医学書院の70年
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1944.08.181950年ごろの創業社屋内の編集室風景─右側カレンダー前に当時編集長の長谷川泉が見える。Editing room of the original com-pany building around 1950. ―Izumi Hasegawa, Editor-in-Chief, can be seen in front of the calendar on the right side of the photo. 平和を取り戻した日本の学術の進歩は目覚ましく,社運もそれに歩調を合わせるように上昇の一途をたどった。「火事になっても焼けない建物に移りたい。」いつしかこれが悲願となった。出版社にとって何より大事なもの,すなわち原稿と購読者カードの保管のため,社員は朝晩金庫にこれらを出し入れするのが日課であった。 1947年10月,書籍部門の発行所として学術書院を創設する。同年12月には販売会社として日本医学雑誌株式会社からメディカル・サービス・ステーションが分離独立,両社発行の書籍・雑誌の販売にあたる。1950年に入ると三社合併の気運が高まり,まず7月にメディカル・サービス・ステーションが再び日本医学雑誌に吸収され,その後12月1日に日本医学雑誌と学術書院が合併することとなり,双方の集字から現在の医学書院の名称が確立した。翌1951年8月には当時社長であった今田見信が退社し,医歯薬出版株式会社を創設。企業整備令によって協力の歩みを続けてきた金原一郎,今田見信の両名はそれぞれ独自の途を歩むことになった。70 years of igaku-shoin008

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