医学書院の70年
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 1960年代に入ると医学教育の主流はドイツ語から英語にシフトし,米英の教科書に対する需要は日ごとに高まっていった。当時,洋書は高価であったため,アジア市場は海賊版の温床となっていた。その海賊版防止対策の一環として,原本より低廉なリプリント版(アジア版とも言われた)の発行を海外の版元から打診され,1961年9月に『Dorland医学辞典』23版のリプリント版を発行。これがリプリント事業の先駆けとなり,以後,『Cecil内科学』,『Nelson小児科学』,『Guyton生理学』,『Grant解剖学図譜』など,当時の米国の主要な教科書類のリプリント版を発行した。最盛期には75点を出版し,アフガニスタン以東のアジア諸国にも輸出。リプリント事業は洋書籍,洋雑誌の輸入と併せて,一時は洋書業務の3本柱の一つとなった。 1970年代に入ると国内では新設医科大学が続々と創設され,図書館整備と図書の一括購入が相次ぎ,洋書部の業績は躍進した。このころ,為替レートが固定相場制から変動相場制に移行した。円高傾向が強まるなかで,一括購入で各社が鎬を削る入札競争も展開されたが,価格決定権の維持を目指して代理店方式やハウスエージェント方式が取られるようになった。この方式は利幅を拡大するのには役立ったが,代理店として常に供給し得る在庫を持ち続けなければならず,的確に在庫管理を行う必要性に迫られた。 1980年代以降,世界的な出版社の系列化の動きのなかで,極東における1956年第2新館2階に完成した洋書常設Show RoomPermanent exhibition room for foreign books called “the show-room” on the 2nd oor of the annex of the original company building, constructed in 1956.055

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