患者の声から考える看護

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痛いのも、苦しいのも、怖いのも、ガマンしなければいけないの? 自分で食べたい、トイレに行きたい…それはワガママですか? 患者さんの声に耳を傾けた時、ホントの看護が見えてきます。パソコンではなく目を見て話す、温かいタオルで身体を包む、そんな小さなケアこそが患者さんの欲しい看護かもしれません。 看護師が「したい看護」から、患者さんが「欲しい看護」へ──看護の本質を楽しく大まじめに考えます。
渡邉 順子
発行 2020年03月判型:A5頁:184
ISBN 978-4-260-03831-7
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

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Prologue

 あれから20年、早いものです。当時、看護専門書(のつもりでしたが)では珍しい4コマ漫画で、新人看護師の悪戦苦闘を展開する本を書きました(『すき♥すき♥スキル ナース若葉のケアナビ99』学研、1999年発行)。すでに絶版になっていますが、考えてみればあの新人看護師は、中堅看護師になっているはずです。中堅看護師になって、今の新人看護師にどんなメッセージを伝えるのだろうと考えはじめました。
 ところで、この20年間、看護基礎教育で強調されてきたのは「コミュニケーション」と「アセスメント」能力の強化です。教育が一朝一夕にはできないと誰もが承知しています。そもそも、教育は、レトルト食品のように温めたらすぐ食べられるような代物ではありません。むしろ、レトルト化するまでの食材選びから調理方法を進化させるのが教育でしょう。もちろん、それを食する人に合わせたものが求められるはずです。
 食する人とは看護師なのでしょうか、それとも患者さんでしょうか。その両者でしょう。看護師が理想とする看護は、患者さんにとっても理想的な看護のはずです。
 でも現実はなかなか難しい。患者さんは、看護師が懸命に看護をしようとしていることには気づいています。でもなぜか看護師は、患者さんが求める看護と自分の看護がズレていることに気づいていないのかもしれません。実はホントの看護をしていないんじゃないかと戸惑いながらも、どうしたらいいのかわからないということもあるでしょう。
 「こんな看護をしたい!」という看護師の思い込みではなく、「こんな看護が欲しい!」患者さんの声に耳を傾けませんか?
 患者さんの声が看護師に届きますように。そして患者さんの本音に気づきますようにと願いながら、本書で改めて、ホントの看護を問います。
 悩ましい患者さんと看護師を救うのは、いったい誰?
 では、ごゆっくりお楽しみください。

 2020年1月 令和の幕開けに新たな希望をもって
 渡邉順子

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Prologue

Chapter 1 いざ、病院へ
 病院に行けない!
 レッドフラッグサイン──オナカがイタイ
 今、それ聞く?
 狭いところは無理なんです!
 お尻にカメラはカンベン!

Chapter 2 覚悟はしてたけど
 胃カメラは2度目でも無理!
 点滴の敵は誰?
 こんなはずじゃなかった…
 全身麻酔、大人だってコワイ!

Chapter 3 気持ちよく回復したい
 ココロまで縛らないで
 長い長い病院の夜
 熱いお風呂が好き

Chapter 4 我慢しなきゃダメ?
 ナースコールはナースコナイ!
 どれが効いているの?
 リハビリは呪文?
 痛くない、痛くない

Chapter 5 当たり前のこと、叶えたい
 悩ましき夜の頻尿
 自分で食べたい
 トイレに行きたい

Chapter 6 あなたはだれ?
 なんて呼べばいいの?
 パソコン見ないで、私を見て
 やさしく𠮟って
 バッドニュースはもううんざり!

Chapter 7 帰りたい、帰れない
 徘徊ではありません
 私の最期はいつ、どこで?
 生きてきたように逝きたい

Epilogue
索引

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患者の「してほしい看護」を考える,看護のバイブル
書評者: 渡邊 昌子 (公益社団法人静岡県看護協会会長)
 本を手にして最初に目に留まったのは,「友蔵さんを探せ!」という黄色い帯です。ユニークでインパクトがあり,タイトルである『患者さんの声から考える看護』とどのようにつながっているのか,読んでみたいと関心を持ちました。

 本の全般を通して,学生が看護師となり,現場において看護専門職として役割を果たすために「五感」を最大限に活用し,知識・技術を提供できるよう,その根拠と方法が著者の長年の教員経験から懇切丁寧に述べられています。そこから教育者としての著者の,学生・看護師への愛情を込めた熱いメッセージとエールを感じとることができました。

