医学界新聞

連載

2017.11.06



栄養疫学者の視点から

栄養に関する研究の質は玉石混交。情報の渦に巻き込まれないために,栄養疫学を専門とする著者が「食と健康の関係」を考察します。

[第8話]遺伝疫学への失望

今村 文昭(英国ケンブリッジ大学 MRC(Medical Research Council)疫学ユニット)


前回よりつづく

 近年,「遺伝疫学への期待」(第3話,3226号)が増していますが,その逆も同様です。遺伝子検査によって食事の内容を変えようという話がその一つ。結論から述べると,この連載で何度か触れた代替医療と同様,エビデンスは不十分です。

 臨床や政策に応用する上で重要な事柄の一つは「再現性」です。「遺伝子型の違いにより食事の効果が異なる」ことについても,妥当性および再現性が確認でき,一般向けに応用する価値があるとみなせるエビデンスがよいでしょう。しかし,世の中の「遺伝子検査」の多くはその基準を満たしていません。

 ある企業の遺伝子検査では,ADRB3(β3アドレナリン受容体)の遺伝子多型によって糖質摂取で腹囲が増えやすいか否かが決まるとされています(GeneLife社他多数)。この実証には,遺伝子多型と糖質摂取の効果を同時に検証(交互作用1))し,腹囲との関係があることを複数の臨床研究で示す必要がありますが,PubMedで網羅的に探しても,そうした研究は皆無でした。さらに,同遺伝子多型が肥満や腹囲と関係するというエビデンスもないに等しいです(Nat Genet. 2017[PMID:28892062]など)。企業がどういった根拠を基にその検査項目を設けているかも不明です。

 再現性の検討は学術界でも行われています。脂質や炭水化物などの摂取量と遺伝子多型を同時に解析し糖尿病発症率との関係を調べた研究は,2015年時点で13の報告(J Nutr. 2011[PMID:21178094]など)がありました(糖尿病罹患者1649人以下の研究)。ところが,糖尿病罹患者9403人の前向き研究で再現性を検討したところ,1つも再現できたものがありませんでした(Am J Clin Nutr. 2017[PMID:28592605])。は,一例としてCAV2遺伝子に関する検討結果です。

 CAV2の遺伝子型による,総脂肪摂取量と糖尿病発症率の関係
Fisherら(J Nutr. 2011[PMID:21178094]),Liら(Am J Clin Nutr. 2017[PMID:28592605])のデータを基に算出。脂肪摂取量は2000 kcalの食事の100 kcal相当。P値は相関の程度が遺伝子型により差があるか否かについて。Fisherらの研究結果は再現できなかったと言える。

 また,交互作用の有無という以前に,「遺伝子的には疾患のリスクが高い」と知った人は行動を変えるのでしょうか? 少しでもリスクを下げるべく行動するという強いエビデンスはありません(BMJ. 2016[PMID:26979548])。多くの人が自らの遺伝情報を知ることで生活習慣の改善や疾患のスクリーニングへの参加などに積極的になってくれるなら,遺伝情報の提供は医学界も歓迎すると思います。しかしその有効性は支持されていないのです。

 フェニルケトン尿症など遺伝的背景から食事をコントロールする必要がある人は大勢います。特定の疾患に対する遺伝子検査が治療の選択にも貢献する可能性は大いにあります。その可能性の一環として「遺伝子型Xを有する人でYの摂取量が多いと疾患Zになりにくい」という研究は今後も増え,企業は遺伝子検査の項目を増やし続けるでしょう。しかし一つ一つのエビデンスは弱いのが常であり,実践への応用を支持するものではありません。

 生活習慣と遺伝子型に関する検証は人種差もあり容易ではないですが,だからといって遺伝子検査の価値や有効性を誇張してよいはずはありません。医学・生命科学界は遺伝情報の扱いには厳しい姿勢を示していますが,遺伝子検査関連の宣伝・実践に対しても同様の厳格さを期待したいと思います。

つづく

1)ある因子が特定の条件を満たした際,別の因子が効果を示すという事象(Interaction/effect modification)の検証。

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