医学書院の70年
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1949.01.01『Medical Pocket Diary』一郎が愛してやまなかった手帳創業者,金原一郎の遺した手帳は1932年版から保管されているが,社の発行物として最も古いものは1949年1月1日に始まるダイアリーである。以後,医学書院の『Medical Pocket Diary』(当初Doctor’s Pocket-Diary)は現在まで毎年発行されている。少しずつ改良を重ね,特に付録部分は医療関係者に便利な情報を頻繁に更新しているが,一貫して変わらないのは開襟シャツやチョッキのポケットに入るその“大きさ”である。現在でもYシャツの胸ポケットに入ることを最大の特長としている。 かつて社の著者でもあった著名な外科医は,ダイアリーの発行時期になるとわざわざ来社され,周囲の医師や看護師の分まで20~30冊求めて「これは便利なものだから」と配っておられたという。また,ある編集会議で次回の日程を決める際,十数名の編集委員が取り出した手帳が全員同じ医学書院の『Medical Pocket Diary』,ということもあった。使い勝手に定評のあるこのダイアリーは,金原一郎が自ら製作にこだわり,愛用してきたものである。自身のエッセイ『まむしのたわごと』のなかで一郎は,「ダイアリーの一番大切なことは毎年毎年いかに上手に記入していくかで,まさに身体の一部という程度にまでダイアリーを使ってほしい」と熱く語っている。また曰く,「私はこのマスコットのような小型Diaryに時々cheek(頬ずり)する。そうすると私の顔の脂が表紙のクロースに光沢と栄養とを与えて一年中使用しても破損せず,いつでも綺麗である」。 実際,使い込まれて黒光りしたその手帳には,日本語,英語,ときにはドイツ語を織り交ぜ,日々の予定や覚書が細かい文字でびっしり刻まれている。晩年になるとエッセイのネタと思われるメモ書き,几帳面に糊付けされた新聞記事の切り抜きなどがしばしば見られるようになる。“まさに身体の一部”であった一郎の手帳は,赤門並びの旧社屋では「Diaryを書き続ける秘訣」の額とともに2階ロビーに展示されていた。赤門並びの社屋ロビーに展示してあった金原一郎愛用の『Medical Pocket Diary』と『まむしのたわごと』(1982年2月)―当時社長の長谷川泉は,「ダイアリーが素材になって前人未到の『まむしのたわごと』が出来上がったようなもの。この2つはセットとして保管される意味がある」とし,ダイアリーと『まむしのたわごと』を一つに収めた。Ichiro Kanehara’s favorite Medical Pocket Diaries and 18-volume set of An Adder’s Musings displayed at the lobby of the former company building in February 1982.70 years of igaku-shoin024

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