 この本では,看護を行うには患者の体の中で何が起こっているかという病態生理を理解した上で,根拠をもとに的確な判断を行い,患者にとっての最善の看護を提供することが重要であると伝えています。そして,患者に寄り添うことの本当の意味,看護師の思い込みでなく,患者の訴えを傾聴し,その真意を捉え,その人らしさを尊重した看護の重要性を伝えるなど,看護の本質が詰まっています。

 看護師は患者の思いを受け止め,患者にとって最善の看護を懸命に提供します。しかし,時に最善であると思った看護が,患者の思いと「ズレ」てしまい,患者との関係性,コミュニケーションが円滑に進まなくなります。患者のためにと一生懸命が故に「こんなに患者さんのことを考え,看護したのに」という思いが生じ,この重要な「ズレ」に気付かず,葛藤を抱え次の一歩が踏み出せない状況を招きます。

 例えば,入院時の患者情報を集めなければと咳き込む患者に矢継ぎ早に質問をしてしまう,リハビリの一環だからとできることは全て自分でやってもらおうとする……そういった場面がマンガで表現され,興味深く一気に読み進めることができます。挙げられた場面はまさに「患者あるある」で,苦笑してしまいました。

 読者は読み進める中で立ち止まる機会を得,日常行っている看護について,どのようにすれば患者の「してほしい看護」ができたのか,自分の提供した看護が患者とのズレを最小限にできる看護であったかを内省し,そのプロセスを通して,看護の不足点(ズレ)に気付きます。そして,この経験をもとに次の看護にどのように生かすかを見出すことができます。

 本書はその気付きを与え,患者の声が看護師に届くようにと,そして自信と誇りを持って看護を提供できる看護職であってほしいと,著者のいわば分身であり教育者でもある“ナースレンジャー”の切なる願いを込めた一冊です。教育する側,される側双方が現場で生かせる実践本です。

 新人看護師の皆さんをはじめ,教育・指導をされている方,全ての看護職に,ぜひ手にとっていただき,「看護のバイブル」として活用されることをお勧めします。
ユニークな「ナースレンジャー」が教える看護の本質
書評者: 吉村 浩美 (日看協看護研修学校校長)
 本書の著者は看護基礎教育に長く携わり,近年は特定非営利活動法人愛知排泄ケア研究会を設立し,理事を務めています。著者が日本看護技術学会の学術集会大会長をされた時に,評者は副大会長を拝命し,協働して学会運営に携わりました。当時も既成概念にとらわれず発想が自由な方だと感じたものです。本書は著者のユニークさが遺憾なく発揮されている一冊です。

 本書には,9名の患者さんが登場します。検診で要精検となりながらなかなか受診できなかった「チカ子さん」から始まり,初対面の情報収集で気持ちがすれ違い,看護師を信頼しきれない「マユミさん」。そして閉所が苦手な「ヒロシさん」がMRI検査へ,過去の検査でトラウマを持っている「キヨシさん」が胃カメラ検査へ,さまざまな背景を持った患者さんたちが検査や手術は大人だって怖いという“普通の感覚”を抱えながら治療に向かっていきます。その中で患者さんの気持ちと看護師の認識がずれてしまうのです。

 さらに,「入院生活は我慢の連続!」と思われる場面が展開していきます。同室者のいびきによる不眠,ナースコールを押した後の待ち時間の長さ,安全のためという安易な考えから行われる身体拘束など,皆さんにも思いあたる場面があるのではないでしょうか。

 この患者さんたちの気持ちと勤務2年目の看護師の認識のすれ違いをマンガ仕立てで重ねて描き,そのすれ違いを看護師に認識させて導くのが,本書の指南役である「ナースレンジャー」です。本書は,看護師が「ナースレンジャー」の指南を受けながら,患者さんと伴走する短編集のようでもあります。

 「ナースレンジャー」は,時に厳しく「患者さんの声を聴いたつもりになっていないか」という警鐘を鳴らします。その裏には,患者さんとのすれ違いに気が付けば,看護師は行動を変えることができるという期待があり,看護師への深い愛情が感じられます。教科書には決して登場しないユニークな先輩「ナースレンジャー」の,時にユーモアをもった示唆によって,私たちは自分の思いが患者とすれ違っていたことがわかります。そして今までの自分の行動を内省していくことができるのです。著者がマンガという形式を選んだ理由はここにあると推測されます。

