医学書院の70年
47/252

意志を尊重しつつも,医療全体の質の向上や広がりを念頭に,専務の時代から種々の大型企画の拡充に力を入れた。こうして生まれたのが『今日の治療指針』であり,多くの看護書である。これらの出版物は社に規模の拡大をもたらし,小出版社であった医学書院を,業界最大手の出版社へと押し上げるのに大きな役割を果たした。今日に至ってもなお,それらの出版物は社を支える確かな礎となっている。 元はまた,巧みな語学力や西洋文化への造詣の深さを活かして,東洋の無名の医書出版社にすぎなかった医学書院を,国際的な自然科学書出版社の一員へと仲間入りさせた。具体的には洋書輸入の開始,英文出版への進出,フランクフルトブックフェアへの参加,国際自然科学書協会(International Association of Scienti c, Technical and Medical Publishers:STM)の理事就任,ニューヨークの現地法人(ISNY)の創設,などである。特に洋書の輸入は医学書院に急激な成長と躍進をもたらし,同時に世界のSTM出版社にその存在感を示すことになった。 元は新しい技術動向に関心を持ち,それを社業に取り入れることにも熱心であった。当時の最先端デバイスである手回し式計算機を携帯し,複雑な計算を瞬時にこなして見せた,との逸話が伝えるとおり,常に進取の気概に富んでいた。当時,まだ目新しい設備であった電話交換機を社屋に導入したり,高価な輸入自動車を社有したりして,編集業務や著者送迎などに広く活用した。1970年代に入るとビデオソフト開発の陣頭指揮を執り,新たなメディアによる情STM(International Association of Scientific, Technical and Medical Publishers)の理事会にて(1975年10月/オランダ・アムステルダム)Hajime Kanehara, then President, attending the meeting of the board of directors of STM (October 1975/ Amsterdam, The Netherlands).037

元のページ  ../index.html#47

このブックを見る