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「家に帰りたい」「家で最期まで」をかなえる
看護の意味をさがして

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訪問看護ステーション立ち上げから20年、看護師として働きはじめてから27年の著者が綴る、多くの患者・家族との出会いと別れ。「家に帰りたい」「家で最期まで」をかなえるために奮闘してきた著者の実践は、読者に感動と勇気を与える。看護とは何か、看護師の存在する意味が問われている今、訪問看護師、病院・施設勤務の看護師だけでなくケアマネジャー、在宅ケアに携わる全ての職種の人にお薦めの書。
藤田 愛
発行 2018年12月判型:A5頁:282
ISBN 978-4-260-03699-3
定価 2,530円 (本体2,300円+税)

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  • 序文
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はじめに

 ご縁をいただき、この本を手にして下さった方に心より感謝申し上げます。
 私は、急性期病院、保健所の勤務の経験を経て、一九九八年から訪問看護師をしています。同じ法人の中に二つ目の訪問看護ステーションを開設することになり、二〇〇四年から現在勤務している北須磨訪問看護・リハビリセンターで所長を務めることになりました。早いもので訪問看護師となり二十年が経ちました。
 看護師として、それぞれの場所で多くの患者、住民との出会いと別れを繰り返しながら、看護とは何か、目の前にある状況に看護師に何が求められているのだろうと自問自答するようになり、それは訪問看護師になり長くなった今も続いています。答えは容易には見つからず、毎日が看護を探求する挑戦の道のりです。この本の内容の多くは、入院先の病院から家に帰りたい、最期まで家で過ごしたいと願う人と、それをかなえるための看護実践、看護師たちの育成に関するものです。患者、家族の生きる姿、訪問看護師である私。そして挫折しながらも一歩ずつ前に進んでゆく看護師の姿、所長である私の喜びや悲しみ、自信を失くしてはまた立ち直る、六年間のありのままを綴ったものです。
 大学院の恩師の「日々の経験やそこにある思いを書き残してゆきなさい」という勧めをきっかけに、自分のためにと書き溜めていました。それをご覧になった医学書院の編集担当役員だった七尾清氏に目にとめていただき、書籍化のお話をいただいたのは四年前になります。とり立てて価値のない私の日常の日記であり、とんでもないとお断りを続けていました。五十歳を過ぎ、看護師として過ごせる日々の短さを感じると同時に、もし私の経験が誰かの役に立てるとしたらと思うようになり、お受けすることにしました。
 今、時代の波に飲み込まれ、一層、看護とは何か、看護師の存在する意味は何かということが問われ始めていると感じています。時に看護師が育み、継承されてきた大切なものが足元から崩れてゆくような危機感を抱くこともあります。
 私の経験や綴りが、様々な場所で働く看護師や在宅ケアに携わる一人でも多くの皆様にお役に立てることを心から願っています。

 最後に。今はもう亡くなられた方もいますが、出会い、私に看護の機会をいただいた皆様、私と志を重ね共に働いてくれた職員、大学院の恩師、そしてそこそこの娘、妻、母であった私を認め、支えてくれている両親と夫とふたりの子供、書籍化を実現して下さった医学書院の関係者、すべての皆様に感謝します。

 二〇一八年十二月 藤田 愛

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はじめに

第1章 「家に帰りたい」「家で最期まで」をかなえる
 ファイナルギフト
 またひとり念願の退院がかないそう
 神経難病の男性の願い
 家か病院搬送か─家族の意見の対立の中で
 意思決定支援と病院主治医・在宅主治医の橋渡し
 「藤田さん呼んで~」
 その手前が難しい
 「お家に帰ろう」講演がきっかけで
 「家にいたい」それぞれの理由
 終わりゆく母の命と息子の揺らぎと(1)
 終わりゆく母の命と息子の揺らぎと(2)
 終わりゆく母の命と息子の揺らぎと(3)
 八十代認知症男性と息子の苦悩(1)
 八十代認知症男性と息子の苦悩(2)
 地域包括ケアというけれど─看護はどこに向かうのだろう
 なじみの急性期病院からのSOS

