医学書院の70年
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70 years of igaku-shoin218 11. 『医学選書』発行開始,書籍部門への進出が始められた。社屋を所有者《鉢の木》から買受け,社業の基礎はこの年に確固たるものとなった 11.28 自然科学書協会設立1947 [昭和22] 2.21 生産面の隘路打開の一策として安藤写真製版所(後に学術写真製版所と改称)を設立 4. 1943年に解散していた医書同業会(現・全国医書同業会)を再興 10.16 書籍部門の発行所として株式会社学術書院を創立(資本金18万円;社長に森島侃一郎就任)。同社にて『簡約医学双書』『看護学講座』等の出版を開始 12.1 販売会社としてメディカル・サービス・ステーション(支配人金原二郎)が分離独立,日本医学雑誌,学術書院発行物の販売に当る。金原一郎はこれら数社の役員を兼ねるため,日本医学雑誌株式会社の社長を辞任。今田見信が社長に就任(11.30)1948 [昭和23] 1. 綜合医学賞を創設。第1回論文募集要項を発表 5.31 日本医学雑誌株式会社120万円に増資 10.1 株式会社学術書院100万円に増資。学術書院は増資を機会に社屋を駒込林町に新築。金原元東京大学文学部卒業。直ちに学術書院専務取締役に就任 11.27 第1回綜合医学賞の贈呈を行う(受賞者は内薗耕二東大副手〔1962年東大教授〕他)1949 [昭和24] 1.1 『Medical Pocket Diary』発行開始 5. 第2回綜合医学賞論文募集要項発表 8.31 キティ台風により東光印刷が大被害を蒙る(東光印刷は学術書院の印刷を一手に引受けていたが台風の被害が因となって解散に至った。学術書院では組版と共に従業員十数名を引取り印刷所の建設に着手。翌年学術図書印刷株式会社として創立した) 12.25 学術書院社長森島侃一郎が辞任し,木下正一が社長に就任1950 [昭和25] 1. 年初から日本医学雑誌,学術書院,メディカル・サービス・ステーションの3社合併の気運興る 1. 『Every Doctor’s Library』の刊行開始 5.1 学術図書印刷株式会社創立 7.1 合併の第1段階としてメディカル・サービス・ステーションが日本医学雑誌株式会社に吸収されて業務部となる 10.1 合併に備えて日本医学雑誌株式会社,株式会社学術書院の両社は便宜上それぞれ医学書院を称することとした。また,本月より書籍奥付の年号を西暦に改め,版と刷とを明示するようにした 10.1 社の取引業者(印刷5,製本1,用紙3,製版1の合計10社)の親睦団体として医学書院協力会(初代会長は向喜久雄氏)が結成された。目的は医学書院を中心として会員相互の協調と親睦を計り,共存共栄の実を図ることである 10.8 合併記念社員旅行(箱根強羅・一福旅館) 10.16 編集部の編成替 ①3次長の担当事項を定め分担して部長補佐の実をあげる ②一方に偏していた雑誌編集,書籍取材の事務をA,B,C3デスクに分割 ③『助産婦雑誌』『保健婦雑誌』の創刊準備を具体化する 企画,編集,販売の資料充実のため事業部宣伝調査係を拡充 これと前後して総務部,事業部,業務部の整備強化も行われ合併後の組織が固まった 10.18 『週刊社内ニュース』第1号発行 10.21 第1回定期採用試験 10.28 新たにNurse’s Diaryを作製,1951年版からPocket Diaryは Doctor用とNurse用の2種類となる 11.1 日本医学雑誌株式会社と株式会社学術書院の経理合併 12.1 合併登記。株式会社医学書院となる。金原元,医学書院代表取締役専務に就任 【新役員会】〔社長〕今田見信,〔取締役〕金原元,杉靖三郎,小林茂本,杉田正己,石村卓三,〔監査役〕向喜久雄,藤森七郎 〔従業員数〕60名1951 [昭和26] 1. 高等看護学講座(全30巻)の刊行 1.20 著者執筆者招待感謝新年会(これより新年の恒例行事となった) 1. 『保健婦雑誌』創刊 4.1~5 第13回日本医学会総会(東京)。本社はサービスセンターを開設し,手荷物の一時預,湯茶の接待,伝言引受のほか,ワイシャツのスピード洗濯まで行う。とりわけ,交通公社の出張は好評であった

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