医学界新聞

2017.10.02



MEDICAL LIBRARY 追悼特別編集

 日野原先生と医学書院のつながりは深く,単行本だけでも250点近くの出版にかかわっていただきました。ジャンルも多彩であり,ご専門領域の内科学書はもちろんのこと,ターミナルケアやプライマリ・ケア,生活習慣病などの先駆的概念をわが国に紹介した書籍も数多くあります。

 本号では書評欄の特別編集として,日野原先生の壮大な著作物のうちの数点を,発行に至るまでのエピソードも交えながらご紹介します。


高等看護学講座

橋本 寛敏 監修

戦後の看護学黎明期を支えた,『系統看護学講座』の源流

 第二次世界大戦後,GHQのもと,わが国の公衆衛生および医療制度の改革が推し進められた。看護業務の刷新を企てるGHQは,公衆衛生福祉部に看護課を設置。看護職の資質向上を図った。ただし,看護学教育のテキストは皆無という時代。その教育内容を周知する目的で始まったのが,『看護学雑誌』の連載「看護学講座」である。同連載において日野原氏は解剖・生理学の項の執筆を担当している。当時の肩書には「聖路加女子専門学校」とあり,非常勤で解剖・生理学や診断検査法,英語や音楽の指導も担っていたという。

 この連載は後に,『看護学講座』(全17巻)を経て『高等看護学講座』(全30巻)へと発展。日野原氏は「医科学概論」「解剖・生理学」「薬物学」などの巻を担当し,主要著者として活躍している。

 「解剖・生理学」の初版序文において,日野原氏は以下の檄文を記している(旧字・旧仮名遣いは改めた)。

 「日本の看護婦が米国等の看護婦に比べて学問的にも,また社会的にもはなはだ低いレベルにあったことは,教育制度の不備,医師の無責任さ,ならびに社会一般の看護に対する認識不足によるのである。看護婦が医師のよき介助者として,病人を看護し,社会における病気の予防,保健の増進に寄与し得るためには,もっともっと高く教育されなければならない。末梢的な,間に合わせの知識のはしくれしか与えられなかった古い教育の殻を打ち破って,本当の意味の専門教育をなすことが必要である。しかしこの専門教育というのは,医学生の教育とは趣きを全く異にすべきものである。不完全なまがいものの医師を養成するのではなくして,完全な看護婦を養成することが目的である。したがって,用いるテキストとしては,在来のもののごとき,単に医学書を簡単にしたようなものでは不適当である」

 初版刊行の1952(昭和27)年当時に,これほどの情熱を持って看護職の養成に取り組む医師がどれほどいただろうか。

 本講座は,発行後間もなくして教科書として高い評価を得ることになり,数年おきに改訂を重ねた。その後に再編され,1968年には『系統看護学講座』が誕生する。以来今日に至るまで,教科書の“定番”として全国の看護師養成施設で採用されている。

医学書院 1952年初版発行


今日の治療指針

石山 俊次,日野原 重明,渡辺 良孝 編

自ら企画を持ち込み,生涯携わったベストセラー

 米国エモリー大留学時に日野原氏は,『Current Therapy』(W.B.Saunders)に着目する。1949年に創刊された同書は,診断と治療の指針が簡潔にまとめられており,米国の医師の必携書としての地位を確立しつつあった。「米国の『Current Therapy』に相当する本が日本にあると有益だろう」。そう考えた氏は,帰国後まもなくして医学書院に企画を提案する。これが,後にベストセラーとなる『今日の治療指針』誕生の経緯である。

 日野原氏から,石山俊次(関東逓信病院外科部長),渡辺良孝(東京厚生年金病院内科医長)の両氏(肩書きはいずれも当時)に編集の任を依頼し,創刊号の編集作業が始まった。内科・小児科を中心に疾患数は285,執筆者は250人,496頁という当時としては壮大な規模の難事業であったが,章立てや目次立てに熟考を重ねて1959年に創刊された。