第2章 《藤田流》看護師育成術
 看護のリフレクション
 分かりにくい? 所長の助言
 新人看護師へのマニアックな指導
 《藤田流》主治医への報告トレーニング
 訪問看護師の育成─オンコール
 二年目スタッフからのメール
 なりたい私。なりたい看護師。その道のり
 時間があったらできるのか?
 表看護と裏看護

第3章 苦闘する訪問看護
 身の危険を感じるクレーム対応
 拒否する認知症女性と訪問看護の格闘(1)
 拒否する認知症女性と訪問看護の格闘(2)
 利用者の期待とできることのズレ─24時間緊急時対応
 丸一日かかった調整
 訪問看護料金への不満から(1)
 訪問看護料金への不満から(2)
 複雑すぎる訪問看護の組み合わせ
 在宅ケアプランの残念
 高齢者の救急対応の苦戦
 多分ボツ。某新聞社の取材「本当に家で死ねますか」
 開設から十三年間の歩み

第4章 訪問看護は素晴らしい
 スタッフの交代訪問であらためて思うこと
 夜中の緊急コール
 所長と看護師を支える事務員ふたり
 ヘルパーさんから教えられる世間の看護師
 頼りにされるうれしさ
 「家で最期まで過ごす」という選択もあることを
 びっくり量のう○こ出たよー
 認知症だからと決めつけてはいけない
 医師の診断のありがたさ
 えっ、そんな訪問看護師おるん?
 介護職の方からのプレゼント
 臓器別専門医からかかりつけ医への移行期
 餅は餅屋─薬剤師さんのステキ
 ある医師への相談
 一人の病院医師との出会い

第5章 心に残る患者・家族
 「患者のため」という思い込みと患者の怒り
 夫の最期に立ち会えなかった妻
 夫の終わりに万歳
 末期がん男性から私への遺言
 高血糖の続く男性、なぜ?
 何もできなくても支える
 「今何時ですか」と何度も問う患者
 五十代、末期肝臓がん患者の初回訪問
 阪神淡路大震災
 三十年間の夫への復讐
 「最期まで家で診られます」と言ったのに……
 駆け出しだった頃に病棟で出会った患者
 今日の出会いと語り
 相談する人がいなくて

第6章 私と家族
 日々の日常に散りばめられているかけがえのないもの
 亡き母との十年間の介護から
 二十三歳の闘い抜いた最後の時間
 義母からの贈り物─お願い、そっとしておいて
 認知症の高齢女性と住民との対立─十八歳、長女の痛み

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療養者と家族の「生きる」を共につくる看護の醍醐味を味わう
書評者: 齋藤 訓子 (日看協副会長)
 著者の藤田愛さんは,高知県育ちの訪問看護師。慢性疾患看護のCNSでもあり,また医療経営も学んだ在宅療養を支えるセンターの所長さんです。本書『「家に帰りたい」「家で最期まで」をかなえる』はサブタイトルに『看護の意味をさがして』とあります。20年になる訪問看護の現場からリアルに看護を語っています。

 本書は藤田さんがこれまでに出会った療養者とその家族とのケアの中でのエピソードが描かれています。時に藤田さんの心の声,時に療養者の看護師に対する視線がありのままに語られ,そこには同業者として耳の痛いこともあります。例えば「患者のため……っていうけど……本当だろうか」,病院を退院した患者さんの言葉であった「病院の看護師は自分の聞きたいことだけ聞いている」など日々のケアで忘れてしまいがちな視点をやんわりと指摘しています。また時に発生する同業者(医師や看護師など)との見解の違いを見事に調整していく過程や多くの療養者とその家族との葛藤の中で藤田さんの看護が創造されていく過程が表現されています。そこには藤田さんの「療養者の思いをかなえる」という基本理念が徹底して貫かれています。近年,特に「アドバンス・ケア・プランニング」の考え方が広がってきていますが,意思決定の支援のありようが描かれているエピソードもあり,療養者とご家族など,関係者の本音を引き出す藤田さんのコミュニケーションスキルの高さがうかがえるとともに,どのような状況になっても最期まで生ききる療養者と家族の姿に人間が持っている力を思い知らされるばかりです。

