医学界新聞

寄稿

2017.04.17



【寄稿】

終末期の鎮静をめぐる新しい局面

森田 達也(聖隷三方原病院 副院長・緩和支持治療科部長)


 この20年,徐々にではあるが確実に,安楽死(euthanasia)または医師による自殺ほう助(physician-assisted suicide;PAS)を合法化する国や地域が増えている1)。米国オレゴン州1997年,オランダ・ベルギー 2002年,米国ワシントン州2009年,米国モンタナ州2009年,ルクセンブルク2009年,米国バーモント州2013年,カナダケベック州2014年,コロンビア2015年,米国カリフォルニア州2016年,カナダ2016年(施行)。豪ビクトリア州でも,今年後半に法案提出の動きがある。

 安楽死とは,患者の希望に従って医師が麻酔薬(通常はバルビツール酸系薬)で患者を昏睡に導いた後に筋弛緩薬で死をもたらすことを指す。PASとは,患者の求めに応じて,致死量の薬物(通常は10 g程度のバルビツール酸系薬)を医師が処方することを言い,実際に使用するかどうかは患者に任せられる。実際に服用する患者もいるし,お守りのように持っていて結果的には服用せずにホスピスケアを受けて亡くなる方もいる。

 いずれも「明確な患者の要請に応じて」であって,日本での「安楽死事件」のように患者の希望があいまいな場合は安楽死やPASには該当しない。また,延命治療の中止を消極的安楽死と表現している文献も散見されるが,国際的には治療の差し控え・中止(withholding/withdrawal of life-sustaining treatment)であって,安楽死ではない。多くの国において患者の要請に従った延命治療の中止は合法であるとの立法化がなされてきた。アジアでは台湾が2000年に,韓国が2016年に法制化している。

緩和ケアでも取れない苦痛――取り得る3つの選択肢

 世界に広がる安楽死・PAS――この事実は何を意味しているのか? 1967年開設の英国セントクリストファーホスピスが近代ホスピスの実践的基盤を作り上げ,1970年代にかけて世界中に広がった。今や緩和ケア・ホスピスケア・在宅ケアが世界中で実践されているにもかかわらず,安楽死とPASが立法化されるのはどうしてだろうか。

 最も明快な回答は,「緩和ケアでは取れない苦痛がある(多くはないとしても)」――これに尽きる。「疼痛は90%緩和できる」とは「痛みの10%は緩和できない」ということだ。痛み以外の身体的苦痛,例えば,呼吸困難については有効な緩和治療が明確にされていない。寝たきりで排泄の世話を人にしてもらうことは尊厳がない,人生で価値を置いていたことができず楽しみがない,自分のことが自分で決められなくなるのは自分ではない──こうした精神的苦痛は,最も適切だと考えられる緩和ケアを受けたとしても生じることを日本を含む世界中の実証研究が示している2, 3)

 では,緩和できない苦痛に対して私たちは何を選択し得るのだろうか。おおよそあり得る回答は,①安楽死やPASのように患者の生命を終わらせることで苦痛をなくす,②鎮静(セデーション)によって患者の意識を低下させて苦痛を感じなくする,③苦痛を受け入れて過ごせるように支援する,の3通りである。3つ目はわかりにくいかもしれないが,例えば,生きている意味がないといった精神的苦痛は,もともと人間が終末期だけではなく持ち得る根源的な苦悩なので,医学介入によって対応しようとすることが間違っているという主張に代表される。現在のところ,日本国内で合法的であると考えられる選択肢は,後2者である。

最終手段としての鎮静

 本格化する安楽死・PASの論争の中で,鎮静の意味が今問い直されている。

 鎮静は,苦痛を緩和するために少量の鎮静薬を投与して患者が苦痛を体験しないようにするものである4)。あまり知られていないが,現代でいうところの鎮静が初めて医学雑誌に登場するのは,WHO方式がん疼痛治療法作成の中心人物であったイタリアのVentafridda Vの論文である5)。1990年に彼は,WHO方式がん疼痛治療法を確実に実施したとしても在宅ケアサービス患者の約50%に何らかの鎮静が必要であったと報告し,死亡直前に十分に緩和できない苦痛が生じて鎮静薬を投与するということは世界中で(こっそりと)行われているが,現実から目を背けずにしっかりとした学術的議論をするように提案した。

