医学書院の70年
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第二次世界大戦後,連合軍総司令部(GHQ)のもと,わが国の公衆衛生および医療制度の改革が推し進められた。特に公衆衛生事業と病院医療の改革が強調され,双方にかかわる看護業務の抜本的な見直しが行われた。GHQは公衆衛生福祉部に看護課を設置して看護職の資質向上を目的に指導。その結果1948年に「保健婦助産婦看護婦法(保助看法)」が制定された。従来それぞれの法律によって規定されていた三者の身分を看護職として一元化し,国家資格として身分・業務を明確にした。社は新しい看護制度に準拠した教育に着目。1946年に創刊された『看護学雑誌』に新しい教育課程を志向した講義録「看護学講座」を連載し,その完結(1949年)を待って,書名もそのまま『看護学講座』(全17巻)として発行した。しかしながら,内容は不十分であり,急速に進歩する医学に対応できるものではなかった。そこで1951年の「保助看法」改正(准看護婦制度の誕生)に合わせて内容・執筆陣を刷新,強化したのが『高等看護学講座』(全30巻)であった。本講座は順次巻数を増やし,内容を充実させ,表紙の色から“赤本”と呼ばれ高い評価を得た。 昭和30年代(1955年~)から日本は高度成長期に入り,医学・医療の急速な進歩と病院医療の拡大とともに,国民の健康を守り育てる看護の重要性が社会的にも認識されるようになり,看護の質的向上とマンパワーの充実が焦眉の急となった。1957年には准看護婦から看護婦への道として2年課程の進学左ページ:高等看護学講座Opposite page: Complete Higher Courses in Nursing series.上:系統看護学講座Above: Complete Systematic Courses in Nursing series.085

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