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第3393号 2020年10月26日


【寄稿】

医療人類学と保健・医療・福祉の学際研究が開く
ヘルス・エスノグラフィの可能性

道信 良子(札幌医科大学医療人育成センター教養教育研究部門 准教授)


 今,地球も,地球に生きる生命も切実な事態に直面している。地球温暖化に伴う気候変動があり,新型コロナウイルスをはじめ新興・再興感染症も広がっている。人間社会はかつてさまざまな絆につながれ,大勢の人と一緒に暮らしてきたが,人と協働して生きる仕組みは今では失われつつある。

 そのような中にあって,人々がこれからも生命をつないでいくための力となる「生きた学問」となるために,人類学はどう発展していけばよいのかを筆者は模索している。それと同時に,人間の健康と医療をテーマとする専門領域である医療人類学が人間の生命に関心を持ち,より良い在り方をさらに追求できるものになるために人類学から独立し,ヘルス・サイエンスの領域で発展していく可能性を思考し続けている。

布を織り成すように人間の生の営みを表現する

 筆者の研究のキーワードは「生命(いのち)」である。生命を支え,守り,育むというケアの視点を共通項として,生命とは何であり,どのように育んでいけばよいのかということを真剣に議論し,その先に新しい視点や方法を開いていきたい。そのような希望を込め,医療人類学の新しい質的研究アプローチである「ヘルス・エスノグラフィ」を探究している。すなわち,人間の生命を諸学問の概念で分断するのではなく,その営みの場から統合的に把握していく作業が重要と位置付けている。

 筆者が大切にしていることは,人々の生きる周りの風景や,時間の流れの中で人間の生命をとらえ,その多様な営みをそこで生きる人々と共に育んでいくことである。質的研究は,資料のピースをつなぎ合わせるというよりも,複数の糸を縒(よ)り,結び,絡み,組み合わせて,特有の質感をもつ布をつくる工程に似ている。一つひとつの糸を手にし,そこにどのような思いがあったかを突き詰めていくと,人々の生命の育みとその多様な価値が明らかになる。

 人それぞれの人生のストーリーラインは,その人にとってかけがえのないものであり,さらに地球という大きな環境の中で他のさまざまな事象とつながり合っている。グローバル・ヘルスや,地域医療に携わる人々が,患者,住民,そして自分自身の生命の営みを大地に描けることは重要である。

新型コロナの影響と医療人類学による質的研究の意義

 新型コロナウイルス感染症の世界的な蔓延を経験し,その背景を理解し,人間と環境との関係をどのように見直すかを突き詰めるには,医療人類学の総合的な視点が重要になる。

 筆者は,1997年からおよそ12年間,タイ北部の都市で,HIV感染の予防に関する調査を行ってきた。HIV/AIDSは,人類学,公衆衛生学の観点からも,新型コロナウイルス感染症との類似点がある。その一つは,人間の密な関係で広がること,もう一つは,グローバルに拡大していることである。いずれも病原体(ウイルス)が人を介して体内に侵入するため,ひとたび人間の集団に入り込めば,人から人へと広がっていく。その感染源および経路を特定することが公衆衛生学上重要であるが,特定の集団が感染を広げたとして,差別や偏見の対象になりやすい。

 タイ北部の農村から都市に出稼ぎに来る若い女性の工場労働者たちが,同じように出稼ぎをして性産業で働き,ハイリスク集団と特定されることになった女性たちと同一視されないように振る舞うことで感染対策が疎かとなり,かえって感染リスクを高めている状況を,筆者は明らかにした。

 背景にある都市と農村の経済格差,多国籍企業の進出,工場労働に従事する若い女性の親孝行の観念,自立と誇りなどを,タイ北部の土地に位置付けてとらえることで,若い女性の振る舞いの意味,予防対策に必要なメッセージが明らかになる。筆者は,タイ北部に何度も足を運び,工場周辺の村に住み,多国籍企業の工場で働いた(写真1)。労働者たちが帰省する季節には,一緒にトラックの荷台に乗って,山間地帯にある彼ら・彼女らの家を訪れた。

写真1 タイ北部の農村から都市に出稼ぎに行く人々の生活について研究するため,フィールドワークの一環で,多国籍企業の工場で働く筆者(手前から2人目,筆者提供)。

 このように人々の生きる「生命の景観」をできるだけ広く,そして,世界の流れの中でとらえつつ,リスクにさらされている人,病いの床にある人,苦しみを抱えている人,死の恐れにある人などの微細な表情や身体の動きを見逃さないよう観察する。それらを通して表現される感覚や感情は,その人が生きている文化の表現様式に沿って表現されるものである。病いの経験をどの国にも通じる大きな概念で切り取って解析し,把握するには限界があることも知る。