 またカスタマーハラスメントにあった看護師をどのように守るか,どう対処するかも参考になるシーンもあり,「なるほどそうか」と納得できる内容が含まれています。藤田さんが描く看護のエピソードを追体験し,考えさせられることが多くある書です。

 この書の中で描かれている多くのエピソードからわかるのは,看護は人間と人間との相互関係の中で成り立っていくという原点です。私たち看護者はその対象者との関係の中で学び,そして感動や満足を得ます。そういった忘れてしまいがちな原点を思い出させてくれる書籍でもあり,訪問看護を生業としている人や病院で働く看護師,介護施設で働く看護師,行政機関にいる保健師や看護の道を志す学生にもぜひ,読んでもらいたいと思います。一つひとつのエピソードが演習の教材になり得る事例となっていますので,看護者の養成機関の教員にもお薦めします。
訪問看護(師)が苦手な人にこそ読んでほしい(雑誌『精神看護』より)
書評者: 宮子 あずさ (看護師)
 私が精神科病院の訪問看護室に勤めて10年になります。私の場合、訪問看護の世界に来たのは全くの偶然でした。

 当時私は大学院生をしながら要介護になった実母の世話をしていました。そのため週に3日勤務の条件で、自宅から近い精神科病院に求職したのです。所属の希望を言わなかったところ、「精神科の経験があるなら、ぜひ」と、訪問看護室に配属されました。

●訪問看護は出家、病棟看護は在家?

 それまで私は22年間、500床程度の総合病院で働いてきました。内科、精神科、緩和ケア病棟と、ずっと病棟勤務。就職した昭和の終わりには訪問看護はまだ珍しく、「意識の高い人が希望してやる仕事」、そんな印象をもっていました。

 病院勤務をしていても訪問看護で働く看護師とかかわりはあったのですが……正直言って、どこまでも深く患者さんとかかわろうとする訪問看護師と、病棟で働く私たちとでは、しばしば熱量の違いを感じ、戸惑うこともありました。

 「訪問看護は出家信者。病棟看護は在家信者。信心の度合いが違うのよ」。もろもろ嘆く私に、病棟の同僚がこう言いました。この言葉に納得して気が済んだ記憶が残っています。

 そんな私が今訪問看護の職場にいるのは、患者との関係を密にしすぎない看護を行う、比較的薄味の訪問看護室だからでしょう。あえて行く人を固定せずいろんな看護師が訪問する。これが私の職場のやり方です。距離が近くなると妄想的になる人も出てくる精神科の訪問看護。これはじつに妥当なやり方だと感じます。

●人間のありのままをとらえる視線

 このような前置きで、訪問看護に邁進する藤田さんの本をご紹介するのはいささか申し訳ない気もします。しかし、訪問看護に従事しても在家信者を抜けきれない自分が読んでも感銘を受けたからこそ、あえて上記をカミングアウトしたうえでお勧めしたいと考えました。

 もともとFacebookの投稿を元にまとめたというこの本には、藤田さんの強い感情がそのまま封じ込められた文章がたくさんあります。1つ1つに、藤田さんが描き出されていると言ってもいいでしょう。なかでも私が強くそう感じた一文を、2つご紹介したいと思います。

 「家か病院搬送か―家族の意見の対立の中で」―長く患う高齢女性をめぐって、最期まで家で看たい夫と、最期まで救命してほしい次男。ここではその対立が描かれています。最終的にはこの方は病院で亡くなり、藤田さん自身の目標も叶いませんでした。この結果について藤田さんは「最期まで救命・延命治療を受けさせたい家族もいるのだ。……私たちは、それでも与えられた状況のなかで最善を尽くすのが責務である」と書いています。

 自身の理想は理想として大事にしながらも、それと相反する次男の気持ちもまた、やむを得なかったと受け入れる。熱意と共に柔軟さを併せ持つ、藤田さんならではの看護だと思いました。