フランスで「持続鎮静法」制定

 それから26年後の2016年,フランスで「患者及び終末期にある者のための新しい権利を創設する法律」が可決された。これは,終末期の患者の苦痛が緩和されないときに鎮静薬を死亡時まで投与することが合法であることを明文化したものである。対象は必ずしも死亡「直前」の患者とは限らず,鎮静を受けていなければもう少し長く生きられた患者が含まれる可能性があり,ゆっくりとした安楽死(slow euthanasia)と呼ぶ専門家もいる6)

 鎮静は苦痛緩和を目的として死亡直前の患者に実施する分には生命予後を短縮させないことを多くの実証研究が示してきた7)。しかし,これはそもそも鎮静の対象は全身状態が相当に悪い患者であり,各国でPASの対象となっているような死がそれほど迫っていない患者に持続鎮静を行えば生命予後が短縮するのは自明である。これまで鎮静と安楽死は,医師の意図(目的が苦痛緩和のための就眠か,患者の死亡か)によって区別しようとしてきたが,鎮静と安楽死の間にグレーゾーンが存在することが明らかにされつつある。

鎮静を妥当とする条件

 鎮静(と言ってもさまざまな方法があるが)が許される条件を考える上では,相応性(proportionality)の概念が重要である8)。簡単に言えば,鎮静が許されるのは,患者の希望や価値観の確実さ,苦痛の強さ,苦痛を緩和できる見込みがないことの確実さ,生命を短縮する可能性や程度のバランスによるという考え方である。患者の希望が安定して確実であればあるほど,苦痛が強ければ強いほど,苦痛を緩和できる見込みがないと確信を持って判断できればできるほど,生命を短縮する可能性や程度が小さければ小さいほど,鎮静は妥当である。

 この考え方は臨床的には理にかなっており,わかりやすい。しかしながら,どのくらいの苦痛なら,どのくらいの生命予後なら妥当かという点は,個人個人で違ってくると予想され,医療者のみならず国民的議論が必要である。

鎮静ではなく,「少量ミダゾラム持続注入療法」になる?

 定義があいまいな現状では,「ミダゾラムを使用した場合は全て鎮静に当たる」という意見もあり,「ミダゾラムは症状緩和のために使っているので鎮静ではなく,症状緩和の副作用で眠気が増えているだけだ」という意見もある。もともと英国の緩和ケア専門医は鎮静という概念に懐疑的である。彼らはミダゾラムを高頻度に使用するが,患者の意識が低下したとしても,それは苦痛の程度に応じて(proportionalに)薬物を使用した結果であり,「結果として」患者が就眠したに過ぎないと主張する6)。一方で,終末期の呼吸困難に対して,モルヒネ単独vs.モルヒネ+ミダゾラムの持続投与のランダム化比較試験では,ミダゾラムを併用したほうが,患者の意識は変わらず苦痛の緩和ができたとも報告されている9)。となると,もはや,ミダゾラムを投与することは鎮静ではなく,呼吸困難を緩和している治療ということになる。これほどに,鎮静の概念はあいまいな,移ろいやすいものである。

学術的基盤をもとにした議論を

 日本国内で臨床に携わる場合,安楽死・PASそのものを経験することは(ほとんどの医師にとっては)ない(はずである)。緩和困難な苦痛を目の前にしてまず直面する課題は,鎮静を行うのか,いや,そもそも今から行う行為は鎮静と呼ばれるのかどうかわからないがそれを実施してもいいのか,である。苦痛を体験している患者にとって,「緩和できない苦痛に対してどのような方法があるか」は切実な問題である。この先5年,10年,終末期医療をめぐる中で鎮静に関する議論が学術的基盤をもとにわが国においても行われることを期待したい。

参考文献
1)JAMA. 2016[PMID:27380345]
2)J Pain Symptom Manage. 2004[PMID:14711468]
3)Palliat Med. 2006[PMID:17060268]
4)日本緩和医療学会緩和医療ガイドライン作成委員会.苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン2010年版.金原出版;2010.
5)J Palliat Care. 1990[PMID:1700099]
6)J Pain Symptom Manage. 2017[PMID:28188822]
7)Lancet Oncol. 2016[PMID:26610854]
8)J Pain Symptom Manage. 2017[PMID:27746197]
9)J Pain Symptom Manage. 2006[PMID:16442481]


もりた・たつや氏
1992年京大医学部卒。94年聖隷三方原病院ホスピス科,2003年緩和ケアチーム医長,05年緩和支持治療科部長,14年副院長。12年より京大臨床教授。近著に『終末期の苦痛がなくならない時,何が選択できるのか?――苦痛緩和のための鎮静〔セデーション〕』(医学書院)。

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