医学書院の70年
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1980年代初頭まで社の出版物は活版印刷が多くを占めていた。現在取引している協力工場も当時は活版が主流であり,『今日の治療指針』(1982年版まで),『看護学雑誌』をはじめ,『クリストファー外科学』などの大作(2,400頁超)も系列会社の学術図書印刷による活版印刷であった。本文はモノタイプ(自動活字鋳造器)で組み,表組は文選工が活字を採字し,図版・写真は主に学術写真製版所で亜鉛版や銅版を作製して植字工が組み上げていた。そのころ著者の原稿は手書きであり,解読が困難な場合も多々あったが,経験豊富なモノタイプのオペレーターや文選工は難なく文字を拾いあげ,まさに職人技であった。また植字工の作業は,行間や字間,図表の配置など,インテルという込め物を自在に操り調整し,やはり経験と技術がものをいう世界であった。印刷は組み上げた原版により,あるいは紙型をとり鉛版という印刷用の版を作製して行った。活版印刷では手作業の工程が多く,入稿から刷了まで現在では考えられないほど時間と手間がかかっていた。また,原版の保管場所と重量も大きな問題であった。 1980年代も半ばを過ぎると,オフセット印刷の割合が増加し,さまざまな要求にも対応しやすくなった。組版工程は,活字で組み上げコート紙に印刷してそれをフィルム撮りする“活版・清刷(きよずり)”,写真植字(写植)やIBMタイプライターでの清打ち(欧文出版)を経て,電算写植(CTS)へと移行した。社でCTSを最初に導入したのは『看護学雑誌』1980年1月号である。当初CTSの組版は入力機でテープにさん孔し,コンピューターにかけて棒組を印画紙出力し,コピーを取って校正を行っていた。図版・表組・図ネーム・写真は別進行で校正が出され,制作担当がレイアウト作業を行った。やがて入力・組版が可能な校正機も出現し,普通紙出力が可能なシステムとなり作業効率も格段によくなった。 2000年代半ばからはDTPの割合が急増し,現在では組版の主流になっている。また,PDF,CTPなど新しい技術も次々に開発されてきた。活版時代には制約が多く,カラー印刷も難しい状況であったが,組版・製版・印刷の技術革新が進み,より迅速に幅広い対応ができるようになっている。左:原版を印刷機にセットしたところ (三美印刷提供)Left: Movable type and plates which are set and ready for printing.右:初期の電算写植機―CTS編集処理装置(大日本印刷提供)Right: Early computerized typeset-ting system.113

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