 原則として毎年執筆者を新たにし,“私はこう治療している”という執筆者自身の治療指針を示すというコンセプトは発行当初より支持され,創刊翌年の1960年版が1万部を突破。治療年鑑として不動の地位を得るに至った。

 日野原氏の盟友であり,1973年版より同書の編集に携わった阿部正和氏(慈恵医大名誉教授)は,25年間にわたり編集会議に同席した日々の思い出を,次のように述懐している。「会議の最中に,いつの間にか日野原先生がうたた寝をなさったのを垣間見た瞬間である。定めし日中のお仕事が多忙でお疲れになっていたに違いないと思っていた。そうこうしている内に,出席者の一人が先生に向けて質問の矢を放った。するとどうであろう。今まで居眠りをされているとばかり思っていた先生が,そんな素振りを全くみせず,さっと眼を見開き,当意即妙,きわめて的確な回答をなさったではないか」(本紙第2763号特別寄稿「『今日の治療指針』第50巻発刊によせて」)。

 日野原氏は,1998年版までの約40年間にわたり『今日の治療指針』の編集に携わることになる。編者を退いた後も本書への思い入れは変わらず,「血管とともに老いると言うけど,僕は『今日の治療指針』とともに老いる」と冗談めかして語られていた。

医学書院 1959年初版発行


平静の心 オスラー博士講演集

William Osler 著
日野原 重明,仁木 久恵 訳

生涯の心の師・オスラーと,その思想の伝道者による記念碑的著作

 日野原氏が聖路加国際病院に赴任した1941年,太平洋戦争が勃発。終戦後,日本はGHQに占領され,病院も接収されることになった。日野原氏は東京都から借り受けた病院で診療を続けながら,米国の陸軍病院が整備した図書館に通い詰めるようになる。そこで米国の医学書や雑誌を貪り読む日々の中で知ったのが,やがて生涯の心の師となるW.オスラーの存在だ。

 やがて,陸軍病院のバワーズ軍医大佐から人づてに講演集を譲り受ける。ますますオスラーに傾倒していく日野原氏は「オスラーを日本の医学界に紹介したい」と決意。雑誌連載など10年にわたる翻訳作業を経て出版されたのが本書である。

 内科学全般への幅広い関心,医学・看護学教育への情熱,哲学・文学に対する造詣など,両氏の共通点は数え切れない。序文の中で日野原氏は「私が,臨床医として生き,医学を研究し,医学を教える立場に立って働いていく上で,強烈なインスピレーションと,今日の仕事に全力投球できる力を与えてくれたのは,この本に示されたオスラーの言葉である」と語っている。

 本書刊行の1983年に日本オスラー協会を発足させたほか,本書脚注の英訳や伝記の出版にも取り組んだ。“平静の心(Aequanimitas)”を座右の銘とした日野原氏の哲学を知る上で,示唆に満ちた一冊である(現在も新訂増補版として発行)。

医学書院 1983年初版発行


新臨床内科学

阿部 正和,日野原 重明,本間 日臣,岡部 治弥,田崎 義昭,高久 史麿 編

「ベッドサイド」内科学の型破りな教科書

 日野原・阿部両氏の示唆を受け,『Current medical diagnosis and treatment』(McGraw-Hill)に着想を得て構想されたのが『新臨床内科学』である。従来の内科学教科書は,高名な大学教授が教室員や関連病院の医師に声を掛けてまとめあげるのが通例であった。本書はその慣行を破り,全国から領域ごとに新進気鋭のエキスパートに執筆を依頼。総勢133人の執筆陣による,内科学のエッセンスが凝縮された一冊となった。1959年以降,『今日の治療指針』の編集を続けてきた日野原氏の人脈と慧眼の賜物とも言えるだろう。

 『今日の治療指針』の姉妹編として位置付けられた本書は,他の分厚い内科学教科書とは異なり,「ベッドサイドですぐに役立つ内科学の知識」を簡潔にまとめた点に特徴がある(初版はB5判866頁,8500円)。また,総論部分において「新しい診療記録の方法」「水と電解質の障害」「眼底のみかた」などの章立てが並ぶのは,文字通り「新しい臨床内科学」を提唱しようという編者らの強い意図がくみ取れる(日野原氏は1955年,単著『水と電解質の臨床』を医学書院より出版。その序文においては,わが国の臨床医に水・電解質の基本的知識が不足している点を既に指摘している)。

