医学界新聞

連載

2018.02.26



行動経済学×医療

なぜ私たちの意思決定は不合理なのか?
患者の意思決定や行動変容の支援に困難を感じる医療者は少なくない。
本連載では,問題解決のヒントとして,患者の思考の枠組みを行動経済学の視点から紹介する。

[第7回]リバタリアン・パターナリズム 意思決定の「デフォルト」設定

平井 啓(大阪大学大学院人間科学研究科准教授)


前回よりつづく

臓器提供意思表示をしていますか?

看護師 運転免許証裏の臓器提供意思表示欄には記入されていますか?
脳死患者の家族 何も書いてありません。脳死や心停止状態になったら,使える臓器は提供したいと生前に言っていた気はするのですが……。

 ご存じのとおり,臓器提供者(ドナー)数は,必要とする患者数に対して十分ではない状態が続いています。臓器提供の意思はあっても,明確に表示していない人は,患者のみならず医療者自身にも多いのではないかと思います。

 日本では1997年10月16日に「臓器移植法」が施行され,脳死後の心臓,肺,肝臓,腎臓,膵臓,小腸などが提供可能になりました。当初は「書面による本人の意思表示があること」と「家族の承諾」が条件でしたが,2010年に改正臓器移植法が施行され,本人の意思が不明な場合には,「家族の承諾」で提供できることになりました。しかしながら,本人の意思が明確でない場合,家族に意思決定の重い負担が掛かります。提供したいという意思だけでなく,提供したくないという意思も含めて,いずれかをはっきり表示する人が増えることが社会にとって必要です。

 臓器提供意思表示には,「オプトイン」と「オプトアウト」という2つの制度があります。オプトインは,米国,英国,ドイツ,そして日本のように,臓器提供したい場合にその意思表示をする方式です。オプトアウトは,フランスやスペイン,北欧などで採用されていて,提供したくない場合に意思表示する方式です。いずれの制度も,提供しない人の意思を変えさせたり,負担を掛けたりする仕組みではありません。デフォルト設定と異なる選択をする場合でも,意思表明のコストは臓器提供意思表示カードに丸をつけるだけというわずかなものです。しかし,提供を承諾している人の割合は,オプトイン方式のドイツは12.0%であるのに対し,オプトアウト方式のフランスは99.9%と大きな違いが生じています1)

自由な意思決定を保証しつつ望ましい選択をしやすくする

 オプトインとオプトアウトの違いを行動経済学では,「リバタリアン・パターナリズム」という概念から考えることができます。リバタリアン・パターナリズムは,昨年ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーらが提唱している概念です2)

 「リバタリアン」は,自由を維持することを意味する言葉です。「パターナリズム」とは,弱い立場の者のために強い立場の者が望ましい選択を用意することです。リバタリアン・パターナリズムにおける「人々がより長生きし,より健康で,より良い暮らしを送れるようにするために,選択アーキテクトが人々の行動に影響を与えようとするのは当然」という考えがパターナリズムです2)。選択アーキテクトとは,人々が意思決定を行う上でその文脈を体系化して,整理する責任を負う選択肢の設計者を指します。つまり,リバタリアン・パターナリズムとは,望ましい選択の方向性が明らかな場合,その選択肢を選びやすくする設計を導入しつつ,それを選択したくない場合は拒絶する自由を与える考え方です。

 本連載第1回(第3237号)で,意思決定は合理的でないことが多い(限定合理性)と解説しました。選択肢の提示の仕方は意思決定にどうしても影響を与えます。選択アーキテクトがそれを自覚することで,望ましくない方向への影響を制御するための考え方であるとも言えます。

選択アーキテクトは医療者

 医療の場合は,医療者が患者・家族にとっての選択アーキテクトです。日本の医療では,かつてはパターナリズム的な意思決定が当然とされる状況がありました。例えば,がん患者に病名を告げないまま治療が行われていました。これに対して,リバタリアン的な個人の自己決定権を保証する考え方に基づいて導入されたのが,インフォームド・コンセントです。患者自身が主体的に意思決定できるようになった反面,与えられた専門情報をもとに,自らが判断しなければいけない状況が多くなりました。結果として,患者や家族に意思決定の大きな負担が生じたり,理解が不十分なために本来の意向とは異なる選択をしてしまったりということも生じていると思います。こうした中で,リバタリアン・パターナリズムは,日本の医療における意思決定の実態を整理する鍵となるのではないかと考えています。

