害―認知や思考の障害―不安,その他の症候という階層性の仮説が提案されている。ヨーロッパ精神医学に支配的であった病態の深さ仮説のヒエラルキーと2位,3位が逆転されている。筆者もこの逆転には賛成である。よく舞台にたとえられるが,舞台の照明度やカーテンの開閉度に相応する意識障害,舞台の色調(暖色系,寒色系など)に相当する気分の障害,舞台の造作の纏まり具合や出来栄えにたとえることができる認知や思考の障害,照明・色調・造作が産み出す雰囲気などにたとえることができる不安その他の症候,である。前者があると後者が見えにくくなるが共存する。この症候理解の枠組みは病態の深さと結びつけるという2重の仮説を避け,今のところ診断特異的な症候から順に評価しようという臨床の知恵に留めておくのが適切な判断であろう。この枠組みとその他の症状に含められている身体諸症状との関連を含めた新しい枠組みの提案を,次の機会には期待したい。

 第IV編,診断の定式化(diagnostic formulation)―患者のストーリーを読む,は診断面接で得た事実データの総合的解釈のしかたである。Diagnostic formulationについてと,診察の進め方と記録のしかた―予診,初診,入院報告,退院報告とからなる。診断の定式化の代表例である,DSMの5軸診断,睡眠障害国際分類3軸方式の実際が紹介されている。障害の発生過程の文脈情報から患者のストーリーを読むアプローチも,ライフチャートの使用をはじめ簡潔に解説されている。その裏づけとなる外来,入院場面における記録のしかたと内容も具体的である。ここに家族の中の患者,生活の場(職場,学園,地域)との関連において症候の中の体験を把握する項目も設けてほしいと思った。治療とケアの指針を具体化するのに必須だからである。

 第V編は,治療の進展に伴うアウトカムの評価である。重症度および重症度の変化の評価,経過の診断からなる。ここではもっぱらそのような目的に供されるtoolが種々紹介・解説されている。筆者は32の統合失調症家族を追跡して今年平均25年目を迎えているが,このようなアウトカムの諸側面を評価する手段を身につけていることの重要性を感じている。一方,それを可能にするには患者と家族の生活相談,健康相談,医療相談などのもろもろの相談に応じられる準備が必須であることを痛感している。

◆学生から専門医まで利用しやすい好著

 以上,本書はevidenceに基づき目の前の患者を巨視的に位置付けながら,narrativeに個性的な側面とを統合して,個別にも把握・理解するという精神科診断面接の革新的な提唱を,分かりやすく親しみやすいように解説した好著である。卒前教育における精神医学のコアカリキュラム化,卒後研修義務化における精神科必須科目化の動きの中で,医学生,研修医,教育・研修指導医,すべての精神科医の方々が,その役割に応じて精神科診療の基本を身につけることができる,絶好の書である。ぜひ多くの方が一読されることをお薦めする。
医師・患者関係を意識した「操作主義診断学」をめざす,新鮮な切り口
書評者: 笠原 嘉 (名大名誉教授・桜クリニック)
 本書はDSM―IVとICD―10に立脚したPostgraduate用の教科書である。付録2(p275―285)には「DSMとICDの歴史」という章がある。初学者はここから読むのも一法だろう。

 私のように,欧州の精神症状学から出発しその線上を歩いてきた者には,正直のところ新潮流に完全には一体化できないところがあるが,時代の趨勢は認めないわけにはいかない。今日,ほとんどの教育機関がDSMを新人教育の中心に据え,ICDの病名もようやくお役所の書類記載に登用されはじめた。その公衆衛生学的意味は否定できない。本書の前置きにも「先進国国民のQOL損失の1/4が精神疾患」というような表現が見える。

 しかし,面白いことに本書は,診察室の医師・患者関係を意識に入れた操作主義診断学をめざしている。書名はそのことを表している。こういう教科書は今までなかったのでないか。