 初版は医学生・研修医を中心に高い評価をもって迎えられ,当時ほとんどの医学生は内科実習の際に本書を携帯していたという。早くも2年後(1976年)には医師国家試験への対応を強化した改訂版が出され,医学教科書の在り方にもひとつの方向性を示した。現在は第9版まで版を重ねている。

医学書院 1974年初版発行


POS――医療と医学教育の革新のための新しいシステム

日野原 重明 著

半生をかけて普及に努めた「革新」のためのシステム

 L.L.ウィード(本年6月に逝去)がPOS(Problem Oriented System)を提唱し,1969年には著書『Medical Records, Medical Education and Patient Care』が出版された。日野原氏はウィードの論文や著書に目を通してPOSのアイデアに共感したものの,実践の方法については当初懐疑的であったという。

 一方米国では,心臓病学の大家であり医学教育に熱心であったJ.W.ハーストがPOSの普及活動を始めていた。旧知の間柄であるハーストのもとを訪れた日野原氏は,POSの導入が日常診療や医学教育を革新するとの結論に至り,1973年に本書を出版する。その序文においては,「私の今日までの,かなり長い内科臨床の経歴の終り近くになって,私の医療に対する考え方を,大きく転換させる動機づけになった」とまで述べている。なお,赤色の表紙は日野原氏の要望で,“革新”の意図が込められている。

 ウィードを囲んでの「週刊医学界新聞」座談会(第1531号)において日野原氏は,ウィードのPOSにかける熱烈な想いを使徒ヨハネに例えている。日野原氏もまた,関連書の出版やPOS研究会(後の「日本POS医療学会」)の発足など,POSの普及にかける情熱は終生衰えることがなかった。

 POSは,ともすればSOAPによる問題解決技法に焦点が当てられるが,その本質は「1患者-1カルテ」を基本とした全ての医療職の患者情報の共有である。電子カルテ導入で医師も看護師も記録に忙殺される今こそ,再読すべき書と言えよう。本書の精神は,『電子カルテ時代のPOS』(日野原重明監修・渡辺直著,医学書院)に引き継がれている。

医学書院 1973年初版発行


ナースに必要な診断の知識と技術

日野原 重明,安部井 徹,岡安 大仁,本多 虔夫,道場 信孝 著

未来を先見し,看護・医療界に波紋を投じた一冊

 今でこそ看護教育においてフィジカルアセスメントは専門職として必須の知識・技術であるとされている。これは,問診・視診・触診・聴診・打診の技術を医師専用のものとせず,看護師がよりよいケアをする上で患者情報の一つとして活用するものと言える。こうした考え方をいち早く広めようとした先駆者も日野原氏であった。

 1978年に発行された本書序文には,「本書が,恐らくは日本の看護界に,そしてまた,日本の医療界に大きな波紋を投げかける一石となることを予測し,その波紋を最も敏感に感じとられるナースの方々が,大いに動機づけられて新しいナーシングへの道を前進されることを希い,この書を出版するものである」と宣言している。本書が出版された後,日野原氏はその考えを広めるためにセミナーを提案。全国各地を自ら講演して回ったという。ただし,日本の看護教育の中にそうした考えが根付くのに30年以上の歳月が必要とは思っていなかったのではないだろうか。

 医師の専断事項であると思われていた「診断」を銘打ったナース向けの本を出すことに,出版社内でも企画の是非について厳しい議論があった。思い余った編集担当者が日野原氏に相談に行ったところ,「法律はね,現実を追認するために後から付いて来るんですよ」と言ったというエピソードは,氏の革新性を物語っている。

 本書は,『フィジカルアセスメント――ナースに必要な診断の知識と技術』と改題され,今でも多くの看護師・看護学生に愛読されている。

医学書院 1978年発行

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