何を「望ましい」とするかしっかり考える必要がある

 臓器提供意思表示の話に戻ると,オプトインとオプトアウトの違いは,意思表示していない場合にデフォルトとされる意思,すなわちパターナリズムの違いです。共通点は,リバタリアンの考え方に基づき,望まない場合は拒否できる設計がされていることです。オプトインは「臓器提供しない」ことがデフォルト設定なため,「臓器提供する」を選びたい場合は,自ら意思表明する必要があります。オプトアウトはその逆です。現在,日本の臓器提供意思表示は,基本的にはオプトインの設計です。もし日本が今以上に移植医療を行いたいと考えるのであれば,ドナーとなり得る臓器提供承諾者が十分な数必要です。承諾者を増やす方法の一つは,相当数いると考えられる「臓器提供する意思を持ちながら表明していない人」が,意思表示しやすい状況を作ることです。

 ここで注意しなければいけないことは,「臓器提供する」という意思をデフォルトに設定してもよいかどうかの判断です。オプトアウトとしている国が全てではないということは,選択アーキテクトである国によって考え方が違っており,それが制度に反映されているということです。デフォルトを決めるには社会的なコンセンサスが必要であり,そのためにエビデンスを積み重ねたり,ガイドラインを作成したり,さらに国の方針や法律に反映させたりすることが必要になります。日本という国が,選択アーキテクトとして,「国民がより長生きし,より健康で,より良い暮らしを送れるようにするため」のデフォルト設定を明確に決めつつ,デフォルト以外の選択も尊重する体制を作ることが求められます。オプトアウトはかなり強いリバタリアン・パターナリズムに基づく設計です。現状ではコンセンサスを得られていません。まずは,「臓器提供する/しない」のいずれかにかかわらず,運転免許証や保険証の裏に「意思表示をしていること」をデフォルト設定とするコンセンサスであれば,得られるのではないかと考えます。

日常臨床での「デフォルト」を考える

 何をデフォルトとして提示していくかは,臓器提供意思表示だけの問題ではありません。日常の臨床でも同様です。医療者は,患者の治療やケアに対する選択アーキテクトです。意思決定に当たってどのような選択肢があるか,どのような文脈であれば患者本来の意向に最も近い選択ができるようになるかを十分に理解することが重要です。それを踏まえた上で,治療やケアの選択肢を提示していくことが求められます。十分なエビデンスがあったり,チームの中でコンセンサスを得られたりした選択肢は,デフォルトとしてはっきりと提示していくことが患者さんの利得につながります。

 当然,患者に恩恵をもたらすデフォルトの選択肢であると多くの医療者が考える治療やケアであっても,自分にとって利得と考える人と,そうではない人がいます。利得と思ってくれない人に対しては,「説得」などのコミュニケーションを行うこともしばしば必要です。しかし一方で,利得と考えない深い理由がある場合もあります。患者や家族から話を聞く中で,その意思決定が個人の価値観に基づいていると考えられるときは,「それを選択しない」権利をきちんと保証し,その選択を尊重することも選択アーキテクトとしての医療者に重要な態度です。

今回のポイント

●リバタリアン・パターナリズムとは,望ましい選択が明らかな場合,その選択肢を選びやすくする設計を導入しつつ,それを選択したくない場合には拒絶する自由が与えられるべきという考え方である。
●医療者は,患者という意思決定の主体に対する選択アーキテクトである。それをしっかり自覚する。
●自らが提供する医療・ケアにおけるデフォルトは何かを考え,どのような根拠に基づくものかを確認する。それが明確でない場合は,デフォルトを設定してはいけない。
●患者がデフォルトとは異なる選択(医療者からみると不合理な選択)をした場合も,それを尊重する。

つづく

参考文献
1)Johnson EJ,et al.Do Defaults Save Lives? Science.2003;302:1338-9.[PMID:14631022]
2)リチャード・セイラー,他著.遠藤真美訳.実践行動経済学.日経BP社;2009.

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