医学書院の70年
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交通も通信も発達していなかった時代,関西方面で配給ルートを確保し,売上伸長を図るためには拠点をもつ必要があった。1953年10月1日,大阪市北区常安町の一般住宅を買い取り,大阪出張所を開設。主に関西特約店への卸販売を行った。また,洋書展示会や関西特約店会議も開催し,いまだ知名度の低かった“医学書院”の名を世に広く浸透させることに貢献した。このような地道な活動で地盤を築いたが,1958年7月,出張所はいったん閉鎖となる。 一方,雑誌を中心に出版事業を興した経緯から,スタンダードな書籍の発行は社の悲願となっていた。当時,“医学書院のStandardwerkeを作る”という掛け声のもと,各分野の専門家に執筆を依頼し全国規模の教科書発行を進めていた。大阪出張所はその編集取材活動の拠点として1960年3月に再開される。所長は本社出版部の管理職が務めたが,出版業務のほか,関西特約店会議の開催や教科書のセールス・プロモーション(SP)活動なども行われた。 やがて東海道新幹線の開通で関西地区は日帰り出張圏内に入り,企画も多様化するなど次第に拠点としての意味が薄れ,1976年3月末日をもって大阪出張所は閉鎖。以後,駐在員事務所として看護教科書のSP活動を行う。1984年4月1日,業務を外部委託に切り替えたが,2011月5月31日,本社販売部SP課の強化に伴い,大阪駐在員事務所も閉鎖された。 九州出張所は1964年7月10日駐在員事務所として開設後,1966年11月21日九州出張所へと改称された。九州全域を管轄し,主に特約店に対する洋書の販売指導,新設大学への洋書販売,各大学図書館への連絡,教科書の販売促進などを行ったが,一定の成果を上げて2004年3月31日に閉鎖され,今日に至る。左ページ:常安町の大阪出張所付近Opposite page: The appearance of Jouan-machi adjacent to the Osaka branch of ce.上:常安町の大阪出張所(1954年)Above: Osaka branch of ce at Jouan-machi in Kita-ward, Osaka City in 1954.下:大学通1-1 に移転した九州出張所外観(1966年11月)Below: External appearance of the Kyu shu branch of ce located at 1-1 Daigaku-dori, Fukuoka City in Novem ber 1966.051

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