発見する喜びをフィールドワークで得る

 さらに筆者は,2010年から日本の北の島にある小さな小学校を活動の場に,フィールドワークを通じて子どもの健康とウェルビーイングに関する研究を進めてきた(写真2)。小学校の教室に机を並べて一緒に勉強し,給食を取り,放課後は遊んだ。子どもの遊びを通して表現されるものをそばで見て,聞いて,感じながら受け止め,その生命がいかに育まれているかを考えながら調査している。戸外の活動では子どもの見守り役の人の考えや行動,学内の活動では養護教諭の声掛けやニュースレター,臨床の場面では医療者のまなざしなどもつぶさに見る。子どもの生命の表現と周りの受け止めは,日常行動に見いだすことができるからだ。

写真2 子どもの健康とウェルビーイングに関する研究では,日本の北の島の小学校で子どもたちと過ごし,子どもの遊びから表現されるものをつぶさに見いだす(撮影・奈良美弥子氏)。

 島では自然が子ども同士の対立を和らげ,緩衝材となっていた。昼に仲間外れになった子どもも,放課後には他の子どもたちと一緒になって海辺の生物を探して遊んでいる光景が見られた。人間の営みだけを見ていては,人間の生命の真髄には到達できないことを,生活を共にすることで学んだ。

 保健・医療・福祉分野の研究において,ヘルス・エスノグラフィにできることは,人間の生命と周りの土地・文化とのかかわりを繊細に読み解き,それを根拠として,人間の生命と健康について考えることである。

 そのため,ヘルス・エスノグラフィの方法では,質的資料の特徴である語りを大切にしつつも,語りの言語的分析に留まらない方法を提案している。言語は人間のコミュニケーションの手段である。一方,言語のやりとりは,人間が生きて他者と交わっていることを表しているため,言語が伝えようとすることの「意味」は日常の中で変化していく。すなわち,語りは必ずしもその人の本当の気持ちを表現しているとは限らない。語っている人の置かれた状況や,語りに込められた思いもくみ取る必要がある。話し手が沈黙した場合も,本当に伝えたかったことが行間に隠されていることがある。分析する資料を「語り」にのみ頼ったり,語りを部分に分けたりすることではつかみきれない。

 フィールドワーカーは,自分のいる場所から外に出ることで,何かを発見する喜びを得て,それを豊かで幅のあるものにすることができる。子どもから大人まで,誰でも参加でき,楽しめるような質的研究の方法が,健康とウェルビーイングの研究の未来を開く。質的研究を難しい概念でとらえ,高度な解析ソフトで分析する手段もあるが,誰もが使えるもので,多種多様なものの見方や感じ方を受け入れる手作業が大切だと考えている。いろいろな人々と交流し,日々鍛錬し,やわらかくすみきった目で事象をとらえることで,技巧や技能だけでは見えてこなかった大切なことが読者に伝わるのではないだろうか。

 このたび筆者は,人と医療のかかわりをさぐる医療人類学の方法論をまとめた『ヘルス・エスノグラフィ』(医学書院)を上梓した。本書は医学・医療系の大学で人類学の教育と研究に20年間携わってきた中で生まれた。ヘルス・エスノグラフィの実践を通して,自分の視点を省察し,対象と共に学ぶ。自分の視点と,現実を生きる人々の視点の間にずれはないか,絶えず確認し,見直していく。そこでは,細分化された学問の知識と方法を結び合わせる,学問領域を超えた努力が今まで以上に必要になる。

 ヘルス・エスノグラフィの可能性が,保健・医療・福祉の実践者,ヘルス・サイエンスにかかわる研究者,これらの領域で共同研究をする人文・社会科学者など,多くの人々の手で開かれていくことを期待する。


みちのぶ・りょうこ氏
1995年米オレゴン州立大教養学部人類学科卒。98年お茶の水女子大大学院人文科学研究科修了。2001年同大大学院人間文化研究科比較文化学専攻単位修得退学,同年博士号(社会科学)取得。札医大専任講師を経て,06年米エモリー大公衆衛生大学院グローバル・ヘルス学科修了。08年より現職。専門は医療人類学とグローバル・ヘルス。近著に『ヘルス・エスノグラフィ』(医学書院)がある。