 「夫の終わりに万歳」―大正中期生まれの高齢の夫と妻。ずっと夫に従ってきたであろう妻が、献身的に夫に尽くしてきましたが、いよいよ夫が息を引き取ると、「満面の笑みを浮かべて万歳を2回もした」。これを見た藤田さんは、「看護師としてのよろめくような衝撃」を受け、「必死で終末期の看護を計画し、実施していた自分が笑える」と振り返っています。

 こうした衝撃は私も記憶にあって、やはり大正中期頃に生まれたご夫婦。ずっと夫に連れ添った妻は、夫が亡くなった瞬間に葬儀モードに切り替わり、「通夜の寿司は竹よ!」と自宅に電話して絶叫したのでした。

 藤田さんと私に共通するのは、一見不謹慎な場面のなかに、人間のありのままの姿を見ていることです。善悪の裁きを越えて、驚きと共に受け入れる。それが臨床の醍醐味にほかなりません。

●あなたにはどの文章が響きますか?

 藤田さんの文章は、熱く語りながら押しつけがましくなく、安心して読めるヒューマンな文章です。訪問看護に関心がある人もない人も、これから自分の仕事にしたい人もそうでない人も、それぞれに自分の看護を考えるきっかけになるでしょう。

 管理者として、訪問看護師として、いわばプレイング・マネージャーの役割をとっている藤田さんの考えを知るのは、管理者としてのあり方を考えるきっかけにもなると思います。

 ぜひ本を手に取り、気になる項目から読み進めてください。どの文章が心に響くかに、読み手の関心が強く映り込むでしょう。訪問看護を知りたい人、接近戦の看護をしたい人にはお勧めの1冊です。

(『精神看護』2019年5月号掲載)
建前論・理想論とは一線を画する「看護」とは何かという問い(雑誌『看護管理』より)
書評者: 佐々木 淳 (医療法人社団悠翔会理事長・診療部長)
 読み始めると同時に,脳ミソが一気に脱水機にかけられたような強い衝撃を受けた。そして一気に読み切ってしまった。これまでも訪問看護に関する本はたくさん読んできたが,中でも一番心に残った。建前論・理想論が並ぶ類書とは明らかに一線を画する。
 藤田さんとは講演や視察で何度もご一緒させていただいている。訪問看護師として20年間患者さんや地域と向き合い続けてきた彼女の洞察力はとても鋭い。価値基軸は患者目線でありつつも,その視点は常に俯瞰的でもある。そして,理想を目指す姿は誰よりも強い。
 僕自身も在宅というフィールドを共有する多職種の1人である。彼女が本書で紹介してくれた50以上のエピソード,そしてそれぞれの複数の登場人物。自分が在宅主治医だったら,という仮定で読んでみた。在宅医として経験してきたさまざまな具体的なシーンが,彼女の訪問看護師としての語りを通じて鮮やかに蘇る。その時の苦悩や落胆,喜びを思い出し,そして時に目頭が熱くなる。図らずも自分が在宅医療の道を選択したその原点を再確認するとともに「『家に帰りたい』『家で最期まで』をかなえる」という使命を共有する1人として,自らの仕事の意味を問い直す機会となった。
 本書のサブタイトルには「看護の意味をさがして」とある。藤田さんは誰もが認める訪問看護師のカリスマだが,彼女の実践,そして彼女の行動の基軸にあるその心は,訪問看護の枠を超えた「看護」とは何かという問いそのものに対する答えであるように感じた。
 彼女の生活や人生に寄り添う姿勢は,一言でいえば「素直で美しい」。
 彼女も自身の言葉で書いている。「命の選択は相変わらず重くて難しい。何が正解か分からない」。
 専門職としての正義を振りかざすのでなく,汎用性のある模範解答を提示するのでもない。感情に振り回され合理的判断ができない弱く優柔不断な人間という存在に対する愛おしさ。そして,患者も家族も自分たちも人間なのだという当たり前の前提と,その中で生活を支える,人生を伴走するとはこういうことなのだということを教えてくれる。
 人生って多様だ。そして,人生って素晴らしい。さまざまな職種が交わる在宅の現場で,看護がイニシアチブを取るべき合理性も理解できる。そして,改めて,人生の最期は医療じゃなくてケアなのだ,ということを再認識させてくれる。
 この本のもう1つの側面は,管理者としての語りだ。患者・家族の願いを支える姿勢を持つ看護師を育てる,それぞれのなりたい看護師への自己実現を支える。そんな経営者,チームリーダーとしてのあり方についても考えさせられる。
 時々こぼれてくる弱音や愚痴は,同じ立場にいるものとして共感。ついクスッと笑ってしまう。保険制度による制限,24時間対応のあり方,費用,トラブル対応,みんな悩んでいることは同じなのだ。
 まずはスタッフを大切にすること,そして患者・家族と真摯に向き合うこと。相手が求めているものと,相手が本当に必要としているものをしっかりと見極めること。そのバランス感覚と,患者・家族そしてスタッフの真のニーズをキャッチする力こそ,本当の経営と,そして本当の対人援助を実現するために不可欠なものであることを教えてくれる。
 日本の高齢化はまだまだ進む。医療や介護に対する社会のニーズも変化していく。その両者の結節点にある「看護」はどうあるべきなのか。この本を読むと,そんな未来も見えてくる。
 在宅のみならず病院や行政機関で働く看護職の人たちにとっても,必ず読むべき1冊だと思う。