◆EBMで診断学の統一を図る

 導入部分はまことに入りやすい。

 第I編は「精神科面接法―よりよい医師・患者関係の確立に必要なコツ」。土居健郎,山下格らの言葉を引用しながら,他方でありうる種々の場面を並べ,初心者向きに懇切丁寧に説いている。来年からはじまる卒後研修も意識されているという。

 しかし,本書が面接についての従来の書物と趣を異にするのは,副題のエビデンスという言葉が暗示するように,面接における診断の確度をあげること,今までのような教室由来の名人芸の私的継承を廃し,できる限り全国統一すること,にある。いわゆるEBMで第II編「精神科診断学」,第III編「精神症候の同定と診断」はそのためのものである。

 周知のように,新しい国際診断学の背景哲学は精神現象を可能な限り計量化(ないしは臨床測定化)することだ。われわれもすでに「評価尺度」(付録3,p286)なるものによって実地にはもうずいぶん計量に馴化されている。しかし,それを骨肉と化するためには第II編『精神科診断学』中の第5章「なぜ分類するのか」,第6章「Evidence―based Diagnosisの基本」,付録1「臨床測定学―信頼性,妥当性,反応性」(p275)を読まなければならない。ここになると座り直して読まなければならない。導入部分のようにはいかない。

 もっとも,精神科の面接にはどうしても直感部分,名人芸部分が入る。これを軽視しないため「先輩から学ぶ」というコラムが8つ,「誤診例から学ぶ」というコラムが11,ところどころに挿入されている。心憎い編集である。前者には「精神科医の勘」といった直感部分についてのコメントが並び,後者には器質疾患,身体疾患の先輩の「見逃し例」が並んでいる。後者はいつになっても精神科医に付きまとう悩みである。

 要するに,心のチェックリストを生かすには診察者に一定の素養が要るのだから,初心者のみならず,経験者にも一読をすすめたい。気鋭の講座担当者古川,神庭両教授の説くところは新鮮だ。最近の米国文献が各章の終りに付いているのもよい。

 私個人は「治療の進展に伴うアウトカムの評価」(第V編)に期待を込めて注目した。今後の診察室のお作法が右手に薬物,左手にチェックリストをもって,病人の心理状態を継続的に追うことだとすると,これまでの日本で手薄だった長期予後の研究が進歩することも期待できる。これまでの欧州風のわれわれの「全体志向」的精神医学ではできなかった,と反省する。

◆「NBMはEBMそのもの」

 本書のもう1つの新鮮さは「エビデンスからナラティブへ」という副題が暗示するように,Narative―based medicine(NBM)への言及だろうか。

 NBMについては前書きの中で「個人本位の医療を行うためにEBMと並ぶ両輪の1つである。いやEBMそのものである」と喝破されている。これは注目すべき発言だと思うが,残念ながらそれ以上の具体的説明が本文中にない。このあたりは大いに今後に期待したい。

 私見だが,患者さんや家族のストーリー(物語)に多少とも関心が向くようにならないと,面接のほんとうの面白さがでてこない。チェックリストだけではやがて診察にアキがくる。

 では,どの程度までストーリーを読むか。

 治療開始から後の変化だけでよいのか,生活史の全体も入るのか。精神分析,人間学,ユング心理学,みんなストーリーに注目してきた。神経学から自由になるほどストーリーが生まれる。本書は精神分析療法から縁を切って良識精神療法(p10)といっているから,もちろん精神分析の単なる復活ではない。

 ストーリーを読むとなると,読み過ぎが精神科医にとって心配だ。現代の心因論,PTSD論にもその嫌いなしとしない。それとも「過剰な了解」をチェックする方法を現代の操作主義はもつ,というのか。

 それとも,NBMがEBMそのものだという表現は「部分」にあたるチェックリストを補完するのに「全体」にあたるストーリーが要る,という含意なのか。

 いずれにしても,操作主義だけでは精神科臨床はやせ細ると思う。EBMとNBMの合体から起こることを期待したい。

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