医学書院の70年
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社が当時新しいメディアであったビデオに取り組んだのは1970年のことである。7月10日,AV(Audio-Visual)部設立に向けてAV委員会が発足した。1971年4月の第18回日本医学会総会の際には,IGAKU-SHOIN 5th International Book Fair―国際医学書展=医学カラービデオ教材展を東京・日生会館国際ホールで開催。社が初めて医学ビデオを製作し,デモンストレーションを行った。同年8月にはVTR『心臓のみ方―聴診のコツ』が完成した。 組織としては1971年9月に機構を変更し,PR部を新設。その中に特別製作室,広告室と並びAV室を設けた。このことについて,当時専務であった金原元は社員に向けた「Letter from the Management」で特別な思いを寄せている。「昨年以来研究を重ね,本年初めには試作VTRを作り,各方面の反響をみたうえで,一歩前進を決めた。」として,今や医書業界を先導する立場となった社が,今後新しい視聴覚の分野においてもその特色を生かした専門的な製品を開発していこうという意気込みを示した。同年12月には「医学書院メディカルビデオ」「メディカルビデオ」の商標登録を出願した。 1972年3月には金原元がSTM(International Association of Scienti c, Technical and Medical Publishers)のAV委員会委員に任命される。同年4月にはメディカルビデオIkeda: Technique of Flexible Broncho berscope(英文版)が完成。同年10月のフランクフルトブックフェアでIgaku-Shoin Medical Videoとして展示した。 1973年,赤門並びの社屋を増築した際には6階にビデオ撮影ができるスタジオを設置した。だが,実際にスタジオとして使用されることはなかった。1970年代前半のビデオは,VHSやBetamaxが出現する以前のUマチックであり,ほとんど普及しなかった。ニューメディアへの対応はその後しばらくの空白期間を経て,CD-ROMやWeb配信において開花する。社の新しいメディアに向けた積極的な姿勢は,時代を越え今日に受け継がれている。左ページ:「食事と看護」撮影風景このときはスタジオを借りて撮影した。Opposite p age: A snapshot of shooting a video under the title of Food and Nursing.上:第18回日本医学会総会の際に医学カラービデオ教材展を開催(1971年4月/日生会館国際ホール)Above: An exhibition of medical color videos at the International Hall of Nissei-kaikan during the period of the 18th General Assembly of The Japan Medical Congress (April 1971/Tokyo).089

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