(『看護管理』2019年4月号掲載)
本当の看護とは何かを知りたい人に読んでほしい(雑誌『訪問看護と介護』『看護教育』より)
書評者: 山田 雅子 (聖路加国際大学大学院看護学研究科 在宅看護学分野教授)
 魂の看護に出会えました。でも、看護師の物語ではありません。看護するとは看護師だけの仕事ではなく、普通の人が普通の生活の中で、大事な人を思いやり行動することすべてが看護することなんだなあと思い返しました。書き手である看護師の藤田愛さんも、たくさん看護されている姿が手に取るようにわかります。

◆全身全霊をもって看護する姿が描かれている

 「看護師のコミュニケーション力が落ちている」と言われて久しいです。患者経験をした人は、「看護師は一歩踏み込む対話ができない」と言いますが、藤田さんの対話力は凄まじく素晴らしい。うまい具合に踏み込んで、気持ちよいほどに患者や家族、時には医師の心をつかみます。それは耳でキャッチして頭で理解するのでは到底なく、全身で感じるのでしょうね。推察とも違って、たとえ言葉による表現がなくても、看護師藤田さんの五感から得られた情報からのアセスメントに第六感が加わって確信につながるのです。全身全霊をもって看護するとはこういうことだということが表現されています。「何かあったら呼んでください」と形式化されたセリフしか言わない看護師とは全く違うことが、誰が見てもわかります。
 質の高い看護とは何でしょう。安全に治療を受けてもらうことですか。転ばせないように行動制限することですか。褥瘡を創らないことですか。意思決定が必要な選択肢を投げかけることですか。この「愛の物語」を読めば、これらは看護師の仕事の基本の「き」の字にしかならない、あるいは患者や家族の本当の想いに触れれば、これらの看護行為は質の高い看護どころではなく、余計なおせっかい看護になっている可能性に気づくかもしれません。

◆扱うのは、看護、そして人間の本質

 在宅での死亡診断はしないという主治医、認知症高齢者が自然に人生を終えることを許さない専門職たち、わかるように病状を説明しない医師、家族で決めてくださいと意思決定支援を放棄する看護師、こうしたたくさんのハードルを乗り越えなければ、生きたいように生ききれない、今の現実をあなたはどう受け止めますかという問いを、藤田さんはこの本を通してすべての人に投げかけています。
 「あなたがいてよかった」と藤田さんの看護に触れた人々は口にします。それは、一緒になってハードルを越える努力を惜しまなかったからです。失敗もありましたが、それが看護することとされることにつながります。
 主語が誰なのかしばしばわからなくなる文章ですが、これでよいのです。テンポよく伝わりました。科学論文とは違い、看護のそして人間の本質を扱っているとても貴重なご本だと思います。愛にあふれた物語です。電車で読むと涙があふれて困りました。

(『訪問看護と介護』2019年4月号・『看護教育』2019年4月号掲載)

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