 もう少し深掘りしてほしかったことが2つあります。

 1つは,痛み止めを飲むのを我慢してしまう患者さんのエピソード。患者さんに適切なタイミングで薬を使ってもらうかかわりが,いかに難しく,しかし大事だったかと臨床時代を思い起こしました。痛くなってからでは遅いのですね。

 もう1つは,身体拘束のエピソード。身体拘束が「安全神話」のあしき慣習と臨床では誰もが気付いていますが,まだまだ,根深い課題です。

 私たちは「忙しい」という言葉をよく口にします。本書ではマユミさんが,「看護師さんは忙しそうだから」とナースコールを押すのを遠慮しています。患者さんの声を聴くためには,余裕のある表情や,一瞬の間でも目を合わせてあたたかい笑顔で向き合う姿勢が必要なのでしょう。

 臨床を離れて久しいですが,他者との距離を縮めるには相手の声を聴くことが大切であると再認識しました。そして,相手の気持ちに寄り添えたと感じることで,看護という仕事はさらに充実していくのだと思います。

 本書は,看護師だけでなく,看護学生や教員,患者さんにかかわる皆さまにお薦めしたい一冊です。
「ちょっと待ってください」の「ちょっと」はいつまで?
書評者: 山内 豊明 (放送大大学院教授・生活健康科学プログラム)
 医療者である皆さんご自身は,病院で検査や手術を受けた経験はありますか?

 私は医療者として駆け出しの頃に,可能な限り病院での検査や医療処置を受けてみました。胃カメラ,大腸内視鏡,エコー,CT,MRI……。さすがに心臓カテーテル検査は勘弁してもらいましたが,検査がどう受け止められているのかを身を持って知っておきたかったのでした。全身麻酔をかけてもらい,静脈麻酔薬が血管に入った瞬間にヒヤッとし,その途端にスッと意識を失う経験もしました。意識のない間に膀胱内留置カテーテルを入れてもらいましたが,あれが完全覚醒時であったら失神してしまったかもしれません。それは痛みや違和感のためではなく,限りなく恥ずかしいためです。

 命や生活を託することと考えれば,入院して医療ケアを受けるのは,旅客機に搭乗したり,ホテルに泊まることにも似ています。旅客機に乗って旅をし話題のホテルに泊りワクワクすることはあるでしょう。しかし入院は好んでするものではなく,致し方なく医療ケアを受けざるを得なくてするものです。医療者にとっての日常場面である医療機関で過ごすことは,患者さんにとっては非日常の未知なる体験であり,期待が膨らんでワクワクするのとは逆の,何をされるのであろうかという予期不安が付いて回ることでしょう。

 患者さんにしてみたら,MRI検査室が縁起でもない火葬場のように見えるかもしれません。意を決してナースコールを押した患者さんにとって,「ちょっと待ってください」の「ちょっと」はいつまで待たされることなのでしょうか。いきなりオムツの中に排泄をせよと言われても,到底できるものではありませんね。

 「食べる」という行為と,「排泄」「トイレ」という行為は,共に身体の内外との「入口・出口」に関わることで,本能的に強い羞恥心を引き起こします。胃や大腸の中を映し出されても恥ずかしくないですが,口の中や消化管の出口を見られるのは,とてつもなく恥ずかしいものです。睡眠中は完全に無防備な状態で命をさらけ出しています。これら「取り込む・出す・眠る」は人間にとって最も基本の自己完結的に行うことゆえに,これらの行為についての意思表示も遠慮しがちになるでしょう。

 その患者さんに一番身近に接するのが私たち看護職です。「こういう看護がしたい」では,主体が私たちになってしまいます。しかし本来の主人公は患者さんであり,その患者さんが「こういう看護をしてほしい」であるべきでしょう。事の進め方は,もしも自分自身が患者であったならば,という立ち位置で考えるべきです。そして「その人の生き方を考え抜き」(考えるでななく,考え抜く),さらにその気遣いを悟られないことこそが本当の気遣いでしょう。

 随所にあるキーフレーズが心に響きます(昨今の言葉では「刺さります」?)。それを何倍にもするイラストはこの上もなく見事です。
 本書はすてきなナースとなるための素晴らしい手引書なのです。

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本書の記述の正確性につきましては最善の努力を払っておりますが、この度弊社の責任におきまして、下記のような誤りがございました。お詫び申し上げますとともに訂正させていただきます。

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